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 数分前のことだ。

 あの後また多少の交戦を経た後で、追っ手を撒き何とか旧校舎に辿り着いたハリーは上階から伝わる物凄い音と微かな振動を察し、真っ直ぐに階段を昇り上階を目指していた。今の音が和葉に危険が迫っている物だと、根拠は無いが彼の第六感がそう告げていたのだ。

 二階を突っ走って探索し、そしてまた階段を駆け上り三階へ。そこで扉が無残に蹴破られた教室を一つ見つけると、陰に隠れながら慎重に中の様子を窺う。

 教室の中には、ドデカい巨漢の背中があった。シュワルツェネッガーかと思うぐらいのデカさと隆々とした筋肉、そしてアジア系にしか見えない肌の色。その後ろ姿は間違いなく、あの"ウォードッグ"のモノだ。

 そして、その向こう側には蹲りながらウォードッグを涙目で見上げる、怯えた様子の和葉の姿もあった。恐らくは彼女が隠れていたのだろう積み上げられていた机と椅子は、ウォードッグによって既に半ば以上が吹き飛ばされている。

(仕掛けるか……?)

 いや、まだだ。ハリーは飛び出したい衝動を抑えながら、必死にタイミングを待った。明らかな強敵・ウォードッグの虚を突ける、最高のタイミングを。

 やがて、ウォードッグは和葉の近くへとのそりのそりと近づいて。そうして驚くことに、邪魔な机や椅子を片腕でヒョイヒョイと放り始めた。まるで空き缶でも投げ捨てるみたいな軽快さと気軽さで、そう軽くもない机をさも簡単なようにポイポイとそこいらへ雑に投げていく。

 恐ろしい筋肉だ、とハリーは素直に驚嘆し、そしてウォードッグに対して微かな恐れを抱いた。あの筋肉が本気になって殴りかかってくれば、タダでは済まないだろう。まして、あんな丸太みたいに太すぎる脚で全力の蹴りを喰らわされることなんか、想像もしたくないぐらいだ。

(想像以上だな、ウォードッグ)

 今、直に己の眼で見るウォードッグという男は、先刻渡された資料で見た時よりもずっと恐ろしかった。果たしてこの男に勝てる人間がこの地球上に存在するのかと、ハリーが本気で疑うほどの風格と力強さだった。

 流石は香港ヤクザ叩き上げにして、世界中の戦場を絶え間なく渡り歩いてきた歴戦の傭兵というワケだ。ウォードッグ(戦争の犬)という仇名は、どうやら伊達ではないらしい。

(だが、勝てない相手じゃない)

 奢りや傲慢などではなく、冷静な頭でハリーはそう思っていた。確かにウォードッグは強敵だ。今まで出逢ったことが無いほどに、恐らくはハリー・ムラサメの人生最大級の強敵なのは間違いない。

 しかし、それでも勝てない相手ではないと、ハリーは内心で確信する。例え相手があんな恐ろしい巨漢だろうが、世界各地を転戦してきた歴戦の傭兵だろうが、所詮は同じ人間。ミリィじゃないが、結局は同じ土俵に立っているというわけだ。それに……。

(血を流す相手なら、殺せるはずだ)

 相手は未来からやって来た殺人ロボットでも何でもない。同じ時代に生きる、ただの人間だ。何処まで行ってもその事実は揺るがず、確実なもの。同じ人間という生物であるからには、ハリーには奴を殺せる確かな自信があった。

(仕掛けるタイミングさえ見誤らなければ、どうにかなる)

 そう思いながら、ハリーはQBZ-97の銃把を握り締め。そして教室と廊下とを隔てる窓ガラスから小さく顔を出しながら、絶好のタイミングを待っていた。

「悪いな、仕事なんだ」

 邪魔な机と椅子を全部放り投げ、和葉を見下ろしながらウォードッグが言う。奴の顔までは見えなかったが、きっとその名に相応しい闘犬みたいな笑みを奴は浮かべていることだろう。

「助けてよ…………っ!」

 和葉の懇願する声が漏れ、それは偶然、ハリーの耳にまで届いていた。

「助けてよ。ねぇ、ハリー…………っ!」

(っ……!)

