第39話ーrecall


 上のエリアに登った香歩たちは反対側の階段を目指した。近藤の機転によりここまで来られたが、あの階段が持つとは限らない。梨子たちが安全に使うためには先にマコトを排除する必要があった。その機は神奈と戦っているであろう今が最適である、という皐月の判断だった。香歩は神奈を助けに行くならば反対しないし、志郎は香歩に付いてくるので反対意見はなかった。

 静かな通路に虫の羽音のような音が響く。それを虫と誤認するほど、呑気ではなかった。ドローンだ。


「まさかあれだけ大口を叩いておいて、七重さんもうやられたんですか」


 皐月が侮蔑の息を吐いてから言った。 


「そういうこと言わないの」

「時間的にまだ合流してないはずじゃ」

「志郎も中々賢いですね。僕もそう思いますよ。さっきのはジョークです。さて、逃げることに専念しましょう」


 皐月が軽口を叩いていたものの、曲がり角をいくら曲がってもその都度ドローンは現れる。余裕はどこにもなかった。


「これは、囲まれてますね」


 皐月は息を切らしながら言った。志郎と香歩はまだ余裕がありそうだ。


「だけど、それにしては」

「そうだね、香歩ちゃん。撃ってこない」

「つ、つまりは」

「いいよ、皐月さん。誘導されてるってことだよね」


 ぜえぜえ、と呼吸を乱しながらも志郎の言葉に皐月は頷く。根性でついてきている皐月だが、確実に遅れている。そんな彼ですら銃弾を浴びていない。そもそも撃っていないのだから当たりはしない。


「でも、従うしかないよね」


 香歩の言葉を否定する者はいなかった。反撃するには止まるしかないが、その途端発砲してくる可能性もある。そして、走りながら撃つ技量など持ち合わせていない。

 行動に移しても、撃たれない保証はなかった。まだ勝負に出る決心はついていない。

 そうこうしている内に、十字路に出た。左右に加え後ろにもドローンがいて、正面には倉永美姫が立っていた。銃を構えた状態で。


「皐月君と志郎君、お二人は私がそこの女を始末するまで無抵抗でいてくれたら殺しはしません。その場で手を上に組み伏せておいてください」


 皐月はすぐ従ったが、志郎は香歩と美姫を何度も見た。そんな彼を見て、美姫は美しく微笑んで、大人しくしていて、と言った。彼女は次に香歩の方へ視線をやった。その際には微笑みを憤怒の表情に切り替わる。


「お前が雅さんを惑わせた。だから、私は助けてもらえず、あんな、あんな酷い仕打ちを受けた。女としての屈辱を受け続けた。福田に、あんな男に組み伏せられた!」


 理不尽から耐えるために、美姫は心の内で叫び続けたのだ。樋口香歩のせいで自分は助からなかった、と。あの女狐のせいで自分は全てを失ったのだ、と。どこにも根拠はない。だが、まともな思考ができない状況下に置かれた彼女は、そういう風に誘導されていた。

 小松雅を仕留められないなら、彼の弱点である樋口香歩を押さえればいい。それが釜田マコトの策であった。

 その背景を知ることはできないが、美姫が酷い目にあったというのは香歩にも容易に想像がつく。今の美姫はゲーム初日の覇気のあった彼女とは別人だった。衣服は乱れ、髪は汗のせいか鈍い光沢を放ち、顔にはヒドイ隈があった。

 だからこそ、香歩は言葉を以って戦うことを決めた。

 銃を突きつけることもできた。それをしなかったのは樋口香歩の意地であった。銃で脅すことよりも、対話を選んだ。

 しかし、その態度が美姫にとっては何より気に食わない。


「状況がわかってないわけじゃないよね。どうして持っている銃を向けないのよ?」

「まだ道がありますし、話したいからです。そんな時に、銃を向けていたらそっちに気がいって話がまとまらないと思うんです。それに、私はそんなことをしながら会話できるほど器用じゃないので」


