【第一章(#010) タイムカプセル】
004→【七月十九日、十回目の朝】
《1》
「……………………何してんの、兄貴」
「やあ。おはよう。
朝に相応しい清々しさ。
ホットミルクを飲みつつ、立てた指を眉に添えてチャッとやる。
「見ての通りだ」
腕を広げ、示す。
俺の部屋、机の上に置かれた初期化中のノートパソコン、そして、その周辺に配置された、すわ誕生日かと思わんばかりの飾り物の数々。
「この場にいて執り行われているものこそは我が愛機、コギトファースト転生の義である。どうだ真尋よ、我が妹よ。もし望むなら、おまえこそがコギトの新しい相棒に、」
「いらねーよそんなイカくさいもん」
「なんってこというのこの子は!?」
ホットミルクもアイスになりそうな吹雪の眼差し。真夏に涼しい冷水みたいな塩対応。
「あのさあ。今だから言うけどさあ。あたしももう中三だし、兄貴のそういうノリ結構しんどいんだよね。やめてくれる? あと隣の部屋だから、ウチの壁結構薄いし、聞こえてんの、色々ずっと」
年近い妹は、痛罵と嘆息のついでとばかりに、兄が朝もはよから必死にこさえた【コギトファーストをおくる会 みんなきてね】の看板をキレッキレな回し蹴りでへし折って、「はーくだんねー。こいつ一生童貞だわ」とあくびしながら階下へと降りていく。
「――――人の愛を笑うんじゃねえよ、男子のオカズにもなれない色気欠乏ド貧乳」
猛烈に廊下を走ってくる音が聞こえ、俺は早急にパソコンを扉と鍵を閉め籠城の構えを取る。
まもなく乱打される扉、今にもブッ壊れんばかりの衝撃。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 自分が調子に乗ってましたおふざけが過ぎました言っていいことと悪いことがありましたっ!」
「うるせえいいからここ開けろやッ今すぐあたしがブッ殺してやるからツラ見せろ!」
ここで豆知識!
我が妹は県外の有名スポーツ進学校から推薦の誘いが来るほどの空手部エースで、普段の男勝り、というかあまりにベリーストロングな言動が相俟って学校中の男子からは女扱いされないどころか
ビースト!!!!
「おっかしいだろなんであたしより弱いヤツがモテてんのにあたしが全ッ然モテねえんだよ理屈にあわねえだろそんなの動物的に考えてッ! なにがゆるふわだカールだフリルだリボンだツインテールだ! おまえらがちやほやしてる姫なんざなあ、あたしなら二秒で瞬殺だっつうんだよぉおおおぉおおおおおッッッッ!」
溢れる青春、JCオーラ。長い人生の中で一時しか持ち得ない特権的な輝き、特別な女子力の全てをありふれた暴力に置き換えた悲しきモンスターが扉の向こうで慟哭している。
「落ち着け真尋! 非モテの暗黒面に飲まれてはいけない!」
「あァッ!?」
「恐れるな! モテない自分を憐れむな! 大丈夫、おまえは十分に魅力的だ! いやごめん間違えた魅力じゃなくて強力だった! おまえは強力な人間兵器だ、その方面で需要がある! おまえなら立派な霊長類最強になれる! 王座と膜、いっちょ頑強に守っていこうぜッ!」
一時収まった衝撃が数倍の威力で再開する。
抵抗空しくまもなく扉が破られる。
飛び掛かってくる猛獣、いやさ魔人に成す術なく、俺は乙女のごとき悲鳴をあげた。
●○◎○●
「――ふむ。しかし、そうか」
ひとしきり、向こうの気の済むまでじゃれあいが終わった後、窓を開けた台風の日みたいになった部屋を片付けてから、俺もまた一階に降りる。
「部屋は開けて、看板立てて、ついでに廊下と洗面所には、これ見よがしに手書きのチラシ。こういう具合に仕込んでおけば――朝、あいつが無視せず構ってくれるんだな」
一人の居間はやたら広い。仕事の虫な親父は昨日も泊りだし、真尋も部の朝練で先に出た。怒りのままに食い散らかされ放置された食器はまさしく台風一過の一言で、どうやらこの片付けは俺がしていかにゃならんらしい。
ま、これもついでだ。今更ひとつふたつの追加がなんだ。いいぞいいぞドンとこい。
何しろ。俺の今日一日ってば、“後片付け”の為にあるようなもんだしね。
朝食、雑事をやっつけて、通学までは三十分、いつものようにノートを開く。
といっても、今朝始めた、七月十九日限定の習慣だが。
「さてさてさてっと。とりあえずここまでは順調として」
九回分の、累積と発見。事項の整理、思考の体操、それも兼ねてのひとまとめ。