 仕掛けるなら、今しかない。いや、今を置いて他にはない。これが、ラスト・チャンスだ。

「その依頼、確かに承った…………!」

 ハリーは満を持して立ち上がり、窓ガラス越しにQBZ-97の照準をウォードッグの背中へと合わせる。口から出てきた咄嗟の一言は、ハリーも無意識の内に漏らしていた言葉だった。

 和葉が唖然とするより早く、声に反応したウォードッグが振り返るよりもずっとずっと早く。ハリーは肩付けに構えたQBZ-97自動ライフルのセレクタをフルオートに合わせ、そしてその引鉄を容赦無く奥の奥まで引き絞った。

 銃口で、ハリーの視界内で盛大な火花が瞬く。薄いガラス窓を容易に突き破ったのは、世界的にポピュラーなNATO規格5.56mm×45小口径・高速ライフル弾。軍用フルメタル・ジャケットの弾頭はガラス窓を容易く突き破り、数十発もが凄まじい勢いで次々にウォードッグの背中に到達し、その広すぎる背中を超音速で殴り付ける。

 背中に数十発の5.56mm弾を喰らったウォードッグが、たまらずその巨体を吹き飛ばされる。まるで後ろから鉄球か何かで思い切り殴られたみたいに激しく吹っ飛んだ巨大な身体は、蹲る和葉の上を平気で通り過ぎ。そしてそのまま外側の窓ガラスに激突すると、ガラスをブチ破りながら下へと落下していった。

「えっ……?」

 何が起こったか分からないといった和葉の顔を一瞥した後で、ハリーは小さく助走を付けると地を蹴り、5.56mmの弾痕だらけになった目の前の窓ガラスへと飛び込む。

 穴だらけになって脆くなった薄いガラスを、タックルの要領で肩からブチ破ってハリーが教室内に飛び込む。くるりと床の上で一回大きく前転なんてかましながら着地すれば、ハリーは一度膝立ちの格好になる。

 顔を上げたその瞬間、和葉と眼が合った。明らかな動揺に揺れる、涙の滲んだ彼女のルビーみたいに紅い瞳と。

「待たせたな」

 そして、立ち上がりながらハリーが口を開く。不敵な顔で、敢えて余裕の表情を作ってみせながら。

「……戻ってきたぞ」

 弾の切れたQBZ-97を右肩に預ける格好で立つハリーの姿を、和葉は信じられないような顔で見上げていた。

「本当に、貴方なの……?」

「君を助けに来た」と、ハリー。「少々、遅刻してしまったが」

「ヒーローは遅れてやって来るってよく言うけれどさ、幾ら何でも遅刻にも程があるわよ……」

 冗談っぽいハリーの言葉に、和葉も思わずクスッと吹き出す。その瞳に未だ涙を滲ませたまま、しかし少しだけ表情を安堵に落ち着かせて。

「ルール第一条、時間厳守。……そうじゃなかったかしら、ハリー・ムラサメ?」

「悪かったよ、本当に悪かった。そこは謝るよ、園崎和葉」

「和葉で良いわよ、今更よそよそしい」と、和葉。「そしたら、貴方のこともハリーって呼んで良いかしら?」

「……好きにしろ」

 ぶっきらぼうに頷きつつ、ハリーはQBZ-97の空弾倉を足元に放り捨てた。アルミ製の弾倉が木張りの床に跳ね、カランコロンと音を立てる。

「…………でも、私を助けに来てくれたんだよね。命懸けで」

 俯き、何故かハリーから視線を逸らす和葉の言葉に、ハリーが新しい弾倉を差し込みながら「ああ」と頷く。

「ルール第二条、仕事は正確に、完璧に遂行せよ。

 ――――俺の信条だ。少々遅刻してしまったが、第二条は守ることが出来た」

 クールな顔で言いながら、QBZ-97のコッキング・レヴァーを奥まで引いて放し、ガシャンという確かな機械音と共に新たな一発が薬室に装填される。

「……本当に、変な人」

 そんなハリーの方を見上げながら、和葉が小さく笑う。

「でも、ありがとう」目尻の涙を手の甲で拭いながら、和葉が言った。「……そして、ごめんなさい」

「礼を言うのも詫びるのも、全部後にしよう。今はとにかく、此処から君を逃がす」

 スッと、ハリーがライフルを持たない左手を蹲る和葉の方に差し出した。「付いて来られるな?」

「……当ったり前じゃない」

 そして、その手を和葉が握り返す。

「エスコートは頼んだわよ、凄腕のハリー・ムラサメさん?」

 ハリーの強靱な左腕に引き起こされながら、微笑みと共に冗談めかしたことを言う和葉。その瞳にはもう涙の潤みも、恐怖の色も無かった。

「任せろ、レディのエスコートは得意なんだ」

 そんな和葉に粋な返しをするハリーの横顔は、クールで不敵な笑みに満ちていた。

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