TE-罪の清算-

真杉圭

第1話-覚醒

 目覚めると男は階段に座り込んでいた。

 頭に痛みを感じ、額に手をやる。帽子を被っていたようで、それが下に落ちた。拾い上げると、帽子の中に紙切れが入っていた。


「浅上 静流?」


 浅上静流とだけデカデカとした文字でプリントされていた。背景に音符やト音記号などが書かれているのを見ると、音楽関連だと推測できる。

 右端には点線が切り取られた跡があるから間違いなく何かのチケットだろう。裏面を確かめると、TE優待権という文字の下に小松 雅と書かれていた。


「こまつ、みやび? いや、こまつ、まさ」


 男は自分の名前を自覚した。小松雅。だが、そこで記憶の読み取りは止まってしまう。

 年齢は、住所は、家族は、俺は、誰だ?

 自身の現状を記憶喪失という奴なのだろう、と雅は理解した。混乱もなく不思議なほど落ち着いている。例えるなら滝行をしている最中のような清々しさだ、と彼は思った。

 とりあえず自分の身体を弄る。右腕に端末が巻きつけてあり、紺のサマージャケットを着ていて、そのポケットに鍵と手袋があった。顔にはメガネをかけていたが、なくても生活はできる。伊達メガネだろう。

 身なりはそれなりに綺麗でサマージャケットを脱げば、紺のスラックスにシャツスタイルだった。身体状況は良好で、怪我などはしてない様子である。

 雅はコートの中に入っていた鍵をとりあえず見てみた。三つ鍵がカラビナについていて、キーホルダーに刀身が細いナイフとヤスリ、それにハサミとピンセット。いわゆるアーミーナイフという奴がついていた。

 ナイフでコート袖口に穴を空け、そこにナイフを入れておく。自然とこんなことをする自分に雅は驚きを隠せないが、冷静に今度は端末を触る。

 その際にボタンを押してしまったらしく、起動音と共に日付が表示された待ち受けが映った。


「1994年、7月6日」


 復唱してみるも、全く記憶になく、現代ではなくて過去の時代に来たのでは、とさえ感じてしまう。

 時刻は朝の六時五分と早い時間だった。ディスプレイには日付と時刻、それにMと真ん中に表示されているだけで、ボディー部分は一面の黒に白いラインのみというシンプルな形だった。 

 ボタンというボタンがなく、あるのは先ほど押した上部のボタンのみだ。電池の心配もあるのでひとまず電源を切り、座っていた階段から立ち上がった。


「でも、どこに電池入っているんだろ? その前に上だな」


 雅は独り言を呟き進んでいく。

 なぜ上ったのか、という行動は明確に今の雅の意識が関係していた。今までの一連の動作はどうやら以前の彼の癖だったようだが、今回は違う。

 微かに音が聞こえるのだ。

 様々な音色が混じり、共鳴し、雅の心に語り掛けてくる。耳を澄ませ、その音を手掛かりにゆっくりと足音をたてないように上って行く。

 起きた、というより意識が覚醒してから、自然と雅の体は動いていた。体に染み付いているとでも言えばいいのだろうか、気づけば動いていて、それがわかった時に理由が付属する。

 まだ雅は体の方が早く動き、頭が追いついていないようだ。自分の記憶を辿り、両親、兄弟、友達、知人、有名人などを頭の中に浮かべようとするが、浮かばない。

 しかし、情報は覚えている。視界に映るものは名前が浮かび、使い方も大まかに理解できる。言語だって使用できている。

 そもそも記憶喪失などという単語が脳内に残っていて、自分の状況を端的に説明できるのだから恐ろしい。

 脳は複雑だ、と改めて――記憶がない男が改めてというのも変な話ではあるが――雅は思った。

 考えながらゆっくり歩いていたため時間が掛かったのだが、階段はすぐに途切れた。数にすれば六十段だったと記憶している。

 前には扉だけがある。コンサート会場などに使われる重い扉で、今時珍しい手動式だが煌びやかな装飾が施されておりどうみても高級品だ。


「今時?」


 自分の思考にツッコミを入れつつ、雅は扉を注視する。

その奥から音が漏れていると見て間違いない。

 雅は扉を開けようと片手で押したが、豪華なだけあって重く、思いのほかスムーズに開かなかった。それでも力を込めると、扉は聞くだけで重量を感じる音をゆっくりと立てながら開いていく。

