ep.05 厄介者
かけたまえ、呼び出された理由はわかっているな。
男の声に促され、ローズは部屋の中央にぽつんと置かれた椅子に腰を下ろす。テーブル越しに高級将官たちが座っていた。
直属の上官ではなく、二つ上、もしかしたらそれよりも上と見当をつける。薄暗い部屋で襟の階級票がよく見えない。あえてそうしているのかもしれない。上級将校が揃いもそろって末端に等しいローズを取り囲むのは異例なことだ。
こんな経験は初めてだ。
「取り調べをした車両には皇女は見当たりませんでした」
堂々と答える。嘘は言っていない。確かにいなかった。
「君は皇女を取り逃がした。これは事実だ。我々はあの列車に乗っていたという情報を得た。確かなルートだ。だが、君はいなかったと言う。君の恋人が乗っていたという車両でだ」
反射的に一歩踏み出してしまう。
が、言い返したい気持ちを我慢して、言葉を飲み込む。
ムキになってはいけない。
「いいえ、そのような事実はありません。私は職務を全力でこなしました」
中央の白髪の壮年男が微笑む。
「では、我々の情報が間違っていると。君は上層部が間違っていて、自分は間違っていない。そう言うのだな?」
ローズは唇を噛む。
「我々は確かな情報を入手したのだ。だからこそ、ロイヤルガードのあの男をつけた。念には念を入れてな。しかし、結果は失敗。皇女はファイナリアへ。この意味することがわかるか? 歴史に残る汚点だぞ。革命は最後の一点で取りこぼしを行った。君は歴史に裁かれたいようだが、君だけではない我々の積み重ねてきた革命の運動そのもののピースが欠けてしまうのだ」
じゃあなぜ、私だけを派遣させたのか、何としてでも止める手立てはあっただろう、といいたい気持ちを飲み込む。
「閣下」
若い男の声が横から入ってきた。
こんな時にも笑顔で敬礼して、ローズの隣に立った。まるで自分も同罪と言うような立ち位置だ。
「特務隊大尉のシエロ=マックイーンです」
「ああ、君か。確か創立メンバーだね。よくやっていると聞いている」
「ありがとうございます。閣下にお願いがございます」
「なにかね」
「彼女にもう一度機会をお与えください」
「理由を聞こう」
「私が、かの車両の情報を掴むのが遅れたためです。可能な限り裏付けを行い、ここにいるローズに電信を送る予定でした」
「それが遅れた、と」
初耳だ、あのシエロがミスとは。
誰となく、わざとらしく口にする。
「正確には、遅れたわけではありません。掴みきれなかったのです」
閣下と呼ばれた壮年の男は合点がいったようだった。
「なるほど、君の見立てでは、あの列車ではなかった、そう言いたいのだな。だが、事前の情報では間違いないということで迷ったが、臨検をおこない、何も出てこなかった。とすると、特務隊としても責任があると」
「おっしゃる通りでございます」
「わかった。では、ローズ少尉はすぐにファイナリアへ向かえ。刺客をつける。生死は問わん。ロイヤルブルーを確保せよ。シエロ大尉は引き続き情報を収集し、サポートにまわれ、では解散」
将校たちは二人の様子など気にすることもなく、次々出ていき、シエロとローズだけが取り残された。
「まさかここまでとは思わなかったかな?」
先に口を開いたのシエロだった。ローズの気持ちを代弁していた。
「……お心遣い、感謝します。ってちょっと前なら言ってた。でも、なんか違う。私の仕事は評価されず、カートが一緒だったことを問題にされたのって。なに、この感じ。すごく気持ち悪い」
「カートは優秀な男だ。きっと君は彼に負けたんだよ」
会話が噛みあってない、ローズの気持ちは晴れない。
「カートは我々と非常に近いが、頑固なところがある。君はそこに入っていける唯一の人だよ、ローズ。君がカートをもっと指導しなくてはならない。いつかその情熱も伝わるだろう。彼が我々の味方にさえなってくれれば、この問題は解決するんだ。僕はそう信じているよ」
事実そうなのだろう。シエロの勘は大概当たる。その裏付けをとるのが大変だが、彼はそれをやってきた。
だが、味方ではないということならば、カートは敵だということか。
その事実に気持ちが萎えた。
そんなつもりではない、と叫びたかった。
私たちの居場所をつくるために、新しい世の中をつくろうとしているのに。
