#2 Operation Skyblue
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ep.09 再会
――私は荷物なんかじゃない。
――なんにもできないだなんて言わせない。
水を張ったバケツを廊下に置いて、すっかり馴染んだエプロンを着て、三角巾を頭の後ろで結ぶ。
かつて大陸に覇を唱えたロイヤルブルーと呼ばれた皇族。ロイヤルブルー、その所以たる青色の髪と瞳。皇女メリーは青空の色を映した美しい髪をたくわえていることから、スカイブループリンセスと呼ばれていた。
たくさんの貴族の取り巻きを従え、ロイヤルブルーの名の下にすべての人が跪いていた。
たった一日、あの一日の出来事が、すべて変えた。
かつて繁栄を極めた大帝国の皇女様が、埃っぽい廊下を水拭き掃除しようというのである。
水を張ったバケツへ、用意したモップを浸す。
出発まで時間があると聞いて、掃除用具を探しだしてきたのだ。列車内に借りた部屋と廊下くらいは自分で掃除してみせると意気込む。
ファイナリアシティに到着してから、三日。
積み荷に問題はないのだが、一向に出発しない。なんでも、上層部の指示で全車両がストップしているらしい。
「荷物は黙って部屋にいろ」
カートはつっけんどんな言い方をする。
トランスポーターにとって、出発の遅れは耐え難いものであるらしく、カートは苛立ちを隠せないでいる。
外に出たいという、メリーの要求に対して、命令口調で指示した。
メリーは、帝都でこの貨物列車に荷物として乗車した。それからというもの、カートに保護されながら、何度も危機を潜り抜けてきた。
メリーの受取人である姉のミストは今後のことで相談したい人がいる、住む家を探してくる、などと言って、今後の下準備のために忙しく動き回っている。
ミストはメリーを連れていくことはなかった。その身柄は出発までカートが預かることになっていた。見知らぬ土地で迷子になる不安はなくなったが、メリーとしては一抹の寂しさを感じざるを得ない。
メリーはモップの柄をぎゅっと握って考える。
――あの時、私があんなこと言ったからかな。
目をつむると、思い出す。あのときのこと。
それは、静かな夜だった。
床につこうと寝間着に着替えた直後であった。テラスから聞こえてくるかすかな物音に気づき、おそるおそる窓から外の様子を窺う、姉のミストがテラスの縁を跨いでいた。
「どうしたの? こんな時間に」
呆れながら窓を開け、ミストを招き入れた。
なぜ妹の部屋に来るのに、わざわざロープを使って、建物を登って来なければいけないのか。
しかも、これが一回や二回ではなかった。
メリーの流れるような長い髪とは対照的なショートカットの髪型。ロイヤルブルーに違いなく、その髪と瞳は青。とはいえ、その色はそのやや藍に近い。
この姉は他の皇族と比べて特に異質であった。兄弟といっても、父母のどちらかが異なることは珍しくない。同じ父母、実の姉はミストだけだ。
が、なにしろ育ちが違うのだ。
プリンセスになったのも最近で、以前は亡き母とともに小さな村に暮らしていたという。当然、社交界のルールを知るはずがない。
田舎者なのだ。メリーから見れば、行動一つ一つが奇行にすら見える。いくら村育ちだからといって、皇女がサバイバル術に長けてどうするのだ。
彼女は体に組み込まれた石から発する特殊能力により戦う術を身につけた。戦争に呼ばれれば、一騎当千の働きをする。いつも単独の隠密行動で、なにを考えているのかわからない。世間の評価は人外、化け物扱いである。
氷を操る能力もあいまって、姉は世間一般的にアイスブループリンセスと呼ばれていた。この名はあまり良い意味ではないので、メリーは嫌いだったが、当のミストは気に入っているようだった。ますますわからない。
「一緒に帝都から逃げよう」
姉の言葉はメリーにとって、理解に苦しむことが多かったが、いつにも増して荒唐無稽だった。
「これから、大変なことが起きるかもしれない。だから、今すぐ」
切羽詰まった様子のミストに比べて、メリーは冷静だった。
「大変な事って? お姉さまはいつも説明不足なのよ」
ミストは暴徒が押し寄せてくる、と言った。
「でも、お姉さまと一緒で安全である保証はあるの? この屋敷だって警護の者がたくさんいるわけだし、第一お父様たちがそんな悪い人たちの侵入を許す訳ないじゃない。普通に考えたら、この屋敷にいる方が安全だわ」
普段の生活では父をこてんぱんにこき下ろすメリーだが、軍務に対しての父の働きは信頼している。
「行き先はどこ? 頼れる人は誰? なにが起きてるの? 無茶するんだったら、明らかにしてくれないと私は一緒に行かないわ」
ミストは少しだけうつむいて。
「まだ、言えない」
「じゃあ……私は行かない」
メリーははっきり拒否した。
ミストはそれ以上、なにも言わずに立ち去った。
