第3話-懐古

 雅と香歩はマップに記された場所まで、残り五百メートルの位置にいる。

 方針を変えず探索しつつ歩いているので、二つ同じように物資が入った部屋を見つけた。

 だが、中に入っていたのは食料品、縄や懐中電灯などの道具で殺傷能力のあるものもルールもなくこれといって進展はない。


「少し休憩しよう」


 香歩は雅の提案に頷き、廊下にそのまま座る。 雅は念のため、拳銃をいつでも出せるように地面に置き、壁を背に座り込んだ。

 拳銃を見て、香歩はいい顔をしなかったが、敵に向けて牽制のために置いておきたかったので、片付けはしない。

 雅が休憩を提案したのは疲れからではない。

 時間が欲しかった。記憶に関する考えを纏めたかったし、何よりこのゲームの事だ。拾えるものは武器と食料。まるでRPGゲームのようだ。調達できる物資の頻度、食料の量を見て一日で終わるものとは思えない。

 それだけなら深刻に考える必要もなかった。

 ここが日本ならという話だが拳銃、明らかに殺傷目的のナイフ、二つともそう簡単に手に入る代物とは考えにくいのだ。

 拾った食品のラベルと携帯端末が、日本語表記だったので日本と思い込んでいた。

 しかし、ここが海外ということもありうる。

 だが、それならまだましだ。海外ならば拳銃を入手しやすい場所もあるだろう。

 もし、日本なら?


「そろそろ行きません?」


 香歩は既に立ち上がった状態で言った。

 先ほどから休憩をの切り上げを提案するのは彼女の方で、会った時とは全く違うどうも落ち着きがない少女へ変貌を遂げていた。

 確かによく分からない状況で何もしないのは辛いのだろう。雅はそう思い、深く考え事ができなかったが、パートナーの意見を尊重しないわけにもいかないので同意する。


「そうだね。行こうか」


 百メートルもしないうちに扉があった。香歩は数歩下がり、雅が辺りを確認してから蹴り飛ばすようにして開ける。

 武器を見つけてから、万が一のためにこういう荒い方法を取っていた。


「ショッピングモ―ル?」


 雅の背中越しから見える風景に香歩が驚きのあまり声を漏らした。今までコンクリート壁のみの通路だったが、ここは広い。左右のショーウインドウには衣服が展示されており、その奥には服やアクセサリーなどの商品が綺麗に陳列されていて、天井は吹き抜けだ。

 ここから見える階は三階。入ってきた扉の上には非常灯のマークがある。

 記憶のない雅が言うとおかしな話だが、どこか見覚えのある光景だった。


「ショピングモールなのか」


 思わず立ち止まり、雅は呟いていた。彼がここをショッピングモールと認識することに時間が掛かったのは雰囲気だ。

 香歩が言うまで、ショッピングモールという言葉が浮かばなかった。なぜなら、どこか悲しげな雰囲気を感じる。埃が被っている訳でも、建物が破損している訳でもない。子供にとっては小さな遊園地にも見えるだろう。ただただ、そう感じるだけなのだ。

 雅は即座に思考を切り替える。記憶のない人間の感傷など無駄だ。辺りを注意深く観察する。どういう訳か彼の目覚めた場所とあの通路は、ここに繋がっていたらしい。仮に日本だとすればここまで綺麗なショッピングモールなのに、あのような物が置いてある通路と繋がっているのは辻褄が合わない。多くの人が訪れる場所にあんなものが置いてあっていいはずがないのだ。

 本格的に国外の可能性が出てきた。日本に戻る手段は限りなく難しいのかも知れない。


「先に行きましょう」


 雅が感傷の次に失意に浸っていると、香歩は怒気を混ぜたような声で彼を呼んだ。


「あ、あぁ」


 既に、先を進んでいた香歩に早歩きで雅は追いつきこう思った。

 ここまでテンションがキリキリ変わると困ったものだ。メリーゴーランドの次はコーヒーカップを回して、そのままカップがお化け屋敷を通り、観覧車へ。そのまま頂上まで行ったと思いきやそこから急降下なんてぐらいなもんだ。

 重篤患者にはいささか不向きというものだろう。

 訳の分からない比喩表現で現状を打破できるなんてことはない。雅もそれがわかっていたので確かめる。

 ドキドキしながら横顔を見てみると、怒っているのかと思ったが香歩は明らかに動揺していた。宝石のような瞳が小刻みに動き、手を何度も組み換え、不自然な歩き方をしていた。それはそれで、言葉に言い尽くせぬ可憐な美しさがあるのだが、やはり彼女には笑っていてほしいものだ、と雅は思った。