 中に入ると、外からでは微かな和音だったが、建物内で聞くと非常に不愉快になる音楽だった。

 さらに、非常灯しか点いておらず暗い。

 その暗闇は否応なしに自分のことを考えさせ雅の不安を倍加させていく。誤魔化すために、座席の非常灯の微かな灯りを頼りに進む。


「ようこそ」


 マイクなどが使われていない声だ。それにしては凄まじい声量である。音に風を感じるほどの迫力があった。

 それを合図に音楽が止み、声の方へ雅が顔を上げると同時に照明が付いた。

 雅は反射的に目を腕で隠し慣れるまで待つ。手探りで座席の位置を確かめ、体を隠す。片方の目を手で覆い、明順応が終わるまで縮こまった。

 何事もなく明順応が済み、再度声の方を向く。

 すると前方にスーツを着て、白い仮面を着けた人間がいた。その後ろにはステージがあり、ステージ上で似た格好の人々が様々な楽器を持っていて、こちらを眺めていた。

 どっちが観客かわからなくなる。


「ようこそ、小松雅様」


 最初とは違って、スピーカー越しに響く。声も虫の羽音のような耳に触る合成音声で、男女の区別すらつかない。

 仮面には目以外空いてる部分はないが、声が聞こえる。どうやらあの仮面には拡声器でも付いているようだ。


「ああ、俺は小松雅だ」


 雅は反射的に自分の名前を返す。今、自己紹介を求められても答えられないのが現状だ。騙し騙しやっていかないとな、と彼は警戒していた。


「少々手違いがあったようで。貴方はまだここに来てはいけないと言うのに」


 手のひらを広げ、やれやれと言わんばかりの胡散臭い仕草をする。


「意味がわからない。キチンと説明してくれ」

「ええ。簡単な説明はしますね。ここはあなた方、罪人の審判をする場です。複数の罪人を私たちは集め、咎を清算できるゲームに参加させてあげました」


 仮面は突然笑いだした。


「私も興奮してしまっているようです。マニュアルから外れに外れてる。続きはまた次の機会に。私は貴方だと思ってますから頑張ってください。まさ」


 最後は勿体ぶったように一言ずつ区切って仮面は言った。その言葉と同時に仮面は消えた。一瞬で、だ。

 今、雅が考えうる手段でそれを可能にはできない。故に、超常現象である。

 彼は魔法に魅せられ、思考停止していた。そのせいで一拍置いてから、男以外は残っていたので急いでステージに近づこうとするが、ステージ上に煙が焚かれ白くなる。

 スモークが消えた頃には誰もいなかった。




 色々調べてみたが、あの場所には手掛かりとなるものは特になかった。

 仮面集団とあの重量の楽器を数瞬で移動させた魔法のよう現象。相手はそれほどの技術があるのだから自分を生かすも殺すも自由だ、と雅は考えた。彼は目覚めてから、誰かに襲われるという前提で行動していた。その理由はわからなくとも、否定はできない。

 だからこそ早急に記憶を取り戻さないといけない。しかし、親切に取り戻し方は用意されていない。  

 どうすればいいかわからないから、誰かに接触するのが一番いいだろう。

 無くした時間を埋めれば何とか対抗手段ができるかもしれない。

 なぜなら、どうも雅は記憶喪失、中でも部分健忘のようであると自覚した。

 彼には1987年までの記憶がある。今が1994年だから七年前だ。

 だからか断片的にしかない。

 だが、変だ、可笑しい。扉の装飾品を鏡替わりにして、自分の顔を確認する。

 どう見ても大学生にしか見えないのだ。

 雅は七年前、何かの研究をしている記憶があった。つまり、1987年の時は社会人。七年経っていたら三十代のはずだ。


 ともかく、外見での判断は個人差があるかもしれない、と思考をリセットするため、先ほど目覚めた階段まで戻り、もう一度情報を整理しようと階段に座り込む。

 すると無意識の内に額に左手を置いていた。どうやら雅は気取った奴だったらしく、座り込んだ瞬間に動いていのだ。

 ここまで自然に動いてしまう相当染み付いている癖というのは、記憶がなくなっても体が覚えているようである。

 自分は研究職だったようだし、学者様だったのだろうか?

 雅はそう考えてみた。だとしても辻褄が合わない。仮に今が二十歳で仮定すると、1987年には雅は義務教育期間のはずである。

 彼の記憶にある知識は小学生はおろか大学での知識がある。知識が間違っている可能性はあるが、そうであれば前提条件が破綻するので、これは考えないことにした。


「うむ、わからん」

 

 考えても考えても記憶が戻る様子はない。とりあえずこの建物から出ようと考えた。

 袋小路になった思考をリフレッシュさせたい。

 出られたら、朝方でも人はいるだろうという安易で楽観的な理由が主だが、如何せん情報がない。

 扉をひたすら無視して下り、階段に1Fと表示されていた所で雅は立ち止まった。階段が下に続いているし、まだ下に降りることができるだろう。

 しかし、地下から地上には出られないはずだ。

 よくよく考えると、他の階には表示がなく、この一階だけあった。ここが一階かもわからない。

 怪しいが信じてみるしかないだろう。ここでも珍しい手動式の扉で、ドアノブを捻ると特有の音を出す。

 どういうわけか、珍しい、と雅はまた思っていたのだ。


「きゃッッ」

 

