ep.16 会いたくない人たち


 旅客鉄道の切符を買うのは久しぶりだ。

 カートは貨物の駅舎から、ゆっくりと歩いて旅客の駅舎に来た。壁材やトタンがむき出しの貨物駅舎と違って、綺麗な模様の壁紙が貼られていた。お客様を迎えるという意図だからだろう、柱に塗られた白ペンキも丁寧に施されている。

 大陸の中心地だけあって、駅構内は混みあっていた。列車で旅立つ者、この街に帰ってくる者、再会と別れが繰り広げられた場所だった。

 券売所の窓口でファイナリアまで、と言おうとしたところで、肩を叩かれた。反射的に振り向く。


「よお、やっぱりあんたか」


 聞いた声だな、と思った瞬間、拳が目の前に飛んできた。

 左頬を殴られた。

 そのまま床に倒れ込む。

 口の中で血の味がする。


「トランスポーターさんよ、その様子じゃ、仕事クビになったんだろ。ざまあねえな」


 見覚えのある顔だった。そうだ、ファイナリアでメリーを襲った男だ。目つきの悪さは相変わらずだが、目が血走っている。もはや常軌を逸していた。


「あんたを殺しても、おもしろくねえ。今ので終いだ。大物が待ってるんでな。知ってるぜ、なんとかって元ロイヤルガードを助けに行くんだろ?」


 カートを殴った男はニタニタと笑う。


「おまえは、ファイナリアの……」


「そうだ、ロベルト=ラインゴールド中尉だ、覚えておけよ、色男。ロイヤルブルーを殺すためにこうして再び帝都の土を踏みましたとさ」


 棒状にぶらんと垂れ下がった左手を押さえている。ミストと対決したときに追った傷だ。あの氷化する能力で、腕が凍ったままなのだろう。

 だが、彼がなぜ知っている。作戦が敵側の人間に伝わっているではないか。

 嫌な予感がした。


「……ローズになにかしたのか!?」


 そこに思い至り、声を荒げた。

 元々は仲間といえ、この男はなにをするかわからない危険な人間だ。


「ちょいとご挨拶にいけば、ご丁寧に帝都行きのチケットと一緒に教えてくれたんだよ。頼れる同志っていうのはこういうもんだな。二度と顔見せんなとか言わなければ、かわいいもんだったのになあ」


 有益な情報をばらまいて厄介払いか。ローズならやりそうだと、苦笑してしまう。


「なに笑ってんだ、てめえ。……あん、なんだ、見せもんじゃねえぞ」


 倒れているカートと血走った瞳の男。この構図は事件性を感じさせる。

 野次馬の好奇な視線が集まってきた。


「あんた、大丈夫か」


 通りすがりらしい鳥打ち帽をかぶった庶民風の中年男性がカートを助けおこす。


「そっちの人も、あんまり若いのをいじめんなよ」

「ちっ! どけどけ!! 邪魔なんだよ!」


 野次馬を味方につけたのが気に入らなかったようだ。舌打ちし、ロベルトは声をあげて、姿を消す。


「気をつけな。あの男は特務の人間だろ、なにか気に障るようなことをしたのか」

「わけありなんだ」

「そうか、深くは聞かんよ、くれぐれも気をつけてな。この街はまだ物騒だ。青い髪の女性がまだ一人で歩けないくらいな」 


 青い髪の女性……この街でその言葉が示す意味は一つだ。

 まじまじと男の顔を見てしまった。

 見た顔ではなかったが、意志の強さを感じられる瞳を持っていた。


「君は思ったことがすぐに顔に出るんだな。ああいう人間と対峙するときは気をつけた方がいい。さあ、すぐにここに行きなさい。君を待っている人がいる」


 メモを握らされ、すぐに男と別れて、駅を後にした。

 殴られた左頬が痛んだ。


 ――俺はなにをしようとしているんだ。


 こんなメモなど捨てて、ファイナリアに行けばいい。ローズが待っている。

 彼女の元に戻れば、ケンカしながらも、安穏とした生活が出来るだろう。

 だが、足は自然と踏みなれた帝都の街並みを歩んでいた。


「カート! カートじゃないか」


 今度は親しげに呼び止められる。

 警戒しながら振り向くと、にこやかな青年が手を振って駅の方からやってくる。

 カートよりも年上な男性だが、小柄な体つきで、顔つきも童顔で声も高めなのだから、少年に見えなくもない。

 いつも笑顔を絶やさず、親しげにカートの背を叩く。


「聞いたよ、トランスポーターは廃止になってしまうんだって?」

「シエロか、いつもどおり早耳だな」


 面倒な事件があった直後だ、知った顔を見ると急にほっとする。

 だが、この旧友は少々厄介だった。


「いやあ、でもよかった。君が戻ってきてくれて。ローズも帰ってこないし、君も帰ってこないのかと思ったよ。なにかおもしろい話でもあったのかな」


 シエロ=マックイーンは笑顔で事実を述べる。一見、心配していたように聞こえる彼の言葉には必ず二つの意味がある。ひとつは友人としての心配り、そしてもうひとつは軍の特務機関としての言葉。