 軽いジョークを挟んでみようかと彼は考えた。しかし、もしかすると、彼女はここを知っているのかもしれない。

 それを追及してからでも、雅の脳裏にも精神にも焼きついている香歩を取り戻すのは遅くないだろう。


「ここがどこだかわかるの?」


 足を止め、香歩は振り返った。その表情は先ほどまで雅の脳裏に浮かんでいた彼女とは全く違っていた。

 香歩は涙を溜め、肩を震わせていた。


「いえ知りません。私」

 

 そう答えた声は僅かに震えていたが顔を歪ませるわけではなく、瞳だけが涙を流していた。

 その光景を目撃した事は、小松雅が覚醒してから最も彼の心を揺り動かされた瞬間だった。

 加速する。今度は雅の脳が、心臓が、速く、瞬間に思考が、世界が切り替わる。

 視界に映る香歩から粒子が消えていく。それは彼女の魅力そのものだった。

 独特の彼女しか持ちえない美しさは霧散し、その隙間へ不浄なものが入り込んでくる。混成していく。しかし、彼女は美しい。善も悪も、幸せも不幸も、笑いも涙も、彼女から美しさを奪えやしないだろう。だが、何か、何かが、気持ち悪さを増幅させている。

 香歩は弱い。きっと簡単に罪に潰されてしまう。すぐに罰を受け入れてしまう。訳なんて神様しかご存じないだろう。

 つまり、俺は彼女がどう美しかろうと、自分の望む姿であった欲しいのだ。

 この思考は今の雅のモノではなかった。奥底から突如湧き出てきたのである。

 それに雅は戸惑っていたが、処理は止まることなく進む。


『だからこそ、僕は救わなくてはならない。必ず救わなくてはならない』


 ノイズ混じりの声が脳内に響く。どんどん奥へ、奥へ、思考が加速していく。一速、二速、三速とシフトアップを繰り返す。徒歩、車、新幹線という具合で一段一段が飛んでいる。

 また見えない、認識が追い付かないスピードで、記憶の奥へと落ちていく。脳が、身体が、精神が、同期を繰り返し、切り替わる。


「こんなことになって怖くて先生を、もう会えない人の事を思ってしまって、また頼ろうとしてて」


 香歩は所々鼻をすすりながら話していた。 

 その姿に既視感を雅は感じた。頭の裏から急に映され、既視感に呼応するように全身の細胞が活性化する。一から飛んで三十兆もの細胞が命を蝕んでいく。

 ああ、いけない。そいつは、いけない。いきなりフルスロットルなんて馬鹿なことしちゃいけない。如何に完全を謳う人間だって壊れちまう。一度壊死したら蘇らない唯一無二。だからこその枷なのに。

 雅の脳は独りでにそんなことを思う。まるで彼の中に誰かがいて実況しているかのように。


「もしその人がここにいたなら、って。そんなイフを無意識の内に考えていたんです。はやく忘れていかないといけないのに、また、逃げてしまったんですよ」


 ふと、雅の思考が戻った。香歩の涙を見て動揺でもしたのだろうか?

 戻るまでに一年ぐらい経っていた気がしないでもない。まあそれは自分の頭が逝っているからだろう。それにしても謎の発想だ。ポエマーすぎる。美しさは奪えない? シフトアップ? 唯一無二?

 恥ずかしがりながらも、思考がぶっ飛んでいても、雅は直前の会話は覚えていた。

 香歩の言葉は、雅に話しているというよりかは、自分に言い聞かせるような口調だった。まるで贖罪。

 雅は疑問でならない。

 何がいけないのだろう?

 会えないというのは死んだという意味なのだろうか、などと色々な推測が頭に浮かび上がる。しかし、それを知って、どうにかなるものではない。雅には何の根拠も、背景も、信条も持っていない。

 よって、適切な助言はできない。

 だから、彼が取れる行動は黙っているか、嘘を作るしかなかった。


「僕にはよくわからないけど。きっといない人を考えることは悪いことなんかじゃないよ。忘れなくてもいいんだ。そんな酷な事はないよ。まるで罰しているみたいだ」


 それは雅の未練だった。思い出したい彼の。父を、母を、友人を思い浮かべようたってできない彼の。

 あるはずの記憶に縋る彼だからこそ、そう考えた。

 なくなった記憶が尊い何かと信じていた。 

 香歩はそれに対し俯いて聞き取れないが、小声で何か呟いていた。

 が、表情は暗いままだ。まだ足りないらしい。雅は一歩踏み込んで、その相手が死んでいるという仮定を付け加えた。

 勘違いだとしても、何も言わなくては進みはしない。

 雅が口を開くと同時に、また脳に何かの映像が流される。


「責める前に落ち着け 。人というのは心の揺らぎによって思考が支配される。だから、落ち着いてから好きなだけ悩め。だが、何に頼ってでも生きろ。死で解決できるものなんて俺は知らないからな。まあ、できるなら楽しく生きろ。さっきも言ったように、心が前向きであれば思考もそのように働く」


