メメントモリオ！！！！

007→【千波岬は押しが強い】

　　　　　《３》

　改めまして考えまして。

　人よりも幾分か頼りないことに自信のある我がノーミソを小突いてみれば、確かに転がりでるものがなくはないのだ。

　同じ市の、同じ町の、かつての通学路圏内で、愛しき母校の自慢となれば、町会や回覧板で知れもする。

　千波岬。

　昨年、同学年の県記録を塗り替えたとかで、注目と期待を集めた将来有望な若き水泳選手。海の無い町の飛び魚、山育ちと川遊びが鍛えた肉体と感覚。

　森の中、蝉の声が似合う、太陽の匂い香るような、夏色健康児童。

「へえ、君が……へえ……」

「何見てるんですか。いやらしい目。気持ち悪いですね、あなた」

　夏の西日の差し込む廊下を歩きつつ、容赦ない毒舌が山田を穿つ。

　しかし当人ケロケロケロリとしたもので、

「ははは。うん、察しがいいね。その通り、僕は君を女性として見ているよ？　女性の女性としての女性であるということの魅力に年齢など関係ないというのが僕の持論で矜持で自負だ。君は今のままで十分に美しいが、成長後もさぞ素敵な宝石になると今まさに確信し、そして今まさにそれを押さえておこうとしているのだと考えてくれ」

「…………」

「出逢いこそは不幸なすれ違いがあったが、なぁに水に流そうじゃないか。幸い画面が割れただけだし。そもそもバックアップは朝晩欠かさず取ってるし。僕が君という天使に出逢う為に神様がもたらした試練だと思えば、資金的喪失など何の問題になるだろう？」

「あなたには人間として問題があります」

「うんよく言われるっ！」

　対処法を知らない時の山田ほど厄介なものはない。

　あいつ、女相手には常時えげつない防御力バフがかかるっつーかバグみたいなオートリジェネっつーか、うん、痛めつけられるほど嬉しいみたいなトコあるからネ！　ホントどこのおじゃまキャラかってぐらいに！

　いやあ。

　これで訴えられないんだから、世の中って理不尽で不公平ですわ。

「そこまでにしろ、山田。私はこれでも理解があるほうだし、愛の在り方にとやかくいうほど無粋ではないが、流石に生徒が校内で迷惑なナンパにあっているのを見逃すほど無秩序でもないぞ」

「わーい！　せんせー、すきー！」

　こっちはこっちでナチュラルに、多分一切その気無く、ヤバげな地雷を踏み抜いて爆破させてしかし煙の中から仁王立ちで現れるぐらい頑丈にポンコツな赤ジャージメスゴリラ先生。

　気付いてあげて、その褐色アスリート、時折目が笑ってないから。

「ね、ね、ね、ね！　せんせー、私、汗かいちゃった！　プールいきたいな、プールプールプール！　こういう時に泳ぐと、すっごく気持ちいいんだよ！　今まではそんなこと一度も思ったことなかったけど、そこにせんせーがいてくれたら、きっと、楽しいと思うんだ！」

「……わかったわかった、少しだけな、少しだけ。でも先生その前に、」

　タケセンは、真っ直ぐな人である。

　あえて悪辣な、意地悪いな表現をしてしまえば、単純で、面白いほど駆け引きに弱いし嘘がつけない。

　だから、こうして引っかかる。

「はーい、このお兄さんたちの用事を片付けるんですよねっ！」

　言質を取られた。

　用事に用事をぶつけて、判断力を奪い、【今すぐにではないのだし】と、口と約束を軽くした。

「私がおてつだいして、ちゃっちゃとすませるからっ！　そしたら先生、きっと、いっしょに遊んでねっ！」

　職員室から持ってきた鍵で開かれたのは、校舎西、三階の端、第三資料室――別名、【投げ入れ倉庫】。

　長年の怠惰で杜撰な整理、【邪魔なものをとりあえず放り込む】という目も当てられない方針によって魔窟と化したその中を、重ねられたダンボール、処分されるタイミングを逃した運動会の飾り物、青春の残骸の狭間を、持ち前の小柄さを生かしてすいすいと進んでいく。

「お、おい、千波っ！」

「いってきまーーーーす！　せんせー、水着着て待っててねーっ！」

　声が響いて、気配が消える。資料室はＬの字に曲がった間取りになっており、どうやらもう、ここから確認出来る場所にはいないらしい。

　多くの棚で入り組んだ広い部屋の入り口で、俺たちは立ち竦む。

「――――もう、あの子は。元気になったのは、いいんだけれど……」

「武中先生」

「なんだ山田」

「坂下ってひとっ走りデパートまで行ってきますね。待っててください、普段なら絶対小学校じゃ着ちゃいけない奴選んできますよ」

「そのまま真っ直ぐ地獄へ行け」

　はあ、と溜息、

「千波ーーーーっ！　いいか、くれぐれも、絶対に、危ないことはするなよーーーーっ！」

　はーーーーいーーーー！

　という返事は、実に、まことに、何かやらかしそうでしょうがない。

　顔を不安で七変化させた後、タケセンは第三資料室を出て、俺たちもその後に続く。

「いいんですか、武中先生。こんな不安定な中でのモノ探しを、あの子一人に任せてしまって」

「私だって、本当は良くないというのはわかっているよ。だけど、ここは任せてやりたいんだ。誰かの為になりたいという気持ち、やりたいことを成し遂げた達成感――どちらも、今の彼女に必要なものだから」

　窓の向こうに蝉の声。

　夏を照り返して輝く、幅10ｍ、長さ25ｍの凪。

「…………人生ってわからんなあ。まさか、おまえら級のトンデモが、私の教師人生にこんなにも早く再来するとは……」

「がっはっは、照れますなあ山田」

「まったく晴れがましいのう杜夫」

　文章だけを見るならば、かつて問題児コンビの担任だった日々を疲労と共に懐かしむ言葉だ。

　けれど、

「じゃあ、是非ともしっかり支えてやってくださいね、武中先生。僕たちが、あなたにして頂いたように」

　こういう順番で並べたのならば。

　それなりに、察せられることがある。

「……ふん。ああ、勿論、言われずともだ。それをせずして何が教師だ。私はあの子に、教えなきゃあならんことが山ほどある。それに、多少行きすぎなきらいはあるが、千波岬は素直な子だ。ひねくれをこじらせて生意気どころの騒ぎじゃなかったおまえらの相手をするよりかは、随分と手軽だよ」

「恥ずかしいですな山田氏」

「気持ちいいですぞ杜夫氏」

　どんなものであれ、過去は過ぎる。

　それが直視するのも痛々しい歴史だろうと、顔が火を噴く失敗だろうと、ずっと目の前にあってくれる時間は無い。

　かつて、六年間。

　自分たちの場所であった向井小学校は、もう、許可が無ければ入れもしない、境界線の向こうの余所だ。

　世話になった恩師と三人、壁に背を預けて、夏休みの校舎に座り込むなんて、あの頃には考えられもしなかった。

　せっかくの休みの日は。

　勉強する場所になんて、絶対に行きたいと思わなかったもんである――