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「ふぅ……」
…………一方、同刻。
自宅に戻った和葉は、あのハリー・ムラサメがすぐ隣のマンションからこの部屋を見下ろしているとはいざ知らず、既に部屋の各所には彼女を護る為のセンサーが巧妙に仕込まれているとはいざ知らず。帰って来るなりスクール・バッグを投げ捨てて、制服のブレザー・ジャケットを乱雑に脱ぎ捨てて。そうして、リビングの中央にあるソファへと雑に寝っ転がっていた。
思わず溜息が漏れるほどに、今日は疲れる一日だった。夜遅くまでいつものショット・バー"ライアン"でバーテンのバイトをしていて、あまり寝てもいないから余計にだろう。
「……ホント、何なんだろ」
しかし、それよりも和葉がこれほどまでの疲労感を覚える原因は、他にあった。
それはあの謎の男、ハリー・ムラサメの存在に他ならない。突然現れて、和葉の経歴をザッと並べた挙げ句、和葉を護る為にやって来たと告げたあの男。彼の突然の来訪とその存在こそが、和葉をここまで疲れさせる最大級の原因だった。
「いきなり学園まで押し掛けるだなんて、限度ってモノを考えて欲しいわね」
はぁ、と大きすぎる溜息を吐き出しながら、心の底からの本音を独り言という形で和葉が虚空に吐き捨てる。
――――本当に、限度を考えて欲しい。
今朝のマンション前、送っていくと彼が言ったところまではまだ、和葉にも理解出来た。しかしまさか、帰り際にまで押し掛けてくるとは思っていなかった。
何てったって和葉がNSRで出て行くのをハリー・ムラサメは朝に見ているはずだし、普通に考えて帰りだけ車に乗って帰るだなんて考えられない筈だ。しかもわざわざ声まで掛けてきて、あれじゃあ完全に朱音には誤解されてしまっただろう。
「朱音だから、まだ良いけれど……」
そう、まだ今日の場合は、目撃者が和葉にとって親友ともいえる朱音だったからまだ良かったのだ。もしアレが他のクラスメイトだったりすれば、和葉にとってもまるで笑えない事態になってくる。あんなよく分からない男のせいであらぬ噂を立てられてしまっては、こっちが迷惑というものだ。
「それにしたって、私ってホントに狙われてるのかしら?」
正直怪しいな、とも和葉は思う。何せ和葉自身、そんなあくどい連中に狙われる心当たりも、そして何か大事なモノを預かった覚えも無いのだ。
大体映画なんかだと、こういう場合は自分はヒロインの立場で。それで、父親から何かとてつもなく重要なキーアイテムを預かっていたりして。それを狙って悪の秘密結社みたいなのが命を狙ってくるのがお決まりのパターンだろう。
だが、少なくとも和葉自身、そんなことへの心当たりは全くもってアリはしないのだ。心当たりも、預かったヤバそうな代物も、なにひとつ持ち合わせていない。
だからこそ、和葉は余計に不思議だった。自分が狙われているということに、不思議と現実味が湧かなかった。それこそ、あのハリー・ムラサメの狂言なんじゃないかと邪推してしまうぐらいに、あまりに現実味がなさ過ぎることだった。
「ま、いっか」
私には、あんまり関係の無さそうなコトだし――――。
途端に頭を切り替えると、和葉はソファの傍にあるテーブルの上に放置されていたリモコンを手繰り寄せ、そしてテレビの電源を入れる。
液晶の大画面に映し出されたのは、夕方の報道番組。実にくだらないことばかりを毎日毎日飽きもせずに、しかも繰り返しみたく同じことばかりを報じていて、やる方も見る方も飽きないのかな、と和葉は素直に思った。
他にもっと報じるべきコトも、知るべきコトもあるはずなのに。なのに世間は、そんなことには目もくれない。センセーショナルな見出しと共に報じられるのは、やれ芸能人の惚れた腫れただ、今日こういう汚職事件が発覚しましただとか。それでいて、世間もそちらにしか関心の目を向けず、肝心な世界情勢の方は、まるでパック寿司の添え物のように雑な扱いしか受けない。
だから、正直和葉はこういう番組があまり好きでは無かった。ただでさえ汚い現実を、もっと汚く、狭い視野で加工して大声で触れ回る、こういう番組が嫌いで嫌いで仕方が無かった。
「アホらし」
いい加減苛ついてきたので、和葉はさっさとチャンネルを衛星放送に変えてしまう。
衛星放送は良いものだ。アニメに映画、BBCなんかが製作する海外のドキュメンタリー番組や、CNNのお堅いニュースも映る。好きなモノだけをピックアップして見れるから、あんな丸めた紙くずの切れ端にも満たないようなくだらない番組、視界に入れなくて済む。
和葉が適当に切り替えたチャンネルは、洋画ばかりを年がら年中垂れ流すチャンネルだった。丁度、今流れているのは1993年の『ラスト・アクション・ヒーロー』。シュワルツェネッガー主演で、彼が劇中で主演する映画『ジャック・スレイター』の大ファンである少年が、その映画の世界に迷い込んでしまうという夢のあるお話だ。
前に和葉も見たことがある映画で、割と楽しく観られたからお気に入りの一本でもあった。シュワルツェネッガーがジャック・スレイターとして存在する為に俳優としての彼がいない劇中世界で、チラリと出てくる『ターミネーター2』の立て看板が現実と構図そのまま、しかし俳優だけがスタローンに変わっていた辺りでクスリと来た覚えがある。
「……映画、か」
そう思うと、なんだか自分も映画の世界に迷い込んだみたいだ、と和葉は冗談交じりに思った。ある日突然現れた謎の男前に「君は命を狙われている」と言われ、彼に護られる日々が始まる……。
うん、文章にしてみせればそれらしい感じだ。ただ問題は、このパターンで行くと必ずヒロイン的な立場である自分は死ぬほど危ない目に遭い、間一髪の所で主役の彼が颯爽登場、そのまま激しすぎる銃撃戦に突入してしまう、ということだ。
「ないない、それはないわ」
しかし、和葉はそれを即座に否定する。この日本に於いて映画みたいに激しい銃撃戦なんて、起こる筈が無いのだ。そういうことが起きるのは、あくまでそれが映画や小説、アニメだから。作り話の娯楽話の中だからこそであって、現実にあんなことが起きるワケがない。
「…………」
そうやって己の中で否定してみせたのに、しかしソファに寝転がる和葉の頭からは、あの男のことが離れなかった。アルマーニの高級イタリアン・スーツを着こなすあの妙な男、ハリー・ムラサメのことが、どうにも頭から離れないでいた。
「…………変な男」
本当に、変な男だ。
和葉はクスリと小さく微笑み、そして知らず知らずの内に瞼を閉じる。疲れが溜まっていたのか、和葉は無意識の間に眠りの国へと誘われてしまっていた。
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