ep.24 スパイの真似事

 汽車は定刻通り発車した。レールをしっかりとかみしめる車輪。蒸気機関のうなりが力強い。

 向かい合わせの四人掛けの個室に、マーカスとローズは腰をおろした。

 秘書の珍しい失態を気にせず、マーカスはいつもの通り、新聞片手にお喋りを始める。


「鉄道がファイナリアにやってきて何年になるか知っているか?」


 マーカスの問いに、ローズは首を振る。


「まだ五年だ」


 その話はカートから聞いた、とは言わなかった。

 もっとも、息が切れているので、ハンカチで汗を拭いて、声を出さずに呼吸を整えた。

 マーカスは過ぎ去る景色を眺め、さらに続ける。


「この国は鉄道で一気に発展した。豊富な資源、穀物、加工技術、勤勉な国民性、すべてが合致し、あっという間に近代化が進んだ」


 帝国が併合したのも五年前。それから独立までたった四年。

 今では城壁が町に溶け込んで、どこが町の境かわからないくらいに密集して家や商店が建っている。


「閣下は帝国の穀物庫としてはもったいないとお考えだったのですか?」

「いや」


 首をかしげる。


「ではなぜ、独立を仕掛けたのです?」

「仕掛けたのではない。ちょっとした反骨心だよ」


 まじめな顔で言ってのける。

 ローズは思わず吹き出してしまった。


「歴史のウラはひどいわ」

「知れば知るほどひどいものだよ。ファイナリア総督マーカスの有名な演説の原稿は秘書が書いている」

「そのお話は伺いました。わたしには書けませんから」


 先にきっぱりと言い切っておく。


「そうなってしまっては完全にフレアそのものではないか。それは困る」


 いったいなにに困るのやら。

 マーカスと他愛のない会話をしているとコンコンとノック音がした。ローズが少しドアを開けると、乗務員の制服を着た若い男が笑顔で立っていた。


「切符を拝見」


 カバンから二人分の切符を渡そうと相手の顔を見た瞬間、ぎょっとした。

 個室から一度出て、後ろ手にドアを閉める。

 マーカスに見られてはまずい。


「賢明な判断だね」


 男は不気味に笑顔を浮かべる。


「……シエロ、まさか旅客鉄道に勤めたとかそういう冗談はないわよね」


 男の名はシエロ。

 お互いにお互いを良く知る人物であった。


「まさか。そういう君だって、フレア=ランスを名乗ってマーカス総督の側にいるなんてなんの冗談だい?」


 ローズはシエロの言葉を無視して、個室に戻ろうとする


「キミの革命はまだ終わっていない」


 意味不明な問いかけにローズは思わず振り返るが、逆にシエロが答えない。すぐに脇を通り過ぎってしまった。

 特務部隊の所属になったと話には聞いた。こんなところで会うということは……きっと彼にはそれなりの任務が与えられているはずだ。いわゆるスパイという任務が。


 ――まさか、わたしを?


 フレア=ランスを名乗って……と知っているということはどういうことなのだろうか。冷や汗が背中をつたう。


「ローズ君、どうした? 悩み事でもあるのかね」


 じっと黙ってていると、マーカスから話しかけてくる。

 気づけば窓ガラスに張り付いていたローズ。窓からの景色は麦畑に変わっていた。金色の絨毯と呼ばれる地帯だ。

 美しい景色が広がっていても、頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。少なくとも景色に感動はしていなかった。上司であるマーカスからの問いかけにも、特に答えることもなく、ただ黙ってうなずいた。


「おいぼれでよければ相談に乗るが」

「……いえ」


 個人的な事情ですので、と小さな声で返事をする。


「では、現代史の授業おこなおう。いや、政治の歴史と言っていい、違うな、ファイナリア史か」


 老人の余計な気遣いにハイと、力なく答え、姿勢を直す。


「ファイナリアにはフィーナル王国という王が納めていた国があった。そこは知っての通り」

「ええ。帝国が併合したのよね」

「詳しいことは割愛するが、帝国の軍事力に屈服した。最後まで抵抗していたのがフィン王女率いる機動部隊があった。名はなんと言ったか……まあその辺の話も省略しよう」


 初老の男が目を輝かせ、いかにも詳細を話したそうな顔つきでローズの顔色をうかがってくるが、あえて無視する。それを悟ってか、残念そうにマーカスは話を続ける。


「王国の内紛により王が死亡。そして王女が行方不明になり、事実上の降伏。帝国領ファイナリアになった」

「閣下の登場ね」

「そう、私が派遣された。自慢ではないが、私はフィン王女と一戦交えたこともある」

「それは今度の機会で」

「そうか。まあそれは次の機会だな。ともかく、マーカス総督によるファイナリアの統治が始まった。だが、改革と言うより、産業や生活の基盤を整備したに過ぎない。まずは物流の確保だ」

