ep.25 世界は変えられる

 朝一番の汽車。

 案の定、飲み過ぎで二日酔いのマーカスを叩き起こして、着替えを急がせ、支配人に挨拶した後、汽車に乗る。まるで子供の面倒を見ているようだ。

 食事はホテルからの餞別でパンをもらい、汽車の中でかじることにした。

 帰りも一等車の個室でくつろいだ。

 アタマを抱えているのは二日酔いのマーカスだが、わたしの方がアタマをかかえたいと心の中でローズは愚痴った。

 フィン王女とフレアが同じ、という意味を昨夜からローズのアタマを支配していた。

 あの喫茶店のオーナーがフィン王女?

 独立演説の原稿を書いたのはフレアさん?

 マーカスとフィン王女の世紀の対談?

 帝国総督マーカスの敏腕秘書フレア=ランスは実はフィン王女?

 それではそもそも、帝国領だったのにマーカスは傀儡で実権はフィン王女が握っていたということにならないか?

 よくわからない。

 そんなバカな話があるかという気持ちがすべて否定する。

 では、いったい真相はどうなのか。

 すべてを知る人間が目の前にいることを思い出し、思い切って声をかけてみた。


「閣下、お加減はいかがですか」

「……ローズ君の不機嫌さと同じくらいだな」


 思わず、むっとしてしまった。

 話すタイミングを失った。


「失礼します」


 席を立ち、引き戸を開けて、個室を出る。

 揺れる車内の廊下を歩き、車両の連結部までやってきて、より気持ちが沈んだ。


「…………乗ってたのね」


 手すりにつかまり、後ろの車両に佇むシエロの姿を確認する。

 連結部は車両と車両をつなげる部分であり、廊下とは扉で仕切られている。扉の外はてすりがあるだけなので、非常に危険である。

 強風にあおられながら、向かいの車両に佇むシエロは今度もやはり地味な旅人姿だ。駅にいた時と同じ、鳥打ち帽にチェック柄のシャツ。


「シエロ!! ファイナリアで何をする気?」


 車輪の音がやかましいので、叫んで会話をする。


「ある人物を追っている!」

「ある人物……?」


 どきりとする。もしかしたら、自分もそのグループにいるのではないか。


「三日後にファイナリアシティの操車場だ。ベルク行きの貨物便がある。それで原隊に戻るんだ」

「わたしは行かない!」

「カートは帰ってこないぞ」

「そんなことない!」

「仲間は待っているぞ!」

「それはわかってるけど!」

「自分が変わらないと世の中は変わらないぞ」

「世界は変わったわ!!」

「第二の革命はこれからだ! 世界をよりよい方向に我々が導かねばならない。それにはキミの力も必要だ」

「そんなもの、幻想よ!!」


 しまったと思った。自分で言い切ってしまった。

 じゃあ、なにを信じるのだろう。

 唐突に湧いた疑問に答えは出ない。


 その時、勢いよくシエロの車両側のドアが開いた。


 飛び出してきた乗務員の制服を着た男の姿を認めると、シエロはすぐに動いた。連結部を渡って、ローズの後ろに回った。

 乗務員は「まて!」と大声を上げて、追いかけてくる。


「止まれ!」


 逆にシエロが男たちを牽制した。

 逆手にナイフを握り、ローズに首もとにあてる。


「おまえも動くな」


 どうやら、ローズに声をかけているらしかった。


「無賃乗車のあげく、女性を盾にするとは卑劣な奴」


 乗務員は緊張した顔でシエロとローズの顔を見比べた。

 ナイフをかかげたまま、シエロは一歩ずつ移動する。

 列車は森林地帯から、麦畑にさしかかろうとしていた。

 遠くにはファイナリアシティが見える。

 シエロの動きは素早かった。

 列車が坂をあがって、一瞬スピードが落ちたと同時に麦畑めがけて飛び降りた。

 ちいさな声ですまない、と言っていたのは聞き取れた。

 乗務員が悔しがりながら、ローズを心配していた。怪我はなかったですかとの声を適当に聞き流す。

 シエロが落ちていった麦畑をずっと見つめていた。


 ――無賃乗車?


 間抜けなスパイね……と言ってやりたかった。

 仲間と言っておいてナイフを突きつけられた事実に苦笑しながら。




 ファイナリアの天気は晴れが続いた。

 あれからシエロの姿も見ず、少しほっとした毎日をおくれている。

 問題を先延ばしにしただけの気もするが、考える時間だって必要だと自分に言い聞かせ、ローズは今日もマーカスと外回りの仕事だ。

 北部の工場地帯の視察は何事もなくスムーズにいった。問題があったといえば、工場の煙突から立ちのぼる煤煙のせいで空気が汚いこと。常に曇り空と呼ばれるこの地域一帯の理由がわかったような気がする。