 香歩はついさっき福田を脅すためとはいえ、人に銃を向けた。その時、彼女は暴力に支配されそうになった。撃てば身の危険という点は解決する、と頭の片隅で小さくではあるが思ってしまった。自分にはその選択を取らないでいる覚悟が必ずしもあるとは言えないと気づいたのだ。


「結局、変わってないのね。のうのうと生きていたからそうなのかしら。でもね、このままだと死ぬわよ。その前に私を殺してみなさいよ!」


 美姫は香歩の顔に照準を向けたが、香歩が動揺しないので舌を打った。しかし、苛立ってはいるものの、これはあくまで美姫にとって、そしてマコトにとって想定内のことであった。


「志郎君に皐月君、そこにいる女の名前はね、樋口香歩なんかじゃない。藤重香織っていうのよ」


 だから、美姫はマコトから武器は与えられていた。

 藤重香織。それが樋口香歩の本来の名前であった。

 香織の名は歴史上の偉人ではないが、現代に生きる人々なら誰もが知っている。当時、公な報道機関では名前を報じなかったが、パーフェクトを殺した少女として、ネット社会であっという間に彼女の名は伝播してしまった。世界の救世主を奪った魔女と罵られてきた。


「昔から変わってない。自分では何もしないで、他者を利用して生き続ける寄生虫が」 

「そうですね」


 香歩は頷く。自分の罪を前に堂々と立ってみせる。言い訳などありはしない。藤重香織は名を変えても、己が罪を忘れようとはしなかった。むしろ、強く意識し続けた。


「だからこそ、少しでも先生の代わりになろうと私は生きてきました。人の為に行動することが贖罪だと思ったからです。名前を変えましたし、誰かに宣誓したわけじゃありません。それでも色んな方々に感謝の気持ちをいただきました。満足はしていなかったけど、少しはできていると思っていました。けど、ここでは無力だった」


 志郎を見て、香歩は詫びるように目を閉じた。


「子供のワガママで人を傷つけた。ようやく、怠惰な自分を知ることが出来た。傷つけることを避けるばかりでは、何もかもを失くしてしまうと」

「その結果がこれ?」


 美姫は馬鹿にするような声で香歩の言葉を遮り、ドローンに張り付かれた皐月と志郎を指し示した。


「そうです。確かに、私は力を手にする必要性を感じました。でも、今はその時じゃない。この場合、倉永さんを殺してもどうにもならないでしょうし、何より貴方のような人を切り捨てるなんて間違っていると思うから」


 香歩は淀みなく言い切った。美姫を殺さず、志郎たちを助けると宣言した。それだけでなくブラフも交えて。

 しかし、今の美姫はその事に気づかず、綺麗ごとばかり吐く障害に苛立ちを募らせていた。


「簡単な計算でしょう? 私を殺して二人を助けるか、私に殺されて全員死ぬか、どちらが最善かぐらいわかるでしょ。どうしてわからないのよ?」

「ワガママです。私が私でいるためです。誰かの為に在りたい。これだけは譲れない。私はもうそれしか持ってないから。自分を捨てられるほど強くないから、私は倉永さんを切り捨てることはできない」

「弱さをひけらかさないで。選ばないだなんてただのワガママじゃない。どちらにせよ人は死ぬのよ? なら、私を殺せばいいじゃない。そうすれば、終わるのよ?」


 香歩という少女は世界から憎悪を向けられてきた。よって、自分を呪うことには慣れている。だから、命を賭けられる。志郎と皐月の命を背負う重責に怯まず、選択できる。信念を以って向き合おうとする。何もかもを失ったことがあるからこそ、何一つ失いたくないのだ。彼女にとって、一つを失うのも、全てを失うのも同じ痛みだった。


「私は誰かの力になりたい。でもそのために、他の誰かを傷つけることなんてしたくない。弱いからって諦めたくない。こういうのを詭弁だとか、往生際が悪いと言うんでしょうけど、私は倉永さんを信じてます」


 美姫にも言ったように、香歩はゲームを通して言葉が通じない相手と対峙し、時には行動する必要も感じている。ワガママを突き通すだけでは何も得られない、と身をもって実感したのだ。しかし、何を基準に切り捨てればいいか迷っていた。それでも、言葉の力を信じていた。良い悪いではなくそう思っている。通じなければ、というケースも頭に入れながら。