 雅は自分でも驚くぐらいスラスラと話していた。まるで例文をそのまま読んだような勢いだ。もしかすると一度話したことがあるのかもしれないし、何かの歌詞の一部という可能性もある。

 冷静に考察していたが、口を大きく開けた香歩の間抜けな顔を見て付け加えたように笑う。

 まるで、冗談だったんですよ、という風に。


「――って偉そうに何言ってんだろうな僕は」


 雅があたふたしている間も香歩は口をぽかんと開けていた。初対面の男が急に詩人ばりの恥ずかしいセリフを言い出したのだ。仕方がない。

 でも、涙を止めれたのだ。こういう恥ならいくらでもかいてやる。

 雅は心の中で自分にサムズアップしておく。ナイス俺、かっこいいぜ俺、赤面してるお前も最高さ。しかし、彼の口は自信を保つことができなかったようだ。


「ごめんね。説教臭い事を言って。でも会えない人を無理に忘れようとするのはやめて欲しい。記憶ってのは薄れることはあっても、忘れようとしたって忘れられないものだよ。その度に苦しむのなら、もうちょっと前向きに考えた方が良いって言いたかったんだ。ありきたりな言葉だけどね」


 雅はみっともなく、取り乱しながら弁明する。すっかり全部忘れている人間が言っているとなると抱腹絶倒な話なのだが。まあ、香歩にはわかりやしない。

 またもや咄嗟に出た言葉だったが、もし、それが今の自分の言葉だとしたら恥ずかしい。

 過去の自分が言わせたとなると精神的に安定する。安心する。

 雅は責任を押しつけることにした。そうだ、過去の自分が悪いのだ。意味のわからない歌詞を引用するな。よし、いいか、あれは俺の言葉ではない。


「そうですよね。前向きに。前向きに!」


 香歩はスイッチが入ったのか手を叩き、顔を上げる。顔には笑みを浮かべ、宝石のような瞳を涙で輝かせ、胸を張り、力強く立っている。地面には顔を上げた勢いで、さっきまで頬を濡らしていた涙が飛び散っていた。


「さあ、行きましょう」


 香歩は雅の手を引き、歩くどころか走って行く。

 雅は彼女に見えないように顔を傾け、声を出さないように笑う。内心、高揚感を隠すのに必死だった。心の底からよかったと思える。あの生一本な心を、宝石を曇らせてはいけない。彼は自然とそう考えていた。

 雅の手を引いて走っていた香歩は、十メートルもしないうちに走るのを止めて手も離していた。その原因が羞恥から来るものであることは、説明せずとも彼女の横顔から容易に知ることができる。雅もわざわざそのことに口を出さなかった。


「そろそろですね」


 香歩は端末の画面を見て言った。恥ずかしさを誤魔化すためだろう。淡くだが、まだ顔が赤くなっている。彼女の顔から視線を外し、端末の時計を見て雅も確認する。

 八時二十一分、確かに、そろそろ行かないと余裕のある時間にはつかない。

 ギリギリに行ってこちらの情報を与えないことも雅は考えたが、今は情報を得るほうが重要だ。


「じゃあ行こうか」


 集合場所は二階でそこへ上るための稼働していないエスカレーターには人間の足跡があった。べったりとついている。

 雅は立ち止まりその足跡を触る。粘り気のある土で、まだ乾いていなかった。足跡が男性にしては小さいので、子供か女性のものだろう。


「泥みたいだ。ということは外から?」


 周りを見渡すと他にも違う足跡が点々と残っていた。一つの足跡が片足しかなく、所々薄いものもあるところから推測するに、外の地面全体が泥というわけではなさそうだ。

 

「そういえば私たちの靴、綺麗になってますもんね。私がここに来る前とまったく同じ靴ですけど、こんなに綺麗じゃなかった」


 まったく気づかなかった雅は急いで自分の靴を確認する。履いていたものかどうかはわからないが、真新しい靴のようで靴底が殆どすり減っていない。香歩が言うにはわざわざ履いていた靴を新品に変えたようなニュアンスだった。