 ススの汚れを気にしながら、帰りの汽車も定刻通りに発車した。いつも饒舌なマーカスも静かだった。疲れていたのか、終始うとうとしていた。

 ローズは闖入者がいつ現れるか、それを考えると眠れない。

 窓に肘をもたらせて、遊ばせている指で座席のカバーをとんとんと叩き続ける。

 来ないのはわかっている。常識的に考えれば、現れるわけがない。

 それでも、扉が開いて、あの顔がのぞいてくるのではないかという疑念が消えない。


 ――嫌だ、まるで待ってるみたい。


 頭を振って、その考えを消す。

 疲れているんだ、きっとそうだ。

 目の前の老人みたいに、眠りの世界に入れれば楽なのに。外の景色も面白くない。

 気づけば、見覚えのある街並みに辿り着いていた。

 ファイナリアシティに戻ってきた。

 駅に降り立ち、この町に戻ってきたという感覚に少し驚いている。

 すでに自分の居場所になっているような、そんな感覚。

 アパートを紹介してもらって、三ヶ月。マーカスの後ろにくっついて忙しく働き、月日はいつの間にか流れている。

 このまま、この生活が続くのだろうか。

 マーカスの支払う給料は悪くない金額だ。贅沢は出来ないが、普通に生活する分には不自由ない。

 駅前の石畳の広場でマーカスと別れた。労いの言葉が自然に出てくるありがたい上司だ。

 そんな言葉はすぐに忘れて、帰宅の途につく。

 まさか、と思って、辺りを見渡すも、特に尾行されている様子や、監視がついていることもない。

 ふう、と思い過ごしのため息をついて、帰路を早歩きする。

 露天商が並ぶ商店街を通り抜けていくと迷わないので、いつも通り、その道を通る。

だが、ローズの服装は浮いている。

ちょっと汚れたくらいが丁度いいシャツ姿の中年オヤジや、化粧気のない元気あふれる女性たちが買い物客相手に威勢のいい声をはりあげている。

女性では珍しくネクタイを締め、スーツ姿のローズの姿は異色であった。

買い物客も、ラフな格好で歯をむきだしにして笑っていたりするのだから、浮かないわけがない。

 淡々とした表情で歩むローズの姿に、さりげなく道があけられる。もしもぶつかって絡まれるのは面倒くさいという、住民の知恵なのだろうかと勝手に想像する。

 どう思われてもかまわないが、この町に溶け込んではいないようだ。

 スパイには向いていないな、と自己評価する。

 かつて同じ場所にミストが住んでいたというアパートに帰ってきた。彼女は最低限の家具しか用意しなかったようであった。コートをかけるようなハンガーポールを勝手に買ってきた。お粗末だった壁掛けも新調した。

もう少しお金が貯まったら、インテリアを大規模に新調したいと考えている。オシャレなソファとテーブルと、食器棚と……そうそう食器も自分好みにしたい。そんなことを考えながら、エントランスから階段を登り、部屋に帰り着いた。

 玄関ドアを開けると、封筒が一通落ちている。

 ドアと床の隙間から投げ入れられたようで、気づかなければ踏んづけていたところだ。

 つまみあげると、丁寧な筆記が目を惹く。

ミストへの宛名があった。

 自分宛ではない? 少し首を捻った。

 ここにミストが住んでいたのを知っていたのは誰だ?

 他人の手紙を見る気分でもないので、封を切らず、とりあえずテーブルの上に置いた。同時に上着をハンガーポールめがけて投げる。

 ブーツの紐を雑に外し、脱いだブーツをそのままベッド下へ転がしておく。

ベッドにばったりと倒れ込む。ネクタイを緩め、シャツのボタンを上から順にいくつか開けると、途端に力が抜ける。

 行ったり来たりで疲れた。

 面倒な人物に会ってしまったのが、余計に体力を消耗させる。


 ――フレア=ランスはフィン王女の偽名だ。


 ふと、思い出した一言。

 ウソか本当かわからない。

 だが、別にそれがなんだというのだろうか。

 本当に疲れていた。

 中途半端に緩めていたタイを解いて、宙に投げる。

 どうでもいいような気がしてきた。

 すぐに眠気が襲ってくる。

 ふっくらとした枕にしがみつき、うとうとしながら、この忙しかった二、三日が浮かび上がる。

 出発する時に、なぜか金髪の男がいたっけ。

 私の顔を見るなら逃げ出して――失礼な男だと罵る。

 その顔を思い出して、飛び起きた。


 ――リュミエールだ。


 髪がくしゃくしゃになっているのにも構わず、

 慌てて、テーブルの上の封筒をひっくり返す。

 差出人は書いてない。

 思い切って、封を切ってみる。

 ペーパーナイフなんていらなかった。びりびりと口元を破く。

 二通の手紙が入っている。

 中身はともかく、署名をまず確認した。

 一つ目の手紙にリュミエールのサインがある。

 滑らかな丁寧な字だ。


 ――つながった。


 リュミエールはメリーの側近である。

 ここにミストが住んでいた。

 メリーあるいはリュミエールがミストに連絡をとろうとしてきたと考えられないだろうか。

 住人が変わっていることに気づいていないのは、本人はおろか、関係者と連絡をとっていないからじゃないのか?

 もしかして、重要なことが書かれている?

 真面目な性格がよく筆記にも現れていて、読みやすい文字だと感心しながら、文面すべてに目を通した。

 そして、もう一通。

 女の字であることはすぐにわかる。

 署名を見たときに、ローズは思わず生唾を飲みこんだ。


 ――状況を変えられるかもしれない……。


 “荷物”を宛先どおりに届けないと大変なことになる、とトランスポーターであるカートはよく口にしていたことを思い出した。郵便も同じことだ。


 ――世界はまだまだ変えられる。


 それが良いのか悪いのかはわからない。

ただ、輸送管理官制度がある世界に、幸せを感じる人が一人いるのは間違いない。

 私だけは知っていると、密かに頷いた。

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