第2話-機能
「こ、小松さん、これ」
ベンチから立ち上がり、香歩は手を雅の方に向けて走ってきた。
彼女の手の中の端末にスクロールバーが表示されていた。どうやら初期起動させたようだ。
「どこを触ったらそうなったの?」
「このMの所をタッチしたんです」
時刻が表記されている画面の真ん中に『M』という文字が大きく表示されている。そこをタッチしたらしい。
雅には画面を触るという発想がなかった。彼女が自然と押したという事は、今の技術では端末の液晶に触れるという共通認識があるのかもしれない。
会話に支障がなかったので気づかなかったが、記憶どころか知識も欠けていることに、雅は気づいた。
やはり十年近く時代に置いていかれている。
雅も起動させ、端末を見つめる。バーが満タンになると左側に丸いアイコンが四つ、右側には数字が表示された。
「なんでしょうこれ? 見た事のないスマホですよね」
先ほどからの緊迫した話し方から一転し、間延びした声で雅に話す香歩。緊張されないのはいいことだが、こうも簡単に警戒されないようになるのは心配だ、と雅は思った。
香歩は端末を腕から取り外し、あらゆる方向から見ていた。彼女の認識では端末ではなく、スマホのようだ。
またもや違いが出ている。そもそも雅にはスマホという単語の意味がわからなかった。
「あ、ああ、そうだね。とりあえずアイコンを見てみよう」
雅の言葉に香歩は頷き、上からアイコンをタッチしていった。上からルール、アプリ、マップ、設定というアイコンだった。
ルールのアイコンを押すと、 突然、このような文が出てきた。
「咎人であるプレイヤーたちは各々の罪を数値化した点を課せられ、ゲーム内の行動でその点数を+にし清算しなくてはならない。点の増減はゲームのフィールドに散りばめられたルールによって定められる。-状態で清算すれば罰が執行され、+であればゲームクリアとなる」
雅は何かしらのゲームに参加させられており、ルールを探し自らの点数を+にして清算をすることでクリアという訳らしい。あまりにも抽象的で、説明になっていなかった。
いくらでも推測できるが、このルールを見てわかるのは一つ。仮面も言っていたことだ。
「咎人ね」
過ちを犯した罪でここに連れてこられたのだという。
雅の呟きに香歩は反論しなかった。彼は彼女に、意味がわからない、と言って欲しかった。何が罪なのだ、と憤って欲しかった。樋口香歩という少女は何か誤解で巻きこまれたのだと思いたかった。
それがどうしてかはわからない。
なぜなら、雅は自分が咎人かどうかはどうでもよかった。なら、どうして香歩に反論してほしかったのだろうか?
「次見ましょうか」
雅が考えていると、香歩がそう促した。
アプリには連絡帳、メモ、メール機能しかなかった。
「デフォルトでも少ないですよね」
香歩の言葉に雅は曖昧に頷いた。
今の端末にはどんな機能が搭載せれているのだろうか、と雅は疑問を抱くが口にしない。
「これ、アドレスを直接打ち込めないから、メールを送ろうにも送れませんね」
「機能しないシステムを用意するはずはないよな」
「ですね。となると」
香歩は端末を操作し、連絡帳を開くと何度か頷いた。
「やっぱりです。連絡帳にある交換ボタンを互いに押すことで連絡先が交換できるみたいですね」
「試してみよう」
香歩の推測通り、連絡帳機能には、『交換』というボタンがあり、そこを押すと端末同士近づければ連絡先が交換できた。一度連絡先を交換すると、その相手とはメールも可能だった。
「つまりこの端末同士でしか連絡できないってことか」
「そうみたいですね。でも、こんな大掛かりなことができるんだから、当たり前かもしれません。外部との連絡なんて真っ先に断つでしょうし」
香歩がこの状況を考察していることに、雅は驚かされた。意外にもこの状況に順応しつつあるらしい。
「マップは通った場所が記録されていくタイプみたいだな」
雅はそう言いつつも違和感を覚えていた。彼のマップには先ほど歩いた階段のフロアしか表示されていない。どういう訳か、あの仮面集団と会った場所は記録されていなかった。
