第32話-誤差
春人と梨子に追われている最中、近藤は楠木と逸れていた。ドローンによる襲撃で二手に分かれたのだ。
相手が誰であるかは考えていない。襲われる理由はいくつもあるのだから気に留める必要がないのだ。
楠木の安否も考慮しない。
テロリストとして世界を駆け回ってた近藤だからこそ、そうしていられるのだろう。精神的な面で見ればあまりにも屈強な男だった。
なので、足音が聞こえてきても慌てずに準備をする。
近藤が今いる通路は両手を広げると手が届きそうなほど狭い。彼の身体が大きく肩幅が広いせいもある。そのことも念頭に置いて、武器はナイフと拳銃をチョイスした。
敵が梨子であれば、迎え撃つのに一番適した環境だろう。
決して、願いはしない。だが、姿を現したのが梨子だったので、近藤はつい空想上の存在に感謝してしまった。
彼を一番敵視している存在だ。早い目に処理しておくに越したことはない。
既に彼女がTEであることはわかっているので、慎重に行動を窺う。
「楠木はどうした?」
「何を今さら、死んだに決まっているでしょう?」
近藤は驚かなかった。血が所々にかかっている梨子を見れば想像できたからだ。
しかし、それは的外れな考えである。梨子の服についている血は春人のものだし、楠木を殺したのは春人だ。
彼の想像で合っていたのは、彼女が復讐以外の理由で人を傷つけることもないだろう、という点のみだった。だから、返り血を見て楠木のものだと判断したのだ。
「一対一でも逃げようとしないんですね」
「逃げられるのなら逃げている。勝ちの薄い勝負はしない性分だ」
そう言われて梨子は辺りを見渡し、クツクツとまた似合わない笑い声を上げた。
無論、油断はしていない。ジリジリと距離を詰めている。
「なるほど。確かに刀が振りにくい場所ですね。しかし、驚きました。貴方って、無駄話できるんですか」
「まあな。しかし、これは無駄話ではない」
「そうですか」
二人の間合いがひとっ跳びになった瞬間、梨子が刀の柄に手をかけ、ぐっと腰を沈めた。
そこにすかさず、近藤は銃弾を放つ。極限状態にも関わらず頭蓋を狙った的確な射撃。が、そうだったからこそ、梨子に頭を横に倒され軽々と避けられてしまった。
彼ならば狙ってくるだろう、と梨子は読んでいたのだ。
近藤は射撃が外れたからといって、次の手を講じぬ男ではなかった。距離を詰めてくる標的に向かって発砲する。
それを梨子は鞘に入れたままの刀で防ぎ、撃たれる前に一歩踏み出して半身の態勢を取った。そこから近藤が引き金を引くよりも速く、鞘から刀を射出させる。
刀の刀身ではなく、柄が近藤の腹にめり込んだ。梨子はきちんと狭い空間での戦闘を考えていた。端から刀は使い物にならないと理解していたのだ。
しかし、誤算はある。拳の一撃などとは比にならない威力だったはずが、近藤は立っていた。
何とか、梨子は躱された時の手段として残していた小太刀で拳銃を弾き距離を取る。
「立っているのは訓練しているからではありませんね」
「お前と同類だよ。それにしても、今の斬撃、慌てていた人間が咄嗟にできるものではない。金原、お前の能力は判断力の強化といったところか」
「そういう貴方はTEに備わっている身体能力の向上をさらに強化したもののようですね」
お互い正解から遠くない考えを披露しあう。そして、どちらも間違いを訂正することはなかった。
楠木に話していたことは真実で、近藤のTEはただの硬化である。
梨子のTEは思考の加速だった。銃弾を切ることができたのもそのおかげである。しかし、行動自体を加速させることはできないので、判断の加速という近藤の見立ては外れていない。
それでも、撃ったと同時に行動に移れるからこそ、銃弾を切るということができるのだ。普通の人間なら、銃弾を認知し身体に指令をしている間に銃弾が届く。
