第14話 やしゃぶしの実




 やや細長い葉の中央に天の川のような白い帯が入るもの。

 濃い深碧の葉にレース糸に似た細い葉脈のはしるもの。

 漆黒の装いに深紅の血潮が巡るもの。

 春仁さんが選んだ株はどれも美しく、今日も健やかに育っている。


「あの、千秋さん」

「ん?」


 ぽつぽつと訪れるお客さんの対応の合間、私は千秋さんにある質問をした。

 失礼かな、とも思いながら一度聞いてみたかったから。


「千秋さんはどうして植物好きになったんですか?」


 ジャズの流れる店内で虎鉄が気怠そうに首を掻いた。


「うーん、どうして好きになったのか、かぁ。何故だろう」


 植物のラックやテーブルを二人で掃除しながら尋ねると、千秋さんは再び「うーん」と唸った。


「昔はまったく興味も関心も無かったんだ。だけど、ある植物好きに付き合ってたら、どんどん深みにはまって、魅了されて、引き返せなくなって。もっともっと、って思っているうちにお店を、ね」

「お友達、ですか?」

「えーとね、悪友が近いかな。今は納期の関係で引きこもってるんだろうけど、近いうちに店に顔を出すと思うよ。ヘビ飼いの割とぶっ飛んだ常識人野郎だから」

「ヘビ、ですか。ここのお店に来る若い人って割とその辺の生き物飼ってますよね」


 恐れるな、すみれ。

 ぶっ飛んではいるが常識人だ。

 怖い人じゃないはずだ。


「うちのジャングルに用がある人はエキゾチックアニマルや熱帯魚に魅せられてることが多いかもね。もちろん例外もあるけど。すみれちゃんに無理に好きになれとは言わないよ。でも、自分が好きなものを貶されたり恐れられたり、否定されたら悲しいでしょ?」

