第13話 おかあさん


 まこちゃんの植物トークは、お布団の中でも続く。

 二階でゴロゴロしていた私のところにやってきたマコちゃんに「今日はおねえちゃんと寝たいな。眠くなるまで一緒に読もう?」と可愛らしくお願いされてしまったのだ。小さな手に溢れんばかりの園芸雑誌を抱えた状態で。


 この夜、私は生れて初めて園芸雑誌を読みきかせて幼子を寝かしつける、なんて経験をするのだった。



「ねぇ、すみれおねえちゃん。おねえちゃんのお母さんって、どんな人?」


 ふと意識が浮上した夜明け前。

 真っ暗な部屋で寝返りを打つと、まこちゃんが囁いた。

 かろうじてお互いの顔が見える薄闇で、まこちゃんのくりくしりた瞳が輝く。


「ごめんね、起こしちゃった?」

「まこ、起きてたよ。太陽がこんにちはするまでおはなししよ?」

「私のお母さんの話?」

「うん。まこ知りたい」


 私のお母さん。

 私の家族。私の……。


「……仕事も完ぺき、家事も完ぺき、欠点も綻びも弱みも、なーんにもない人。私がしっかり自分の足で立てるように導いてくれた、北極星みたいな人、かな。自分にも他人にも厳しいこわーい人」

「怒られた?」

「たくさん怒られたよー。でも、自分勝手に当たり散らしてるんじゃないの。きちんと叱ってくれてたんだ。私が道を踏み外して不幸にならないようにって」

「じゃあすみれおねえちゃんは今、幸せ?」

「うーん……どうだろ。わかんないや」


 お母さんに勧められるまま、進学し、就職し、安定を手に入れた。

 でも、今はもう安定も将来設計も失ってしまった。

 私はお母さんが最も嫌うふらふらした大人になってしまった。

 だから家にいると居心地が悪くて、鬼住村のおばあちゃんの元へ逃げ込んだのだ。


「わからないことばっかりだね。おねえちゃん、お勉強中だもんね」

「……もっともっとたくさん知らなきゃいけないのかもね。私、なーんにも知らないまま大人になっちゃったみたい。早くまこちゃんみたいになりたいなぁ」

「なれるよ! まこも教えてもらって覚えたんだもん」

「お母さんに?」

「お母さんと常子おばあちゃんと千秋おにいちゃん! みーんな緑の手だからね、すみれおねえちゃんも絶対なれるよ!」

「お姉ちゃん、まこちゃんに負けないように頑張るね」


 私は全てを失った。職も居場所も生き甲斐も。

 だから、この鬼住村で再び始まりからやり直す。

 ここに私の居場所を築き上げるのだ。

 私を許したこの村に根を張って、花を咲かせるのだ。

 咲かさなければならないのだ。


「まこ負けないよ? だってお花も葉っぱも大好きだもん。おねえちゃんもでしょ?」

「好きだよ。……ううん、好きになってきた、かな。実はね、私ほんの少し前まで植物に興味なかったの。名前も知らなかったし、水と光と肥料さえあれば勝手に育つと思ってた。でも実際はとても繊細で敏感で危くて。だけどしっかり条件を揃えてあげれば、苦労が帳消しになるくらい美しい結果を見せてくれる。私の周りにいる緑の手の人たちは、ずぶの素人の私にもゼロから教えてくれて、いい人ばっかりで。お蔭で、楽しいな、好きだな、って思えるようになってきたの」

