/9

 和葉を見失ったハリーがインプレッサを走らせ、戻った先はいつもの自宅兼用の探偵事務所――――ではなく、とあるマンションの駐車場だった。

 予め指定されている駐車スペースにインプレッサを突っ込み、ギアをニュートラルに、そしてサイドブレーキを掛けてハリーはふぅ、と小さな息を漏らす。とりあえず、今日の仕事はこれで半分終わりのようなものだ。幾ら無敵のハリー・ムラサメといえども、息つく暇ぐらいは欲しくなる。

「おっと、忘れたらマズいよな……」

 RECAROのレーシング・シートに身体を沈めたままでハリーはそんな独り言を呟くと、ステアリング・コラム近くに手を伸ばす。インパネの奥へ隠すように取り付けられた三連ぐらいのスウィッチを押し込めば、インプレッサの前後にあるナンバープレートがくるりと独りでに回転した。

 そうすれば、現れたのは別の数字が刻まれたナンバープレートだ。偽造品から偽造品へと切り替える。このナンバープレートの切り替え機構こそ、ハリーがこのインプレッサを仕事道具として見ている最大級の要因でもあった。

 ――――ハリーのような裏の稼業を営んでいると、足がつくことを自然と嫌がる。まして今の時代、車とナンバープレートは一番足が付きやすい原因だ。警察相手にも、そして仕事のせいで敵対する組織にも。

 とはいえ、車が無ければ行動しにくいのもまた事実。かといってナンバーをイチイチ手作業で張り替えるのも手間だし、何より咄嗟に切り替えることが出来ない。

 だからこその、この特殊すぎる切り替え機構なのだ。物凄く特殊な上に設計段階から特注だから物凄く値が張ったが、しかしそれだけの価値はあったとハリーは思う。現にこのナンバープレート自動切り替えの回転機構のお陰で、何度か窮地を脱せているのだから。

 それ以外にも、ハリーのインプレッサには様々な仕掛けが施されている。ダッシュボードのエアバッグを外し、空いたそのスペースに隠し武器ケースを仕込んだりだとか、後部座席の座面を捲った下に隠しトランクを増設し、そこに自動ライフルみたいな多数の武器を隠していたりだとか。そしてガラスとボディ両方への防弾加工だとか……。

 改造した部分を挙げ始めればキリがないが、とにかくこのインプレッサはハリーにとっての歴とした仕事道具。彼にとって移動するひとつの要塞と言っても過言ではないのだ。

 今回は用心に用心を重ね、別の個体を装う為にこうしてナンバープレートを別の物と入れ替えておいた。こうしておけば、敵に気付かれる確率はグッと減る……。

 インプレッサを降りたハリーは切り替わったナンバープレートをチラリと見てニンマリとしながら、キーロックを掛けた漆黒の愛機から離れていく。そうして外階段を昇った先、四階の402号室こそが、彼にとって当面の活動拠点となる一室だった。

 玄関扉の鍵を開け、中に踏み入る。ワンルームに少し毛が生えた程度の狭い間取りの部屋だったが、しかし最低限の家具や生活必需品は既に取り揃えられていた。何せこの部屋自体が、冴子が公安のちからを使って用意した、ハリーの為の監視拠点なのだ。

 実はこのマンション自体、和葉の住むマンションのすぐ隣にある。部屋も丁度、和葉の住む部屋がベランダから見下ろせる位置にあったりするなど、流石に冴子だけあって抜かりない。

 加えて部屋には緊急対処用の最低限の武器弾薬も取り揃えられていて、壁のウォークイン・クローゼットを開ければ、イタリア製のベレッタ・ARX-160自動ライフルやSPAS-15自動ショットガン、それにハリーが私物として持つドイツ・H&K社製USPコンパクト自動拳銃用の予備弾倉と9mmパラベラム弾なんかも無造作に置かれ用意されていた。

「そういえば、ミリィは上手く仕込めたんだろうか」

 独り言を呟きながら、ハリーはダイニング・テーブルの上に置かれていたノートパソコンを開く。すると、和葉の部屋に仕込んだ侵入者探知用の各種センサーを管理するアプリケーションが自動的に立ち上がった。

 どうやら、ミリィ・レイスは完璧な仕事をこなしてくれたらしい。和葉が学園に行っている間、ミリィには留守の隙を突いて万が一の為のセンサーを仕込んでおくように頼んでおいたのだ。このノートパソコンと専用アプリケーションは、そのオマケというワケだ。

 見ると、ノートパソコンに挟むようにして書き置きのメモが残されていたことにハリーが気付く。走り書きだが、明らかにミリィ・レイスの筆跡だ。

 ――――"頼まれた仕事は滞りなく完了、後何度かお邪魔すれば完璧に仕上がる。報酬の方はよろしく頼むよ"。

 走り書きのメモには、ミリィの字でそう記されていた。

「相変わらずだな、ミリィも」

 そんなメモを見て、ハリーがフッと小さな笑みを浮かべていると。すると、懐に収めていたスマートフォンが震え始めたのに気付いた。誰かからの着信だ。

『――――はぁい、晴彦。調子はどうかしら?』

 案の定、相手は冴子だった。

「全く、とんだじゃじゃ馬娘だよ。これは相手するにもかなり骨が折れそうだ」

『そう? だったら何より』

「酷い言い方だな」

『それより、そろそろ監視拠点に着いた頃かしら?』

「ゆっくり寛がせて貰ってるよ」と、ハリー。「これでスコッチでもサーヴィスで置いておいてくれてたら、言うことなしなんだけどさ」

『晴彦、あんまり贅沢言わないでよね。その拠点と非常用の武器弾薬だって、結構無理して揃えたんだから』

「冗談だよ。分かってるって、無理を掛けたな冴子」

『気にしなくて良いわよ』と、微笑みながら冴子が返す。

『必要経費の一環よ、それぐらい。大した負担でも無いわ』

 そんな冴子の言葉を聞いて、ハリーは表情を綻ばせながら大袈裟に肩を落とすジェスチャーをしてみせた。

『それにしても、初日からその調子じゃあ、先が思いやられるわね?』

「冗談じゃないよ、ホントに。

 ――――それより、例のパパさんを攫った相手の正体はまだ?」

『不明。事務次官が行方不明なのは事実だけれど、誰が、何処に連れ去ったのか。それ以前に、人為的な拉致か単なる事故かも未だ不明だわ。公安こっちでも割と真面目にやってはいるんだけれど、さっぱり見当付かないって感じよ』

「そうか……」

 ふぅ、と小さな溜息をついたハリーは、冴子との電話を繋げたままでベランダの近くに寄り、窓越しに眼下にある和葉の部屋を見下ろす。カーテン越しに漏れる電灯の明かりが、彼女が既に帰宅していることを暗に示していた。

『とにかく、こっちも色々と頑張ってはいるの。晴彦、貴方はとにかく、彼女を護ってあげて』

「了解だ。ルール第二条、仕事は正確に、完璧に遂行せよ。

 ――――請けた仕事である以上、やってみせるさ。例え相手が、とんでもないじゃじゃ馬娘だろうとな」

 一日の終わりを告げる夕焼けを遠くに眺めながら、ハリーはそんな茜色に染まる空に、己が行く先をふと占ってみた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る