「笑うくらいしかできませんけど、人の趣味嗜好を否定するような卑しさは嫌いです」

「ありがと」


 千秋さんは満足そうに口元をほころばせた。


「あの、もしかして千秋さんも飼ってたりしますか?」

「あはは、うちは虎鉄だけだよ。これ以上は手が回らないもん。ねー虎鉄」


 名前を呼ばれた虎鉄は、顔をあげて私たちを仰ぐ。


「元々犬を飼う予定はなかったんだ。でも、店をオープンしてすぐに、駐車場に捨てられていてね。見捨てられないし、番犬にしたんだ」


 虎鉄は鼻をふん、と鳴らして返事をした。


「彼は忠犬だよ。僕の大切な相棒」

「うわん。わふ」

「どした? 虎徹」

「わふん」


 相棒と呼ばれて尻尾を振る虎鉄は、私たちに「わふ、くうん」と犬語で訴える。


「ひょっとして、散歩行きたいの?」

「うわん!」


 千秋さんが散歩の単語を出した途端、尻尾の動きが激しくなった。

 待ちきれない様子で私たちに駆け寄り、前脚を交互にかけておねだりする。

 これは無視するとしばらく拗ねるやつだ。


「私行っても大丈夫ですか?」

「お願いできる? 今日は彼、来ないみたいだしね」


 例のツンツン頭、あれ以降も時々散歩を請け負ってくれるのだが、今日はピアノのお稽古で忙しいのだろう。

 千秋さんを行かせて一人で店番、なんて度胸も勇気も知識もない。

 下っ端の私が行かなきゃだ。


「虎鉄、どこ通ろっか」

「うわんっ」

「そーかそーか、了解! じゃあ一時間くらいで帰ります」

「いってらっしゃーい。気をつけてー」


 上機嫌の虎鉄をリードに繋ぎ、もうじき奴に立たなくなるおしゃれなだけのチェスターコートを着込んで店を出た。


「寒いねー、虎徹」

「わふん」


 律儀に返事をしてくれる忠犬と共に、早足で歩んでいく。

 目指すは村の反対側。朝、ママチャリで疾走した道を遡るのだ。

 虎鉄はきっちり躾けられているので、リードを引っ張ったり、拾い食いしたりしない。私の歩幅に合わせて隣についていてくれる。


 ビニールハウスの群生地を抜けて、畑道へ。

 人気のない一帯も、芽吹きの季節を迎えれば緑色に染まるのだろう。

 今日は朝からずっと冬晴れ。

 暖かな日光が降り注ぎ、まさに恰好の散歩日和だ。

 だけど、空気はひどく乾燥していて、鼻の奥がつんと痛くなる。

 雪が降ったら私の肺は凍ってしまうかもしれない。

 そんな風に考えていたら勝手に体が震えてしまった。


「あー、虎鉄のもこもこ、私も欲しいなぁ。冬なんてへっちゃらなんでしょー?」

「わふ」


 畑エリアを抜けると、鬼住神社の鳥居が顔を見せる。

 鬼住神社は昔ながらのこぢんまりとした神社だ。

 おばあちゃん曰く、大昔にこの辺りで暴れていた鬼を治めるために造営されたもの、らしい。

 ちっちゃくてくすんだ鳥居の先には、苔むした境内が広がっている。


「――あれ?」


 鳥居を通過しようとしたところで、私はその子を見つけた。

 しゃがんでじっと地面を睨んでいる、見慣れた女の子の後姿を。


「まこちゃーん! 何してるのー?」


 二つ結びの猫毛に、赤いマフラー。

 間違いなくまこちゃんだ。


「あれ? すみれおねえちゃんだ! あのね、えっとね、こっち来て!」


 大当たり。

 振り返ったまこちゃんは私を手招きする。


「虎鉄、ちょっと道草しよ」

「うわん」


 無事虎鉄の許可も下りた。

 私たちは舗装された道から外れ、鳥居をくぐる。


「地面に何か落ちてるの?」


 まこちゃんに問うと、虎鉄の頭を撫でてから「あのね」とダッフルコートのポケットに手を突っ込む。


「これね、やしゃぶしの実。千秋おにいちゃんにお願いされて、集めてたの!」

「やしゃぶし?」


 ポケットから出てきたのは、親指の爪ほどの大きさをした木の実だった。

 形状は松ぼっくりに近く、茶色く乾燥している。


「うん、やしゃぶしだよ。お客さんが欲しがってるんだって。千秋おにいちゃんは来られないからね、まこが代わりに集めるの。ここのは、、だから」

「千秋さん忙しいもんね。でも、集めてどう使うの?」


 お客さんがただの木の実を求める理由がわからない。


「お魚の水槽に入れるんだよ。入れるとお水のばい菌が死んで、お魚が病気になりにくくなるの。お水も茶色くなってね、紅茶みたいになるんだよ。だから手伝って!」

「へぇ、そうなんだ。よーし! たくさん持って帰ろう!」


 こんな木の実に殺菌作用があるのか。

 小さな松ぼっくりも侮れない。

 辺りを見回すと、いくつもやしゃぶしの実と思しき木の実が落ちている。

 私とまこちゃんは協力してそれらを拾い集めた。


「ねぇ、まこちゃん」


 二人してしゃがんで地面と睨めっこ。

 夢中で片手一杯の木の実を拾ってから、私はまこちゃんを呼んだ。


「なあに?」

「まこちゃんってまだ学校には行ってないの?」

「学校?」

「そう。平日のお昼にもお店に来てくれるでしょ?」

「学校にはまだ行かないよ。まこまだ小学生じゃないもん」

「ずっとお外にいて家族は心配しない?」

「ううん、心配しないよ。まこね、もうちょっとだけここで遊ぶの。あともうちょっとだけ」


 うちと一緒で共働きなのかな。

 この辺りは共働きが多いし、おかしくはない。


「お迎え、待ち遠しいね」

「うん! すみれおねえちゃん、どれくらい集まった?」

「十五個ぐらい」

「まこもそれくらい! よぉーし、おわり! おしまい!」


 私が持っていたビニール袋にそれぞれが集めたやしゃぶしの実を入れて、まこちゃんのポケットにしまった。


「いっぱいいっぱいー! すみれおねえちゃん、ありがとう」

「どういたしまして」


