exep.02 仕立て屋の女



 大雨だった昨日の影響で、一番近くの町で補給を受ける時のことだった。

 半日休暇ということで、列車を降りていいことになった。

 もちろんそう遠くへは行けないが、気晴らしに街の様子を見るなり、食事をするなど楽しみはいくらでもある。

 駅にプラットホームはなく、タラップを降りれば剥き出しの地面。雨の影響で水分を含み、やわらかくなっており、いたるところに水溜りができていた。タラップから降りるときはよかった、先にカートが降りて、手を差し伸べてくれる。

 段差があるから気を付けろ。

 輸送管理官トランスポーターであるカートはぶっきらぼうな口調だが、降りるときは必ずその言葉を『荷物』であるはずのメリーにかける。

 今回もいつもと同じ調子で、その手を期待してメリーは同時に足も踏み出した。

 だが、その手が空振りした。

「あら?」

 けっして、カートが手を差し伸べなかったわけではない。

 単純に、目測を誤った。

 タラップを下る途中にバランスを崩し、メリーの体は空を泳いだ。

 カートは慌ててメリーを抱きとめようとしたが、間にあわない。二人にとって、その瞬間はスローモーションだったが、どうすることもできず、メリーの小さい

体は水溜りに頭から墜落した。

 一瞬、時が止まったようだった。

 だが、カートはすばやくメリーを抱き起こした。

「大丈夫か!?」

 メリーは顔についた泥水を払いもせず、

「バカー!」

 といって、泣き出した。



 すぐにタオルを持ってきて、顔を拭いたが、服の汚れは落ちない。

 駅舎の待合室のテーブルでメリーはむくれていた。

「……すまんな」

 カートは謝りながら、なにやら紙束を抱え、向かい側に座った。

「どうせわたしがマヌケなのよ」

 気を付けろといわれておいて、勝手に踏み外したのは間違いない。それでも自分の責を棚に上げて相手を責めるのがいつものメリーだが、このときばかりはその元気がなかった。

 責めるの簡単だが、怒りよりも悲しみがあった。

「もう、私の服無いのよ、どんなに汚れたって、この一着しか……」

 着の身着のまま逃亡してきたメリーにとって自分の衣服は今の一着しかない、それが泥水を染み込ませて、見られたものではない。かつての帝国皇女たる立場など、今は関係ない。そんなものが役に立たない場所で

あり、それを顕示してしまえば逆に命に関わる。

「汚れた衣服を身にまとうぐらいなら、いっそ死んだ

方がいいわ……」

 自嘲気味につぶやく。

「こんなところで死んでどうする。コケて泥水かぶって汚れたんで首吊りました、か? よりマヌケに見えるぞ」

 メリーは真っ赤な顔して聞いていた。怒りと恥ずかしさ、うまく言葉で表現できずにいた。

「まあ、それは俺がさせないけどな」

 カートは手元の紙束を広げた。

「この街の地図だ。駅の周辺に仕立て屋が三軒ある」

 仕立て屋、と聞いて、メリーのうつむいていた顔が

地図にかかれたメモに釘付けになる。

 そこには街の名前が書かれていた。

「アーヴァン・タウン? なんですって、あの……」

 地図を手にして、メリーは眼を見開いた。

「知ってるのか?」

「いえ、訪れたことはないわ。どんな街かも知らない」

「なんだっていうんだ? せっかく代わりの服でも買いに行こうと思ったんだが」

 がたっと音を立ててメリーは急に席を立った。

「今の言葉、忘れないわよ」

 その瞳はいつになく真剣にカートを見据えていた。



 かつて、帝国随一と呼ばれる仕立て屋がいた。

 黒を基調としたいわゆる服飾デザイナーだ。流行の最先端と言うより、流行を産みだす不思議な魅力をもった人だった。自身のスタイルのよさを武器に、自分自身をモデルにファッション界に新しい風を吹き込

