003→【九回目、“プール潜入”の一周忌】
●○◎○●
浮遊感。
それから、着地。
「おぶっふっ!」
ペラい煎餅布団に背中から落ち、息が詰まる。目前に地面が迫る感覚が抜けず、胸を抑える。
「お、戻った」
軽薄、かつ、不謹慎にフレンドリー。
……今もばくばくしている心臓、十秒前の心境冷めやらぬ状態を、落ち着かせる為に、見渡す。
手狭な六畳間と、中心にどでんと置かれたちゃぶ台。
「おっつおっつおっかえりー」
向こうにいるそいつが、盆に入った骨そっくりの干菓子を齧り、雑極まりない挨拶をしてくる。
「……まあ、とりあえず、ただいま」
「けひ、“ただいま”ときたか。よりにもよってこんなところに。緊張感欠けとるな、相変わらず」
「あのさあ。振っといてそういうこと言う? しかも、ここに住んでる本人だろうに」
「住んでるからこそ言うんじゃろ。住まなきゃ見えない残念さ、見ずに済めばの配慮よな」
やれやれと首を振る――その仕草も口調も態度も何も、ちぐはぐなことこの上無い。
干菓子の合間に茶を啜るのは、やたら丈の合わない袖も裾もぶかぶかの、顔を顰めるほど年季を感じさせる襤褸の和服を着た童女。
その柄が彼岸花に
「ふん、まあいいさ。とりあえず見るとするかの」
右手側に鎮座ましますのは、昭和の匂いも芳しき、ブラウン管・ツマミ式・足付テレビ。
「ほれぃ、何しとるか。早うこっち来いこっち」
「……あのさ。改めて聴くんだけど、ここじゃダメなわけ?」
「何言うとるか。あったりまえじゃろ」
無知無自覚無学を見る目、呆れた鼻息、
「自分の人生を見る時に、正面に座らん阿呆がおるか」
そう言われると返す言葉も無い。座ったままで回り込み、胡坐を掻いて座し直す。
「にょっと」
そこへ図々しくも遠慮なく、輪を作った足の間、猫のように入り込み尻を置く。
「では、上映、すたーっとー」
気の抜けるような掛け声をして、そいつは身を乗り出して、テレビの電源を入れる。
そして――――――――流れ出す、音と映像。
映るのは、数分前にいた景色。相楽杜夫が命を落とした、向井小学校屋上。
柵と空とを映している
『やあ、杜夫』
勘違いなど、出来っこない。
その髪、その声、その背中――馴れ馴れしい態度、ケバケバしい常識外れな花束のセンス。どれを取っても、覚えしかない。
『早いものだ。今日でもう、君の一周忌だってさ』
胡坐を掻いて座り込む。
開けたラムネの零れた泡が、夏の陽に炙られた床で蒸発する。
『まったく笑える話だが。君の先輩になってしまったよ、僕が』
当然のように、一人。そこにいない、ここで去った友人に、そいつは語る。
『あれから遊ぶ気も失せてしまってさ。この僕がだよ、恥ずかしいことに真面目に進級なんぞしてしまった。それもなんと主席だと。ふははは、学生が学生らしく勉学に打ち込むなど、なんたる青春の侘しき無駄遣いだと罵ってくれるがいい』
ああ、想像がつかない。でも、無性にしっくりくる感じもある。
エネルギーの使い道を見つけたら、いつだってでっかいことをする――そういう馬鹿だ。俺の、一番の悪友は。
『でさ、これもついでかと思い、将来のことなんかも、少しは腰を入れて考え出したよ。僕もさ、僕だけのことだったり、君が一緒にいたのなら、もしかしたらいつまでも、気楽に気儘に阿呆に馬鹿に、呑気こいていたかもしれないけれど――』
――君がいないんだと思うと。君が過ごせなかった時間なんだなって考えると。
『ただただ浪費するのが。何も考えないで、何も積み上げないのが、どうしても惜しくって。あーあ、返す返すも、らしくないよな――』
『――あの』
顔は、見えない。
新しく現れた、背の高い、聞き覚えの無い声の誰かが、独り言を呟く変人に、声を掛けた。
『あなた。もしかして、ここで、一年前――事故に遭った人の、知り合いですか』
『いや、違うな』
次にすることが、わかった。あいつはこういう時、こういうことをする時、決まってカッコつけて、大げさなジェスチャーを加えて、
『知り合いじゃない。悪友だ。地獄で再会した暁には、閻魔相手に悪戯しようと決めている』
