008→【君を見ている誰か】



 窓の外から蝉の声。

 ふと降りた静寂の後、

 タケセンが口を開いた。


「――――唐突で、悪いんだが」

「はい?」

「幽霊、というのは、いると思うか?」


 成程、


「夏の定番ですか。よござんしょ。俺の世代でもありましたね、八月の頭の、学校に泊れる林間合宿。不肖この相楽杜夫、誠心誠意オバケ役務めて御覧に入れましょう」

「きっかけは、電話だったんだ」


 このスルースキル、流石俺たちのタケセンって感じあるね。


「そのおかげで今日、決定的な大事を避けられた。見逃してしまっていたかもしれない分水嶺を、すんでのところで越えずに済んだ。だけどな、問題は――そんな相手はいなかった、ということなんだよ」

「……どういうことです?」

「千波岬の従兄弟は、五年前に亡くなっている」


 静かに。

 食い合わない事実と事実の、その狭間を見るように、彼女は言った。


「一体、誰だったんだろうな。あの、非通知の電話を掛けてきたのは。家族にも打ち明けていなかった事実、本人が誰も知っているはずがない、と取り乱したほど秘匿に自信を持っていた内心の、一斉どんな形でも外部に出力していなかった、今日の予定の詳細までを明かして見せた、あの子に水泳を勧めた従兄弟を語った人物は」

「…………本当にいたんですか。そんな人が」

「間違いないよ、杜夫。電話で両親に聞いて確かめたからな」


 しん、と静まり返る廊下。

 誰もが神妙な顔をする中で、ただ一人俺は心臓が壊れそうだった。


 ひぃぃいええ、咄嗟のでまかせが、まさか、そんな偶然を見せているとは……。


「しかも、ご丁寧にその人物はこう言っていたそうだ。『盆の打ち合わせで千波家に訪れ、彼女の部屋を見た』とな。――あの子の部屋には、生前、従兄弟に贈られたぬいぐるみが今も、タンスの上にあったそうだ」

「た、た、タケセンは、それが、まさか、幽霊からの、霊界通信だって?」

「――意外だな。おまえもそんな青い顔をするんだね、杜夫」

「そ、そりゃあだってタケセンのジャージが赤いからね!?」


 混乱極まり訳のわからないことを口走る俺に、タケセンは苦笑する。


「悪い、怪談が苦手とは知らなかった。私はね杜夫、これはむしろ、怖い話じゃあないと思っているよ。どころか、そうだな……うん。いい話だ。喜ばしい話だよ」

「――と、言いますと」

「だってそうだろう」


 泣きそうな顔。

 安心した表情。


「非通知の電話の相手が、誰だったかはわからない。どういう事情で、本当の素性を名乗らなかったのかも。しかし少なくとも、その人は、彼女が隠し通そうとしていた辛さを理解し、悲しみを痛み、どうにかしようと思った誰かだ。千波にとって大切だった従兄弟の存在を出すほどに、おそらくはすぐ近くにいる――自分を助けてくれる人なんて誰もいない、と涙を浮かべて言い切った少女の、確かに存在する味方だよ。先生として、その存在を、歓迎しないわけがあるか」


 これからだ、とタケセンは言う。


「その人がいる。私もいる。これは目標でなくて、約束として言うから、証人として聞いてくれ、山田、杜夫。私は卒業までに、必ずや――あの夏休みの日が、笑えるぐらいの青天でよかったと。そう、あの子に言わせてみせるからな。今日のことを、笑って、笑って――」


 ――いつか、おばあちゃんになって、孫たちに話せるぐらい。

 強く、幸せに、生きさせてやるからな。

 そう笑う先生の顔は、力強く、逞しく――そして何より、見ているこっちが嬉しくなるほどに、誇らしい。


「タケセン」

「うん?」

「今日、会いに来てよかったよ」

「……そういえばだな。私も一個、聞きたいと思っていたんだよ、杜夫」

「お、なんでしょうか」

「あたりまえの疑問だよ」


 じっ、と。

 立ち上がったタケセンが、正面から、こちらを見下ろす。


 懐かしい。

 昔、悪戯をして、問い詰められる時に、よく見た目。

 閻魔様にでも睨まれているみたいな、ド迫力の、三白眼。


「予定では、成人式の年だったろう。おまえ、どうして、こんなタイミングで――」

「せんっせーっ! おまったせーーーーーーっ!!!!」

「うぶっふっっっっ!?」


 ミニマム魚雷発射。

 扉を開き現れるなり飛び掛かった褐色ちびに、タケセンは不意を突かれ、話とリアルの腰を折られて尻餅をつく。


「あったよあったよあったよあったよーっ! 七年前にこのお兄さんたちが埋めた、タイムカプセルの場所の地図っ!!!!」

「あ、ああ、あり、ありがとうな、千波……ところで先生、今日泳ぎたいのはやまやまだけど、ちょっと、腰、流石に腰が……」

「えっ!? 腰!? よかったぁ! せんせー、水の中の運動はね、腰のリハビリにもとってもいいんだよーっ!」


 まさかもしかしてそこまで織り込み済みだったのだろうかこの執拗なタックルは。

 だとしたら侮れねえぞこの褐色彗星、ヤンデレの素質、資格、共に十分過ぎる。将来楽しみだ。


 ――そうだな。

 この個性的な少女が、“今日”の向こうで、どうなるのか。

 楽しみで楽しみで、

 ものすごく気になって、


 だから、


「なあ、岬ちゃん」

「どうしても私を呼びたいときは仕方ないので出来るだけ他人行儀に苗字でお呼びください」

「じゃあちーちゃん」

「警察を呼びますよ」


 ムスリとした表情に、

 あらん限りの笑顔で、

 予想外をぶつける。


「俺の分は、これから掘り出しちまうからさ。代わりに、タイムカプセル埋めてくれない?」

「…………はぇ?」


 うし。

 してやったりだ。

 ようやく、不機嫌以外の顔を向けてもらった。



    ●○◎○●


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