「私は移動していないので、ほとんど表示されてませんね。これ最初は3D表示ですけど、触ればその場所が2D表示なったり、拡大縮小ができたりと高機能ですね。それと、設定は画面の明るさの調整など一通りの機能は備わってますね。この端末で一番普通なところかも」
雅は香歩の普通という言葉を記憶する。
設定の中に可変機能という項目があった。
可変機能というのは腕時計のように端末からベルトが出る状態と出ない状態に切り替えることができる。メジャーのように巻き取ることができるのだ。
雅はこれを初めて見た時、気を失うところだった。
高機能な端末が小さな機械で済んでいること。その液晶に触ることで操作ができること。そして、可変機能だ。これらは雅の記憶にある技術では再現不可能なものだった。
それがあって当然だと香歩は言うのだ。
ベルトの収納だけでなく、対象物に近づけ操作すると自動でサイズを調節して巻くという機能だった。雅はこの小さな端末の構造が気になる。物理法則を無視しているとしか思えない。
画面も鮮明なカラーだ。白黒じゃない。
思い返せば香歩は起動してすぐに取り外していたし、その時に驚きもしていなかった。機能に関しても物足りないようだったし、もしかすると1994年ではこのような技術が闊歩しているのかもしれない。
この事態を作り出した敵に、対抗できるなど考えていた自分が情けなくなってきた雅であった。
自身への苛立ちから、ついつい意味もないのに雅は可変機能を使ってしまう。癖に近い。
「あの、小松さん、可変機能そんなに使わない方がいいんじゃ」
「どうして?」
「可変機能って電池消耗早いじゃないですか。充電の心配もありますし」
雅も起動させるまでは電池の残量を気にしていたのだが、端末に夢中になってしまい忘れていた。魔法のような技術でも当然動力の問題はある。
「そうだね。それじゃあそろそろ移動しない?」
「はい。他にも誰か会えるかもしれませんし」
誰かと言っても自分たちと大差ない状況下の人だろう、と雅は確信していた。香歩のように、なぜか誘拐された人間が複数いるはずだ。きっと同じ状況で、同じ戸惑いを持ち、同じ苦しみを感じている。
「本当に何なんでしょうね?」
「そうだね」
雅はそう返事をするものの楽しんで終了というわけにはいかないだろうと考えてた。この端末が証左のようなものだ。香歩の言った通り、大掛かりな仕掛けに見合うものがないと、わざわざ誘拐するわけがないのだから。
同端末のみでしか通話ができない、ここの地図を記憶させる機能、そして自分と彼女の唯一の共通点。そういったことから、この端末がゲームの中で重要なアイテムなのだろう、というのはわかる。
雅の思考は止まらない。
「そういえば小松さん、ナイフ、どうしたんですか?」
「最初から持ってたよ」
そこで無言になる。先ほどから会話が続かない。記憶喪失を隠しながらの会話は難しいので、必然的に会話が減り、話しにくい空気になる。それでも積極的に話してくれる香歩に申し訳なさを感じる雅だった。
「あ」
端末から絶妙なタイミングで、メール着信を知らせるアニメーションが表示された。凄まじい技術の進歩である。
そのメールの本文には、
「今日、九時から説明会を開始します。場所はこのメールを開くと同時に、地図に転送されていますのでご安心を。最後に、開始早々脱落者が出ても困りますので、慎重なプレイをお願いします。では審判のその時まで」
脱落者、プレイ、さすがゲームだ。
メールの内容から雅は推測を立てる。香歩と意見交換をしようと振り向くが、彼女も自分の端末のメールを読んでいるようで、若干顔色が悪くなっていた。
「内容を確認してもいいかな。同じかどうか気になるし」
「え、ええ、構いません。では、どうぞ」
香歩はバッテリーの残量を気にしてか可変機能を使わず、腕を雅に突き出してきた。勢いがあったことに驚いたのは恥ずかしいので黙った。カーディガンの袖口から見える彼女の腕は細く日本人にしては白い肌だった。
メールの内容は同じだったため、わかったことはそれぐらいである。
「一緒だったよ。はい、僕のもどうぞ」
一応、信頼と再確認のために香歩にも見せる。彼女は雅の腕に左手を添え右腕で操作した。女性特有の柔らかさが腕に伝わり、思考が止まる。香歩にもこう高校生なのだから羞恥心というか、手が触れちゃったドキドキみたいなものはないのだろうかと雅は疑問を抱くが、結論は既に出ているのだ。
