ep.10 意地
「正直、こんなに早く決まるとは思わなかったわ」
駅舎の片隅にある乗務員用の食堂で、気持ちを落ち着けるためにコーヒーを飲んでいたカートに話しかけてきた若い女性がいた。特に同意も求めずに向かいの席に座る。
羽織っていたトレンチコートを脱いで、イスの背にかける。白いブラウスに赤いリボンタイ、タイトスカートからすらりと足が伸びている。きっちり着こなしても、表情はぎこちない。
向かいに座るカートの表情が冴えないからだ。
ぴりぴりした空気をわずかに感じ取り、表情をつくろう。
「少し、休んだら? 今までずっと働きづめだったじゃない」
カートはその言葉に反応しようとしない。
「もしかして、あのお姫様のことで悩んでいるの? でも、自分で言ってたじゃない。俺には過ぎた荷物だって。もう、関係なくなるんだから、あとから来た人に任せればいいじゃない。官僚的に言えば、あなたに責任はない、のよ」
「黙ってろよ」
カートはぼそりと言った。
「……怒ってるの?」
「違う」
「悔しいの? 仕事を取り上げられて?」
カートは返事をしなかった。渋い顔でそっぽを向く。
「そうよね、カートにとっては生き甲斐だったもんね」
「ローズ、頼むから、少し黙っていてくれ。……頼むよ」
付き合いの長い私にはわかる、とローズは言いながら、カートをじっと見つめていた。カートがトランスポーターという仕事に対してどれだけ情熱を燃やしていたか、誰よりもよく知っていると自負がある。
「わかった……ごめんね、つらいんだね。そうそう、あなたの汽車、今日の夕方に出発するって、さっき……」
「早すぎる! なにがあるっていうんだ」
ドンとテーブルをたたく。
「くそっ! 帝国陸運は帝国政府の、いわば国営だ。輸送管理官が物流を管理していた。政権が変わって、帝国陸運は政府から独立を余儀なくされ、民間の鉄道会社となった。俺たちはいつかこうなることはわかっていた。民間の鉄道会社が運営する貨物鉄道を政府が管理するだなんて、ややこしい。でも、おまえたちの言う豊かで平等な社会を構築するためには、トランスポーターが物流を管理する必要がある。俺たちがいれば、どの地域も豊かになれるはずなんだ。だけど、実際、あいつらは俺たちを降ろした。平等に豊かになれる世の中をつくろうなんて考えたやつはいなかったんだな」
よっぽど、帝国陸運時代の方が平等で豊かになれたな。
皮肉を言ったつもりだったが、その言葉に力はなかった。
「カートは理想を体現していたのよ。そのことについては私が胸を張って証人になれる。でも、悪い人もいたわ。帳簿の帳尻だけ合わせて、物資の横流しをしたり……」
「それが全部みたいな言い方をするな!」
「でも、それが決め手だってラジオ速報で言ってたわ。新政府グランド・ユニオンは鉄道を民間に解放したって」
「違う! あいつらは貨物鉄道を自ら売ったんだ。目先の利益につられてな。大方、どこかの金持ちが鉄道を支配するんだろ。グランドユニオン様の理想を成すなら、国営として管理した方が理屈の上では間違っていない。でも、それをしなかった。不正が云々てのは言いがかりだ」
「私は政治家でも党幹部でもないから、そこまではわからない……上の人にはなにか考えがあるのかもしれないし」
「そんな高尚なやつらだったら、俺たちを見知らぬ街に放り出したりしないだろ」
「カート……」
二人とも、それ以上の言葉はなかった。
腕を組んで、目をつぶって、考え事をするカート。時折、悪態をついて、テーブルを叩く。ローズは気持ちを受け止めるがごとく、ただ黙ってその様子を見つめていた。
しばらくして、カートは唐突に懐中時計を見た。時間を確認して、席を立ち、上着をつかんで、制帽をかぶる。
「どうするつもり?」
「そろそろ出発だろ。仕事を引き継ぐくらいの権利はある」
