第二条:仕事は正確に、完璧に遂行せよ。
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園崎和葉の前にあの男――――ハリー・ムラサメが現れてから、おおよそ二週間が過ぎた。
あれから、毎日毎日飽きもせずに彼は和葉の前に度々姿を見せていた。朝、マンションから出れば目の前に車を横付けして、そして帰り際には呼んでも居ないのに校門の前に迎えに来て。夜になれば、バイト先のショット・バー"ライアン"に客として現れることは無かったものの、しかしバイトを終えて店を出れば、"ライアン"のすぐ傍にあの見慣れた黒いインプレッサが毎晩のように停まっている。
何処へ行くにも、何処へ遊びに行くにも、和葉がいつ何処へ行っても、背後には常に彼の影が付きまとっていた。
まるで堂々としたストーカーに逢っているみたいだ、と和葉は最近になって思う。おかしな発想だが、しかし彼のやっていることはストーカーのそれに割と等しいモノだ。
とはいえ、彼が仕事であんな行為をしていることも、和葉は理解しているつもりだ。何処のどんなお節介焼きがそんな要らぬ世話を焼いたのかは知らないが、とにかく和葉は割と迷惑にも感じている。
しかし、かといって彼に、ハリー・ムラサメに罪は無い。彼はあくまでも誰かに頼まれたから、仕事としてああいう行為に及んでいるだけであり、それ以上は何も無いのだ。だから、彼を責めるのもまた違うだろうと、そうも和葉は思っている。
思ってはいるが、しかしそれとこれとは話が別だ。正直自分が狙われているだなんて思えないし、その心当たりもまるでない。現に二週間以上、こうして平和な日々が続き、そしてハリー・ムラサメの努力は完全な徒労に終わっている。彼が来たにも関わらずこれだけ長い間何も起こらないともなれば、結局は十代の学生でしかない和葉にそれを心掛けろというのは、幾ら何でも無茶が過ぎるというモノだった。
「ホントに毎日毎日、時間通りに飽きないことね」
――――そして、今日もまた朝が訪れて。彼もまた、いつも通りの定刻通りにマンションの前に立っていた。
「ルール第一条、時間厳守だからな」
と、相変わらずの黒いインプレッサに寄りかかっていた身体を立たせながら、ハリーがピッと人差し指を立ててみせつつ言う。
「貴方も変わってるわよね」
そんな仕草をハリーが見せれば、何故だかそれがおかしくなってきた和葉はプッと吹き出すように笑い、
「そのルールだか何だかっての、一体幾つあるわけ?」
と、からかうような口振りと仕草で和葉が目の前のハリーにふと問いかけてみた。
「第六条までだが、それがどうかしたか?」
珍しくきょとんとした不思議そうな顔をしながら、そんな和葉の問いにハリーが答える。
そんな風にハリーが答えると、和葉は「ううん」と首を横に振り、
「ちょっと、気になっただけ。何の気無しで、他意はないわ」
そう言いながら、彼女は暖気を終えた駐輪場のNSRに跨がる。
見慣れたフルフェイス・スタイルののゴツいヘルメットを、相変わらずのポニーテール風に頭の後ろで結った長い蒼の髪を上手く避けつつ被れば、和葉は何度かNSRを空吹かしして調子を見る。吹け上がりの良い250cc二ストローク・エンジンの軽快なサウンドがマンションの駐車場に反響すれば、和葉はヘルメットの下で小さく笑みを浮かべた。
「それじゃあね、ハリー・ムラサメ。私は行くわ」
「……無駄だと思うが、一応訊いておく。安全の為に、俺が学園まで送るのは?」
「ナシよ」と、和葉。「貴方には悪いけれど、私にその気はないから」
和葉がそう言えば、ハリーは「……だろうな」と呆れた顔で大きく肩を落とし。そんな彼の仕草を横目で眺めながらクスッと和葉は小さく微笑むと、
「とにかく、今日も無駄足ご苦労様」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべれば、和葉はヘルメットのバイザーを華奢な指でスッと下ろし。そして、吹っ飛んだかってぐらいの爆発的な勢いでNSRを走らせ、NSRと共に公道へ飛び出した和葉は凄まじい加速でハリーの前から走り去って行ってしまう。
ハリーはそんな彼女の背中を、小さな溜息と共に追いかけた。
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