第13話 歪、歪む

その日幻守の城内は、いつになく騒がしかった。


「姫様!姫様は何処に!!」


息を切らし走り回る人物、四神が一・青龍の青嵐だった。

普段物腰柔らかで、常に落ち着いた様子の彼が、今はまるで鬼のような形相だ。走り抜ける彼に道を開けた侍女や兵達が不思議そうに彼を見つめ、またかとため息を吐いた。あまりの気迫に、誰も声がかけられないようだった。


「なんです、青嵐。騒々しいにも程がありますわ」


「…ああ、朱南。姫様は見かけませんでしたか?」


「いいえ。姫様のお世話係ともあろうお方が、居眠りでもして見失いましたか?」


「相変わらず私に対して辛辣な…ああ今は雑談している場合じゃない…失礼するよ」


書簡を抱えた朱南は“いつもの通り”辛辣に当たり、青嵐もいつもの通り軽く流してはまた、城内を走り抜けていった。その背中を横目に見つつ、背後に声をかけた。


「…姫様。青嵐は行ってしまいましたわ。一体何をやらかしたのです?」


「な、なにもやらかしてないよ!」


柱の陰に隠れる、長い縹色の髪の少女――件の姫君、飛鳥は心外だとばかりに声を上げた。



悠吏が飛鳥を残し、消息をくらませてから1年。

飛鳥は悠吏の推測通り、驚くべき速さで、実年齢に見合った姿へと成長した。それでも、まだ少女である事に変わりはないのだが…兄と別れ、憔悴した飛鳥は全てがぎこちなかったが、随分と、自然に表情を出すようになったと思う。


七代目巫女が連れてきた、彼女の養女という事以外は伏せられた、謎の少女。そう、城内では伝わっている筈だ。

幸いにも兄である悠吏との外見の違いが、彼女の正体を隠す事を可能にした。


双子は忌み子、片割れは封縛の塔に居るのだと、そう信じられているからこそ保たれている平穏を崩す訳にはいかない。飛鳥の正体は隠さなければいけなかった。

ほとぼりが冷めるまで…とは言うが、それがいつになるかなんて分からない。

悠吏は飛鳥に『迎えに行く』と約束したという。この少女はその約束を信じて、懸命に生きようとしているのだろう。

祖母の厳しい作法指南や修行にも耐え、兄同様才能を秘めた少女は、あっという間に逞しく、美しく成長を続けていた。


「…姫様は、……、いいえ、なんでもありませんわ」


「なぁに?変な朱南」


「ふふ…あら…青嵐」


「えっ!ふぎゃっ!」


「もう逃しませんよ姫様!」


戻ってきた青嵐にあっさりと捕まった飛鳥はそのままズルズルと引きずられていった。




お祖母様の稽古は、どちらかと聞かれなくても好きだと答える。

色々な事を覚え、身に着ける事が出来るし、身体を動かす事も好きだから。稽古の時は怖いお祖母様だけど、それ以外では本当に優しいし、何よりお祖母様は悠吏の事にも詳しくて、悠吏の昔の話を聞かせてくれたりした。


勝手に聞いちゃまずいかなとも思ったのだけど、悠吏も知ってほしいと思うからというお祖母様の言葉に、思わず好奇心が勝ってしまった。


お祖母様と話すのは楽しい、稽古も好き、だけどお祖母様の呼び出しについ背いてしまったのは、幻守の老中達との会議への参加が嫌だったからなのだ。


忌み子だと言う自分と悠吏の事を快く思わない連中の小言を聴き続けるのは飽き飽きだ。以前、悠吏を罵倒するような声が上がった時、気が付いたら私はそいつに剣を向けていて、お祖母様に押さえつけられていた事もあった。

きっとまた、何かしでかしてしまうかもしれない。そうなれば、お祖母様や悠吏への評判も悪くなってしまう。それなのに、お祖母様は尚も私を参加させようとする。大切な事だから、と。