白紙の上に並んでいく――【相楽杜夫が、死ぬ前にやるべきこと】。【何回目の、何番目に気付いたか】の順に、上から下へ。朝のうちに終わらせられた項目には、チェックを入れて。
ぴっ、ぴっ、ぴっ、と、採点のように線を弾いていく中、やはり取り立てて目を引くのは、さっき終わった【④:1 ノートパソコン初期化。死んだ後見られるとかマジ恥晒しで死にきれない】――そして、念願叶った、初成功。
【①:2 朝、自然に真尋と話す。出来るだけ馬鹿馬鹿しく、いつも通りに】。
「どこまでおっかなくなるんだかなあ、あいつ。お兄ちゃん、楽しみで心配です」
花丸つけて、受けた拳の痛みに笑って、セットされた、スマートフォンのアラームを聞く。
「……うっし。じゃあ、今回も、未練潰しといきますかね」
そうして一人、家を出る――七月十九日、十回目となる通学。
天気予報は圧巻の、全時間降水確率0パーセント。
夕立の気配も忍び寄れない青空を見上げながら、俺はこれまでの四年間、無関係だった番号を、スマートフォンに打ち込み、発信。三つ分のコールの後、その向こうに繋がった。
『はい。
「どうも、お世話になっております。私、四年二組に在籍する千波岬の従兄弟なのですが、担任の先生は御在室でしょうか? 急を要する話があり、連絡させて頂きました」
嘘八百に口八丁、空の方便並べても、やらなきゃならないことがある。
一日は短くて、どれだけ今日をやり直せるとしても、今日までのことは変えられない。
そんな状態、死ぬ前に片付けたい未練を、全部全部晴らす為には――とりあえず、形振りとか、多少の反則には、悪いが構ってらんないよね。
『もしもし、御電話変わりました。千波岬ちゃんの担任をしております、
「ああ先生、どれだけ猶予があるのかが私にもわからないので率直に言いますが。今、岬がクラスでイジメにあっていて、『今日晴れたら屋上から飛び降りて死のう』とまで考えるほど、激しく思い詰めていることは御承知でしたか?」
息を飲み、凍り付く気配。……うん、出だしは掴んだ。ここからが本題だ。
この後の話の展開、どうやってあの子が周りにも一切打ち明けず我慢し続けたのだろう現状を、俺にもほとんど情報がない状態から朝の電話一本で認知させて、周囲に改善させるのか――午後三時の屋上に、彼女を上らせないようにするのかを考えながら、俺は頭の中の項目、【⑨:3 千波岬ちゃん自殺阻止】を頭の中のペンで叩く。
「間違いありません。この間お盆の打ち合わせの時に、彼女の家にお邪魔して、あの子の部屋を見て、私はいくつかその確たる証拠を発見しております。そういった問題を専門に取り扱う弁護士の方にも相談をしたところ、これは裁判に持ち込めるだけのものであるとの御意見も頂き、準備を進めている最中ですら」
『…………ッ!』
「栗栖先生。岬の、学校でのことに、何か気付いたことのひとつでも、ございませんか?」
証拠は挙がっている――そう言われて何も返せなければ、それこそ後にどう学校に、対応に当たっていた自分に悪影響を及ぼすかわからない。
電話の向こうの彼は激しく狼狽し、
『い、いえ、はい、もちろん、そんな、い、イジメを、気付いてすらいなかったなど、そのようなことは、決して。え、えぇえぇ、はい、思い出しました、今! そういえば先日、夏休みに入る前に、岬ちゃんと何人かの生徒が、理科室で――』
見つけた糸口を、慎重に、慎重に、切れないように、手繰る、登る、太くしていく。
デタラメとハッタリを、ほんの少しの真実で糊塗した、スカスカのハリボテのパチモノだけが、俺が手にした、難題をぶっ倒す為の唯一の武器。
「栗栖先生。岬はおそらく、昼過ぎには、昇降口以外のどこかから、校内へ入ろうとします」
『は、はい』
「それを見つけて、まず、彼女に――謝ってから、労ってから、力になると、支えてください。その時には、そうですね。武田先生もご一緒に。あの人の評判は、聞き及んでいますので」
耳の中に、あの声がまだ、残っている。
その顔を、覚えている。
――『なにもかも全部台無しの、すごい雨ならよかったのに』。
「他の誰が、嫌な奴が、どう思うかじゃなく。君が、君の嬉しさで、今日が晴れたことを、喜んで欲しい。そう、あの子に伝えてください」
俺はまだ。彼女の、笑った顔を見れていない。それが、どうしても気になるのだ。
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