「今、気づいたよ」


 雅がそう言うと、香歩は上体を大きくを反らし、誇らしげに腕を組んだ。白のセーラー服から発展途上の大陸が二つ、浮上した。女子高生ともなれば当然なのかもしれない。

 ただ、精神はまだ子供ということだろう。羞恥心がないのではなく、そもそもこういうことを恥ずかしいと感じていない可能性がある。こんなジェスチャーをするくらいだ。ある程度、元気が戻ったと見ていいだろう。雅はほっとした。

 二人はエスカレーターを上がり、足跡を辿っていく。やはり地図に表示されている場所で途切れていた。

 周りのテナントは扉がなく、その多くは透明のガラスで中が見えるようになっている。

 だが、説明会の会場は厚いコンクリートの壁で覆われており、真ん中にドアノブがついた扉があった。

 雅は香歩の方を見て確認する。頷いたので扉を開けた。


「これで十四人目」


 扉を開けると真正面にガタイのいい男が腕組みをして立っていた。体に密着しているインナーのせいで、否応無しに、隆起した筋肉を見せつけられる。その大きな体格のせいで扉の奥が見えないので、中の様子がわからなかった。

 刈り上げられた短い黒髪、黒のタンクトップに前を開いた黒のパーカー、黒のズボンという全身黒尽くめだった。見られるだけで威圧的な逃げ出したくなる重圧があり、映画ならボディーガード役でもやっていそうだった。


「お、可愛い子もいるじゃん。ささ、どうぞ」


 男の後ろから出てきた青年が言った。青年は先ほどの男とは対象的に髪が男性にしては長く金髪のメッシュで所々黒くて華奢な体つき。身長は雅と同じぐらいで百七十センチほど、顔はアイドルのような甘いフェイスだった。


「あの青いチェック柄のズボンにあの校章、上条学園の制服です」


 香歩がそう雅に耳打ちをし少し後ろに下がった。

 青年の着ている服は制服に見えなくもないが、紫のワイシャツにネクタイは閉めている意味があるのかわからないほどダラけていて、胸元にはネックレスが輝いている。

 記憶喪失の雅が思うのもなんだが、今風なのだろう。

 制服の青年が雅の脇をすり抜け、香歩の手を引き外に移動した。そうすることで二人を離し、雅の所へ戻ろうとする香歩の動きを邪魔するようにべったりと引っ付く。


「あっ」


 香歩が驚きのあまり声を漏らした。雅は制服の青年が香歩に危害を与える様子もなかったので通したが、あまり良い気分ではない。

 二人は小声で話しているため会話は聞こえなかった。

 そのことよりも香歩にベタベタしていることが雅は気になるのだが、刺激するのもよくないだろうと判断し小言を言うのはやめておいた。


「ところで一つ聞きたい」


 雅が香歩たちの方を見ていると全身真っ黒男が口を開いた。


「先に名を名乗ろう。私は近藤という」

「あぁ、俺は 」


 雅が名乗ろうとすると近藤が強烈な上段蹴りを放った。

 大きな体格の男からは想像もできない、しなやかな動きで顔面を狙っている。

 雅は認識すると共に後方に下がりつつ左から迫る足を片腕で軌道を逸らすが、急に衝撃を受けたせいで腕が痺れた。

 反撃か後退かを悩んでいる隙に、近藤は放った右足を着地させると共にその足を軸にして回転して距離を詰めてきた。

 その遠心力を生かした回し蹴りが炸裂するだろう。

 初撃のダメージからこれをまともに受けるのは厳しいと判断した雅は、後方へと飛ぶようにして外に出て下がり足を叩き落す勢いで殴ったがびくともせずに当たった。

 判断は追いついているが、体の出が遅い。

 十分に距離をとっていたため掠める程度ですんだが、近藤の靴はとても硬くそれだけでもダメージとなっている。登山などに使われるトレッキングシューズのようなものなのだろう。

 近藤も雅と距離があるからか、追撃はしてこなかった。


「あー。彦っちSTOP、この人たちは違う」


 雅が反撃に出ようとステップを刻みだしたところで、制服の男が声を張り上げ近藤に伝えた。英語の部分だけやけに良い発音だった。だが、アクセントを間違っているのが残念だ、と雅は思った。


「そうか」


 構えを解き、近藤は部屋の奥に入って行った。非常に淡白な反応で雅は驚く。


「悪いねお兄さん。えーっと、雅さん。話は香歩ちゃんから聞いたよ、ここが集合場所であってる」


 集合場所で襲われたものだから罠かと雅は思ったがそうでもないらしい。


「入る前に俺と情報交換しない?」


 どういうつもりか情報交換を持ち出してきた。

 雅はこの中の人間に話を聞くつもりだった。しかし、先に情報を引き出し記憶喪失を隠す必要がある。複数人に勘ぐられるより少数に抑えた方が賢明だろうと思い、交渉に乗ることにした。


