ep.43 緊迫の旋律


 本来の任務では、このまま奥深くまで忍び込むのだが、一旦引き返すことにした。もう一度士官服に着替え、何事もなかったようにホールに戻る。

 すると、なにやら舞台袖が騒がしい。何事かと周りの会話に聞き耳を立てていると、どうやら、メリーが登場しているらしい。

 思ったよりも早い登場だ。

 フィンの見立てだと、舞台上だけの登場だろうという予測だった。だが、実際には堂々と一参加者のように登場し、招待客と交流していた。統括しているウィリアムがなぜそのような判断をしたのかはわからない。そして、当のウィリアムの姿が見えない。裏方と打ち合わせだろうか。

 メリーには当たり前のようにリュミエールが付き添っていた。ロイヤルガードの制服でさらに帯刀を許されているのか、剣を腰にぶら下げている。無骨な直剣ではなく、鞘にも柄が入ったサーベル。邪魔にならないようにアクセサリーに擬態しているが、刃物には変わりない。当たり前だが、会場内に武器の持ち込みは禁止だ。特別扱いが分かりやすく適用されている。

 人の集まりようが激しく、とても近づけない。

 少し離れたところで、鋭い眼差しでその集団を見つめている赤いドレスの女。白ワインを片手になにやら思案しているようだった。


「報告です」


 カートの小さい声に、黙って耳だけ傾けてきた。


「シエロに会った。かなり大規模に動くみたいだ」


 フィンはうなずいた。まるで知っていたかのようだ。


「二階の桟敷席に爆薬がある」

「どのへん?」

「左から三番目の席だ」

「わかった。他には?」

「いや、他に情報はない。でも、他にも爆薬はあり得る」

「でしょうね。しかし、鉄壁の警備……ねえ。呆れるわ」


 ウィリアムはそう言ったらしい。鉄壁の警備でネズミ一匹入れないと。


「まあ、キミが堂々と会場入りしている時点で、その前提が崩れているわけだけど」

「俺が出来るのはスパイの真似事だけだ。工作員てレベルじゃないし、殴り合いが出来る訳じゃない」


 腹をしたたかに痛めたことはフィンには告げずに、シエロに逃げられたとだけ報告した。


「この場で大きく動くのは得策じゃないから、メリーが個室に下がるのを待ってから動く」


 カートはうなずく。


「……ところで、あなた踊れる?」

「……いいや、そんな教養もってない」

「残念」


 少しも残念がった様子もなく、給仕に空のグラスを返しながら、新しいワインを手に取る。


「何杯目だ? 酒には気をつけろよ」

「お気遣いありがとう」


 フィンは怪しく微笑む。少しだけ頬が朱に染まり、ばいばいと手を振っている。

 カートが席を外すと、すぐにどこかの将校に声を掛けられているようだった。大したもんだと思いながら、目的の人物を探した。

 青い髪の女はすぐに見つかった。

 金のティアラが青い髪をより引き立てた。

 肩を出したドレス。胸元には拳大の宝玉。膨らんだフリルのスカート。

 目立つ割にその物憂げな表情が他者を寄せ付けなかった。知り合いも少なく、誰とも会話するようではない。

 逆に、接触を試みようとするモノが目立つという状況に首をひねった。カートとしては出来れば黒子でありたい。仮にもロイヤルブルーであるミストと、こういった場で堂々と会話をするということはやはり、なにがしかの肩書きや理由がいる。あの人誰? とどこかのご婦人に指を指されるものなら、身元を問いただされるかもしれない。そうなると、面倒になる。フィンにも迷惑がかかるだろう。