 微かにだが声が聞こえた。女性の声。また自然と体が動き、雅は袖口からナイフを出して慎重に開ける。


「誰だ?」


 雅は声を張り上げ、中に飛び入る。中はコンクリートの通路が広がっており、少女が一人でいた。

 不相応な木製のベンチが通路の両端に一つずつ置いてあったが、なぜか少女はベンチに座らず、地面に座り込んでいた。

 制服を着ているので学生だろうか。染めていた染料が薄れているのか淡い茶髪の少女だった。か弱さを感じさせる仕草で彼女は顔を上げ、雅を見た。

 目と目が合う。

 髪の毛より鮮やかな茶色の大きな瞳、その宝石とも言えるような、あまりにも美しい瞳に雅は魅了されていた。

 他のパーツは可もなく不可もなく、ほどよい白さ、卵形ラインの小顔、染めているのにも関らず非常に柔らかそうな髪。瞳以外のパーツは一級品ではないが、十分、美しいと言って謙遜のないバランスだった。


「せ、先生?」


 少女は驚いた顔をした。雅を誰かと勘違いしているらしい。  

 いや、罠か。

 先ほどのわけのわからない仮面集団と対峙してから、何もかもが罠だと雅は思ってしまう。


「えっと、私は樋口 香歩です。常宝学園の三年で、す」


 彼女、樋口香歩は雅の思考を遮り、自己紹介を開始した。その途中で、彼の手に持つナイフに気づいたのか、語尾が震えている。

 油断は禁物だが、怯えさせても話は進まないと判断し、雅はおとなしくナイフをしまった。

 両手を挙げ、敵意がないことを全身でアピールしながら、数歩近づき話しかける。


「怯えさせてすまない。僕は小松雅。香歩さん、ここはどこだかわかる? 記憶が混乱しているみたいなんだ」

「せ、貴方もですか? 私は気づいたらそこのベンチで寝ていて」


 雅は心の中でため息をついた。

 つい気が緩んで記憶が混乱していると言ってしまったが、記憶喪失という意味では取られなかったようだ。

 当然といえば当然だ。彼女は少なくとも記憶があるらしい。

 香歩の指差す先に二つベンチがあり、そこに寝ていたらしい。ベンチ同士の距離は五、六メートル離れていた。


「どういう経緯でここにきたかわかる?」


 香歩は首を横に振る。

 同じか、と雅は少し落胆した。直前の記憶はあるのだろうか?

 彼が質問しようとすると、香歩が話し始めた。


「学校の帰りに連れ去られた所までしか、覚えていなくて。あの雅さんは?」


 雅が質問する前に答えられてしまった。どうやら彼女は完全に記憶があるらしい。

 混乱具合と、誘拐というからには任意だったわけではないようだ。

 清算させてあげるという上からの言葉といい、誘拐という強引な手口といい、ゲームの参加者。つまり、プレイヤーの人権というのは無視されているらしい。

 しかし、仮面の言葉通りなら、香歩も罪人ということになる。一体、どんな罪なのだろうか――。

 質問以外に思考を割いていたことに、雅は気づき急ぎ頭を回転させる。


「僕は――」


 ここで記憶喪失の事をバラすのもマズイ、と雅は警戒した。まだ敵か味方かもわからないのだ。


「――仕事の帰りに連れ去られた」

「同じですか」


 香歩は肩を落とし俯く。雅は救いのない状況にいるのだから仕方が無い、と納得した。

 そんな人間を質問攻めするのも申し訳ないので、まとめてから質問をしよう。

 手始めに住んでいた場所と現在の所持品、あとは他に誰かと遭遇したかぐらいを聞くべきだ。

 ピックアップが終わると、雅は微笑みかけて質問した。


「住んでいた場所と現在の所持品を教えてくれるかな。あと僕以外に誰かに会った?」


 急に質問したのがいけなかったのか、香歩は少し困惑しているようだった。眉間に皺を寄せ、どういうわけか、悲し気に目を伏せている。

 その様子は泣きそうに見えて、雅は慌てて言葉を継いだ。


「まず座って話そう。君にどうこうするつもりはないからさ」


 香歩は地面に座っていたことを忘れていたのか、ハッとした表情で立ち上がり、スカートを叩き、ベンチに座った。雅も彼女が座ったのを確認して、もう一つ隣のベンチに座る。


「十八歳、住んでいた場所は京都です。貴方以外誰にもあってません。持ち物は、全てなくて―――」


 制服を捲くり右腕についている端末を見せた。


「―――これが。これは私の物ではないです。最新機種ですかね? 代わりに自分のスマホがありません」


 スマホなるものが何かはわからなかったが、とりあえず共通しているものはこの謎の端末。雅は確認のためポケットから取り出し、もう一度スイッチを押し、ディスプレイを表示させる。

 六時五十六分。

 彼が端末に触れているのを見たからか、香歩も触っていた。


「え?」


 驚きの声を香歩は発し、その後すぐに機械音が鳴り響いた。

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