「そんなに、あのお姫様に未練があるの!」
自然と語気が強くなる。
「……ちゃんと帰って来るさ。帰ってくる家の手配をしておいてくれると助かるな」
言い聞かせるようにローズの肩をそっと抱き、小箱を手に握らせた。
「銀行の書類だ。この国にも支店はあるから、預金をおろせるはずだ。しばらくこれでなんとかしたらいい。ホテルに連泊してるんだろ。あんまり無駄遣いするなよ」
中には通帳として使用されているノートが入っていた。それを押しつけるように預けて、足早に列車の止まっているホームに歩いていく。
袖に三本のラインが入ったトランスポーターの制服を肩に掛けて。
カートの申し入れに、ウィルは戸惑っていた。
追い払ったはずの輸送管理官が堂々と制帽をかぶって、交渉をふっかけてきている。
「実務上、一人くらい前任者がいると楽だと思うんだがな。給料をくれとは言わない、単なる引き継ぎだと思ってほしい。この列車に乗ったことのある奴はいないだろ」
「……キャプテンは同行する」
貨物車から先頭車両へ、二人は肩を並べて歩いていた。機関車は蒸気を吹き、準備が出来ている旨を伝える。
「行き先は? 帝都に戻るのか? あそこは集積所が面倒だ。コツがいる。ノウハウくらいは渡せると思う。俺はあそこの荷役をよく知っているし、いきなり変更になるよりは前の担当者を挟む方が向こうだってやりやすいはずだ。そちらにとっても、悪い話じゃないはずだが」
背筋を伸ばして、カートは雄弁に語る。ウィルはしばらく考えていた。
「……カート君、君の目的を聞きたい。おそらく、君は殿下に用があるのだろう。違うか」
「俺は俺の仕事をするだけだ」
「あくまでトランスポーターであると? 念のため、忠告しておくが、殿下は君らの手を離れた、ここからはトランスポーター風情が口を出せるような問題ではない。なにも出来ることはない」
「わかっているさ、俺たちはトランスポーターだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「なるほど、あくまで職務に忠実か。我々は旧帝都に戻り、作戦行動を行う。そこからは関知できない。たとえ、革命政府に拘束されようが責任をとれないぞ。それでもよいなら、許可しよう」
「ああ、それでいい。折り返し運転だ。またここに戻って来るさ。給料はいらないとは言ったが、帝都からファイナリアまでの旅費くらいもらえるとありがたいな」
「……それぐらいは支払う。馬鹿にするな。僕だって貴族の端くれだ。労働に対する対価がゼロなどと言うことはない」
話は決まった。
カートは制帽をかぶりなおして、機関車を見上げた。
これが、最後の仕事だろう。
その時、機関室から発車の時刻はいつだ! と、怒鳴り声が響いた。ウィルは所定時刻を叫ぶ。
つい先日まで自分がやりとりしていた、いつもの光景だ。
「聞こえねーよ、なんだって!」
機関室からの怒鳴り声が繰り返される。もう一度、ウィルは大きな声で告げる。
だが、機関室担当の年輩の男たちはウィルをバカにするように、聞こえないぞという言葉が繰り返される。聞こえていない振りかもしれないが、実際に聞こえてないのかもしれない。その目はしっかりと、カートを正面に捉えている。
カートは両手を挙げて、指や手をつかったハンドサインで時間を伝える。手信号というほどのものではないが、騒音がやかましいので、この方が伝わりやすい。
機関室のボストンはカートの示したサインにうなずく。
「若いの! あいつらにこの世界での常識ってのを叩き込んでやってくれ。やりづらくってかなわん! 炭の放り込み方もわからねえんだとよ!」
ウィルに聞こえるほどの大きい声。
カートは苦笑し、敬礼して応えた。
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