一人で歩く暗い廊下にブーツの音が寂しく響いた。
窓からの景色は見渡す限りの大海原。
切り立った崖の海岸線に掛けられたアーチ状の鉄橋をリズミカルな音を立てて走る列車の窓、雄大な自然の光景を眺めても厳しい表情の若い女性がいた。橋の下では波が岩にあたり砕ける、自然の荒々しさが延々と繰り返されるが、彼女、ローズ=ホーリックスの心境もまさにそうだった。自身の思いは波に打たれる岩のようだった。しっかりと気持ちをもっているつもりにはなっているが、常に押し寄せる波に少しずつ、自分自身が削られていく。削られきったら、どうなってしまうのだろうという不安を残し、目を閉じた。
ちょうど、トンネルに入ったところだった。岩をくりぬいたトンネル内に列車の走行する音が反響する。
今日は赤い帽子を身につけていない。一般の旅行客の様に、やわらかなコートに首まで覆うセーター、古ぼけたジーンズに身を包んでいる。隣の座席にハンドバックを置いて誰にも座らせないようにしたが、対面式の座席には男の姿があった。
行きがけに買ったきたのだろう、リンゴの皮をひたすら薄く剥いている。ナイフの柄は禍々しく歪んでおり、刃も緩やかな曲線が鋭さを感じさせる。明らかに戦闘用の刃物だった。
列車がトンネルに入ってしまえば明かりの灯らない室内は真っ暗になる。男はリンゴの皮を剥く手を止める。トンネルから列車が出れば手を動かし始めるのだ。透けて見えるほどの薄さに。
「ねぇ、それ、なんのためにやっているの?」
ローズは目の前で行われる変態的な行為に冷ややかな口調で問うた。
男はにやりとした。
「こうやってないと落ち着かなくてな。おまえさんこそ、ずっと不機嫌じゃないか。今回の任務のパートナーだ、お互い仲良くやっていこうぜ」
「そうね」
ローズはその気もなく、適当に相槌をうつ。
「皇女さまってのはまだ十代の若い女だろ。スカイブループリンセスっていうくらいだから、よっぽど綺麗な肌をしてるんだろうな、今から楽しみだぜ」
スカイブルーの意味を勘違いしている、とローズは思ったが、特に何も言わず黙っていた。相変わらず続く、海岸線の景色に視線を戻す。カートと一緒にこうやって列車に乗って二人で景色が綺麗だなどと言っていた時分があったなとふと懐古する。目を閉じれば、その時の光景が思い起こされる。
“ここはその昔、世界の果てだといわれるほど、延々と崖が続くところだ”
“それをたった三年で列車が走れる道をつくったのが帝国陸運であり、ファイナリアの国の人たちだ”
“このファイナリア海岸線が開通したことで、経済が発展し、ファイナリアは帝国をはじめとする諸国に肩を並べる国家になったんだ”
カートの得意げな解説が再び頭の中で再生される。
世界の食糧庫と呼ばれるようになったファイナリア盆地まで、もうすぐである。海岸線から内陸に進路を向ければ、すぐにでも広大な小麦農園が見えてくるはずだった。
都会育ちのローズにはその光景は絵画の中でしか、見たことがなかった。トンネルを抜けたとき、窓からの景色には驚いたものだった。青い海が終わったと思えば、今度は金色の麦の海。あの時はカートのガイドに感心しながら、目は風景に釘付けだった。
だが今は、そんな時を思い出すと気持ちが揺らぐ。徐々に侵食されていく波打ち際の岩ではないが、押し寄せてくる感情や任務、状況に打ち克ってはいかなければならない。
だが、それはなんのために?
疑問と矛盾はまるでトンネルに似てる。
目の前の男、ロベルト=リーズンは剥き終わったリンゴを下手からポーンと空中に放り投げ、追って素早くナイフを投げた。ナイフはリンゴの果肉を貫通し、そのまま壁に突き刺さる。本人はけらけらと笑っている。
「危ないことはやめてもらえない?」
ロベルトはローズの言葉を無視し、今度は懐からピストルを取り出し、ぱきぱきと解体する。メンテナンスのつもりだろう。
「可愛い顔には刃物を突きつける方が俺としては好みなんだがなぁ、こいつは追い詰めるために必要な道具だ。綺麗に手入れしてやらなきゃなあ」
ローズはぎょっとした。
そして、ふと気づいたことがある。
――この人も厄介者か。
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