「いいけど、何が知りたいんだ?」


 制服の男は頭をポリポリと掻いて腕組みをする。わざとらしく考えている素振りを見せているが、本当に考えているか怪しいものだ。

 長くなりそうだったので、時間が気になり端末を見てみるとメールがきていた。

 香歩からだ。

 本文は―――福田さん(あの制服の男の人です)から聞いた話をまとめます。連れ去られた経緯は同じで覚えてないそうです。学校帰りにではなくコンビニの帰りに連れていかれたという違いだけでした。所持品も携帯と靴が変えられていた所も同じでしたが、最初にいた位置が外だったと言ってました。私もこの三つの情報と私たちの名前しか話していません―――と簡素なものでだった。

 香歩と同じ境遇とあるから、この福田という男も記憶喪失ではないだろう。


「このゲームについて聞きたい。あんたプレイヤーか? それとも」


 メール確認を済ませたタイミングで福田が切り出してきた。どうやら彼はこれをゲームと断定していて、確固たる自信があるようだ。


「まずゲームなのか? ゲームのようにアイテムを拾ったりする所は確かに似ているが」


 ここははぐらかすのが一番だと雅は判断した。彼も十中八九、ゲームだと思っている。

 今まで見た会場の広さから相当な金額が掛かっていることはすぐに理解できた。目的は色々邪推できるのだが、競馬のようにこのゲームの勝者について賭けているのかもしれない。


「そ、そうか。雅さんも知らないのか。実はね、俺、学校でこの話の噂を聞いてさ。あ、噂っていうのは孤島に十八人集めてデスゲームをさせるっていう話なんだ」


 だから近藤が人数のカウントをしていたのか、と納得した。

 と同時にこの噂が世間一般に流行しているものかどうかと雅は気になった。香歩は知っていたのだろうか。

 それは後で確認すればいい。それより重要なことがある。福田は雅を襲った理由をまだ言っていない。


「一つ聞きたい。なぜ俺を襲った?」


 福田は手を合わせ、頭の前で細かく上下に揺さぶり始めた。ふざけているのか、と雅は言いたくなったがここは堪える。


「いやー、ゴメンね。これも噂の話なんだけど、このゲームには参加者の中にゲームの運営側が混じっているって話を聞いてさ。先に捕まえた方がいいと思って」


 どう見分けたのか気になるが、これ以上追求すると後々厄介な事になりかねないので雅は黙っておいた。

 話は終わったようで、福田が先に部屋に入ったのを見届けてから雅も続いて入る。

 中には雅を含めて十三人。いや、十四人、雅は確認し終える。

 もし、福田の言っていたことが正しければ、あと四人。

 見た目からの推定でしかないが、三十代から小学生までいて、全員黙って俯いている。中はショピングモールには似合わない安っぽい長机と椅子があった。雅は一番近くの空席だった福田の隣に座る。


「さ、皆さんそろそろ時間ですし自己紹介といきませんか?」


 そう言って、福田がブレザーを椅子にかけシャツの袖をまくる。雅は感謝した。この中で勝手に司会を務めてもらえるのだからありがたい。


「俺は一応皆さんに自己紹介しましたが、見本という事で一つ。福田勇大。上条学園の3年です。コンビニの帰りに連れ去られて、林? 森? の中で目覚めました。という風にいきましょう。名前覚えを重視してるんで巻きで。いいっすよね?」


 福田はポンと手を叩き、周りを見渡す。誰も何も言わないのを確認してから話を続けた。


「十四人全員に共通していることは、持ち物がなくなっている事、携帯端末と靴が変えられている。それぐらいしかわかっていません。ですので何かあれば、自己紹介の際に話してください。ではさっそく俺から時計回りにいきましょう。時間もないので」

 

 言い終わったようで、福田は椅子に深々と座る。雅が時間を確認すると、九時まであと三十分もなかった。

 福田の左側に座っていたので雅の順番は最後だ。

 福田の右隣に座っていたのは、薄緑色と白が基調のジャージ姿の女性だった。片手で少し暗めな金髪のミディアムヘアーを引っ張るようにして弄りながら下を向いている。癖毛なのか内巻きで顔のラインに沿っているため小顔に見えるが、実際はそうでもない。

