ep.04 臨検
朝もやに蒸気を混じらせ、列車はベルク駅に滑り込む。ブレーキ音をとどろかせ、停車した。
赤い制帽に、白いシャツ、黒いトレンチコートに身を包み、揃いのピンバッジをつけたベルク地方市民憲兵団が列車を待ち構えていた。
片メガネの度の修正をしていたキャプテンの目でも、先頭に立っていたのが女だということはわかった。
「分隊長のローズ=ホーリックスです。すべての民に代わり、我々がこの貨物を臨検させていただきます。まずは乗員をここに集めてください」
腕を大げさに肘を張り、手のひらを隠す革命政府が定めた新式の敬礼。
乗員はひとりとして、返礼をしない。
その事実にローズは唇を噛む。
「言いがかりではないのかね?」
キャプテンが軽い口調で抗議する。
「善良な市民からの通報です。私たちはそれに応じたに過ぎません」
「お手柔らかに頼むよ」
「それはみなさんの協力次第ですよ、キャプテン」
キャプテンの余裕にローズは不機嫌さをあらわにして、にらみつけてくる。だが、恋人の姿を見つけて、表情が少し穏やかになる。
カートは制帽のつばを下ろして見ないようにしていた。
ステップを降りてきたメリーはローズの姿を見て、なにやら感心していた。
あれが――カートの恋人?
顔立ちは美しい。帽子の下の切れ長の目がまっすぐ前を向いていた。艶やかな髪に、白いシャツと赤いネクタイがよく似合っていた。背筋を伸ばして、男性の着るコートを羽織って、凛々しい、気の強そうな女隊長だった。
そして、その後ろに控える金髪の男の存在に思わず一段踏み外した。
転ぶ一歩寸前で手すりにつかまるも、すぐに視線は金髪に向かった。
「ローズさん、乗員全員揃いました。名前を読み上げましょうか?」
金髪の青年、独りだけ赤帽を被っていないが、やはり同じ市民憲兵のコートを着ていた。いや、着させられていた。彼には全く似合っていない。
驚きのあまりメリーの唇がその男の名を告げていた。カートにはそれが読めた。
――リュミエール。ロイヤルガードの男か。
ローズや彼女に従う男たちと同じ、市民憲兵の制服を羽織っているということは革命政府の手先となって動いているも同然。
ローズの副官として、名簿を読み上げる。
「ではまず、機関士ボストン=ハーブ……続いて輸送管理官カート=シーリアス、ミハイル=グリーリー……食堂車配膳係オーシャン=パステル、メリー=トゥルーズ、最後に車掌ホワイト=オーグリー。以上です」
美しい発音で読み上げる。久しぶりに聞く、リュミエールの声にメリーはずっと下を向いていた。
「紹介ご苦労である。これより同志による面通しを行う。リュミエール、よろしく頼む」
ローズの指示のあと、金髪の青年は気難しい顔をして、頷いた。
一列に並んだ乗務員の顔を端から順に検分していく。
亡命皇女の面通しには元ロイヤルガードの彼以上の適役はいなかった。普通に考えれば間違えるはずがないのである。
キャプテンとは知己のようで、お久しぶりですと会話を交わしていた。
「おぬしがこんなところにいるとはな」
「左遷ですよ」
リュミエールは笑って言う。
次にカートの前に立った。
「英断に感謝します」
小声で囁かれた。
カートはなにも返さなかった。
面識がないはずなのに、まるで知っているかのように、彼は声をかけてきた。
パステルの前を通り過ぎる。
そして、リュミエールは立ち止まった。
列の一番端に立ち、肩を震わせていたメリーの前で。
じっと彼女を見つめる。
メリーは視線を逸らして俯いていた。
「どうして、震えているのですか」
リュミエールの手がメリーの肩に触れた。
それでも、メリーは顔を上げなかった。
「怖いのです、こういうの、初めてですから……」
「大丈夫です、落ち着いてください」
発音が美しく、優しい声音だった。
「こういう時代ですので、毎日苦難があるかもしれません。でも、気を強
く持って生きてください。私はいつだってあなたの味方です」
馬鹿ね……声にならない言葉で返事をしながら、定型句を口にしていた。
「……ありがとう……ございます、騎士様」
「どうした、その娘になにかあるのか」
ローズの問いかけに、メリーは俯いて、彼女を見ないようにした。
