支線
exep.01 名主の娘
汽笛が聞こえた。
定刻どおり。
今日も同じ時間に港の方から聞こえる。
港といっても、蒸気船ではない。蒸気船が立ち寄れるほど、立派な港はない。
この村にあるのは、寂れた漁港と、そこから荷物を運び込むための貨物鉄道の駅だ。
汽笛の音が徐々に大きくなる。蒸気機関車が駅に近づいているのだ。その音と現在の時刻を確認するように読みかけの本から顔を上げる少女がいた。
三つ編みお下げの女の子。庭のパラソルの下、午後の緩やかな日差しを浴び、だいぶくたびれてきた大好きな本を片手に紅茶を飲んでいた。何度読んでも熱中してしまう、革命に身を投じた少女の物語。今日もページをめくる手が止まらない。だがしかし、汽笛がいつもより多く聞こえてきたことが耳に付いた。
はっとなり、駅の方角をよく見ると、汽車は減速し、今にも駅に停車しようとしている。
彼女の感覚が異変を察知した。
今日のこの時間の貨物列車はすべて通過するはずなのだ。
大好きな本に栞を差し込み、すぐ使用人に出かける旨を伝えた。
居場所がなければつくればいい、そういって飛び出していった兄。彼からの返事が列車に積まれているかもしれない。
プラットホームもない、野原に看板が立っているだけの駅。見上げると緑深い山々が迎えてくれる。
制帽を整え、てすりを使わず、タラップから飛び降りた
砂利道に降り立つと彼はタラップに向かって、踵を返し、おもむろに手を差し伸べた。
手すりにぎゅっとつかまっていた小さな手のひらは、青年の手をしっかり握る。
「カツラを落とすなよ」
青年の軽口に、今にも列車から降り立とうした少女はムッとした。
頭を抑える手にも力が入る。
「・・・・・・わかっているわよ、バカ!」
豊かな黒髪が強風によって、流れていた。
その隙間から垣間見えるのは青い髪。
青年の手を頼りに降り立ち、少女の青い瞳は不機嫌な色を映していた。
「こんな田舎でカツラかぶる意味あるの? 誰も私のことなんてわからないわ」
「そういうなよ、お姫様」
ここは貴族の別荘地なんだ、と彼は解説する。
「聞いたこと無いわ、どうせ二流三流貴族の避暑地でしょ」
「あの山の向こうは全部海だ。峠から一望できるとかなかなか評判なんだ」
「そんなところを観光するために、私を昼寝から起こしたわけ?」
「まさかな」
意味ありげに微笑む。その表情に少女はさらに不満を募らせる。
フンとそっぽ向いて、口を利かないというつもりらしい。
青年は午後の日差しを浴びながら、車両を離れようとした。
そのとき、小さな駅舎の方から声が聞こえてきた。
「すいませ~ん」
若い女性の声だった。
青年は制帽のつばをあげて、その姿を確認すると、彼女の方に向き直った。
「ああ、カートさんだ、いつもご苦労様です。私を覚えていますか?」
そっぽを向いていた青い瞳の少女の耳がぴくりと動いた。
「アンナか、出稼ぎの兄キに毎回手紙を送っていたんだよな」
「はい、そうですそうです! さすが、トランスポーターのカートさん」
貨物列車の荷物を管理する輸送管理官・通称トランスポーター。受け取った荷物は必ず相手に届けるというのが信条のカート・シーリアスは誠実なトランスポーターとして小さな駅でも名を馳せていた。
「今日の汽車はすべて通過と聞いていたんですが」
列車の運行はすべてダイヤ通り。例外はほとんどありえない。
「・・・・・・隣の駅で故障があるそうだ。それで、今日はどうしたんだ」
「あの、その、兄からの手紙、積んでませんよね・・・・・・」
カートは制帽のつばを下ろして、無言で答える。
「そ、そうですよね・・・・・・止まる予定はなかったんですものね・・・・・・はぁ」
そういいながら、肩を落としてとぼとぼと踵を返していく。
「ちょっと・・・・・・あれ、なに? あんた駅ごとに彼女いるの?」