 他の人間の目を惹きつけるものがあれば、とふと横を見れば、すぐそばにメリーが純白の衣装を着て、立ち振る舞っていた。

 横にはリュミエールが立つ。彼の衣装が白を基調としているから、まるで新郎と新婦であった。いや、よっぽどその方がいいとうなずく。

 そうだ、とリュミエールに視線を送る。

 アイコンタクトでミストへと誘導しようと試みるが、肝心のリュミエールがメリーへの付き添いと招待客との応対受付で、カートの方を見ようともしない。

 振り向いて、フィンに助けを求めようとするが、姿が見えない。目立つはずの赤い髪、赤いドレスを見つけることは出来なかった。

 さてどうしようと、頭をかいていると、ピアノの音色が聞こえだした。

 生演奏はよくあるサービスだが、随分適当なタイミングだなと首をひねりながら、会場脇に設置されたグランドピアノを何気なく見る。

 うっ、と息がつまった。

 ピアノを一心不乱に引いているのは赤い髪の女。周囲に並ぶ、オーケストラも少し困惑しているようだった。だが、演奏を聞いていると、酔っぱらいが余興で弾いているのとは違う、気持ちのこもった鍵盤の叩き方、音の取り方、音色の美しさだ。

 カートは音楽にそれほど教養がない。それでも、音符が踊り出す、という華やかな気持ちにさせてくれる。軽快なピアノソロのワルツ。

 しばらく、ソロで弾いていたが、ホールの客たちは各々のおしゃべりに夢中で、踊り出すものはいなかった。

 反応の無さにフィンはむっとしたのか、演奏を途中で切った。

 困惑しているのはオーケストラのチームだ。演奏のプログラムを無視して勝手にピアノを弾き始める部外者が現れるのだから、指揮者はどのタイミングでピアノのフィンに文句を言おうかとタイミングを計っている。

 だが、フィンは周囲の様子などお構いなしに、もう一度鍵盤を叩き始めた。少し、乱暴な弾きはじめで、ややムキになったような印象だ。

 ただ、聞き馴染みのある行進曲であった。

 ホールの客で一部がざわめき立つ。

 その曲目にトランペットがやってきて、慌てて吹き出す。

 そんなトランペットの演奏に、軍人が一斉に姿勢を正す。

 そう、帝国軍の正式な行進曲であった。

 どの軍人も会話を失礼と言って切り上げ、襟を直す。

 打楽器も混ざりだし、その様子に指揮者も弦楽器に向けて指揮棒をあげた。盛大なオーケストラによる、かつての帝国軍行進曲がホールを支配した。

 曲目が終わると、軍人は礼をした。こう見ると、ほとんどが元帝国軍人だということがわかる。勲章をいくつも垂らした高級将官ですら、音楽の前に逆らえなかった。

 フィンはそこで終わりにしなかった。

 曲が終わって、会場が拍手に包まれている中で、不敵な笑みを浮かべて、指揮者を呼びつけた。少し、指揮者は驚いた様子であったが、すぐにフィンに頭を下げ、指揮台に戻っていき、オーケストラになにか叫んだ。

 おお、と言う声が漏れていた。

 会場の全員がオーケストラのどよめきになんだろうと振り返った瞬間、すべての招待客の動きが止まった。

 曲は、帝国の国歌だった。

 イントロが流れた瞬間にしーんと静まりかえり、やがて、一部の男性が歌い出す。渋い声だった。大きな声であった。泣いているようでもあった。やがて、歌声が広まっていく。

 軍人は帽子をとり、胸に手を当てて。老いも若いも男性も女性も関係なく、この歌の前には全員がひれ伏した。帝国皇女であったメリーも例外ではない。ミストだけは、なんとなく、みんなに合わせているといった風体だ。

 ロイヤルブルーに幸のあらんことを、という歌声がホールを支配する。

 その光景に、カートといえど、じんわりと涙がこみあげてきた。


 ――なんで俺が感動しているんだ。


 フィンの憎たらしいほどの粋な演出であった。かつての敵国の国歌や軍歌を弾いて会場の感情を支配するという、まるでありえない戦術である。

 味方に対しても不意打ちであり、どう行動したら、まったくわからない。

 国歌が終わると、みな一様にハンカチで目頭を拭う。

 ある意味、異様な光景であった。

 またフィンが指揮者を呼びつけていた、今度はなんだと言いながら、カートも気になっていた。

 やがて、静かでしっとりした曲が流れ、気持ちを落ち着かせてくれ、やがて徐々にアップテンポの曲がホールを包み込む。

 音楽が客の心を動かした。

 天井から吊られている、巨大な鐘とその周りを囲うシャンデリアの下はいつの間にかダンスホールとなった。若い男をはじめ、壮年の貴族も美しい衣装の婦人を誘い、エスコートし、軽快なステップを踏んでいる。