「トランスポーターのこと?」

「その原型と言っていい」

「列車が開通し、一気に資源が帝国本土に流れ、逆に金が流れるようになる」

「だけども、属国に過ぎないファイナリアの品物は安く買い叩かれる」


 マーカスはニヤリと笑う。


「閣下はその状況をなんとかしたかったのですか」

「なんとかしたかったのはファイナリアの旧王国派だ。めざましいファイナリアの発展にみな目が向いていたが、質の割に品物の値段をあげることができず、帝国本土のやりかたに商売人たちは憤りを感じていた。そこで行方をくらませていたフィン王女を旗印にして、保守派の民衆と一同団結し、独立運動が活発化した」

「それではまるで、お金のため……?」

「それもある。バカにされている、という印象が強かっただろうが」

「そうね、それなら、わかる気もする」


 ただ、ローズの考えていた理想とは違う気もする。

 いや、教え込まれた、といった方がいいかもしれない。


「フィン王女は……なぜ矢面に立ったの? 王国復権を望んだの?」


 王国には戻らなかった。民主制でのファイナリア共和国。


「王女が表舞台に立って、王国復権を望まないはずがない。だが、正直、王国主導であった今までのやり方ではここまでの発展はできなかったのも確かだ。建前上、といったところか」


「閣下がそれをナシにした、とでも?」

「表向きはそうなっている」


 マーカス総督と独立派のリーダー・フィン王女との一対一の会談。

 ファイナリア史に燦然と刻まれた、この記念すべき会談では、ひとつのことが決まった。

 ファイナリアの独立。ただし、王権は認めない。


「そもそも、王国に戻ろうが戻るまいがどちらでもよかったのだろう。実務上は帝国の人間が握っていた方がノウハウの都合上、ファイナリアの発展には都合がよかった」

「……つまり、帝国の人間までもが独立に賛成だったと?」

「賛成の人間も多かった。いや、もちろん反対派はいたよ。すぐに帝国本土へ戻り、戦争の用意をしたらしい」

「でも、そのころ、帝国本土はぐだぐだだった」


 戦争好きな皇太子のせいで荒れ果てていたのだ。領土拡張の割に物流がうまく立ちゆかず、帝都にいても明日のパンもないという民衆は貧困の状態だった。


「そう、そこで君たちの出番だった」

「戦争が続き、地方が圧制の憂き目にあい、わたしのように田舎者が職を求めて帝都にやってきても、スリにあって財産を奪われる」

「そこで、ファイナリアで革命が起きたという話をファイナリアから戻った帝国官僚がするのだ。しかも、戦争して取り戻すと上の連中に言い聞かそうとしている。それは荒れるだろう」


