exep.03 パステルおばさんの料理教室



 淡いブルーで染め上げた、気持ちのよい青空。

 そんな色を写し取った髪。

 そして、ぱっちりとした瞳にも鮮やかな青が映る。

 髪も瞳も従来のロイヤルブルーにしては薄めの青だが、スカイブループリンセスの二つ名の下、彼女はいつもいつも宝石を散りばめ、スカートをふくらませたドレスに身を包み、大きな帽子をかぶって堂々とホールの真ん中を歩いていた。扇一つの合図で道をあけさせ、無邪気に権力を行使していた。

 とはいえ、かつて堂々としていた肩も今では年相応の自信のなさげなちいさな女の子ものだった。

 ついこの前まで帝国皇女という肩書きを持っていたロイヤルブルーの少女メリーは――いまだかつて身に付けたことも無いような――シンプルな格子模様の三角巾で鮮やかな青空色の髪をぎゅっとまとめた。同じ柄のエプロンを首から掛け、しっかりと後ろで縛る。

 だが、青い瞳は右手に持った果物ナイフと左手でつまんだリンゴを、ただ茫然としばらく見つめていた。

 夕食の準備を手伝うと意気込んでみたものの、当然できるものだと思って、作業を振ってくるパステルおばさんに戸惑ってしまう。

 それでも、出来ないなんていえない――。

 意地だった。

 不恰好だろうが、やってみせる。

 皮を剥けと言われれば、剥いてみせる。

 切れといわれれば切ってみせる。

 私だって普通のことくらい出来る――。

 少なくともお姫様だからなにも出来ない――“荷物”だとは言わせない。

 だから、こうやって真似事かもしれないが、キッチンにだって立っている。

 食堂車に設けられたキッチンは狭いつくりになっているため、基本的には火が起こせない。列車の運行中は石炭の熱エネルギーをうまく運用して、火の替わりにするが、停車中は火鉢でも貰ってこない限り、火は使えないのである。水もタンクにある限りで必要以上に使えない。パスタでも茹でようものなら大目玉だ。大概がパンや野菜で軽食を作る程度だ。

 だからこそ、駅に停車中なら街に繰り出す輸送管理官が多い。とはいっても、キャプテンや一部の者は列車に残っているのだから、彼らの食事だけでも用意しなくてはならない。

「あなたはいらないんだっけ?」

 パステルおばさんの問いかけにメリーは一瞬考え込みながら、うんと頷いた。

「働いたんだから、カートにおいしいものおごってもらいなさいね」

 おいしいものだなんて、たかが知れている。

 宮廷育ちのメリーには通じないセリフだ。

 だが、男の人と夜の町に繰り出して食事をする――という場面が照れくさい。

「そんな浮ついたもんじゃないわ、正当な報酬よ」

 そう言いながら、手元でつるんとリンゴをすべらせる。

「動揺してるじゃない」

「違うわ、私が元々へたくそなのよ」

 そっぽを向いて答える。

 それも間違いは無かった。

「お姉さまはあんなに手際がいいのに……なんで私はこんなにヘタクソなのかしら」

 唐突に、姉という単語をもちだした。

 パステルおばさんはその言葉に少し不思議そうに頬に手を当て、考えながら話してきた。

「あら、お姉さまはお姫様なのに、料理するの?」

 う、とメリーは息をつまらせながら、ぼそぼそっと解説する。

「……私の誕生日に……ケーキを焼いてくださったり……ヒマをみつけてコックに習っていたわ」

「あなたは習わなかったの?」

 相反するようなおばさんの大きな声がわずらわしい。

「私はそんなにヒマじゃないわ! だって、コックがいるのにどうして私が料理するのよ」

「でも、やってみると楽しかった? 違う?」

 確信をもった追求。

 ちょっとむっとしながらも、メリーは応える。

「ある時、お姉さまと一緒にお料理をして二人で食べたの。もちろんコックがつくるものより不恰好で味もいまいちだった」

 よく焼き菓子をつくったものだった。本当に味はいまいちだったと思い出す。

「――でも、なんていうか、こういうのもいいかなって」

 全然おいしくないクッキーだったしたこともあった。でも、それでもよかった。二人で協力してお菓子をつくって、お茶が出来る。まるごと全部よい思い出だ。

「お姉さんはそういうのがいいっていうのを、知っているのね」

「……そうよ」

「いいお姉さんじゃない」

 ぽんとメリーの頭を撫でる。彼女がどうしてそうしたのかはわからない。

「……そう、だと思う」

 だから早く迎えに来て――。

 そう思うのはわがままだろうか。

 自分のわがままを通して、忠告を聞かなかったせいで、また離れ離れになってしまった。本当はそんなこと、望んではいなかったのに……。

 二人でクッキーやケーキを焼いた、なんともいえないあの感動はまだ胸の奥に残っている。もう一度、いいや何度でもああいうことがあってもいいという思いが募る。

 なにしろ、もう家族は彼女しかいないのだから。

 いわく付の姉ではあるが、淡々とメリーを包んでくれるあの優しさがあるかぎり、どんないわくだろうと関係ないと思えるのだが、肝心の本人の姿はどこにもない。

 姿を消したまま、何の音沙汰も無し。

 そして、情勢不安の折に乗じて、身の危険を感じ、メリーの単身宮廷脱出劇、列車を使っての逃亡。

 ドタバタ劇の脚本は彼女の手元に渡り、荷物となった自分の受取人として現われる計画でハッピーエンド……のはずだった。

 そろそろ姿を現してもいいはずなのに……。

 肩を落とし、ため息が出る。

 本当に、これからどうなるのだろう。

 ――気を強く持って生きてください。

 だれかのセリフが急にひびいた。

 そんな簡単に言ってくれるな。

 これから不幸があるみたいじゃない。

「若いのにため息なんかついちゃって。料理をするときは他のこと考えたらおいしいものはできないわ」

 おばさんはにっこり笑って、メリーの手をとって、ナイフを使って皮むきを指導する。厚ぼったくて女性にしてはやや大きい手だった。

 でもなんだか、悪い気はしなかった。

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