第10話 幸せの在り処 下
飛鳥が、いない。
いつもなら玄関の扉を開ければ真っ先に迎えに来てくれる愛しい妹が、今回は姿を見せない。
眠っているだけなのかもしれない。そう思って彼女の居そうなところを探し回ったけれど、やはり居ない。
「そんな、飛鳥…どこへ…」
まさか、幻守の追手が…?だが結界が破られた形跡はない。
それとも——飛鳥自ら、出て行った…?
…考えるのはやめよう。まずは一刻も早く飛鳥を見つけなければ。
色々な感情が芽生え、様々なことを覚えたとはいえ、ひとりにするには、まだ危うい。何処の誰とも知れぬ輩に何かされては、自分を抑えきれる自信はない。愛しい妹の身に危険が及ぶ前に、見つけ出す。
此処は確か、一度だけ飛鳥と一緒に来たことのある街。
珍しく、自分からしたい事を口に出した飛鳥に、見つかる危険性よりも優先して出歩いた記憶がある。
「…―は、っ…」
ずっと走り回っていたせいか、息が上がってきた。
悠吏は身体強いとは言えない、寧ろ病弱といってもいいくらいだった。聞けばこれは親からの遺伝らしい。
こういう時、自分の身体の弱さが忌々しくなる。ああ、本当に忌々しい。飛鳥に遺伝しなかった事が唯一の救いとでも言うべきか。
壁にもたれかかり、少しの間だけ息を整えていると向かいの店の店員らしき女性が話しかけてきた。
「ちょっとお兄さん大丈夫かい?顔色悪いよ」
「…平気です。お気遣いありがとうございます」
「平気って顔色じゃないけど…ってあら…?どこかで見たと思ったらこの前のお兄さんじゃないか!さっきは妹さんの方と会ったけど、もしかして探してたりするのかい?」
「っその話、詳しく聞かせてもらえますか」
飛鳥がここに来たのは、ほんの数十分前の事らしい。
一冊の絵本を抱えて、なにかを探していると…そのなにかについて尋ねてみたけれど女性には心当たりがあるようだが、意味深に笑われるだけだった。
食い下がってまで時間をかける必要はない。飛鳥を見つけた時、その探し物を聞いて一緒に探せばいいだろう。
お礼を言って、走り出そうとした時、兄弟と思われる二人組が気になる話をしていて足を止める。
「で?一人迷子になって泣いてたらかわいい女の子に頭撫でられて慰められたって?」
「うるさいな!迷子になってねーしなぐさめられてもねーよ!」
「ふーん?へー?」
「迷子になったのにーちゃんの方だろ!…おかげで、飛鳥と会えたけど…」
「ねぇ、君。飛鳥って、絵本を抱えた水色の髪の女の子?」
「えっあ、う、うん。その本に書いてあるやつを探してるって言ってたから、おれが教えてあげたんだ」
「それ、何処なのか教えてくれるかい?」
「えっ」
「いいぜ」
「にーちゃん!?」
教えるのを渋る弟の代わりに話す兄によると、ここからそう離れてない位置にそれはあるらしい。秘密の場所なのにどうして教えるのかと憤慨する弟を宥めていた兄が、こちらに視線を寄越す。
「あんた、その飛鳥って子の兄貴だろ?」
「…そうだよ」
「だったら尚更、早く行ってやるといい。多分、会いたがってると思うから」
先程の女性といい、この兄弟といい、一体なにを知っているというのだろう。飛鳥の探しているもの…それが分かればこの疑問も解消されるだろうか。一呼吸置いて、また走り出した。
***
丘の上、そこは本当に聞いていた通り一面が花畑になっていた。
花の名前までは分からないが、色とりどりの花が咲き誇って、とても綺麗だ。
「(悠吏にも、見せてあげたい)」
出来るだけ花を踏まないようにして、目的の木へと向かう。
その木は、大木というにはまだ未成熟だが、十分立派な大きさをしていた。ぐるりと一周してみたり根元を見てみたりしたのだが、『それ』は見つからない。
上に登れば、見つかるかもしれない。木登りなどしたことがないが、絵本と、貰ったさくらんぼの籠を置いて、慎重に登っていく。途中何度か足を踏み外しそうになったものの、ようやく一息つけそうな位置まで登ることが出来た。
不安定な足場なため、四つんばいになりながら進みつつ回りを探せば、ようやく、見つけた。
「見つけた…!あっ」
覗き込んで、ほっとした瞬間ずるりと踏み外してしまった。身体が傾き、重力のままに落下する。
不思議と、恐怖心はない。けれど反射的に目をつぶれば次に来たのは鈍い痛み――ではなくて
「飛鳥…っ」
ふわりと暖かく優しいぬくもりに包まれた。
閉じていた目を開ければ、初めて見る…息を乱し、焦った顔をする悠吏がいた。どうしてここに、と尋ねる前にぎゅっと抱きすくめられる。
「無事で、よかった…!」
「あ…」
声が、震えている。ああ、心配させてしまったのか。探し物を見つけて、喜んでもらう筈が、とんだ失敗だ。
「ごめん、なさい…」
「…ううん。君が無事なら、良かった」
「…あのね、悠吏にね、見せたいものがあるの」
「うん?なんだい?」
「えっと、上に…あっ」
ぽとり、と降ってきたなにかを飛鳥はあわてて両手でキャッチする。上から降ってきたのは小さな青い鳥の雛だった。
怪我はないようで、元気に鳴いている。
「落ちてきちゃった…」
「ふふ、さっきの飛鳥と一緒だね」
そこでようやく、合点がいく。
飛鳥が探していた、探し物…飛鳥が抱えていた本…それは、随分と前に読み聞かせた絵本だった。兄妹が『幸せの青い鳥』を探して旅に出る、おとぎ話。
『幸せの青い鳥』を、探していたのか。
目を瞬かせる飛鳥の頭に、恐らくこの雛の親鳥であろう、綺麗な青い羽の小鳥が止まった。
「本にね、書いてたの。青い鳥を見つければ幸せになれるって」
だから、悠吏に見せたかった。
「僕の、為に…」
「わたし、悠吏にあげられるもの、なにも持ってないから…」
「…僕は、君がいてくれるだけで…ううん、ありがとう…本当に、僕は幸せだよ」
でもね、飛鳥。僕の『幸せの青い鳥』は、君なんだ。
君が在るだけで僕は幸せで、僕の『世界の全て』である君を守るためなら、なんだって出来る。
そう、口に出すことはせず、腕の中で小鳥と戯れる飛鳥をまぶしそうに見つめた。
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