 都会も荒れていた。

 貴族を始めとする特権階級や大資本家だけが不自由ない生活をしていた。

 一部が食糧問題で崩れだすと、ドミノ倒しのように連鎖的に騒ぎが広がっていった。あらぬ噂が尾を引き、連日のようにパンを求める人で溢れかえる。

 窓の向こうには麦畑。


 ――すべての人に豊かさを。


 トランスポーターの標語にのっとって、カートが奮起し始めたころ、ローズはシエロに誘われるままに、革命運動に身を任せていた。

 それは荒れていた都会の秩序に対する、反抗心からだったに違いない。

 でも、山の向こう、ファイナリアは豊かであったのだ。

 カートはそれを知っていた。

 いや、トランスポーターは職務上、知っていたのだ。


「わたしたちの革命は……世界を変えたの?」

「変えただろう。新たな価値観をもたらした」

「……それだけ?」

「どうかな」


 一緒に麦畑を望む。

 窓には初老の男と若い女が並んで映った。質の悪いガラスというのも相まって、映り方、明暗が異なった。

 列車は止まることなく、レールを進んでいく。



 半日ほど走ると、線路は山間に延びるガルド山岳線と、海岸を経由して旧帝国領に延びる本線とに分かれる。

 ファイナリア南部ガルド地区は拠点駅らしく、この駅から旧帝国領へ多くの貨物列車が発車し、商品が出荷されていた。

 カートも仕事で立ち寄ったのだろうか。

 ガルドロイヤルと呼ばれる旧王家直轄の地域だが、プラットホームがない粗末な駅だ。

 小屋がいくつか立ち並び、列車に燃料を補給する設備だけが目立つ。降りる人のことを考慮されていないようだった。

 ステップから慎重に足を下ろす。山から吹き下ろされる強い風が足下をさらい、降りるだけとはいえ、足元には注意した。


「今日も風が強いな」


 マーカスは慣れた足取りで列車から降りる。

 ローズも続く。手をとってくれないのは不満ではあったが、あえて口にすることもなかった。

 いくつも分かれた線路をまたぎながら、待合室を目指す。

 見た目は掘っ建て小屋のようだが、部屋の中は綺麗に掃除されているとマーカスは得意げに話す。

 待合室の引き戸がスライドし、身なりのいいふっくらしたな中年男性が現れる。帽子をとって、マーカスの前までしっかりした足取りで歩き、こちらの歩みに合わせるように止まる。帝国式の敬礼。


「閣下、ご無沙汰しております」

「うむ、ご苦労。案内してくれるか」


 聞けば、元々は帝国の将らしく、マーカスの部下である。

 ホテルまで案内すると意気揚々に語っている。

 声が大きいので、ローズとしては少し距離を置こうと、返事は簡単にすませた。少し禿げ上がった頭に、午後の日差しが反射して、なかなか憎めないと思う。

 その逆光の中、わざわざローズの視界に入るように、シエロは鳥打ち帽に地味なシャツの出で立ちで、旅人のような肩掛け鞄をひっさげ、すぐ目の前を通る。


「さて、ではホテルにご案内いたします。このあたりで一番のホテルをご用意いたしました。閣下に毎度ご愛顧いただいております、サンシャインホテルでございます」


 出迎えの男はシエロのすぐ側で目的地を大声で話す。


「サンシャインホテルか。一番もなにも、まともに寝泊まりできるのはあそこしかないではないか」

「閣下、なにをおっしゃいますか。開発が進み、今や小綺麗な宿が何件も軒を連ねておりますぞ。それに合わせて盛り場も増え、歓楽街も一層賑わっております。街づくりに酒と女が必要とお教えくださったではないですか」

「わかったわかった。そんなことより、フレアが呆れておる。早く行くぞ」


 これはこれは申し訳ない、と男は頭を下げた。


「あ……いえ、わたしは」


 頭を下げるとよけいに頭頂部が気になるが、問題はそこではない。その先に佇む無口な青年だ。スパイがいるぞ、とは言いたくもないが。


「とにかく、移動しましょう」


 なんとか取り繕って、一行の歩みを進める。

 道中は案内役の男の独壇場であったが、まったく耳に入らなかった。




 講演と言ってもなんのことはない、ただの宴会である。

 最初にマーカスが演説して、あとは酒盛りだ。

 農場の経営者たちとホテルでパーティという、政治家としては代わり映えのしない光景である。会場のホテルは南部で一番とのホテルとはいえ、窓から見えるのは麦畑という眺め。夜になれば辺りは真っ暗。

 暗闇にぽつんぽつんと家屋の灯りが映る程度。

 まるで灯りにたかる虫のように、次々と馬車が止まり、正装に身を包んだ男女がホテルにやってくる。

 お目当てはマーカスであった。

 引退したとはいえ、この国では知らぬものはいない。


「閣下、ご健勝で何より。我が農場は見て頂けましたか」


 日に焼けた、厳つい顔の中年の男性。スーツ姿より、作業着が似合いそうだ。ネクタイの結び目が雑だった。

 体格のいい男たちと比べてしまうと、小柄のおじいさんにも見えるマーカス。今日はシルクハットに蝶ネクタイとした。コーディネイトにこだわりがあるらしい。

 ローズはあくまで事務的な秘書として、ドレスではなくて、いつものきっちりしたスーツ。マーカスの評では帽子次第で軍人にもなれるとのことだ。その評価はよくわからず、特に興味もない。というより、どうにも気持ちの面でイマイチ盛り上がらず、ローズは口数が少なくなっていた。


「おおう、久しいな。あまりにも農場が広すぎて誰の敷地だかわからんよ。収穫は順調かね」

「もちろんですよ。国内はもちろん、外国輸出が盛況です。例の貨物列車改革。ファイナリア農協がしっかりと財団と交渉して、定期便を勝ち取り、今までの倍以上の供給が出来るようになりました」