 それでも大きいというわけではなかったが――むしろ平均より小さいのだが――雅が無意識に香歩と比べてしまったからだろう。


「ほら花鈴ちゃんの番だよ」


 福田に促されビクンと体を震わし、髪の毛から手を離してジャージの裾を両手で握り立ち上がる。

 顔から予想できたように全体的に女性らしいふくよかな健康的丸みを帯びていて、肉付きのよい体だった。


「穂谷花鈴です。年齢は二十歳。攫われた時はランニング中で、起きたのは、森、の中でした」


 あの足跡はもしかすると花鈴のものかもしれない。福田だけの話では判断しにくかったが、少なくとも森と呼べるぐらいの場所が存在するようだ。

 花鈴が着席すると同時に、隣の男が立ち上がった。


「うちの名前は瓜生 謙二郎や。高校二年の十七歳。よろしくな。うちは公園で寝てたらいつの間にかここにいた。そんで、このショッピングモールで起きたんでここに一番乗りしたんよ」


 謙二郎は無地で紺色の帽子を被っていて典型的な日系人の顔つき、学ランにTシャツというこれまた崩れた制服姿だった。そして、特徴的な話し方だ。

 特にひっかかる情報もなかったので雅は瓜生から視線をそらした。


「ぼ、僕の名前は駿河春人。僕も高校二年だけど十六です。あの提案なんだけど、みんなの起きた場所と攫われた時を聞いたからまとめていいかな? 時間短縮になるし」


 雅より身長が十センチ以上低い小柄な少年でサイズが合っていないシャツとズボン、顔は少しつり目気味のはっきりとした二重で皮膚は白い。さらに男性にしては高い声が、少年という印象を与える。

 その影響か、周囲から特に反論はなかったので雅も黙っておく。

 みんなというが雅は話した、覚えがない。なので、この子供らしさが演技で欺瞞ではないのかと怪訝してしまう。と同時に、どうして自分はここまで疑り深いのか、とも思った。

 全員黙り込んでいたのを肯定と受け取ったのか、春人はオドオドしながら話し始めた。


「攫われた場所は同じ地区内から今のところ三から五人。起きた場所は全員違う。わかっている場所は、ここ、森、そしてコンクリート壁ってなってるんだ」


 特に威張る訳ではなく淡々と言った。他の人間もそうだ、とわかったのはいい事だが進展がない。情報の統一化が図られているいるのか、はたまた全員がランダムに配置されたのかはわからないが、どちらにせよこれはゲームなのだろう。スタートはそれなりに公平ということだ。

 春人は座るのかと思ったが、まだ続きがあるようで座っていなかった。


「そしてこの端末ね腕につけている場合だけど、モーションスイッチがあるみたいなんだ。設定でね自分の好きなジェスチャーを登録できるんだよ」


 先ほどとは違い、春人はどこか誇らしげに言った。雅にとってモーションスイッチというのは全く聞き覚えのない単語だったが、周囲は理解しているようだった。

 それでもわざわざ一人一人に回って行き、春人が教えていく。ついに雅の番となった。どうも不信感を覚えてしまう。

 ここで突き放すことも可能だが、ここで全員に不信感を持たれるのはよくない。

 集団からの迫害は違いからくるものだ。隠せるのなら隠し通さないといけない。

 男だが女性のように細い指で春人は雅の端末をタッチする。


「この設定ボタンから好きな機能を選んで、ジェスチャーをセッティングするとできるよ」


 と機能のことだけ言い残し、隣の席に移動した。警戒していたような変な素振りは全く見せなかった。

 春人の話を聞いて、ボタンがないのも雅は頷けた。指を動かすだけでボタン操作する必要なく機能を呼び出すことが出来る。画面に触れずとも操作が出来るのだ。ますます、空白期間の記憶が恨めしい。


「おい春人さんよー。指を銃の形にしてみ」


 まだ自己紹介をしていない少年がバーンと口にして端末をつけていない方の手で銃を作り、彼を打つ仕草をした。

 不思議な顔で眺めていたが春人は気にせず着席し指で銃の形を作る。


「清算モードに移行します」


 言われた通りにした春人の端末から聞こえた。 彼の二つ先の席にいた少年は白い歯を見せ、したり顔で周りを見渡した。

 皆が驚いている様をたっぷり眺めてから、椅子に深々と座っていた少年が、話し出す。


「順番抜かして悪いなー。気づいてもうた事は黙ってられんくて」


 よれたポロシャツにスラックスというどこか締まりのない服装のせいか幼く見える。

 春人よりも背丈が低い。今までの学生服集団は高校生だろうが、彼は中学生だろう。


「じゃあ、早く回すために私から言うわ。七重神奈よ。起きた場所は森の中にあった小屋」


 春人の隣に座っていた女性は、順番通り簡潔に用件だけ――場所の説明は、もう言う必要がないのだが――言っていった。

 年齢や学生かは言っていなかったが、ブレザータイプの制服を着用しているので学生だろう。しかし、どこか大人びたシックな印象を受ける。香歩や花鈴のような、おっとりとした雰囲気ではない長い睫毛と強い目つきが、そう感じさせた理由かもしれない。