 もちろん、曲目は流行のワルツだ。

 気分を入れ替わったようで、新しい未来に乾杯などと騒ぐ男たちもいた。

 勝手な解釈だなと考えながらも、このタイミングだなと一気にカートは動く。

 これみよがしにミストの側に寄った。

 その、ミストの前で若い貴族と背中がぶつかった。

 フィンと同じ赤い髪の青年であった。年下で、まだ少年といってもいい。聡明な顔つきだから、どこかのお偉いさんの息子だろうと勝手に推測する。彼はミストの前で言葉少なめでいた。

 照れているのか。カートはそう判断し、先手を試みた。


「殿下、よろしければ、ご一緒にいかがですか」


 カートからそんな言葉を聞き、ミストは吹き出しそうな口を押さえながら、さしのべた手をそっと握り返してきた。

 赤い髪の若い青年は残念そうに一歩後ずさった。

 カートは握った手を左手ですっと延ばし、露わになっているミストの肩にそっと手を掛ける。

 同じように、ミストの手がカートの腕に添えられた。


「踊れるの?」


 目の前の青い瞳が見上げてきた。ヒールを履いて、少しだけ背は伸びたものの、まだ、カートの方が背は高かった。ローズだったら同じくらいだろう。


「……いや。周りの真似をしてるだけだ」


 青い瞳と目を合わせると照れ臭い。周りを偵察するように横を向いた。

 そういえば、こんな立派なダンスを踊ったことはない。

 いや、ローズと酔っぱらいながら仲間内で適当に踊ったことはあったが、比べていいものではない。


「なんとなく、同じ動きすればいいから。あたしも指示出す。一、二、三のリズムでターンすればいい、ひたすらくるくる回るだけ」

「わかった」


 とはいいながら、まったくわからないが、


「どうせ、なんか変なことたくらんでいるんでしょ……あ、左足だして」


 ミストの手を取りながら、足の動きを指導され、返答に困る。


「そうじゃない」


 カートはミストの疑問に答えたつもりだった。


「違う。左足を軸にして、右足で床をひっぱるの」


 足の動きを合わせるのに精一杯で会話がつながらない。

 まったくエスコートできていないダンスでも、ターンが決まれば、ミストのフリルで飾ったスカートはふわりと舞った。円舞曲の名前通り、くるくると何度も美しく回った。


「……そうだ、その、敵が、忍び込んでる」

「ふうん。踵、あげて、すぐに下げて」


 淡泊な感想だった。


「爆薬、みたいだ」

「なるほど、あ、次に左に舵きって」


 ターンが決まる。


「場所は」

「指はささないで。足は動かして」


 足のストライドが大きすぎて、ステップの時に背中を他の客にぶつかった。


「きゃ」


 後ろは女性客だった。


「し、失礼」


 カートの胸元では、ミストがちいさく、バカっと野次っていた。


「……そうだ、二階でひとつ見つけた」

「いいから足、出して。会場ふっとびそう?」

「……わからない」

「そう。リズム、わかってきたね」

「あいつ、ピアノうまいな」

「なんでも一流。男選び以外は。よそ見してると、またぶつかるよ」


 フィンの方を見て、小言を言われ、青い瞳に視線を戻す。

 あまり見つめていると、その青さに引き込まれてしまうようでもある。ミストも無邪気に目を合わせてくる。まるでダンスを楽しんでいるようだった。


「そ、そうなのか……」 


 何の話をしていたか、忘れていたが適当に返事をしてしまった。


「止まって」


 怒らせたのかと、一瞬どきっとしながら、足を止める。

 もう青い瞳はカートの目を見ていなかった。肩越しに視線が送られていた。その先になにがあるのか、気になって、手をほどいて振り向いた。

 メリーがいた。

 リュミエールに、男女の優雅なダンスの輪に入りたいとごねているようだ。ウェディング姿で新郎を差し置いて、それはどうかとリュミエールが制しているところまでだいたい予想がつく。