 職務上、トランスポーターは各国に入国していたため、シエロには情報源として見られているようだった。それをカートは知っている。ましてや、ロイヤルブルーとお知り合いともなれば、彼はどう動くだろうか。


「なに言ってるんだ。仕事でまだやらなくちゃいけないことがある」


 仏頂面で慎重に言葉を選ぶ。


「財団の鉄道部門に再就職でも考えているのかい?」

「それも、一つの選択肢だ」

「考え中ってところか。……そうだ、時間あるかな? 君に協力してもらいたいことがあるんだけど」


 協力。彼の言うそれとはスパイの真似事を意味する。


「すまない。先約があるんだ。実家も空き家になってるし、手入れをしてやらないと」

「そっかー、残念だなあ。ところで、カート、君の家はそっちじゃないはずだけど。ダウンタウンに行く用事でもあるのかな?」


 ――顔に出さないように気をつけろ。


 先刻そのように言われたばかりだ。


「野暮用だよ」

「そうか、じゃあ詮索しないでおこう。君がどんな女の人に会おうとボクには関係ないことだし、ローズにも秘密にする。それがたとえお姫様だろうと……。なんてね、冗談さ。じゃあね、気をつけて。あっちは物騒だよ。帝国派の一味が隠れているんだってさ。今度、憲兵の一個中隊を抱えて掃除に行かないとなあ。カートはまじめに仕事して、そういうのには巻き込まれてはいけないよ。君は善良で優秀な労働者なのだから」


 けらけらと無邪気に笑っていた。

 適当に相づちをうちながら、別れる。

 しばらく歩いて、後をつけられていないか、何度も背後を窺う。

 いくつもの路地裏を曲がり、下町の市場の雑踏にまぎれる。

 駅で渡されたメモを見ると、そこに住所が書かれていた。

 アイスブルーというサインもある。

 このメモが渡される場面をシエロは見ていたのだろうか。

 シエロは特務のエースだ。おそらくロベルトの上官だろう。

 彼らが偶然、近いところにいたとは思えない。

 警告、なのだろうか。

 ローズは帝都に戻ってこない。シエロがそれを知っているのは、ロベルトから聞いたからだろう。

 だが、ローズは戻ってこないのではない、戻って来れないのだ。戻れば失敗の責任と、カートへの追求が甘いことを理由に裏切り者扱いされてどんな制裁があるかわからない。

 シエロという男は察しがいい。およそのことを掴んでいるのだろう。

 ロイヤルブルーが帝都に戻ってきていることもロベルトを通じて知っていると見て、間違いなかった。

 俺は泳がされているのか、と自嘲気味に笑う。スパイの真似事なんて出来やしない。

 今からでも遅くはない。

 ファイナリア行きの切符を買って、汽車に乗ればいい。

 そうすれば、この一連の厄介な出来事から解放されるだろう。

 だが、足は止まらない。メモの住所まで来てしまった。

 裏通りの三階建てのアパートメントの二階。

 鉄製の格子型の門を開けて敷地に入っても、誰もいない。件の人物が本当に隠れているなら、護衛の一人くらいはいてもいい。いつ誰が飛び込んできてもいいように、周囲に気を配りながら、慎重に建物に足を踏み入れる。

 しかし、思いとは裏腹に、聞こえてくるのは幼い子供の声。隣のアパートには洗濯物を干している中年の女性がいた。特にカートへ向けて関心が示されることもなく、普通の街の光景だった。

 ドアまで来て、呼び鈴を鳴らす。

 何度か鳴らしても反応はない。

 警戒しているのか、単に留守なのか。

 しばらく待っても、ドアの向こうに人の気配は感じられない。

 これで言い訳が立つ。

 駅に戻るかと考え始めたときだった。

 門の方で音がした。取っ手を回した時に響く、鉄のこすれる鋭い音がやけに耳につく。

 シエロに追ってこられていたらと、冷や汗をかく。


「あ……来てたんだ」


 若い女の声。

 青い髪の少女が姿を現したのだ。

 ファイナリアにいたはずのロイヤルブルー、メリーの姉であるミストだった。

 その姿にカートは安堵の息を漏らす。

 彼女は隠すことなく、青い髪を晒していた。青い瞳が興味深げにカートをとらえ、厚ぼったいワンピースのスカートから伸びた素足にはサンダル。手に抱えた袋には頭の削れたパンがはみ出していた。削れられたパンの頭は口の中にあるようだ。もぐもぐとしているかと思えば、すぐに口元を隠して飲み込んだらしい。


「あはは、早かったねぇ」


 照れ笑いをしながら、ごまかした。

 もう一人の帝国皇女はまるでずっとそこで生活していたみたいに街に溶け込んで、暢気に買い食いをしていた。

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