第9話 幸せの在り処 上
あの暗くてなにもない塔から出してくれたのは、わたしの兄であり、片割れである悠吏だった。
悠吏は色んな事を教えてくれたし、色んな所へ連れて行ってくれた。
世界はこんなにも広くて、素敵なものなのだと知った。
そして、『世界』は、ヒトの想いの数だけ存在するのだと教えてくれた。
わたしの『世界』の中心は、悠吏になった。
けれど、わたしは悠吏にはなにもしてあげられていない——
「これ…」
傍らに一冊の絵本を抱え、飛鳥は家を出て行ってしまった。
悠吏には、何も知らせぬまま…
***
賑やかな人々の声。
人里離れた位置にある彼女と兄の家にはないものが、そこには沢山あった。
この街に来たのは初めて、という訳ではない。いつだったか、『街』を見てみたいと言って連れていってもらったことがある。その時の悠吏は少しだけ困ったように、けれど嬉しそうに笑ったっけな。
連れていってくれたのがその一度きり。だからひとりでここに来るのは初めてになる。
「あら、お嬢ちゃんたしか随分前にうちで買ってくれた子じゃない?」
「…?」
「あの白髪の綺麗なお兄さんと一緒だった…ああやっぱり!見かけない顔だったから旅の人かと思ってたけど、隣町にでも住んでるのかい?」
「えっと…」
「あらあら、お嬢ちゃんも綺麗な顔してるのねぇ…将来美人さんになるわね。今日は一人でおつかい?」
「ちがう。さがしもの、してるの」
「さがしもの…?」
「うん、見つけて、あげたいの」
いつも優しく微笑んでくれる兄の顔が浮かぶ。家から持ち出した絵本を大事そうに抱えなおすと、女性は微笑ましいものでも見るかのような表情をしてさくらんぼの入った籠を飛鳥に渡した。
「家族と食べな。大丈夫。探し物はきっと見つかるよ」
そう言って笑った女性にお礼を言って、飛鳥はまた歩き出した。
あれから少し経って、飛鳥は街の奥へ奥へと進んでいた。街の奥に用があるわけではない。そもそも『探し物』がどこにあるのか、飛鳥は知らなかった。けれど絵本に書いてあったそれを見つけて、悠吏に渡したい一心で、あてもなく探し続けている。
「…?」
誰かのすすり泣く声がする。
市街地を抜けたのか、人通りはほとんどなく、その姿は見えない。一体どこから…?
不思議に思いながらも声がした方角の路地を覗いてみると、声の本人はそこにいた。見た目は自分と同じくらいだろうか。まだ幼い、男の子が膝を抱えて泣いていた。
「どうして泣いているの…?」
「う、え…おにいちゃんと、はぐれて…」
「…おにいちゃん…」
「ひとりにしないって言ったのに、」
「……」
男の子は、こちらを見ないまま理由を話す。
兄とはぐれた、と言って泣き続ける男の子に飛鳥はどうすればいいのか分からず逡巡するが、ふと自分が泣いてしまった時の兄を思い出す。
「…な、なにっ」
「えっと、笑って…?」
ぎこちなく、彼の頭を撫でる。たしか兄はこうして自分を慰めてくれた。泣きたい時は泣けばいい。けれど泣いているよりも笑っている方がもっと好きだと言って、泣き止むまで撫で続けてくれた。
そうしてくれると、自然と落ち着いていくのが分かった、だから
「な、泣いてないし!」
「…?」
何故だか男の子は顔を紅潮させ、怒ってしまった。どうやら、兄のようにはうまくいかないらしい…。
「ごめんなさい…?」
「いいよ別に…悪いことしたわけじゃないし。そ、それより!おまえ誰だよ!この辺のやつじゃないよな」
「わたしは飛鳥だよ?」
「飛鳥って言うんだ…じゃ、じゃなくて…!」
先程まで泣いていたのが嘘のように彼は百面相する。
笑ってはくれないけど、元気になったようでよかった。しばらくあーうーと唸っていた彼はふと飛鳥が持っている本に目がとまった。
「その本…」
「知ってるの?」
「知ってる。よく母さんとにーちゃんが読んで聞かせてくれたから」
「これ、わたし探してるの」
「ふーん…へへっおれ知ってるぜ!この前見つけたんだ!」
「ほんと!?」
得意げに笑った彼にずいっと詰め寄ると、少年はまた顔を真っ赤にしあたふたとしだした。
「ひ、ひみつの場所だけど特別におしえてやる!」
そう言って、言葉に詰まりながらも教えてくれたのは、この街を少し出た先の丘に花畑に囲まれた一本の木があり、そこに目的のものがある…というものだった。
「ありがとう!」
「あっえっと、おれの方こそ…」
「あとね、」
笑ってくれて、ありがとう。
返事もきかぬまま、飛鳥は丘の方へと走っていった。
残された少年を見つけたその兄は、顔を真っ赤にして固まる弟を見て何事かと疑問符を浮かべ、そして理由を悟り、笑うのだった。
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