銃弾を認知し、その軌跡を計算、防ぐ行動を算出という処理を刹那の間に行っていたわけである。
「どうしました? 銃でも撃ったらどうです?」
近藤は返答せずに距離を詰め、拳打を放った。
梨子はTEを駆使し、回避して小太刀を走らせる。しかし、硬化で刃は意味を成さない。
近藤の方が戦闘能力という点では勝っている。が、梨子の思考加速があれば、埋めるどころか越えられる。しかし、トドメは近藤の硬化が防ぐ。完全に膠着だ。
二人の戦いは互角だった。どちらも決定打に欠いている。長引けば長引くほど、集中せざるを得ない。どちらが先に切れるか、という勝負であった。
彼らは必死に裏をかき、命を刈り取ることだけに思考のリソースを回している。生への執着などではなく、ただ純粋な殺意が二人を支配していた。
近藤は訓練により、そういうスイッチができあがっていた。梨子は家族、そして謙二郎と春人の死が彼女を切り替えていた。
その差は誤差というには大きく、勝敗にも影響する。
「私の勝ちです」
TEというのは長時間使用できるものではない。身体を蝕む病なのだ。突出した力を得た代償は払うこととなる。僅かな時間使用しただけで生死に関わることもあるほどだ。
そんなものを戦闘で、しかも長時間使い続けるのは不可能なのだ。
死への思いが僅かな差を生じさせたのかもしれない。
そう考えれば納得できた。しかし、場に映っていた光景は違った。
梨子の小太刀は近藤の首に当たっていた。しかし、首から涙ほどの血しか流れない。あれほど憎んでいた相手のはずだ。
何故、躊躇している?
周到に計算されたはずの舞台ではなかったか?
梨子のそれは、恐怖を与える演出ではない。
見るものが見ればわかることだ。金原梨子は近藤を殺すことを躊躇していた。
「何故だ?」
その疑問は近藤も抱いていた。梨子は心の底から近藤という男を憎んでいた。それは今も変わらないはずだ。
なのにどうして、刃を引かないのか――。
近藤は答えを探すために、梨子の顔をじっと見た。そして、気づく。彼女は引けないのではない。引くことを躊躇しているわけでもない。殺意を必死に抑えていた。
「貴方を殺したくて仕方ありません。ですが、私は――」
口を閉じ、開き、また閉じる。梨子は言葉を探っている間そうしていた。
それは間違いなく隙であった。動けば殺される可能性がなくなった訳ではないが、成功する可能性が高そうに近藤には思えた。それでも動かなかったのは、梨子の言葉を待っていたからだ。
待つべきだと思ったからだった。
「思いを託されました。首を落さないのは、死を前に思いやってくれた人たちの気持ちを無下にできないだけです」
「なるほどな」
「馬鹿にしますか」
梨子は小太刀の柄を思い切り握った。それは怒りで刃を引かぬように抑えるためであった。
そんな彼女を見て、近藤は素直に謝罪した。
「そうじゃない。そういう考え方もあるのだな、と納得しただけだ。他者の思いか。俺は考えもしなかったな」
近藤は大きく口を開けて笑った。梨子を馬鹿にしているという風ではなかったので、余計に不気味だった。
「降参だ。今の今まで殺すつもりでいた君のことだ。俺を殺さず無力化する方法を考えていないだろ?」
「認めるのは癪ですがその通りです。ですが、降参と言うなら、大人しく縄についてくれますか」
「いいや、断る」
な、と声を洩らし、梨子は刃を少し押しつける。お前の命は私が握っているのだ、と示すために血を流させる。
しかし、近藤は表情を変えずに口を開いた。
「これ以上誰も殺めないと約束しよう。だから、金原、この手を離してくれ」
梨子は耳を疑った。近藤の声は、打算でも偽りでもなく、真摯なお願いだったからだ。言葉はもっと意味がわからないものだったが。
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