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 そうして学園での一日が終わり、日が西方に没して暗い夜が訪れれば。しかしそこからが、和葉にとって新しい別の一日の始まりでもあった。

 今日もまた、和葉はバーテンダーのアルバイトの為に繁華街の外れの方にあるショット・バー"ライアン"へと赴いていく。あの暇なバーでの仕事が、また今日も始まろうとしていた。

 バーテンのバイト自体は、和葉は割と好きな方だった。確かに客入りは少なくて暇は暇だが、裏を返せばラクということ。それに、古びたジャズだけが流れる静かな店の中で、年齢に性別、職業や辿ってきた人生まで、何もかもが違う客たちと束の間の語らいを交わすのも、和葉にとっては結構楽しいことでもある。客たちとの会話の中で和葉もまた、新たな目線で見いだせることも多々あった。

 だから、バーテンという仕事は好きだ。これをそのまま職にしたい……とまではいかないが、少なくとも和葉には割と合っている仕事だった。何より、店のマスターの金払いが良い。所詮はバイトの身分である和葉にとって、実入りが良いということはかなり大事なことだ。

「ふんふんふーん……♪ っと」

 故になのか、バイトに赴くべく街を歩く和葉の足取りは軽く、朝に学園へ赴く気が重そうな背中とはまるで別人みたいに軽やかだった。ご機嫌に鼻歌なんて歌いながら、とぼとぼと夜の街を独り歩いて行く。

 そうして歩いていれば、自然と道行く人のすれ違う目線を和葉は感じてしまう。これは彼女にとっても既に慣れたことで、そしてある意味で当然のことだった。ただでさえ大人びた風貌の彼女が、しかも今はキャミソールにグレーの袖を折ったジャケット、そして紅いミドル丈のスカートに黒のオーヴァー・ニーソックスという私服の出で立ち。どう見ても学生ではなく若さ絶頂という見た目の和葉が、すれ違う人々の視線を奪わないワケがなかった。

 だが、さっきも述べたように、和葉にとっては既に慣れ切ってしまったことで。視線を浴びることも当然といった風なまるで意に介さぬ態度で足早に街を歩けば、やはり鼻歌なんか歌いながらご機嫌でバーに向かって真っ直ぐ進んで行くのみ。照れたりだとか、鼻を高くしたりするだとか、そんなことは一切しない。園崎和葉にとって、最早こんなことは日常茶飯事、いつものことなのだ。

 陽が落ち、真っ暗な夜闇に染まった星の瞬く夜空を見上げながら、和葉はビルの明かりとネオンの光が照らす繁華街の中を突き進んでいく。

 途中で道を何本か折れ、近道の横丁を数本通り抜けて。そうして歩いて行けば、いつものバイト先である"ライアン"の店が見えてくる。

「……また居る」

 とすれば、その店から少し離れた路肩に、何処かで見たような黒いインプレッサが今日もまた当然のように停まっていて。ナンバープレートの数字こそ違うものの、しかしその車からは彼の、ハリー・ムラサメの独特な雰囲気が滲み出ているように和葉には見えてしまう。

 これで、彼と彼のインプレッサを見るのは何度目だろうか。バイトに来るたびに先回りしたみたく店の前で待ち構えているものだから、流石に和葉も文句を言うことすら諦め、最近ではある意味で当然のように受け入れ始めてしまっている。

「本当に、ご苦労なことね」

 それ以上に和葉が彼へ文句を言いにくいのは、彼がただ自分を護る為にこうしていることを、和葉自身がよく分かってしまっているからだった。

 だからこそ、和葉はそのインプレッサに近寄ることもせず、中のハリーに声を掛けることもせず。視線ひとつ向けることもなく、まるで無視するみたいにスタスタと歩き、そして"ライアン"の扉に手を掛けてしまう。

(……それにしても)

 しかし、今日に限って和葉は扉を開くのを一瞬だけ躊躇い、後ろを振り向いてしまった。路肩に停まる、見慣れた黒いインプレッサの方へ。

(いつもいつも、毎回ナンバーが違う。……不思議ね、いつも変えてるのかしら)

「っと、何考えてんの、私ってば……!」

 そんなことをふと思った後で、和葉はハッとし。頭をぶんぶんと左右に激しく振ると、それからやっと"ライアン"の扉を潜り中へ入っていった。

(アイツのこと気になるなんて、馬鹿みたい)

 店の奥でバーテンの燕尾服に着替えながら、和葉は自嘲するみたいにそう思う。

 しかし――――和葉の中で、少しだけ彼への興味が湧き始めていた。彼女自身が、そのことに気付かぬままで。

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