きっと、彼女の主張は正しいのだろう。
だからと言って、気持ちだけで、賛成は出来ない。
立場を考えて欲しい。
――私はお姉さまと違うのよ。
その夜はなにも起こらなかった。
メリーはミストのことを誰にも言わなかった。余計な噂が立ってしまう。
これでもお姉さまに気をつかっているのよ、と独り言をつぶやいた。
だが、次の日の夜。事件は起きた。
革命を声高に叫ぶ暴徒が押し寄せてきた。石や火炎瓶が投げ込まれ、火の手が暗闇に浮かぶ。
男の怒号、女の悲鳴。
門扉が破壊され、邸内に次々と民衆が流れ込む。
メリーの部屋からでも様子が窺えた。
こんな時こそ堂々としないと。そう自分に言い聞かせても、カーテンをつかんだ手は震えてしまう。外をのぞきこまなければいいのに、目が釘付けになる。
警備の兵隊は人の波に飲まれ、見知った使用人たちは蹴散らされていく。
「まだこんなところにいたか」
軍服姿の父が迎えにきた。家では軍服を着ないと約束したはずだが、事態が事態だ。
普段は口もきかないのだが、このときばかりはしがみついた。
メリー専属のロイヤルガードであるリュミエールも傍らに待機していた。
「姫様、遅くなりました」
と彼は頭を下げる。
メリーがデザインした白を基調とした特注の制服に金髪がよく似合う。きりっと引き締まった表情のリュミエールに守られながら、非常時に使われる地下通路から脱出した。
父はあの屋敷に残った。
帝都のあちこちで蜂起が起こったらしく、どこに行っても自称革命軍ばかりだった。メリーはただ、ロイヤルガードの手を握るだけだった。
そんなリュミエールとも離ればなれになる時がすぐにやってきた。
ロイヤルブルーの青い髪は目立つ。この国に住むものならば、誰だって知っている。すぐに見つかって追いかけられる。
有力者を頼っても、ロイヤルブルーを匿えば、皆殺し、という革命軍の煽り文句に震え、追い返される。ある貴族はメリーの情報を売り、危うく騙まし討ちにかかるところだった。
涙が出てきた。
だって、あなたたちは、私に、忠誠を誓いますって言ったじゃない。今までひざまずいてたじゃない。どうして、こんなことするの?
迫る追っ手に向かって、リュミエールはただ必死に、剣を振るう。時には血を流し、時には頭を下げて、メリーのために尽くした。そして、彼は不安でいっぱいのメリーを励まし続けた。
彼はどこで仕入れてきたのか、姉ミストの情報を持っていた。
ファイナリア行きの貨物列車に忍びこみ、終点で姉と合流するという段取りだ。でも、それには難題が山ほどあった。もちろん、問題を一つ一つクリアしたのはリュミエールだ。
最後の難題をリュミエールが囮になることで解決した。
だが、ひとりになった。
リュミエールが残した最後の情報で帝国陸運を頼った。トップは話の分かる人物だったが、その対応は味方ではないし、敵でもない、程度だ。しばらく屋敷に匿われた後、貨物列車のコンテナにおしこまれた。
狭くて息苦しい真っ暗なコンテナの中、自分から麻袋に隠れた瞬間を思い出す。
――私は荷物なんかじゃない。
いつの間にか、涙が零れていた。
モップにすがりついて泣いていた。
気がついたら、バケツはひっくり返って、あたりは水浸しだった。
よろよろと、バケツを元に戻そうとした時、足が滑った。
咄嗟にモップを使ってバランスを取ろうとしたが、今度はモップも滑って、盛大に前のめりになって、水溜りにつっこんだ。またバケツがひっくり返り、転がったバケツが頭にカツンと当たった。
バケツにまでバカにされた。
髪はぐしゃぐしゃ、エプロンはびしょ濡れ。膝は痺れ、床に打ち付けた鼻も痛い。
もう散々だった。
我慢することが出来ず、声をあげて、泣きはじめた。
その泣き声を聞きつけたのか、すぐにカートがやってきた。
惨状を目の当たりにして、彼は手で顔を覆った。
ため息まで聞こえてきそうだ。
「まったく、仕事増やして」
立てるか、と差し伸ばされた手に、メリーは首を振る。
「……ひとりで立てる」
それでも、カートは肩を抱いて起こそうとしてくれた。
カートを突き放して、自力で立ちあがる。
「だから、部屋にいろって言っただろ」
部屋の扉を開けながら小言をいうカートに、
「うるさいっ! 私だって、私だって……掃除ぐらい出来るのよっ!!」
メリーは叫びながら、扉を乱暴に閉める。
部屋のどこにも自分の場所はないように思えて、扉の前で崩れ落ちるようにぺたんと座る。
「なんで、なんにもできないのよっ……」
扉の向こうから、カートがきびきびと後かたづけしている音が聞こえる。
「ここは水を使わなくてもよかったんだ。乾拭きか、箒で掃くだけでもいい。一言くれれば、アドバイスできたんだけどな」
そんなことは聞きたくない。
あんな無礼な言い方しておいて、なにがアドバイスよ。
何で私はこんなことしてるのよ……。
なんでこんなことになったのよ……。
私を誰だと思っているのよ!