んだ。スタイリッシュスタイルのパイオニアと歴史の教科書には書かれている。メリーがマリアヴェールだった時代、ちょうどファッションの転換期だった。個人的な晩餐会やパーティにはスタイリッシュスタイ

ルの奇抜な格好で、公式な式典にはクラシックなスタイルで。けっして、クラシック・スタイルが時代遅れではなかった。豪華さそのものが武器なので、富の象徴ともいわれる。だからこそ、一番上である帝国皇室が昔ながらの豪華さでアピールすることは帝国の威信を見せることにもなった。

「新しいファッションはシンプルさが際立って、一部からはお金に困った人の苦肉の策と見えたの。でも、それは違う。彼女、ガブリエルはそんな姑息な手段はもたなかった。わたしの指輪よりも高価な宝石だって、

惜しげも無くつかっていたりしたもの。なにを美しく見せるかよくわかっている人よ。あの人は」

 目抜き通りを歩きながら、メリーは解説した。時々、髪に手をやっては調整する。頭には黒髪のカツラをかぶっているのだ。メリーの青い髪は目立ちすぎる。いくら辺境といえど、誰が見ているかわからない。かつ

ての帝国皇室ロイヤルブルーというのをわざわざ知らせて歩いて揉め事をおこすこともないだろう。

 カツラのすわりがよくなって、再び解説を続ける。

「古いファッションだからって嫌わず、うまく使い分ける。それに、両方のいいところをとりいれてた。わたしは好きだったわ、彼女のドレス。彼女もわたしのこと、気にいってくれて、ほとんどのわたしのドレス

をデザインしてくれたのよ。彼女にハサミを持たせるとまるで魔法よ、たちどころに美しいドレスが出来てしまうの」

 そのガブリエルが率いる仕立て屋、会社組織なのだが、本拠地がここアーヴァンタウンだという。

「ことあるごとにアーヴァンの工房に帰るって言って

たのよね」

 ことに帝都で政変が起きてしまい、かつての帝室に仕えていた者は住みづらいだろうという打算だ。それは事実であり、新政府による粛清の嵐が起きている。だからこそ、帝都から離れたところに一時的に避難す

る豪族や、商家がいた。

 いつかの荷物の中にもそんなのがあったな、とカートは過去を振り返る。もっとも、そのひとつがメリーであるが。

「あ、あれよ、あの黒いリボン」

 軒先に金物の看板が出ていた。三日月に黒いリボン。

 妙なことに昼間なのにも関わらず、看板の隣に設置されたランプが煌々としている。

 それを見て、メリーが目を輝かせた。

「私の思ったとおりだわ、ガブリエルは帰ってきてる!」

 そう叫びながら、駆け出し、店の扉を開けた。


 店内はシンプルだった。受付、というか店番だろうか若い女性が一人立っているだけで、人はいない。客もいない。ウィンドウに立っているマネキンが日を隠して、店内もやや暗い。壁に掛けられた帽子だけがそ