「問題ありません。我々の存在に怯えていたので敵ではないことに気づいてもらったのです」
高らかな宣言に、メリーはリュミエールの背中をじっと見つめるが、彼は振り返ることはなかった。
「では次に積荷を調べさせてもらう」
二号寝台車はリュミエール。三号貨物は私、四号タンク、五号食堂車は……とローズはテキパキと指示を与える。
三号貨物、つまりはカートの荷物はローズが調べる。カートはキャプテンに向かって肩をすくめてみせた。
「各乗務員は食堂車にて待機。なお、出入り口には我々の監視を置く」
続けて、ローズは得意げに指示をする。
「メリー、お茶を淹れてくれないか」
「私を小間使いみたいに使うの、あんたが初めてよ!」
カートの要請にむすっとしながらも、メリーはキッチンへ向かった。
同じタイミングでひょっこりと食堂車に顔を出したのは、ローズだった。当たり前の様にカートの隣に座った。
「あんまりそばによるな。取り調べ相手と癒着してどうするつもりだ」
辟易するカートの隣にローズは寄り添って、手帳をめくる。
「これからいくつか質問させてもらうわ」
「何でも聞いてくれ……」
「一つ目、今回のカーゴの数はいくつですか」
「八だ。コンテナは十五と誤着が一つ」
手帳の数字と見比べながら、ローズはうなずく。
「二つ目、正規乗務員以外の怪しい人物を見ませんでしたか?」
「知らないな。この列車に乗っているのはすべてキャプテンの認可を受けたものだ」
「三つ目、今夜はどちらにお泊りですか」
「今夜はファイナリア泊まりだ。その次の日はトゥルーズ地方経由で帝都に戻る。そこから先は未定だ。ダイヤに従う」
「もう皇帝の都という名はふさわしくありません。って何度言ったら、あなたはわかってくれるの」
「そうだったか。忘れてたよ」
「それでは、最後の質問です」
お茶を運んだメリーは黙って二人の前にカップを置いた。ローズは礼を言わず口につけて、次の言葉を探していた。
「私の、今の仕事、あなたに譲ったら、あなたは……帰ってきますか」
カートはお茶を一気にあおって、立ち上がった。
「カート! あなたは私の仕事が気にいらないんでしょ、だったらやめる。その代わり、あなたが革命の戦士として目覚めてくれるなら、私はそれで……」
「何度も言わせるな。俺は輸送管理官のカート=シーリアスだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「それが宝の持ち腐れってなんでわからないの! きゃぁっ」
怒鳴り声はすぐに悲鳴に変わった。ローズが立ち上がった際に、メリーがティーボトルのお茶を引っ掛けた。
「もう、どうしてくれるの!」
ズボンのふともものあたりがぐっしょり濡れていた。あわててパステルが間に入り、必死に頭を下げる。
「ごめんなさい、このコまだ新入りなもので」
「ああ、さっき怯えていたコ! 手間ばっかり掛けてくれるわね!」
怒気をはらんだ声に反するように、メリーはちょこんとしか頭を下げなかった。
カートのことでぴりぴりしていたローズを激怒させるには充分だった。
「なによ、その目つきは。生意気。貴族が市民を馬鹿にした目だわ。私たちは市民を代表する組織なのよ。失礼しましたくらい言いなさいよ、ほら」
無理やり下げさせるように、ローズがメリーの頭に触れる寸前、カートの手が伸びた。
「やめろ、大人気ない」
「このコの味方するのね。どうして? 私の言うことを少しも聞いてくれないのに。カート、私はあなたのためなら、なんでもできるのよ……」
「行こう、着替えるんだろ」
「待って、このコからの謝罪がまだよ」
「あとで俺が叱っておく」
「私のために?」
「ああ、そうだよ」
釣られた返事にもかかわらず、逆に機嫌をよくしたローズは部下に着替えを用意させるように言いつけて、自分も出て行った。
そして、束の間の静けさが訪れた。
カートは黙って椅子に座った。
「……怒ってないの?」
「いや、感謝している……」
カートは仏頂面であった。
「素直ね……でも、そうは見えないけど?」
「追い払えたのはいい。でも解決にはならない」
「どうするつもり? まだ好きなんでしょ?」
「自分の問題を解決してからにしてはどうだ」
「……」
メリーはだんまりを決め込む。しかし、すぐにその表情が緊張した。