「お勉強、たのしい?」

「すっごくすっごく楽しい! こんなに楽しい勉強、生まれて初めて」


 鼻息の荒い私に、まこちゃんは目を細めた。

 見て触れて、日々の変化を感じながらじっくりと声なき者の声に耳を澄ませる。

 教科書とにらめっこするばかりの勉強とは正反対だ。

 相手は生きている。

 生きているから、突然へそを曲げたり、体調を崩したり、気まぐれにご褒美をくれたりする。

 それが新鮮で、私は緩やかに魅了されつつあるのだ。


「すみれおねえちゃんって、本当にすみれのお砂糖漬けみたい」

「へ?」

「甘くて美味しくてみんな大好きだから! ね、まこまたお店に行きたいな。すみれおねえちゃんとも、千秋おにいちゃんとも、お話したいことがたくさんあるの!」

「待ってるよー」

「こてつもぎゅーってしたいな!」


 障子越しの空はかすかに色づき、淡いオレンジを透過する。

 私たちは二人向かい合ってただひたすらに好きなものについて語り続けた。



 *****



 この日から、まこちゃんは毎日店を訪れるようになった。

 今日だってそうだ。


「すみれおねえちゃん、ここの葉っぱに霧吹きしてあげて」

「はーい、ちょっと待ってねー」


 パソコンへの打ち込みを中断し、私は霧吹きを持った。

 冬は人の肌が乾燥するように、植物も乾く。

 だから保湿のために、定期的に霧吹きで葉を湿らせてあげるのだ。

 葉水はみずと呼ばれるこの保湿、艶やかな葉を保つだけではなく、害虫予防にもなる。

 チランジア以外の植物たちも葉から水分を取り入れられるので、この作業は一年中欠かせないのだそうだ。

 午前中は仕入れた植物が到着しててんてこ舞い。

 午後になってようやくメンテナンスの時間が取れた。

 私はまこ師匠の指導の下、観葉植物の葉っぱにたっぷり霧吹きする。


「こんな感じでどうかな」

「はなまる!」

「やったぁ」

「おーい、二人ともーちょっとこっち手伝ってー」


 花丸をいただいたところで、ジャングルの奥から千秋さんに呼ばれた。


「行こっか」

「行こー!」


 ジャングルへ向かうと、千秋さんはジュエルオーキッドの並んだガラスケースを覗き込んでいた。

 ガラスケースの住人はどれも高湿度を好む。

 おまけに寒さにめっぽう弱く、鬼住村の気候には適応できない。

 なので、冬は密閉度の高いガラスケースに鉢ごと収め、湿度と温度を人工的に調節している。


「来たね。入荷したジュエルオーキッドを並べようと思うんだ。数が多いし、すみれちゃんの勉強にもなるだろうし、手伝ってもらえないかな」

「わかりました」

「とりあえず全部出しちゃおう」


 千秋さんはガラスケースを開いた。


「まこ、プレゼント用の子運ぶ!」

「お願い。折らないように気をつけてね」

「うん。気をつける!」


 三人で鉢を出し、中を掃除して、新入りと共にケースに戻す。

 意外と神経を使う作業に私たちは黙々と取り組んだ。


「あれ?」


 作業中、ふと引っ掛かった私はまこちゃんに疑問を投げかける。


「まこちゃん、プレゼントの話知ってたの?」


 まこちゃんに結婚記念日のお祝いの話したっけ。

 してないような……。


「僕が話したんだよ。まこちゃんは口が堅いし、隠していてもバレそうだったから」

「ヒミツ、だもんね!」

「うんうん。びっくりさせてなんぼだよー」


 二人は悪戯を企む小学生のように顔を見合わせて唇をつり上げる。

 もしかすると、ハイテンション騒音メーカーも知っていたりして。

 いや、あの子に隠し事は無理か。

 じゃあ、三人だけの秘密、かな。


「プレゼントの人ね、驚いて泣いちゃったらまこがぎゅーってしてあげるの」


 まこちゃんは売約済みのタグを撫でながら、愛おしそうに「ぎゅーってするの」と囁いた。



 *****



「へぇ。なにその子! すんばらしい英才教育じゃん!」


 当然、純さんとの通話に於いても、まこちゃんを話題にしないわけがない。


「恥ずかしがり屋さんなんですけど、よく気がつくし、隅々まで観察してる鋭い子なんですよー!」

「いやぁ、私も見習わなきゃ。ちびっ子恐るべしだね」


 画面に映る純さんは羨望の眼差しでまだ見ぬまこちゃんに思いを馳せていた。


「そうだ。純さん、体調はもう回復しましたか?」

「え? あー、うん。まあ……小康状態だね。先生に胃薬出してもらったし、飲んで様子見ってやつ。すみれちゃんも、冷えてきたし風邪ひかないように。インフルエンザとか目も当てられないよ?」

