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 椅子に掛かっていたスーツジャケットを着直し、襟元をとネクタイを締め直して。ハリーはデスクの上にあった車のキーを雑に引ったくると、そのまま内階段で一階部分のガレージへと降りていく。

 壁のスウィッチを押し込んで電灯を灯せば、内階段を降りた先のガレージは、車が三台半ぐらいは入りそうなぐらいの広々とした所だった。その中にはメンテナンス用の本格的なリフトもあって、まるでちょっとした整備工場のようだ。

 だが、その広々とした中にはたった一台の黒いスポーツ・スタイルのセダンの姿しかない。ハリーはそれに近寄り、キーロックを解除し乗り込んだ。

 差し込んだキーを捻った途端、エアスクープの開いた黒いボンネットの下で眠りから目覚めた二・二リッターのEJ20改四気筒ボクサー・エンジンが獰猛な唸り声を上げる。排気音こそ比較的ジェントルだったが、しかし獰猛なエンジン・サウンドは明らかな改造と凄まじいパワーを感じさせる。その外見こそほぼノーマルなものの、漂う雰囲気通りに中身は相当なチューン・アップが施されている機体だった。

 GDB-F型の二代目スバル・インプレッサWRX-STi最終型、それこそがハリーの愛機であり、そして彼にとって重要な仕事道具でもあるマシーンだった。

 扱い慣れたインプレッサに乗り込んだハリーは暖気の時間を暫く待った後で、それからリモコンを使って遠隔でガレージのシャッターを開く。

 油温、水温などが適正値まで暖まっているのを増設メーターで最後に確認してから、ハリーはサイドブレーキを解除。クラッチ・ペダルを踏み込んで切りながらギアを一速に入れ、そうしてインプレッサを発進させた。

 段々と西に傾き始めた陽の光を浴びる街の中、インプレッサを走らせること数十分。そうしてハリーが辿り着いたのは、少し街外れの方にあるとある一件の喫茶店だった。

「……時間ジャスト」

 車を降りる前に一瞬だけ左手首の腕時計に視線を下ろし、ハリーがニヤリとする。

 そうして車を降りたハリーは店の扉を潜り、来客を告げるベルに迎えられながら喫茶店の中へと足を踏み入れた。

 すっかり馴染みのマスターと顔を合わせ、待ち合わせをしていると告げればそちらに誘われる。端の方にあるボックス席に腰掛けた短い朱色の髪を揺らす小さな背中が見え始めると、ハリーはそれが懇意にしている情報屋の少女、ミリィ・レイスの後ろ姿だと確信した。

「時間通り、流石だねハリー」

 彼女の対面に腰掛ければ、小さくコーヒーカップを傾けるミリィ・レイスは微笑と共にそんな一言でハリーを出迎えた。知的な雰囲気を漂わせる紅い瞳が細く揺れる。

「ルール第一条、時間厳守だ」

「相変わらず、君は本当にそのルールが好きだね。――――珈琲、頼むかい? 僕の奢りだ」

「頂こう」

 ウェイターを呼び付け、頼んだハリーの分の珈琲が彼の前に出されてから、それからミリィは閉ざしていた口を開き、本題に入った。

「園崎和葉、十八歳。父は例の防衛事務次官・園崎雄一で現在は行方不明。母親は科学者の園崎優子そのざき ゆうこ。天才とまで言われた超優秀な科学者だったらしいけど、数年前に交通事故で死亡してる。

 ……そして和葉ちゃんだけれど、現在は美代みしろ学園の三年生A組に在籍中。成績優秀、スポーツ万能。正に絵に描いたみたいな、非の打ち所がない優等生だ」

「だろうな」と、ハリー。「顔を見れば、何となくそんな雰囲気がする」

「上っ面だけだけどね、その優等生っぷりは」

 肩を小さく竦めつつクールな笑みを浮かべたミリィが、話を続ける。

「……現在は市内のショット・バー"ライアン"でバーテンダーのアルバイト中、ちなみに校則違反で法的にも怪しい。他にも普通二輪の運転免許取得とか、校則違反の数を挙げていけばキリがない。ちなみに今年になって、大型二輪と普通自動車の免許も取っちゃったみたいだね」

 ミリィの口から飛び出したこの報告に、ハリーは意外そうな顔を浮かべた。優等生にしか見えなかったあの写真からでは想像も出来ない彼女の話に、驚いてしまったのだ。

「まあ、ヒトは見かけに寄らないって言うからね」

 そんな顔をハリーが浮かべていれば、彼の内心を暗黙の内に察してか、悪戯っぽい笑みを浮かべながらミリィが言う。

「それはともかくとして、話を続けよう。

 ……性格は自由奔放、活発でかなりの男勝りな感じらしい。バレてないだけで校則違反は日常茶飯事、法にも校則にもまるで縛られない、随分とフリーダムな女の子らしいね」

「自分のルールに従うタチか」と、珈琲を啜りながらハリーが呟く。

「嫌いかい?」

 コーヒーカップを傾けるハリーにミリィが小さく聞けば、するとハリーは「その逆だ」と首を横に振り、

「そういうタイプは、嫌いじゃない」

「だろうと思った」

 ハリーの反応に小さく微笑むと、ミリィは傍らに置いていた封筒をスッとハリーの方に差し出してくる。「彼女の資料だ」

「助かる」それを受け取るハリー。

「ちなみに今日の夜、丁度例の店でバーテンのバイトがある日らしいよ、彼女。此処からも、君の事務所からもそう遠くはない。折角だし、今日行ってみたらどうかな?」

 朱色の前髪を揺らし、首を傾げながらなミリィ・レイスのクールな微笑みは、顔立ちと同じく十代の少女のようにあどけなかった。

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