の店をそういった店だとわからせるも、なにか、ピンと来ない。

「ガブリエルはいる?」

 受付の女性にメリーは軽い口調で伝えた。

「お約束でしょうか」

 事務的な笑顔で答える。慣れているのだろう。プロフェッショナルな商売人の姿を見た。

「約束はしてないわ。でも、メリーが来たっていえばわかるわ」

 メリーは当たり前のように主人を呼び出そうとする。

「申し訳ありませんが、マダムはお約束がないとお会いになれません」

 決められたセリフを吐き、受付嬢はメリーに頭を下げる。

 メリーの目が真剣になった。

「いいから、聞きに言って」

「どういったご用件でしょうか」

 なおも受付嬢は食い下がる。

「用件は直接話すわ、わたしはガブリエルに用事があるの」

 受付嬢の引きつった笑みはメリーの言葉をなかなか受け入れなかった。

「お約束のない方は基本的に……」

 その時、メリーはカツラをとった。カートが制止する間もなかった。

「もう一度言うわ。マリアヴェールが会いに来たって伝えてくれる」

 ロイヤルブルー。

 青い髪が流れ、メリーの雰囲気はかつての皇女のそれだった。

 言葉に力があり、聞くものを従わせる。手を上げれば、受付嬢は怯えるように衝立の裏の扉へ隠れるようにひっこんでいった。

 わずかな沈黙が流れていった。

「いいのか?」

「どうせ誰も見てない」

 打って変わって、少し悲しげな声音だった。

「こちらへ……」

 受付嬢のか細い声が扉の奥から聞こえた。


 別室へ通され、しばらく待たされた。

 カップに注がれた紅茶の香りがかぐわしいが、それといって見るべきものも無いシンプルの応接室であった。二人とも特に会話も無く、ソファーに腰掛けながら、この店の主人を待った。

 メリーは青い髪をさらしたままである。

 カートはなにか言いかけたが、そのタイミングで扉が開かれた。

 黒い帽子に黒いノースリーブのワンピースに黒い手袋。本当に黒尽くしの女性だった。

 シワは刻まれど、堂々とした振る舞いは年齢を感じさせないがカートやメリーの倍は生きているような妙齢の御婦人であった。

 ガブリエルはメリーの青い髪を確認すると、一瞬、吸い寄せられるように見入ったが、すぐに冷静に言葉を紡いだ。

「殿下、お元気そうで」

 静かな物言いだった。特に感激も無く。

「まだ何日も経っていないのに、ずいぶん久しぶりみたい。わたしはあなたにまた会えてうれしいわ」

「光栄ですわ。ですが、今日はいったいどうしてこの工房へ……」

 ガブリエルは当たり前の疑問を投げかけるが、メリーの出で立ちを見据え、すぐに理解したようだった。

「ずいぶんとご苦労されましたわね、殿下」

 そ、そうよ、大変だったんだからね、だから…

「……まさか、私に服を仕立てろと?」

「あなたはどんなドレスもわたしに似合うように作ってくれたじゃない。だから、また、力を貸してほしくて」

 メリーの語尾がやや弱かった。

「殿下、わたしが一着いくらで仕立てるかご存知のはず。今のあなた様にその支払能力があるかしら?」

 あの時はお金なんて関係なかった。そんなもの気にする必要はなかった。だが、今、メリーの手元に後ろ盾も権威も、お金も、それこそ、今着ている服以外に持ち物はなかった。

「いくらだ」

 カートが割り込んできた。

「その制服、トランスポーターかしら?」

「ああ」

「あなたの年間給与で帽子一つ分ね」

 カートは苦笑する。

「冗談じゃない」

「残念ね。交渉は決裂」

「えっ」

「殿下、今のあなた様は立場が変わったのよ」

 一着くらい……とか細い声でつぶやく。

「裏口を案内するわ、今日はお引取り願えるかしら」

 いくぞ、あきらめろとカートはメリーの手をとった。

「ガブリエル、もう、わたしには頼るとところ、ないの。だから……お願いだから、力を貸して」

 ガブリエルはメリーの泣き落としにふうと溜息をついた。

「泣かれても結果は同じことです。お引き取りください」

 ぽろぽろと涙をこぼすメリーに向かって冷ややかに断るがどこからともなく黒い帽子を手にとって、ぽんとメリーの頭にかぶせた。

「さあ、それをかぶって裏口から出て行ってちょうだい。あの受付のコはどうもスパイだったようね。旧帝政派の私を監視していたのね、そろそろ警備隊がそろそろやってくる頃合よ」

 なんだって! そう言って慌てたのはカートだった。

 いくぞ、とすぐに手をとる。

 ガブリエルは耳打ちした。

「三つ先の十字路を右に曲がった先にローザ・ミーアというお店があるわ。そこに私の紹介で来たと言えば力になってくれる手はずになっている。がんばって」

 裏口の扉を半開きにして、いつまでもガブリエルは手を振っていた。

 そして、辿り着いたローザ・ミーアの倉庫には昔のメリーの衣装が山ほどつまれていたという。 

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