「…私、何も悪くない…」


「何を言いますか。七代目直々の呼び出しを蹴るなんて、十分問題ですよ。ほらまだ会議は始まっていませんし、七代目がお待ちですよ?」


「…はぁい」


青嵐と別れ、部屋へと向かう。足取りは重い。


ふと空を見上げれば、日は落ち薄暗くなって、ぼんやりと月が見える。どうやら今夜は満月のようだ。もう寒い季節は過ぎたとはいえ、夜になってくるとまだ肌寒い。寒さが極端に苦手な飛鳥はぶるりと震え両腕をこすった。何もこんな時間にやらなくても…なんて色んな文句が頭を巡る。


「……?」


部屋の前、どこか異様な気配を感じて首を傾げる。

会議はまだ始まっていないが、老中達は集まってきている筈だ。だというのに、物音一つしない。


「…失礼しま…す…っ!?」


恐る恐る、扉を開けて中を確かめれば、驚くべき光景が広がった。

部屋一面に迸る血の跡、老中達の変わり果てた姿、その中心にいるのは――お祖母様…?


「一体、なにが…お祖母様!」


「…ああ、やっと来たの、飛鳥」


「これっなんで皆、お祖母様は、怪我は…っ」


「ふふ、面白い子。この惨状にいて平気なあたしを疑わないと」


お祖母様は、笑っている。右手に愛用する武器を携え、その武器は血塗れだった。

弁明のしようもない。本人の口ぶりからも、彼女がやった事は明らかだった。


「どう、して…」


「うーん…そうだな…強いて言うなら、『疲れた』?」


「つか、れた…?」


「そう、面倒な幻守の宿命とか掟とやらとか、それにこれまた面倒な小娘の世話とか?」


「え…」


「なんて顔してるの。あんたは可愛いあたしの孫だよ?…可愛い可愛いあたしの娘が命をかけて守った、忌まわしき子供」


「あ……」


そうだ、いくら血の繋がった者とはいえ、最愛の娘は、自分の母親。双子を産んでしまったばかりに亡き者とされた。会ってたった一年の自分とじゃ、天秤にかけるまでもない存在。


本当は、憎んでいた…?あんなにも優しく、厳しく、悠吏のいない今、最も信頼出来る大切な人が、本当は、本当は…?


「難しい事は考えなさんな。ただシンプルに、今のあんたは命を狙われている。他でもないあたしに。…そして、悠吏も」


「!?ま、待って、どういう事なの、なんで悠吏が……あっ……」


脳裏をかける、嫌な感覚。喪失感。なくなってしまった。どこか遠くに感じていた感覚が。あの、優しく胸を埋める、感覚が――。


なくなってしまった。


「兄…様…?」


「…どうやら今だったみたいだね」


「なに、が」


「悠吏の処刑さ。悠吏は幻守に捕まった。そして処刑された。たった今。分かるんだろう?」


淡々と述べられる言葉に理解が追いつかない。否、この感覚が痛い程真実を伝えていた。


嘘だ。

嘘だ嘘だウソだ!!


「違う!兄様は迎えに行くって約束してくれた!だからっ」


「どうせ後で分かる事だよ。さぁ剣を取りな。命が惜しいなら、あたしを殺してみろ」


一瞬にして間合いを詰められる。投げ渡された剣を拾い防ぐが、力が入らない。何故、どうして――?次第に曇っていく視界を乱暴に拭い応戦する。


「―――!」


勝敗はあっけなくついた。急所を狙う一太刀を避け、無我夢中で振るった一撃が、和沙の腹部を貫く。血を吐き、膝をつく和沙を飛鳥は見つめる事しか出来ない。


「…ははっ強くなったなァ飛鳥。流石、あたしの、孫…」


「お祖母、様…」


「まだ、そんな風に呼んでくれるのか。本当、尊に似て、優しい子達だよ」


「やだ、やだっ」


「…お別れだよ。悠吏が残した道を、踏み違えるんじゃ…ない…よ…」


「いや、いやぁああああああ!!!」


血塗れで倒れこむ和沙。やったのは自分だ。やってしまったのだ、あの頃のように。


身を裂かんばかりの絶叫が響く。空間が歪み、辺りは淀んだ。意識を失った飛鳥は、その歪の中へと、身を落としていった。

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