リュミエールがやってきたからだ。すっとその場から離れ、キッチンへ向かう。
「カートさん、寝台車の検査はすべて終了しました。異常がなかったことを報告します」
「わざわざありがとう。これで安心して眠れる」
カートは冗談めかして笑う。
リュミエールも釣られて微笑えみながら、小声で続けた。
「姫様に伝えてください。香水の瓶と芳香器は出しっ放しにするなって」
リュミエールの発言に驚くよりもさも当然とばかりに、カートは不満を口にした。
「俺の言うことなんて聞きゃしない」
「いや、割と気にいられていますよ、カートさん。あなたが思っている以上に」
「光栄だね。こんな短期間にそんなことがわかるなんてな」
「わかりますよ。それこそ、手にとるように」
リュミエールはそれを喜んでいるようだった。
「話はしないのか」
「私の言葉は伝えたつもりです」
「勝手な言い分だな」
「お互い様ですよ、ローズさんに譲るつもりはないでしょう?」
「立場が違うさ」
だが、会話を横切るように、手が伸びた。
「どうぞ、お茶です。自分勝手なお二人さん」
メリーがお茶を注いだカップを置く。カートとリュミエールの分。
「ありがとうございます」
リュミエールの言葉にメリーはぷいと横をむいて去っていく。
「いいのか?」
「お茶を出していただくのは初めてです……感慨深いな。いつも僕の役目だった」
リュミエールはメリーに向かって笑顔で手を振っても、じっとこちらを見ていたメリーはまた横を向いた。
「これでいいんですよ、お互いのためにも」
じっくりとお茶を味わうリュミエールだが、露骨に不機嫌な顔をするカートを見て、一気にカップをあおった。誰が現われたのか、すぐに見当がついたのだ。
「ローズ分隊長、貨物および寝台車の検査はすべて終了し、異常は見当たりません」
「まだ調べたりないわ、どこかに隠しているかもしれない」
部下からの報告を受け、露骨に悔しそうな表情を見せる。
「異常が無いのなら、定時に出発したいのだが、協力してもらえないかな。我々が立ち往生しては次の列車がこの駅に辿り着けなくなる。市民のためというなら、ルールは守ってもらいたいな」
キャプテンが片メガネを外し、磨きながらそう言った。静かだが、その裏に込めている意味にローズは唇を噛んで、部下に撤収を宣言する。
キャプテンが異常ナシの書類を受領し、それを掲げ、機関士に合図をする。ボストンははりきって、汽笛を鳴らした。出発だ。
食堂車に集まった乗務員にキャプテンは告げた。
「諸君、我々はこれより旧帝国領を抜け、ファイナリア共和国ファイナリアシティへ向かい、すべての荷物の引渡しを行う。我々の無実を証明してくれたベルクの市民憲兵に敬意を表しつつ、定刻通り出発する。この町を抜ければ国境である。ご苦労であった」
帝国式敬礼。キャプテンは率先して手のひらを見せる敬礼を行う。
カートもその敬礼に続く。
メリーも彼らにならった。
「もう、大丈夫だ」
カートはメリーのかつらを外すと、鮮やかな青い髪が露わになった。同時にメリーの目から涙があふれ、止まらなかった。
カートは黙って、ハンカチを差し出す。
「なによ、出来レースじゃない……」
「そうでもないさ」
そう言って、車両の外へ向かう。
「どこ、行くの……」
「アイサツだよ、別れのな……来るか」
「イヤよ、私はまだあきらめない」
蒸気が溢れ、汽笛が響く。黒い巨躯は移動を開始した。
もくもくとたちこめる蒸気の中、列車を追いかける女の姿があった。
風にあおられ、赤い帽子が吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえ、一人の男の名前を叫ぶ。だが、その者は一向に姿を現さない。
そして、車両が次々と女の目の前を通過していった。目的の人物が乗っているはずの車両はあっという間に過ぎ去り、女は崩れ落ちた。
だが、最後の一両に男の姿があった。
帝国式敬礼で佇んでいる。
女は顔を上げることなく、その男の姿に気づかず、傍らに立つ金髪の青年だけが帝国式敬礼で返礼をしていた。
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