「村の名主の娘だ。家出した兄に手紙を送り続けている健気なコだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ふーん、健気なコねえ」
そういって、彼女の後姿を追う。
「メリー、あんまり遠くへ行くなよ」
「あんたは荷物から離れられないんでしょ、ついてこないでよね!」
「おい、あいつの兄貴はな……!」
カートが声をあげるころには、メリーは小走りであっという間にアンナに追いついて、なにやら挨拶しているようだった。
木造の三角屋根の駅舎は、駅舎というよりログハウスというのに近い。単なる小屋だ。テーブルとイスが無造作に置かれているだけの待合室。
アンナはメリーの話に夢中になっていた。
「それでそれで、帝国はどうなったの?」
「クーデターが起きたの、わかる?」
「んまあ、知識では」
「最低のやり方だわ。帝国皇室・ロイヤルブルーが暮らす宮殿・ブルーハイムを占拠、女子供を人質にして……」
メリーの特徴的な青い瞳が大きく歪んだ。それでも口は止まらない。
「皇帝陛下は数日後、公開処刑されたわ。新しい時代の始まりとか言われて。ひどい話よ、要職についてた皇族の男性はことごとく殺された」
民衆が支配者を倒した、とされる事件を語る。
その後、革命政権が旧帝国を牛耳り、支配下にあった国は独立を唱え、世界が動き出した。
「でも、結局は首の挿げ替え、議長は総裁に名前変えてよりワンマンになったし、気に入らないものはバンバン首にしてさ、独裁には変わりないわ」
アンナは完全にメリーの言葉と、彼女の青い瞳にひきこまれていた。
「わたしとおんなじくらいなのに、よく知ってるんだ。まるで肌で体験したみたい」
メリーは自嘲的に笑った。
会話が途切れた。窓から気持ちのいい風が流れていた。
日差しも穏やかで、メリーは疲れていたのか、うとうとしだした。
アンナは動いた。
メリーが寝息をたてるようになると、そっと傍まで近寄って、黒髪のカツラに手を触れる。
ちらっと見える青い髪に、ごくりとつばを飲む。
そっと、カツラを外そうとした。
「そこまでだな」
アンナは肩を震わせて、振り向いた。
「兄貴の真似はしないほうがいい、命が惜しいなら」
カートだった。上着を着て、しっかりとボタンまで留めている。正式な輸送管理官の服装だ。
「どういう意味」
テーブルの上にカートは紙包みを置いた。縛られた手紙の数々。
「そ、それは……わたしが書いた……」
田舎娘が都会に出稼ぎ行った兄に向けて書いたとされる手紙。封は開けられ、所々黒く塗りつぶされている。
「ああ、当局に検閲されて、さらに宛先人不明で戻ってきた」
要するにスパイだと疑われた男への手紙を当局がシャットアウトしたのだ。
アンナはそれを知らず、必死に力になろうと自分の手に入れた情報を手紙に記したのだ。こうやって、トランスポーターたちから聞いた、情勢を。
彼女は力なく、笑う。
「なんだ全部、わかってたの……」
「そうでもない、状況証拠からの推測だ」
「うそつき、わかってるくせに。それで、このコを、あなたたちはどうするの」
おもむろにメリーを指差していた。
「安全な場所まで連れて行くのが俺の仕事だ」
「亡命皇女に安全な場所なんて」
アンナは吐き捨てるように言った。
カートは動じずに静かに答えた。
「なければつくればいいだろう、お前の兄貴のセリフだよ」
列車が出発するころ、アンナは見送りには来なかった。
彼女の敵を見るような視線で別れ、それっきりだ。
「ねえ、私ってさ」
メリーは出発後、カートの袖を捕まえて聞いた。
「やっぱり、厄介な荷物よね」
カートの答えはいつも同じだ。
「どんな荷物であれ、必ず届けるさ」
場所がないならつくればいい、あの男はそう言っていた。
カートだって、あの男に励まされた一人なのだから。
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