 そんな二人のやりとりにお構いなしにミストは二人の元へ向かった。さりげなくカートはおいていかれたことに、寂しげな視線を、青い髪に送るが、手を伸ばしても届きはしなかった。

 やがて、メリーは姉の接近に気づく。

 一瞬、ミストをじっと見つめて、その後、視線を逸らしていた。

 まるで、悪いことをして、叱られるのを覚悟した子供のように。

 青い髪の二人が並ぶ。

 ミストはゆっくりと手をさしのべた。

 メリーの頬に向かっているようだった。


「おめで……」


 ミストの言葉が終わる前に、高音を伴って、銃弾の音が響きわたった。音とともに飛来した銃弾はミストのスカートを貫通して、床に突き刺さった。フリルが舞い散る。

 判断は速かった。

 ミストはメリーの腰を抱いて、テーブルに体当たりする。ひっくり返ったテーブルを盾にするが、皿やグラスが次々と床に落ち、すごい音がする。

 もう一度銃声。

 隣に立っていた妙齢の婦人から悲鳴が湧く。

 誰かに命中したらしい。血が流れている。


「二階から撃ってる! カート! あれを!」


 あれと叫ばれて、躊躇する。


「あんたに預けたやつ!」


 理解が遅れていると、もう一声飛んできた。

 慌てて駆け出す。

 緊急事態の時に備えて、どうしても持ち込みたかったもの。人混みをかき分けて取りに行く。大広間の扉の裏に隠したミストの剣。

 袋から出すと、準備できていると言わんがごとく十字柄の根本についた宝玉が青白く輝いていた。ホールの真ん中にいる、ミストに向かって、鞘ごと投げつけた。

 ミストは二階の狙撃手に対して、弾幕を張っていた。

 飲み物のグラスを宙に投げ、液体が一瞬にして氷になり、それが銃弾とぶつかりあう、威力こそ銃弾に負けるが、なんとかあさっての方向にはじき返す程度に出来ていた。ただ、手元にいつまでも、飲み物入りのグラスはない。

 そこへ、カートが投げた剣が飛んできた。

 ヒールのまま、一っ飛びして空中で剣を受け取ると、ミストの胸の宝玉と剣の宝玉が同時に輝きを増す。


「まだ取り押さえられないのか!」


 テーブルの下に隠れている中年男性が叫んだ。

 どうせあいつら、爆薬片手に警備隊を脅しているのさ、とカートはほくそ笑んだ。そんなカートもテーブルの下で隠れていた。

 はっと気づいた。

 メリーはどこへいった。

 左右を見渡して、ふと、気づいた。

 まだ、ミストの足下にいた。というより、ミストがメリーの側から離れないのだ。

 メリーの盾となるのはミスト、誘導するのリュミエールの役目とばかりに二人はタイミングを待ち構えている。

 狙撃手はなおも銃撃してくる。

 ミストは剣の力を使っているのか、青白い煙がたちこめ、空中に壁が出来る。盾というより、半透明な氷の壁であった。銃弾はその壁にめり込む。ひびが入る。何度も撃ち込まれ、割れる。


「今のうちに!」


 ミストが叫んだ。

 メリーは足がもつれてうまく動けないようだった。


「失礼」


 メリーの側に控えていたリュミエールはそう言うと、腰からひょいと抱えあげ、舞台袖から奥の部屋に流れていく。

 その様子に見とれながら、自分の役割を思い出し、カートはそのあとを追った。

 ミストもここは任せて、と叫んでいた。

 顔だけ振り向いてみせて、少し残念そうに微笑んでいた。

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