第41話-miracle


 バーナーを揺らしながら炙られているような熱さがなくなってきた。打撃を受けすぎて、腕の感覚は麻痺しているらしい。

 七重神奈はまだ倒れていなかった。マコトの猛攻が収まったわけではない。だが、長く楽しめるよう手加減はされていた。

 執拗に甚振られ続けても、神奈の心は折れない。だが、打たれ続けて思考することに支障が出てきた頭の片隅で、勝ちもないだろう、と思ってしまう。

 ならば、何故神奈は立ち続けることができるのか。偏に執念のおかげであった。胸を焦がしていた憎悪を、マコトが倍加させたからだ。

 目の前の男を葬り去れるなら、何も必要ないと思えるほど恨んでいた。勝ち筋が見えなくとも、殺すことだけを求める。

 少なくとも、泣き言だけは言うまいと。どれだけ痛めつけられようと構え続ける。奇跡は起きないだろう、と思いながら千載一遇のチャンスを待つ。

 神奈の中ではあり得ないころであったが、彼女の願いは叶えられた。

 

「悪趣味だな、アンタ」


 雅を目視した途端、マコトは神奈のこめかみを思い切り殴ってから、彼女の後ろに回り込み首を腕で絞めた。雅の声に反応して、神奈が無防備になったわけではない。マコトがその気になれば、神奈を殺すことなど造作もなかったのだ。

 マコトの腕にいる神奈は抵抗しなかった。かなり打たれ続けたせいか、気を失っている。


「あらら、やっぱり生きてました?」

「もちろんだ」

「流石パーフェクトさん」


 軽口を叩きながらも、マコトはしっかり雅を警戒していた。少しでも動けば神奈の命はないだろう。


「どうします? 私を見逃してくれるのならコレ返しますけど」

「お前のことだ。どうせ他に人質を取っているだろう」

「どうですかね?」


 おちゃらけてウインクをするマコト。見る人次第では挑発行為になるが、雅は何も感じない。

 

「それは困った。ところで、無抵抗で降参するつもりはないんだな」

「もちろんです」

「だったら、アンタの策を全て食い破ってやる」


 雅は数歩近づいて、銃火器禁止エリアに入り、拳銃を取り出した。


「パーフェクトさん、それは脅しにすらなっていませんよ。赤の他人、ましてや自分を殺そうとした人間を助けるために自分が死ぬだなんてありえない」


 雅は何も答えず、そのまま引き金を引いた。銃弾はあっさりマコトの額を貫いた。が、雅には何のペナルティもなかった。


「やはりな」


 そう呟いて雅は拳銃を構えながらマコトに近づき、死んでいるのを確認してから、気を失っている神奈を抱き上げた。


「悪いね。これがゲームであればアンタの勝ちだったよ。でもな、これはゲームであってゲームじゃないのさ」


 なあ、とこちらの方を雅は見た。マコトの骸に、というよりも、監視カメラの向こう側に話しかけていた。

 宮田歩の記憶を取り戻したということは、パーフェクトの復活に他ならない。そうであれば、運営の思惑を看破するのは容易いことだ。


「そうでなくては困る」


 雅へ宛てた声だったが、彼には届かない。ずっとそうしてきたが、あと少しの辛抱だった。




 美姫はそっと香歩の手を握った。それを拒絶することなく香歩は握り返す。

 その様子を見ていた皐月と志郎は脱力した。


「樋口さん何とかなりましたね」

「まあね」


 皐月と香歩が話しているのを、驚いた顔で美姫は眺めていた。そのことに目ざとく気づいた志郎が質問する。


「どうかしたの、美姫さん?」

「私が言うのもなんだけど、香織と知って動揺もしてないようだったから。志郎君もね」


 皐月はしたり顔で笑った。


「僕は気づいてましたし、そのことを樋口さんは知っていましたから」

「知ってたじゃなくて、脅したとも言えるよね」

「僕は香織さんのことは見たことないけど、今の香歩ちゃんは知っている。なら、どちらを信じるかなんて決まってるから」


 志郎の純粋な目を見て、美姫は寂しそうに笑った。


「倉永さん、まずはドローンを解除してくれませんか?」


 皐月が言ってから美姫はようやく思いだしたようで、慌てて端末を操作し始めた。

 

