第40話ー回想
永い眠りの間、小松雅は記憶の整理を行っていた。カートリッジの使い方を思いだした時に蘇った記憶はあくまで断片的だったが、今度はそれらを精査し、一つずつ順番に並べていった。そして、ようやく自分の名を思い出した。あまりにも遅すぎたが、これで筋書き通りとなった。
宮田歩。それが、雅に与えられた便宜上の名前だった。初めは番号で管理されていたが、彼があまりにも突出した性能を発揮したので、日本の成果として発表しやすくするために普遍的な日本人の名前が与えられたのだ。遺伝的にも完全なる日本人だったので、虚偽はない。
名前を与えられてからも、歩は期待に応え続けた。よって、彼は物心ついたときから――最もあまりに早い時期に物心がついたので、一般的な言葉の定義では当てはまらないが――研究所に缶詰めだった。彼も異常だったが、環境も異常だった。まともに空を知らず、外界から途絶されていた。子供に対する扱いは全く受けなかった。かといって、対等の人間として扱われていたわけでもない。
与えられるのは愛でも知識でも道徳でもなく、課題だけだった。
この頃の歩は結果を出力する機械でしかなかった。
そんな宮田歩にも転機が訪れる。稀有な不治の病を治す、という課題によって。
藤重香織との出会いによって。
藤重香織も歩と同じく異常な環境で育った。
珍しい病を患っていた少女はモルモットのような扱いを受け、思考を歪めていた。だから、自分を虐める医者を嫌ったので、歩は友達として引き合わされた。
子供であればその設定に綻びが出るのだが、歩は違う。なので、香織は徐々に心を開いていった。
そして、論理的で課題解決のためだけの質問しか受けたことのない宮田歩には、無意味な子供の質問というのは珍しいものだった。
歩の知能が飛びぬけていても心は子供だった、ということに誰も気づかなかったのだ。
引き合わせたのはTEが与えた知能だが、歩の友達としての面しか知らない香歩が求めたのは人柄だ。TEのことを知ったのは病が完治してからだから間違いない。
だから、歩の正体を知っても、香織は変わらず友達であり先生で続けた。歩はそこで初めて人としての扱いを受けた。ようやく宮田歩は心を育み始めた。
病が完治してからも、歩と香織の交友は続いた。
その頃には、香織は歩のことを「先生」と呼んでいた。彼が賢いからである。出会った時から稀に呼んでいたが、いつしか定着していた。名前にすら愛着のない歩は何と呼ばれようが気にはならなかったが、ふと気になって香織に先生と呼ぶ理由を尋ねたことがあった。
「歩君は打算なく正直で、知らないことがないでしょ。そういうところが先生みたいだな、と思ってたら本当に先生だったから」
香織は照れ笑いを浮かべて言った。歩はその言葉に偽りがない事はわかっていた。そして、それだけではないことも。
だが、そんなことはどうでもよかった。歩には香織の隣にいるだけで十分だった。その鈍さに香織は呆れ、喜んだ。
そんな関係もある一言で変化することになる。
「私の夢はね、先生みたいに誰かのために働くことなんだ。だから、ね、先生の病気は私が治してあげる」
香織は恥ずかしそうにはにかみながら、歩に向かってそう言ったのだった。それは背伸びをした少女の夢だった。
が、歩はそう受け取らなかった。不幸にも彼は香織から好かれるために、少女の願いを課題として受け取った。
機械として働きすぎたせいだろう。心を育くまないでいた彼に、淡い感情が宿ろうとしていたタイミングも悪かったのだろう。故に、彼女のためにあることだけを優先してしまった。
そして、願いは叶った。
歩は心が成長する前に研究から戦いへと身を置く場所を変えることとなる。TEを失くすというのは世界にとってあまりも大きな損失だったからだ。
TEは優秀な労働力だ。その性質上短命であるから、働くことが彼らの生甲斐だと世界は刷り込んできた。
それでも奴隷のような扱い、というわけではなく、働くなら相応の待遇で迎えた。しかし、TE患者が生む利益と、彼らが享受する価値を天秤に載せると、利益の方が重たかった。数滴の水で、畑全体の作物が育つようなものだ。
そんなシステムが社会に根付いてしまえば、取り除くことは難しい。TEの人々が働くことで世界は前進し、歩みを保ち続けた。だからこそ、TEを治療できるという発見は闇に葬り去られた。それでも歩は諦めなかった。その末に、世界はパーフェクトの排除を選んだ。
だから、歩は戦うことになったのだ。
テロに遭い、香織を巻きこむまいと離れ、名を変え世界に抗い続けた。
「そして、身を拘束され、そこで記憶を失った。愚かな天才」
私の独白に答えるものはいない。
だが、小松雅は目覚めようとしていた。今度こそは、宮田歩の記憶を持って、己が願望を叶えるために。
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