 雅は神奈の発言は終わりだと思い視線を離すと、彼女は咳払いをしてもう一度自分に視線を集めまた話し始める。


「起きた場所と道中に拳銃があったわ。計二挺持ってるんだけど、みんなはどうなの?」


 ブレーザーの内ポケットと腰辺りから二挺の拳銃を取り出し、見せつける。能天気というか何というか、先ほどクールなイメージを雅は勝手に抱いていたが、見当違いのようだ。

 恐らくは半数以上が、拳銃やナイフなどの殺傷力がある武器を持っているだろう。雅たちであれだけあったのだ、見つからないはずがない。

 ゲームならある程度公平に武器を分配するだろう、と雅は考えていた。その武器で何をするかは考えるまでもない。まさか射的をするなんてオチじゃないだろう。

 皆そういう不安があったから中々踏み込んだ会話ができなかった、というのもあるかもしれない。

 それを説明が始まる前にぶち壊したわけだ。落ち着いた人間ならばまずしないだろう。少なくとも自分からは切りださない。


「もう一度聞くわ。持っている人または見た人は挙手して。そうね、拳銃だけじゃなく殺傷目的の武器を見た人にするわ」


 神奈は凄んだ声で言い、皆、一人一人の目をジロリと見る。このまま黙っていようと思い、雅が腕組みをしていると香歩が手を挙げた。

 雅は呆れた。本当に底なしのお人よしだ、と。

 彼女を見た周りに拡散し続々と手が挙がっていく。香歩が恨めしい目を向けてくるので、渋々雅も挙げることにした。

 どうやら、嘘を許さない性格らしい。


「本当にそこの六人は持ってないのね?」


 謙二郎と自己紹介を済ませていない他五人は一斉に首を縦に振った。雅も全員の顔を追えたわけではなかったが、表情と現状から判断するに嘘とは思えない。

 何をしでかすかわからない相手に嘘をついて無事でいれる、と甘い状況判断をしているということはないだろう。最初は挙げていなかった雅だが神奈の真剣さを確認できた今、誤魔化そうとは考えられなかった。


「じゃあ今からチェックさせてもらうわ」


 ここまでの徹底ぶりに驚きはしたが、合理的といえば合理的だ。

 もし、自分がこの中で目立たないようにしていなければ、これに似た行動をとっていても不思議ではない、と雅は思った。

 神奈は謙二郎の元へと歩いて行く。


「ちょ、ちょ待ってや。女の人に触られるのはちょっと」


 言い逃れのためか冗談かわからないが、瓜生はモジモジしながら椅子ごと後退して行く。


「そうね、なら挙手した人で男女手分けしてしましょうか? 少なくとも嘘つきではないようだしね。いいでしょう?」


 神奈は茶目っ気を出しながら挙手した人間にウインクした。こうしていれば可愛いのになどと、暢気なことを考えている自分に雅は呆れてしまう。謙二郎はあからさまにため息をつき両手を頭の上で組んだ。

 挙手した人間は、椅子から立ち上がり各自同性の所に向かう。雅は近くにいた謙二郎の後ろに立ち、拾得物を机に並べる。


「こっちはないみたいだ」


 謙二郎が持っていたのはあの筒状の棒とブロックタイプの携帯食ぐらいだった。

 早い段階でついたと言っていたのでまともな探索をしていないのだろう。

 謙二郎を含み、四人が既に終わっていた。


「おい。こいつ隠していたぞ」


 近藤の声がしたので振り向く。すると、先ほどの中学生が抵抗していたが、近藤が瞬時に手を掴み軽くひねって体を押さえた。


「いた、いたたた」


 腕が捻られている痛みではなく、押さえつけるように押しているから痛いのだろう。

 中学生の方へ神奈がツカツカとあえて足音をたて近づいてくる。彼女はブレザーの内側に手をいれた。その際にヒップホルスターが視認できた。他にも腰にベルトを巻きつけており、そこにナイフを収納しているのが確認できる。

 腰のホルスターから左手で銃を取り出し、中学生の頭部に七重は銃口を当てた。右手で少年の銃を回収し、空いたホルスターに入れてから両手で銃を持ち直す。

 それを見て近藤は中学生を七重に任せ、後ろに下がった。見ていた者たちはあまりにも突拍子のない行動で、唖然とし誰も動けない。


「貴方、何を知っているの?」

「お、俺は何も、がっ」


 中学生は神奈にローファーのつま先で容赦なくわき腹を蹴られる。そのまま蹲るが、彼女は左足で手を踏みつけ頭に銃口を再度向けた。


「知らないはずないわよね? そもそも清算の仕方を知ってるのだから、他にも知っているでしょう? そうよね?」


 神奈はさらに左足に体重をかけ、怒気を隠さず話す。中学生の悲鳴が聞こえようがお構いなしだ。

 雅はどうしてか止めようとまず思ったが、情報を引き出すためもう少し傍観することにした。彼は意識しないと動こうとする体を抑えつけながら、皆の反応を見る。同じ考えなのか単に動けないのか、誰もこの状況で動かない。