「今のところ元気ですよー。栄養だけはおばあちゃんの料理でしっかり摂ってるので、多分大丈夫です」


 和食中心の食事で栄養はばっちりだ。

 今晩食べた肉じゃがは味が染みていて絶品だった。

 あけび様がしつこく狙ってくるくらいに。


「また、根拠のない自信を……。田舎の冬を甘く見ちゃいかんよ? まだそっちも雪降ってないでしょ?」

「まだですね。時々霜は降りるんですけど」

「鬼住村の辺りは豪雪地帯だかんね。降ったら覚悟しなよ。ブーツは早めに用意すること! あと防寒着も。おしゃれなコートとか意味ないから」


 画面には大迫力のドアップ純さん。

 そして、その背後で何やら人影がうろついていた。


「ちょっと純さん、誰と話してるの?」

「うわっ。いつの間に」


 カメラから離れて遠ざかった純さんの隣に映るのは、スウェットを着た春仁さん。

 髪が無造作にしっとりしており、首にタオルを巻いていた。

 お風呂上りのようだ。


「ウィルオウィスプで働いてる私の可愛い後輩、すみれちゃん! 春君も挨拶しな?」

「いつの間に連絡先交換してたの……。まあいいや、初めまして。純さんの夫の春仁です。よろしくね」


 了解しました春仁さん。

 あくまでも、私とは初対面の体で行くんですね。


「笹森すみれです。こちらこそ、よろしくお願いします!」

「なぁに、若い子に鼻の下伸ばしちゃって」


 純さんと春仁さんは二人仲良くパソコンの前に座った。


「伸ばしてません。で、僕に内緒でどんなお話をしてたのかなぁ?」

「んー? 雪の話だよ。ほらあの辺降り方がえげつないじゃん」

「えげつないって、そんなに降るんですか」


 初めての鬼住村の冬が不穏な雰囲気を帯びてきた。


「笹森さんは車持ってる?」

「いえ、ママチャリが愛車です」

「なら、立ち往生はないね。鬼住村は山間地帯だから、一メートルくらい平気で積もるよ」

「一メートル!?」


 そんな雪、ニュースでしか知らない。


「だよー。私一回、お店に近づけなくなったもん。すみれちゃん元々関東住みでしょ? 東京と鬼住村の冬を同じと思っちゃダメだよ」

「必要以上に恐れなくても平気だけどね」

「肝に銘じます……」


 食料、買い溜めしておこうかな。

 靴屋でちゃんとしたブーツも買わなきゃ。


「銘じついでに、笹森さんに秋君宛ての伝言をお願いしてもいいかな」

「はい。承りますよ」

「ありがとう。今度の日曜、純さんと一緒にお店に行くつもりだから、って伝えて」

「待って待って、春君。純さん初耳なんだけど!?」


 サプライズを知らない純さんは、春仁さんの肩を掴んで揺さぶる。


「初めて言ったもんー。もしかして用事あった?」

「ない! あっても断る! やった、これですみれちゃんの実物を拝める! 虎鉄の毛皮に埋もれられる! 春君グッジョブ!」


 純さんは満面の笑みで親指を立てた。


「どういたしまして」


 つられたのか、春仁さんも親指を立てて不敵に笑って見せる。

 絵に描いたようなおしどり夫婦だなぁ。


 さぁ、日曜日にどんなドラマが待っているんだろう。

 純さんはどんな反応を示すんだろう。

 まだまだ全然わからないけれど、きっと幸せに満ちた結果が待っているに違いない。

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