「だから、私は倉永さんを殺さないし、志郎君も天ヶ瀬君も殺させない」


 香歩は両手をゆっくり挙げて笑った。あまりにも頑なな彼女に美姫は言葉を投げつけることもできない。

 その時、美姫は、香歩が脅しだけでは揺るがないとわかってしまった。香歩の笑顔が、鮮やかな茶色の瞳が、何より彼女の一貫した行動がそう告げていた。樋口香歩は救える命を見捨てない。失敗した時の責任の重圧にも負けず、その選択をし続ける。


「それでもというなら、そうですね、私だけ殺せば見逃してくれますか?」

「香歩ちゃん!」


 志郎は叫び、皐月は驚きで目を見開く。が、そんな二人を無視して香歩は美姫に視線を向け続けた。

 ここで出会ってから美姫は香歩にのみ苛立ちを向けていた。ならば、香歩さえ始末できれば二人は殺しはしない、という美姫の言葉に嘘がないという前提だが、香歩の提案はそう悪くないはずだ。しかし、美姫は言葉を詰まらせていた。


「脅されてますよね」


 香歩は畳みかけるように言った。言葉こそ疑問形だが、声は断定調だった。 


「私は倉永さんが誰かを傷つけることを良しとする人間じゃないって信じてる。だから、そう思うの」


 屈託なく笑う香歩だが、心の内は違った。度胸があるからではなく、確実にそうだとわかっているから落ち着いていた。

 香歩はただ妄信的な少女ではない。冷静に考察することもできる。初めに美姫が話し合いを持ちかけてきた時点で、突破口を言葉で探っていたのだ。

 それはこのゲームで自身の無力さを思い知った彼女の変化だった。一番誰も傷つかない選択を取る姿勢は変わらない。だが、それだけではどうにもならないのだ、と気づけた。そうし続けるだけで必ずしも成功するわけではないし、そもそも失敗しないよう自分で戦わなければどうにもならない。

 志郎に父を殺させたことは、香歩にとって大きな傷となった。全てを勝ち取れる力のない人間が欲張った結果を悔やんだ。そして、武器を取ることを選んだ。しかしながら、敵対したからといっていきなり殺すようなことはしない。あくまで、最後まで最善を求め続ける。彼女の変化は、そうできなかった時、小数を切り捨てる行動を選ぶようになったことだった。

 今も勝算があるから香歩は説得を続けているのであって、仮に美姫が志郎たちを殺そうと動いたのなら迷わず引き金を引くだろう。

 樋口香歩は冷静で、切り替えが上手かった。それは磨いた特技ではなく、パーフェクト殺しの重責から立ち上がる過程で身に付けたものだった。


「私たちは貴方を傷つけない。守ってあげられるほど強くはないけれど、一緒に戦うことはできます。助けてって言ってくれたら最善を尽くします」


 美姫の憎悪が溶けていく。香歩に向けられた熱量は、マコトによる操作が大きい。精神的に追い詰めた状態で、その矛先を強引に操作しただけだ。そのことにどこかで気づいていたからか、単に人を殺す度胸がなかったのか、美姫はいきなり発砲しなかったのだろう。

 似たような推論を香歩も立てていた。しかし、彼女はまず論理的に導いたわけではなく、直感で気づいた。彼女も他者からの暴虐に耐え忍び、救いを求め続けた者だったからだ。そして、そこから順序立てて導いた。美姫は自分を直接的に憎んでいるわけではない、と。助けを求めることができないくらい視野が狭くなっているのだ、と。

 そう思ってしまったら、最初から香歩が武器を持つことなどできるはずがなかったのだ。


「貴方はどちらを取るの?」


 香歩には手を差し伸べることしかできない。その無力さを感じながらも、可能性があるのなら諦めない。諦めてしまったら、樋口香歩はまた名を変えねばならないだろう。

 だからこそ、願う。手を握りあう光景を思い浮かべる。

 

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