多分、男として見られてないのだろう。確かに、先ほどのホールの鏡で見た自分は格好いいとは言えない顔だった、と雅は評価している。目がハッキリしていて、鼻筋が通っており、小顔で清潔感があって、なおかつ全てのパーツが整って配置されている人物のことをイケメンと呼称すると、記憶していた。彼の顔はパーツが全部平凡なのだ。悲しいことに。
「説明会、どうします?」
一通り見終わった香歩が声を掛けてきた。確かに行くか、行かないかを決めておく必要がある。
雅は行くべきだと思っている。何をするにも情報が少なすぎる。彼は記憶の問題も抱えているのだ。多少の危険性があっても情報は欲しい。
しかし、香歩はどうなのだろうか。危険がある場所にはあまり行かない方がいいのかもしれない。
あのか細い腕では戦えないだろう。
「僕は行こうと思うけど、香歩さんはどうする?」
悩む素振りも見せず、彼女は言った。
「もちろん行きますよ。何もわからないですし」
香歩は顔を上げ笑う。気丈に振る舞っているが心細さもあるのだろう、袖口を握り締めた手は小刻みに震えていた。
「なら行こうか」
二人は交代で地図アプリを立ち上げ歩き出した。九時まで後二時間近くある。説明会の会場まで距離はそれほどないだろう。ゆっくり歩いても、十分に間に合う。
「少し辺りを散策しながら行こうと思うけどいいかな?」
「はい」
散策という単語は適切ではなかった。雅の目的は探索だ。
一応散策と言った方が柔らかいと思ったので、そう言っただけなのだが、効果はあったのだろうか。
探索する理由はもちろんある。
雅の頭には、脱落者、という言葉がずっと引っかかっている。それに紐づけられて頭の中から、戦う、という言葉が離れない。脳の片隅にちらつくのだ。
これがまた不思議なもので鬱陶しいわけではなく、しっくりくる。本能という奴かもしれない。
そう、雅はその本能に従って、武器を探しに行くのだ。記憶がない今、この勘に従う以外行動指針がない。
武器といっても投擲できるような小物を探しに行くだけと、雅は決めている。石とかコインなどのポケットサイズのもの。大きいものを持っていても、ただ危ないだけだし警戒される。
それ以外の目的も一応ある。
地図の拡大、新たな情報も目的の一つだが、あまり期待はできないだろう。
雅は頭の中で薄い計画をもう一度組立てつつ、コンクリートの壁しかない通路を淡々と歩く。
今のところ入った扉以外は壁しか見かけていない。よほど予算がなかったのか、無機質な通路だった。
代わり映えしない通路を無言で十分ほど歩いた所で、通路の左側に扉を見つけた。
一本道が途切れたわけではない。地図アプリは左ではなく、まだ前方を示している。
だが、時間は十分余っているし、確認すべきだ、と雅は判断した。
「扉を開けるから、離れていて」
扉を開ける前に香歩に忠告する。
雅は香歩のことを仲間とは思っていなかった。ここで余計な私情で巻き込むわけにはいかない。万が一、戦闘が起きても彼女の手助けは期待していなかった。
「と、扉ですか」
通路を歩き始めて五分後に、ほぼゼロ距離で雅の背中にくっついていた香歩には、扉が見えてなかったようだ。
「え、ちょっと」
彼女の驚きの声を合図に、扉を開ける。
雅の心配は無駄だったようで、木製の箱と何も入っていない棚、椅子、それと段ボール箱が三箱あっただけで、人が隠れられる場所もない狭い部屋だった。
彼は警戒態勢を解き、部屋を物色していく。
「もういいですか?」
雅の言いつけを守っているつもりなのか、香歩が扉から顔だけ覗かせ訊いてきた。彼は頷き、一番小さい段ボールから開ける事にする。
案外、丈夫だったので鍵をカッター代わりに使い開けた。
「あ、水ですね」
香歩は扉を閉め入ってきていた。彼女の言う通り段ボールの中にはミネラルウォーターのペットボトルが四本入っていた。
他は布に巻かれた何か。
雅は香歩にミネラルウォーターを手渡し、慎重に布をどける。
中には腰につけるポーチと小さな赤い筒状の棒が二本入っていた。