流れる涙が止まらない。メリーは手で顔を覆って、しばらくの間、そうしていた。
どれくらい時間が経っただろう。
扉の向こうは、いつの間にか静かになっていた。
ハンカチで目頭を押さえて、鏡を探した。見当たらない。
どこへやっただろう。仕方なく窓をのぞき込む。腫れぼったい目をした自分の顔が写り込む。ひどい顔をしている。
外はまだ陽が暮れていなかった。傾いた午後の日差しがプラットホームに注いでいる。
ホームにカートたちトランスポーターが並んでいる。彼らの向かい側には見たことのない制服姿の男たちが佇んでいた。
その一人が突然、メリーの方を振り向いたので、あわてて姿を隠した。
おいそれと青い髪をさらす危険はもうこりごりだった。知らず知らずの内に自衛の手段を身につけていた。カーテンの縁、外から見えないだろう位置でもう一度のぞき込む。こちらを向いた男の姿はなかった。消えた男以外はなにやら口論をしていた。
喰ってかかっているのはカートら、トランスポーターだ。
窓越しからでは、聞き取れない。
相手が何者なのか、見当がつかない。
今は誰にも頼ることは出来ない。
自分の身は自分で守るしかないのだ。深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
せめて脱出ルートを自分なりに探すか、一時的に身を隠せる場所を探すべきだと考え、部屋を出ようとしたときだった。
コンコンと響く、ノックの音。
どきっとした。心臓がすぐに高鳴る。
部屋の鍵は閉めただろうか。
相手は誰だろうか。カートのはずがない。彼は今、ホームで何者かと口論している。
もう一度、コンコンと音がした。
――どうしよう。
逃げ場はない。
――そのまま、行って。
そう祈りながらも、机の上に置かれていたランプを握りしめ、カーテンの裏に隠れる。
がちゃりと扉があいた。鍵は閉まっていなかった。
一人の男が入ってくる。
革のブーツが床を鳴らす。腰に巻いたベルトにピストルとサーベルをぶらさげている。海賊船の船長がかぶるようなキャプテンハットに、ぴんと伸びた白い羽根が添えられている。
彼は帽子を手で取って、部屋を見渡していた。
「いらっしゃらないか……」
その声と、顔。見覚えがあった。
メリーは思わず、声をあげた。
「ウィリアム=サドラー、なの……?」
名前を呼ばれた男は振り向いて、メリーの姿を確認すると微笑んだ。
「殿下! ご無事でしたか!!」
笑顔で近づく男に、メリーはガラスのランプを振り回して牽制する。
「ウィル、それ以上近づかないで!」
「殿下、お辛い目に遭われたのですね」
そう言って、ウィルは片膝を折り、畏まった。
「我々、サドラー海運と新世紀財団は殿下のお力になるべく、参上つかまつりました。なにとぞ、心安らかに」
慣れ親しんだその光景に、ようやく、メリーは凶器を置いた。
「ウィル、本当に……?」
「本当ですとも。ここからはトランスポーターに代わり、我々が殿下のお供をいたします」
「別に私はトランスポーターを旅の供にしたつもりはないわ。でも、どういうこと? 私の味方をしてくれるってこと?」
「順を追ってご説明いたしますと、本日正午に革命政府・グランドユニオンは輸送管理制の廃止を決定しました。今後は車両ごとの買い取りで輸送が行われます。我々は、この列車に殿下がおられる旨の情報を得ていました。そこで、殿下をお護りするために、この車両を新世紀財団が買い取り、私の管理下で運営することになったのです。」
「よく、私がここにいるってわかったわね……」
「鉄道会社の方から情報提供がありました。助けを待っていると。ですが、列車は既に出発した後でした。今、こうしてファイナリアの地でお会いできたことが奇跡にも思えます。これからはもう安全です。トランスポーターではなく、我々がご一緒いたしますゆえ」
「ちょっと待って。じゃあ、トランスポーターたちはどうなるの?」
「一部を除いて、仕事を失います」
さらっと、言ってのけた。
カートは?
頭に浮かんだのはまずそれだった。
そして、私は?
「基本的に輸送管理官たるトランスポーターは財団が彼らの経験を買い、再雇用します。ただし、それがすべてではありませんし、もちろん本人の都合もあります。ですが、この列車は違います。まずは殿下をお護りすることが第一ですから、責任者であるこの僕を筆頭に車内を我々の手の者で固め、外部の者を一切遮断いたします。かつてあなたへ結婚を挑んだ者であり、ナイトとしてはお役に立てるという自負があります」
メリーはこの男とは過去に対立したが、そのときから悪い人間ではないと評価している。
意識して彼を避けてきたが、こうして全面的な味方として現れてくれればうれしい。
緩みかけた心を抑えつけ、なんとか表情を引き締める。
「わかったわ。私の側にいることを許可します」
スカイブループリンセスと呼ばれた皇女はそっと息を吹き返し始めた。
メリーが差し出した手の甲に、そっとキスをするウィル。その彼の左手に光るものを見逃さなかった。
「少し、老けたわね」
今年、三十になります……と遠慮がちに言った彼の姿に吹き出した。
「それで、私の次はどんな子を狙ったのかしら、やっぱり年下?」
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