「だから、知らないっ」


 その言葉への返答は暴力。今度は銃で後頭部を叩かれる。鈍い金属音と跳ね飛ぶ中学生を見て、痛さは十二分に感じることができた。


「宣言するわ。次はこの腕を撃つ」


 神奈は感慨もなくそう言い、銃を支えていた右手で思い切り中学生の髪を上に掴み、後頭部から左腕に銃口を押し付ける。


「な、七重さん、ちょっと待ってよ」


 どうするのかを固唾を飲んで見ていた中、香歩が沈黙を破った。神奈は視線だけを彼女に向ける。

 一触即発。神奈はいつ香歩に銃を向けてもおかしくない雰囲気だった。雅も急ぎ銃を手にしようとするが、その状態を好機と見たのか中学生は一気に駆け出し包囲を抜ける。  その際、彼は神奈の端末に触れ右手の指を銃にした。


「清算モードに移行します」


 銃を奪う訳でもなく、そのまま指で作った銃を神奈に向ける。

 雅は正気を失ったのかそんなもので対抗できるわけがないと思っていたが、神奈は舌打ちをし屈んで地面に手をつき後ろに跳躍した。

 恐ろしい身体能力だ。近藤といい、どうもここは化け物クラスが多いらしい。


「なーに、びびってんの? ダサいよまったく」


 ヘラヘラと笑いながら近づいてきた中学生に、神奈は銃を構える。それでも止まらず、彼は頬をだらけさせたまま歩く。


「近づけば撃つ。止まれ!」


 神奈が引き金に力を込めたタイミングで、またしても香歩が二人の間に割って入る。今度は射線上に立って、両手を大きく広げていた。


「二人とも落ち着こうよ。いきなりこんな」


 香歩は交互に二人の顔を見るが、どちらも彼女に視線を向けず、目の前の敵を睨みつけていた。

 その独特の空気がこの戦いが止まらないことを雄弁に語っている。

 雅はまたしても無意識のうちに銃へ手をのばしていた。


「ありがとうよ。お姉さん」


 中学生は香歩のスカートから股をくぐり、神奈にローキックを仕掛ける。その一撃は当たらなかったが、下手に避けようと動いたせいか、彼女が体制を崩していったところに中学生は追撃した。

 その追撃は的確に銃を蹴り落とし、さらに地面に倒れた神奈に跨る。迷いのないこの一連の動作はどう見ても素人ではない。

 神奈の端末に中学生は銃の形をした指でもう一度、触れる。

 そのままその手を額に置き――


「失せろ豚が」


 ――そのまま親指を倒した。


「お、おい……どうしてだ?」


 中学生は、酷く慌てていた。

 神奈から離れ、誰もいない壁のほうへ走り、壁を殴りつける。

 少し前までは拳銃を向けられていても動じなかった少年が体を震わせ、泣いていた。

 それは、見っともなく滑稽な様で、雅は思わず人と認識しなかった。

 先ほどからそうだ。この争いを止めたいという欲求と一緒に、まるで虫けらでも見るような目でこの現象を観察していた。虫かごの中にいる虫たちが喧嘩しているのを見ているような感覚だ。驚きも湧かず、心がただ冷え切っていた。


「ペナルティにより、審判を開始します」


 はっきりと機械音声がそう言った。


「何だよ? その点数。バグだろ」


 中学生は他にもブツブツと呟いていたが、急にハッキリ聞き取れる声量で話し出した。


「嘘だ。嘘だ。おかしいだろ。何でルールが違う? おい、ゲームマスター、答え」


 パンと風船が割れるような破裂音が鳴り、中学生の右腕が飛び散っていた。

 音の割には大した飛距離ではなく人から離れていたので、誰も破片や血を浴びるようなことはなかった。

 雅の脳内に身を焦がす音が響く。チリチリチリチリと頭の中で鳴って非常にうるさい。

 が、その音は冷静さを維持させた。息を飲む音、悲鳴、多種多様な反応をとる中、雅はそれらを平然と眺め、次に備える。

 もう時間だ。


「さて、皆さんお時間となりましたので、説明会を開始したいと思います」

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