 貨物列車改革。トランスポーターの廃止計画だ。


「今まではトランスポーターの指示の下、均等な割合でないと列車移動ができない。それでは商売が成り立たない。革命軍様々だな」


 農場経営者の男の手には樽ジョッキ。地ビールだという。


「まさか、あの制度は閣下の差し金とか」


 男は破顔して冗談のつもりでいったようだ。

 思わずローズはむっとする。


「いや、わたしではないよ。向こうも一枚岩ではないらしい。妙な動きがある」


 妙に神妙な顔で。


「ああ、例のレコンキスタなんちゃらですな。あいつらはなんなんです?」

「金があれば組織や土地を買い上げて、なんでもできると思うだろう、そういうやつらの集まりだ」

「いえ、手前どもは閣下やフィン殿下にいくら金をつみあげても、かなう気がしませんとも」


 男も急に真面目になった。


「上に立つ方というのはやはり金では代えられない魅力があるのです。殿下と閣下なしでは今の我々はありません」

「褒めても、今のわしにはなにもできんぞ」


 はっはっは、と快活に初老の男が笑う。

 失礼しますと一言告げて、ローズはその場を離れた。

 特に仕事がないなら、休みたい――仕事は割と自由裁量だ。用事がないなら、最初からそう言ってほしい。


 無表情で喧噪のホールを後にし、静かなロビーでお茶を飲むことにした。

 このお茶はファイナリア南東部の山岳地帯で取れる茶葉だ。この辺りでは一般的なお茶だという。

 クセのある独特の香りが鼻をつく。

 赤みの色はいいが、口に含んでからすぐに香りと味についていけないことを確信する。

 座り心地のいい、木製のイスで腰を落ち着ける。花柄が彫られている小さなテーブルが気分を落ち着かせてくれた。柄がなかなか可愛らしく、テーブルの脚までゆきとどいた模様が美しい。木製品の加工技術や彫り物のレベルも高いと妙に感心する。

 小さなテーブルを挟んで対面のイスには誰もいない。

 無性に寂しさがこみ上げてくる。

 仕方なしにティーカップをつかみあげて、味を我慢して口に含む。


「クセのある味だね」


 聞き慣れた声が背中の方から聞こえた。

 人の心を読むような言葉に、なにも答えず、振り向かず。

 落ち着いた所作でカップをソーサーに戻そうと意識的に体を動かす。慌ててはいけない。


「君に報告したいことがある」


 柔らかな声音。ローズは黙って聞いた。


「ロベルトは死んだ」


 ロベルト……?


 一瞬、誰のことかわからなかったが、そういえばファイナリアにやってきたときに男が一緒だった。

 そう、一緒にファイナリアへやってきた、厄介払いの刺客の男。たしかにロベルトという名前だった。

 ただ、死んだといわれても、このご時世ならよくあるかもしれない。


「特に興味ないか」


 あの時、切符を渡して送り込んだのはローズだが、それが原因とは到底思えない。あの男の性格なら死に急ぐだろうと容易に想像がつく。


「わたしは切符を渡しただけよ」

「たしかにそのとおりだ。彼はレコンキスタ・メンバーズの式典の会場で直接皇女を狙ったがうまくいかなかった」


「馬鹿ね」

「まったくその通りだ」


 意見の一致は驚くことではないが、背中合わせの会話がしっかり成立していることに嫌気が差し、お茶を口に含む。


「なぜキミも一緒に戻らなかった? あの男からは情報をなに一つ集めることが出来なかった。完全に失敗だ」

「……わたしは失敗したから」

「制裁が怖いか。上もキミの情報と分析能力は高く買っている。今からの復帰でも遅くないくらいだ」

「戻らない。戻れる訳ないじゃない。合わせる顔が無いわ」

「なにを言うんだ。キミはこれから第二の革命を起こすんだ。世界を変えるためにキミも変わらなくてはならない」

「世界は変わったわ」

「変わっていない。仲間たちはまだ闘っている。キミは逃げたがっているだけだ」


 無邪気に打倒帝国を掲げているときはよかった。だが、いざ倒してしまって、そのあとは……?


「今のキミの名、由来は知っているか?」


 言っている意味がよくわからなかった。


「フレア=ランスはフィン王女の偽名だ」


「えっ……」


「キミは旧フィーナル王国王女の名を受け継いだんだよ」


 意味がわからず、後ろを振り向こうとすると、背中合わせの男はすっと立ち上がって、離れていった。視界の奥ではマーカスがホールから出てきて、別れの挨拶攻めにあっているところだった。

 マーカスの様子を確認していると、いつのまにか、シエロは消えていた。

 諜報活動が板に付いている。特務部隊所属は伊達ではないのだろう。ローズはカラになったティーカップをすすって、いかにもくつろいでいる風を装い、わたしにもシエロの真似ができるのか、などと考えていた。

 カラになったティーカップをすするのはどうもつらいかもしれない。クセのある味でもお茶を口にしたかった。

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