ep.03 お手伝いさん
サウスポート駅では燃料の補充と各職員の水・食料の補給として停車した。
停車中にメリーは素早く食堂車に移った。クリーム色のエプロンをして黒髪のカツラをかぶり、三角巾をすれば年頃のお手伝いさんとしか見えなかった。
「よく決心したわねぇ」
いつも奉仕される側だった少女は苦笑する。
「部屋の片隅で怯えているよりはマシだわ」
「花嫁修業にはちょうどいいんじゃないかしら、お姫様」
花婿にカートを奨めるパステルおばさんに、メリーはさすがにコメントに困った。
「余計なお世話よ、もう。私にだって……」
「なにか言ったかしら?」
「なんでもないわよ! で、なにすればいいの!」
食堂車は食後のお茶をする輸送管理官をはじめとするトランスポーターたちの溜まり場である。そこには珍しくカートの姿があった。
「ほら、見て。口にはしてないけど、あなたのことが心配みたいね。カートなんて普段は混んでる食堂車に寄り付かないのに……そうだわ、練習がてら彼にお茶を出してみて」
「はあ?」
思わずメリーは素っ頓狂な声を出してしまった。
なんで私がお茶を? と憤りながらも、自ら奉仕する側になるといった手前、やらないわけにはいかない。トレイを抱えて、気味が悪いほどのとびっきりの笑顔でカートの顔色をのぞき込んだ。
「コーヒーでもいかが? カートさん」
「あ、ああ、もらう。悪いな」
「いえいえ、お世話になっていますからね、カートさん!」
「ああ、そうだな――」
毒気のこもったメリーの言葉はカートに伝わらなかったらしい。生返事が返ってくる。
カートは難しい顔をして、あらぬ方向を見ていた。
「どうしたの?」
「考え事だ」
「見れば分かるわよ」
「ほら、他のやつが待ってるぞ」
他便の輸送管理官が手を上げてメリーを呼んでいた。久しぶりの若い女の子の乗車で少しざわめき立っているようだった。
「俺、貴族の末裔でミハイルっていうんだ、キミは?」
貴族の名家分布図が頭に叩き込まれているメリーには、彼から家の名前を聞かされても呆れるだけである。メリーはうんざりしながら微笑みを返す。
思わずカートを見たが、彼は一向に自分の世界から出てくるつもりはないようだった。
「ねえ、パステルおばさん。私、カートになにか言ったかしら?」
「さあ? どうかしらねえ、あのコは悩みだすと誰にも相談しないからねえ。彼女のことで思い出しているんじゃないかしら。次の駅のベルクってところで働いているらしいの」
「彼女? 恋人いたの? へえ」
なるほど、となにか腑に落ちたように納得し、メリーはそれ以来その話はおろか、ほとんど口を利かなかった。
食事時を過ぎ、輸送管理官たちは各々の持ち場に帰って行った。黙々と人気の無い食堂車の床をモップ掃除して、さすがにクタクタのメリーは椅子に腰掛けた。
「疲れた。やっぱり営業スマイルはくたびれるわ……」
ぐったりとテーブルに体を投げ出していた。
「お疲れ様。助かったわ。正直、私もそろそろ年ね、疲れちゃうのよ。若い子がお手伝いしてくれると本当に助かるわ。でもさすがね、一つ一つの仕草が上品で。背筋がしっかりと伸びて歩き方も綺麗。憧れるわ」
お茶を差し出しながら、一気にまくしたてる。
メリーに比べて疲れているようには見えなかった。
「何にも出来ないプリンセスだなんて呼ばれるのは癪なだけよ」
「そう。立派なお姫様ね。なにか食べる?」
「いい」
馬鹿にされているようで、少しふくれっつらになる。
「部屋で休んでいるから」
どうせもうやることはないのだからと、個室に戻る。
明日の朝に次の駅ベルクに到着する。
束の間の休息である。
「ちょっと、私の話に付き合ってくれない?」
髪を払いながら、照れた様子でメリーが呼び止めてきた。自室に篭もろうとしたカートはドアノブを回す手を止めた。
「最近ね、独りで暗いところにいると、涙が、止まらなくなるのよ……」
数時間前に読んだ新聞記事を思い出した。嫌なものを見てきたのだろう。そっとメリーの頭を撫でる。
「怖いのか」
小さく、俯く。
「誰もいなくなっちゃたから、私の周り……」
記事で読んだことは真実なのだろう。
「これが、最後の夜かもしれないし……」
明日に臨検があるという。それが事実で、もし捕まったら、身柄はどうなるか、悪い方に考えてしまえば震え上がる。メリー曰く、同じロイヤルブルーで陸軍元帥だったイトコは食事もロクに与えられず、衛生状態も最悪の地下の土牢に監禁されているという。生きているのがやっと。
――ロイヤルブルーの男はみな処刑された。
新聞に書いてある事実と違うとあえて言うこともなかった。今はメリーにとって信じたいことを優先させておいた方がいい。
「生きている保証なんてないし」
キャプテンの言葉を思い出す。
――殿下も生命の危機を感じていられる、か。
朝を待つのが怖いと言うように、彼女の肩は震えていた。
「わかった。気持ちが落ち着くまでなんでも話してくれ」
メリーは少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。