とりあえずポーチは雅の腰につけ、その中に棒状のものも入れておく。ポーチはミネラルウォータが四本がちょうど入る大きさだったので、ミネラルウォーターも入れておいた。
香歩も段ボール開けに参戦したので、雅は余っている最後の段ボールを開けた。そこには柄に入ったファイティングナイフとカランビットと呼ばれるナイフが、一本ずつ入っていた。彼にはスマホという単語はわからなかったが、ナイフの種別は見ただけで判断できた。
他にはショルダーバックと先ほどの棒とは色が違う緑色の筒状の棒が一本。
とりあえず、中身は箱に置いておき、雅は香歩の方の中身を見る。缶に入った携帯保存食とパン。他にはデザインのないオイルライターが入っていた。
「香歩さん、僕の方にはナイフと鞄とこの筒だったよ」
「え、あ、私の方はご飯とライターです」
詳しい内訳はミネラルウォーターが四本、ブロックタイプの携帯食料が二本、ショルダーバックとポーチ、いたって普通の菓子パン、ライター、二振りのナイフ、それと赤色の筒が二本、緑色の筒が一本だった。
「うん。とりあえず分けようか」
雅は赤色の筒と緑色の筒、水を二本、カランビットのナイフをショルダーバックの中に入れ香歩に渡す。彼女はそれを受け取ると、自分の取得物と雅が無造作に入れたものを器用にポケットを使いながら分けて収納していった。
雅もそれを見習って、ナイフと筒を鞄の外にあるジッパーにいれた。
収納が終わり雅が香歩の方を見ると、彼女のナイフを持つ手が少し震えていた。
どう考えても物騒なことしか想像できないのは、仕方ないことだろう。アウトドアで使うナイフとは形状からして違う。人の殺傷を目的とした鎌状の刀身は少女の恐怖を引き立ていた。
雅が声をかける暇もなく香歩は仕舞い終えると、彼にパンと保存食渡してきた。食事量が多い男性と考慮してだろう。
この様な状況下で人のことを思って行動できる事が、雅にとって純粋に嬉しかった。
「いや、香歩さんが持ちなよ。僕は少食だから」
雅の咄嗟に出た嘘はバレバレのようで受け取ってくれない。
「いえ。私もなんです」
香歩は存外、頑固者のようだ。最初はどこか柔らかい印象を持っていたが、芯が通っている、と雅は思った。
「こういうのはさ、レディーファーストだろ?」
雅も言ってから幾ら何でもキザすぎたかと思ったが、香歩は満更でもないような顔でパンと保存食を仕舞ってくれた。
「さて最後はこれだな」
何とも言えないこの雰囲気を打破するために雅は立ち上がり、木の箱をファイティングナイフで開ける。
中には雅の記憶にある日本では、滅多に見られないものである拳銃が入っていた。
「え、うそ」
香歩は大きく目を見開き、壁に手をついた。浮遊感さえ感じられる危うい足取りで雅から離れていく。
そんな彼女を横目に、雅はこう思った。どうやら今でも日本では拳銃は中々見られないらしい。
視線を拳銃に戻そうとしたその瞬間、雅の脳裏に断片的に何かが映された。ピントどころか、速度が合わない。どれも読み取るどころか、雰囲気すらつかめない。
それもそうだ、と雅は笑う。ジェット機を肉眼で捉えることなんて無理があるというものだ。
脳も満足したのか、何かの情報を映し終わった。時間にしては一秒未満。それだけあれば考え、覚悟を決めるのは簡単だ。
雅は立ち上がり、支えようと香歩の腕を取った。
香歩はしばし雅に体重を預けていたが、突然、弾かれたように体を動かした。
「行きましょう」
香歩は自分の足で立ってからそう小声で呟き、礼を言って雅の手を払い、歩き出した。
雅もその考えには同意できたので文句を言わず、銃を回収して付いていく。しかし、重い足取りで進む香歩をすぐ抜かしてしまった。
二人とも考えは共通していた。ここに止まっていては危険だと判断したためだ。
幸い、香歩は泣き出したりしなかったが、明らかに顔色が悪くなった。彼女のローファーの足音だけが廊下に響く。動揺のせいだろう。
雅がチラリと後ろを見ると、香歩は肩を落とし、怠そうに歩いている。彼は静かに歩いているので、彼女一人の足音なのだが、ここで注意するのも酷なものだろう、と黙って通路を歩き続けた。
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