 膨らんだコートのポケットをぽんぽんと優しく叩いて、まこちゃんはご機嫌だ。


「まこちゃん、寒くない?」

「うん。まこはね、寒いのも暑いのもへっちゃら」

「おー、さっすがぁー。じゃあさ、お姉ちゃんと一緒にお散歩行かない?」


 このまま店に行くにしろ、家に戻るにしろ、まこちゃんだけでは心許ない。

 こんな小さな子を置いていくのは大人としてどうかと思う。

 本音を言えば、虎徹以外の話相手が欲しかったりするのである。

 内緒だけど。


「ついていってもいいの?」

「いいよー。ね、いいでしょ、虎鉄」

「わふんっ」


 そばで見守っていた虎鉄も尻尾を振ってくれる。


「リード、まこが持ちたい!」

「どうぞ」


 虎鉄は賢くて思いやりのある子だ。

 間違っても、引っ張ってまこちゃんに怪我をさせたりしないだろう。

 全幅の信頼の元、私は虎鉄のリードをまこちゃんに手渡した。

 再び鳥居をくぐり、舗装された道路へ出る。

 私たちは古民家が建ち並ぶ道を通り、ぐるりと村を一周してお店へと戻った。



 *****



 店に戻ると、ちょうど千秋さんが電話対応中だった。


「あ、戻ったので変わりますね」


 リードを外すと、虎鉄はストーブ前へ直行する。

 毛皮族のくせに寒かったらしい。


「おかえりすみれちゃん。ちょっと電話変わってくれる?」

「どなたですか?」

「春さんだよ。今度の日曜のことについてだって」


 最終確認かな。

 私はレジカウンターで受話器を受け取った。


「お電話変わりました。笹森です」

「あ、笹森さんお久しぶり。今度の日曜はよろしく頼むよ」

「もうすぐですね。どうされましたか?」

「あー……あはは。疑うようで申し訳ないんだけどさ」

「はい?」


 春仁さんは口ごもり、数秒空白が流れる。


「笹森さん、ちょくちょく純さんと通話してるでしょ? その、さ、秘密にしてくれてるのかなぁって心配になって」

「してますよー。ばっちり隠してます。純さん恐らくまだ気づいてないですよ?」

「だよねぇ。僕が勝手に焦ってるだけなんだよね……。ここ数日落ち着かないんだ」


 うぶなひとだなぁ。

 男の人なのにちょっと可愛い。


「プレゼントの子たちは異常なく育ってますよ。安心してください。そわそわしすぎるとバレちゃいます」

「ごめんね。笹森さんと話したあとの純さんあまりに明るくて楽しそうでさ。もしかしたら、って……」

「純さんとは師弟寄りの友達って感じで……うーん、頼れる姐御、が近いかな。お話も上手いし、いつも溌溂としていて優しくて。とにかく、いくら喋っても喋りたりないくらい大好きなんです」

「うんうん。純さんのそういうとこ、昔から最高だからね」

「ですよね!」


 旦那さんとなに話してるんだ私。

 春仁さんの方がずっと純さんの魅力には精通しているのに。

 このペーペーめ。


「……あのさ、もし笹森さんが嫌じゃなければこのまま純さんと友達を続けてくれないかな。純さん、こっちではまだ友達いなくて話し相手を欲してるだろうから」

「大歓迎です!私もこっちに友達がいない似た者同士ですし」


 元々自分も友達は少ない人種だ。

 少数精鋭の友人たちも、みんな都会で忙しく働いていて気軽に連絡は取り合えない。

 取ったとしてもまず会えない距離だから、自然と疎遠になってしまった。


「純さんには笹森さんみたいな子が必要なんだ。彼女、学生時代に交友関係で辛い目に遭って、それ以来積極的に人と関わらなくなったんだよ。自分と同じ畑の人間とはお喋りするけど、接点のない他人には心を閉ざす傾向があってね。久しぶりにあんなに楽しそうで、僕も嬉しいんだ」

「こちらこそ、色々と教わってばかりで恐縮です。これっぽっちも知識のない私に、未知の世界を案内してくれて、世界を歩む術を授けてくれて。先生で先輩で姐御で、友人です。実は私、春仁さんに嫌われていたらどうしようかと」

「まさかぁ。猫みたいな人を好きでいてくれる誰かは多いに越したことはないよ。あはは、心強い味方が増えたなぁ。日曜日、よろしくね。秋君にもよろしくって伝えておいて」

「はい。お待ちしてます」


 挨拶を交わして、電話は切れた。

 これで私は旦那さん公認のお友達だ。

 なんだか胸の奥がくすぐったい。


「今の人、プレゼントの人?」


 まこちゃんは私のコートの袖を引いて、じっとこちらを見上げる。


「そうだよー」

「千秋おにいちゃん。やしゃぶしの実の人も、さっきの人?」

「うん。さっきの電話の人が欲しがってるんだよ」


 なるほど。水槽九本のうち、どれかに使うのか。


「じゃあ、やしゃぶしの実もプレゼントにする! プレゼントの袋に入れて、おリボンでおめかししてプレゼント!」

「ナイスアイデア! たしかラッピング用の袋が余ってたはず……」


 千秋さんはカウンター裏の棚を漁る。

 いくつかリボンが出てきて、最後に「あった!」の声と共に贈答用の透明な袋が発掘された。


「汚れを取ったら入れようね」

「はーい!」


 お客さんの気配はない。

 千秋さんの指導の下、私たちは協力してやしゃぶしの実を掃除した。

 土やごみを取り除いて綺麗になったら、まこちゃんが点検し、袋に詰める。

 最後に、緑のリボンをまこちゃんが器用に結んでいく。


「こうして、こっちに回してくるんってして……できた!」


 まるでクッキーが入っているかのようなラッピングの完成だ。

 まこちゃんも満足気にエッヘンと胸を張っている。


「喜んでくれるかな?」

「絶対喜ぶよ」

「まこね、早く会いたい!」


 頬を紅潮させて、まこちゃんは今日のおひさまみたいに微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る