素の表情をはじめて見た気がした。それは本当に年頃の女の子そのものだ。
「私にはロイヤルガードのリュミエールという男の人がいつも付き添ってくれていたわ。私、彼にいつも言っていたのよ、鉄道に乗って遠いところへ行ってみたいって。姫様それは無理ですとか言ってたけど、たいてい、あいつはいつも私のわがままにつきあってくれて、周りから怒られてた。でも、なにかあると必ず体を張って私を守ってくれるの」
「なんだ、のろけ話か」
「いいから最後まで聞きなさいよ」
「わかった。それで、そのナイトはいまどこにいるんだ?」
メリーの表情が沈む。
「死んだのか」
「殺さないでよ! 生きてるわ! たぶん……」
要はメリーを逃がすためのオトリになって、革命軍に囚われているに違いないとのことだ。
「それから、会ってないのか?」
こくりと頷く。
「新聞報道にはロイヤルガード制度解体は皇族直属奴隷の解放とか書かれてたけど、あれはどうなんだ。ロイヤルガードってようするにナイトみたいなもんじゃないのか」
「ロイヤルガードは従士兼護衛、皇族はもちろん、貴族たちはみんなそれぞれ用意してる。人によっては秘書みたいな使い方をする。私がそう。リュミエールは何でも知っているし、人の顔もよく覚えるし、下調べも完璧。皇族本人を捕まえるより、ロイヤルガードを捕まえた方が情報を握っているとはよく言ったものよ」
「実際はロイヤルガードを吸収して、皇族の情報を掴みたかっただけなのか。あいつら適当な口実つけて利用しているだけだろ」
「そうよ。打倒皇室だって、権力が欲しいだけの口実に過ぎないわ。どうせ私たちを追い出して自分たちがそこに座るだけ。みんな騙されてるのよ、民衆のためとかいうけど」
「それは俺も思うところは少しあるが、それで、リュミエールはどうなったんだ」
「そう、それで、リュミエールは私についての情報提供を求められたみたいなんだけど……適当に喋ればいいのに、だんまりをきめとおして、きっと今頃拷問よ。だから、私は捕まってない。馬鹿ね……痛い目にあうくらいなら喋っちゃえばいいのに」
馬鹿ね、と言いながら、頬には涙が伝っていた。
「なるほどな……」
真面目にカートは同意した。性格が理解できた。
「そこが良いところでもあるんだけどね……」
メリーは力無く笑っていた。
「そうか。俺もわからないでもない。同じ立場だったら、そうするだろう」
少し影を落としていたメリーの表情が突然変化する。
好奇心に満ち溢れ、目を輝かせる。
「あらー、どういう意味かしら?」
「いいだろ、俺のことなんて」
「ダメよ、私は色々話したじゃない。協力関係にあるんだから、あなたのことも知らないと」
もっともらしいことを言い張り、詰め寄る。さっきまでのしおらしい涙はどこへとばかりに。
「いつ協力関係になった」
カートはいつの間にか圧倒されていた。
「いいから話しなさいよ、どうせ別れた恋人のことでウジウジ悩んでいるんでしょ」
カートは少し赤くなった。
「どこで聞いたんだ、そんなこと」
「役得よ、役得」
「まったく」
「で、どうなのよ」
「……あいつは、今、ベルクで市民憲兵をやってるらしい。昔、わけあって、一緒に暮らしていたんだけど、俺がトランスポーターになってから、すれ違ってばかりだ」
「どうして一緒に暮らしていたのよ、夫婦なの?」
「違う。たまたま困ってたから居候させてやっただけだ」
「ふーん、よくわからないけど、夫婦未満の痴話げんかってとこ?」
「話を勝手に解釈しないでくれ」
「市民の生活はわからないわ。そういうことってけっこうあるの?」
「俺は父親が死んでから生活が大変だったんだが、道端で困ってるローズを見てたらほっておけなくて、声かけたってわけだ。養う金もないのにな。俺の自己満足なお節介だよ、これで満足か」
「興味深いわ。どうしてローズは市民憲兵やってるのよ」
「俺に聞くなよ。あいつらの赤い帽子あるだろ、あれ、似たようなの買ってやったら似合ってた。そのあとだ、いつのまにか、職務でその帽子をかぶるようになってたんだ」
「なにそれ、あんたが原因じゃない」
「なんでだよ、関係ないだろ。革命の思想は俺の考えと違う」
「だから、けんかになるのねー。見えてきた気がする」
「やめろ、勝手に話をまとめるな!」
「それで、その人が私の前にたちはだかったら、どうする?」
当たり前の疑問に一瞬戸惑うが、答えは決まっている。
「関係ない。俺は俺の仕事をする」
「相手が恋人だからって、私を引き渡したりしない?」
仲直りの道具につかうなと言いたげだ。
「……俺は輸送管理官だ。荷物をそんなことには扱わない」
また荷物呼ばわりして、とメリーは不満そうにつぶやく。
「元気になったじゃないか、さて、今日はもう寝るか。一人で寝れるか?」
頭を撫でると、さきほどとは違い、手で払いのけられる。
「馬鹿なこと言わないで。子供じゃないのよ」
強気の発言にはいはいと答えて、部屋を後にした。
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