第12話 別れと約束

悠吏が『幻守の禁忌』を連れ出して、もう一年が過ぎようとしていた頃。

幻守一族が血眼になって探しても痕跡すら終えなかった彼らが、ようやく…それは突然に見付かったという。


ついに見付かってしまったか、と青嵐は思った。


悠吏の事だ、なにかしらの対策を既にしているのだろうが、やはり心配で、『交渉役』を買ってでた青嵐だった。交渉が決裂した時、背後に控える幻守の者たちが捕縛にかかるのだろう。流血沙汰などごめんだ、なんとか穏便に事が進められるだろうか。


異世界の、深い森の中を進む。人の気配など微塵も感じないこんな場所に、本当に彼らはいるのだろうか…出来ればこのまま、彼らとは出会わなければいいと複雑な面持ちのまま、青嵐は足を進める。


ふと、視界を阻んでいた霧が晴れた。

小さな家の前に、悠吏と、幼い少女が立っていた。


「…お久しぶり、ですね。巫殿」


「うん、久しぶりだね。青嵐」


巫殿はやめてくれ、と一年前と変わらない、苦笑をもらした。

流石というか、幻守に居場所が知れたことも、自分が『交渉役』として来ることも、想定済みだったらしい。どこまでが彼の計算の内なのだろう。時たま、この少年が恐ろしく感じてしまうものだった。


「その御方が…?」


「うん、僕の妹。ほら、飛鳥。大丈夫だよ」


悠吏の後ろに隠れながら、こちらを伺う少女と目が合った。

報告に聞いていた通り、封縛の塔の影響でその姿は双子の兄に比べ、まだ幼い。白縹色の髪に紫紺の瞳…幻守直系は白銀の髪に橙色の瞳が特徴だ。彼女の容姿では双子、というにはあまりに違いすぎる。他人と言えばそれで通ってしまいそうなものだった。


「似てなくてもいいの」


「え…?」


「悠吏は…兄様は、この色好きだって言ってくれたから」


まるでこちらの考えを見透かすように、少女——飛鳥は言った。薄く微笑んだその表情からは、本心からそう言っているのだと伺える。飛鳥の頭を一撫でした悠吏は、飛鳥に少しの間だけ家に戻るように言う。

飛鳥が家に戻ったのを確認して、此方に向き直る。


「さて、『交渉』に来たんだろう?」


「…ええ。率直に言います。幻守は、貴方がたの“どちらか”を、手元に置いておきたいようです」


二人ではなく、どちらかを。

双子の禍を恐れる一族はようやっと幸せを掴んだ兄妹に対して、なんとも無慈悲な条件を押し付ける。断れば恐らく二人諸共…断れないことを分かった上、なのだろう。


不愉快そうに眉根を顰めた悠吏は、一度飛鳥のいる家に視線をやって、やけにあっさりとした口調で「いいよ」とだけ言った。


「は…」


「幻守に、飛鳥を預ける」


「お待ち下さい…!本当に、よろしいのですか…?」


「うん。このまま逃げ続けるよりも、堂々と迎えられる方が飛鳥にとってもいいだろう?」


「それでは、悠吏様は…」


「僕は、いいんだよ」


悠吏の中では答えはもう決まっているらしい。

自分ではなく、妹の方を。


幻守に戻った飛鳥は、きっと次代の幻守之巫女として育てられることになるだろう。だが、悠吏の身の安全は保障されない。それどころか、一族に命を狙われる可能性だってあるだろう。