「これで止まりました」


 志郎が恐る恐る立ち上がると、ドローンは空中に浮いてはいるものの、動いても照準を合わせなくなった。しかし、志郎と皐月がいる場所と香歩と美姫がいる間にはドローンがたくさん浮いていて移動することが出来なかった。


「ごめんなさい。ドローンの自動追尾を止めると、動かなくなるの。私では全部まとめて操作できないし、ドローンはここに置いて、どこかで合流しましょう」

「わかりました。僕らはこの通路を進んで右に曲がるので、お二人は左に曲がってください」


 地図を見ながら皐月が指示を出した。それに香歩が頷くと、皐月たちはそくささと移動を始めた。


「私たちも行きましょうか」

「待ってください」


 美姫が引き留めるので、香歩はその場で待った。


「ごめんなさい。貴方は何も悪くないのに、一方的に当たって傷つけて、本当に最低なことをしたわ」

「いいんです」


 美姫の謝罪を香歩は遮った。


「美姫さんは悪いことしてませんよ。私が香織だというのは事実ですし、怪我をさせられたわけじゃないんですから」


 屈託なく笑って見せるが、美姫の表情は暗いままだった。それを何とかしようと、香歩は言葉を付け足す。


「ああいうことはとっくに慣れてますから本当に気にしないでください」


 美姫の顔が余計に暗くなる。そのことに香歩は慌てた。面倒だとは微塵も思わなかった。


「なら、倉永さんに何かしてもらいます」


 名案でしょう、香歩は誇らしそうに胸を張り、何にすべきか、頭を働かす。


「私のことは香歩って呼んでほしくて。こっちはよければなんですけど、倉永さんじゃなくて、美姫さんって呼んでいいですか?」


 さんざん悩んだ末に、香歩はそう提案した。彼女にとって誰かの名を呼ぶことは遠慮のいることだった。


「天ヶ瀬君と志郎君を待たせてますから急ぎましょう」


 急いで言い、照れ隠しに香歩は走り出した。それを追う足音が聞こえる。そして、虫の羽音が一斉に鳴り響いた。

 香歩が慌てて振り返ると、ただ浮遊していたドローンが、彼女らに銃口を向けていた。

 それが何故か香歩はすぐわかった。彼女はマコトがコントロールしている可能性を読んでいたのだ。だから、香歩は倉永さんを殺してもどうにもならない、と言ったのだ。

 しかし、美姫が一時はコントロールできていたので、香歩の中ではドローンの操作権は完全に美姫に譲渡されていると思っていた。それが再度移行したのだ。監視していたということはないだろうから、あらかじめ何かが起きた時に動くようになっていたのだろう。何がトリガーだったのかわからないが、今は原因を考察する時ではない、と香歩は思考を切り替える。

 先に走り出していた香歩だけは通路に逃げ込むことができるので、一先ずは回避できるだろう。が、美姫は不可能だ。

 なら、どうすればいい?

 現状できることでは美姫を救うことはできない。しかし、一つだけビジョンが浮かんでいる。

 雅さんのように動けたら――。

 香歩はスカートのポケットを上から抑え、雅の落したアーミーナイフに布越しに触れ、願望を訂正する。

 先生のようになれたら――。

 その願いは奇跡と同義だった。奇跡を前提にした行動など、諦めと変わらなかった。

 間に合わないとわかっていても、香歩は美姫に手を伸ばす。その時、ようやく時間の流れが遅い事に彼女は気づいた。何もかもが止まって見える。それがどうしてなのか、などと考えることもなく美姫を押し倒し、ドローンに向かって適当に銃を撃った。

 そこで、ぷつん、と音がして世界が元に戻る。

 香歩が撃った弾丸と、急に敵がいなくなった混乱でドローンは立ち止まり、後ろからついてきていたドローンに当たっていく。どうにか回避できたが、ドローンのすべてが無力化できたわけではない。

 だが、香歩は動けそうになかった。心臓の鼓動だけしか聞こえなくなり、視界が赤と黒で点滅している。超常的な動きの正体はTEしかありえない。そして、TEは病なのだ。すぐさま使いこなせる代物ではなかった。

 次弾を回避する術はない。どうにか美姫だけでも、と香歩は最後の力を振り絞って美姫の身体を覆うように手足を伸ばした。

 万能ではなかったにせよ、奇跡が起きたことを感謝して。

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