何故この少年は、そのように自らを軽んじるのか。考えてふと、思い出す。この少年は昔から片割れに会うためだけに、今まで生きてきたのだと。


「ああでも一つだけ、頼みがあるんだ」


「…?」


「飛鳥を、七代目幻守之巫女に預けてほしいんだ。…いいですよね?」


つい、と悠吏の視線が青嵐の後ろへと向けられる。草を踏む音がして振り向けば、艶やかな短い黒髪に、真紅の瞳を持った女性——七代目幻守之巫女・幻守和沙の姿があった。


「七代目…いらしていたのですか?」


「まぁな。なんだか呼ばれるような気がして」


にやりと不敵に笑う和沙。

この女性、七代目幻守之巫女にして歴代最強と謳われた巫女であり、八代目時守之巫女・幻守尊の母である。そして、幻守尊は悠吏と飛鳥、二人の母にあたる人物である。つまりは悠吏と飛鳥の祖母という事なのだが、見た目はどう見ても20代。あまりその部分に突っ込んではいけない、というのは幻守の暗黙のルールのようなものだ。

先ほど述べたが、幻守直系は白銀の髪に橙色の瞳。彼女も『異端』だが、力ある者として幻守の中でも一目置かれている。


「お久しぶりです」


「ん、久しぶり。随分とまぁ無茶しちゃって」


「決めていたことですから」


「そう、だったね……例の子は?」


悠吏が、幻守の禁忌と呼ばれてた飛鳥を解放することを和沙は知っていたのだろう。和沙は悠吏の師でもある。恐らく幻守で唯一信頼している人物、なのかもしれない。


悠吏が飛鳥を手招いて呼ぶと、嬉しそうに駆け寄ってきた。そして青嵐と和沙の顔を見ると、さっと悠吏の後ろに隠れてしまった。


「今の、小さい頃の悠吏にそっくりだった」


「……」


くすくすと笑う和沙に、複雑そうな表情をする悠吏。流石の悠吏も歴代最強には敵わないらしい。屈んで飛鳥と目線を合わせた和沙は、優しく尋ねた。


「貴女の名前は?」


「…飛鳥」


「飛鳥か。素敵な名前ね」


「…うん!」


悠吏がつけたという自慢の名前を褒められたことが余程嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべた飛鳥に、和沙は思わず破顔する。


「流石あたしの孫!超かわいい!」


「七代目…」


「やだ、もちろん悠吏もかわいいよ。ほら、撫でてあげよう」


「やめてください」


にやにやと笑いながら悠吏を撫でようとする和沙。このままでは話がまとまらない。青嵐はわざとらしく咳き払いをした。


「おっと、いけないいけない…まぁ、うん。飛鳥はこちらで預かるとして、貴方はどうするの?」


「僕の事は気にしないでください」


「って言われてもねぇ…」


「…僕は僕なりに、飛鳥を守る、とだけ」


その強い意志の前に、誰が何を言っても聞かないだろう、と思った。何かを感じ取ったのか、飛鳥が不安そうに悠吏を見上げた。


「兄様…?」


「飛鳥、あのね。僕は暫く、遠くに行かなきゃいけないんだ」


「遠く…?」


「そう、遠くに」


「いつ、まで…?」


「それは、分からない…けど、約束するよ。必ず僕は君を迎えに行く。絶対、絶対…また、会えるから」


「……本当に?」


「もちろん。僕は君に嘘はつかないよ」


今にも泣き出しそうな飛鳥を宥める悠吏。自ら交渉役を買って出たことを、少し、後悔してしまった。

けれど、離れ離れにされてしまうこの兄妹の方がもっと辛いに決まっている。片方は、初めて幸福を知り、片方は、ずっとその時の為だけに生きてきたのだから。


「それでは、飛鳥を頼みます…お祖母様」


「…、ああ、分かったよ」


飛鳥の額にそっと口付けて、悠吏は異界へと消えていった。背後に潜んでいた幻守一族がざわめきだすのを感じる。――今ぐらい、大人しくしてればいいものを。


去っていく背中を、止めることは出来なかった。止める資格すらなかった。これは彼が決めた最善で、きっといつか全てのわだかまりが解ける日が来るであろうと、信じたかったからかもしれない。


残された少女は、ただ茫然と遠くを見つめていた。

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