訪れる沈黙、間。そりゃそうだろう、と俺のほうが赤面する。
初対面の相手に何言ってんだこいつは、と我が事のように恥ずかしくなり、
『だったら、教えてください』
透明なようでいて、痛切な――とてつもなく逼迫した、少女の声を聴いた。
『どうしてあの人は、縁も所縁も理由も無い私を助けて、自分が死ぬ方を選んだんですか』
『そりゃあ勿論』
逡巡は無く。当然のように。ダチの好物を言い当てるぐらい簡単に、その阿呆は断言した。
『彼が最高にイカした、格好つけのおせっかい――馬鹿みたいにいい奴だったからさ、
その言葉を最後に、テレビは自動的に沈黙した。
後にはただ、命の優先順位の勘定も出来ない馬鹿の馬鹿面が反射するのみである。
「ふうん。これ、中々いいんでないかの?」
胸の中の童女が、足を延ばして顎の下から見上げてくる。
「『人生最期の一日、いつも通りに過ごして、悪友と馬鹿をやって、明日の約束をする』
「――――うん。実に、ドラマがメイクされてるっぽかった」
「お? お、お、お? なら行くか? これで行くか? このパターンに決めてしまうか? いやあ、これまで色々やってきたようじゃが、ワシは薄々勘付いとったね。最期の最後は、いっそ逆にベタがクる。豪勢な料理に上等な酒をかっ食らった後、シメは茶漬けで決めたくなるっつーの? 王道はなぜ王道か? なんだかんだみんなストレートが好きだから、サ……!」
「わかる」
話を聞きつつ、俺はちゃぶ台の脇に置かれていた一冊のノートを開き。
その一番新しいページ、『ストレートなパターン。山田と過ごしてみる』と書かれた下に、雑感を書き込んでいく。
【楽しかった】。
【面白かった】。
【あいつが友達で良かった】。
だけど、
「神様。これ、やっぱり駄目だ」
「ん、何故に?」
胸にある答え、死の先を見て、湧き上がった想い――それを俺は、腹の底から言葉にする。
「何か俺の死をきっかけにしてヤツが美少女と付き合いそうだからですッッッッ!」
「うわーわかるーーーー! それすっげえ仕方ないやつじゃなーーーーッッッッ!」
お互いにゲラゲラ笑い、気が済んだところでイエーイとハイタッチ。ノートに書き込まれた雑感は、【ブーメラン山田。イケメンなのにモテの不器用。いっそ一生童貞を貫いて欲しい】。
「まあ、それもあるんだけどさ。一番は、またやり残しが見つかっちゃったからなんだよな」
「ほう」
目を光らせ、胡坐内部を脱出し、初期位置へとてとて戻る童女。
「して、その心は」
「さっきあいつが言ってたじゃん」
自らの将来を、まだ訪れないこれからを――小学校の屋上で語った、山田。
「おかげで一個、思い出しちまったんだわ、これが」
俺はページを改めて、新たな目標をでっかく書き込む。
『小学生の時に埋めたタイムカプセル、なに入れたんだっけ?』
「終わるのは終わるでいいんだが。昔の自分の気持ちぐらい、きちんと最後は、一緒に持っていってやらないとな。ほら、なんか、迷われてもおっかないし」
「勤勉でよろしい。幽霊というのは、そういうところからも沸いてくるでな」
ノートを閉じて、鉛筆を置く。
こうして、休む間も無く、死んだ俺の“次”が始まる。
「ではモリオ、これから次なる今際を始めるわけじゃけど」
「おう」
「おまえの生にもってこいの死が見つかったら、ちゃんと今日中に死ぬんだからの?」
「わぁかってますって。大丈夫大丈夫、そこんとこ曖昧にするほど図々しかぁないよ」
さて。今更だが、状況を整理しておこう。
相楽杜夫十七歳、高校二年生。
七月十九日、夏休み開始初日。
俺はこの日、死ぬ運命にある。
中途を何度繰り返そうと。
原因を幾度改めようとも。
その結末は変えられない。
「そんならよろしい」
童女は猫みたいに笑って、呆れるぐらいぞんざいに壁に立てかけてあった大鎌を取り、その尻、刃ではなく柄のほうをこちらへ向ける。
「では、はりきっていってらっしゃい。楽しく明るく元気よく、悔いのないようさっぱりと、人生の終わりを探してこい」
そして、柄の先端が俺の額を小突くのと同時、一瞬で意識が遠ざかり――
――気付けば俺は、自分の部屋の自分の布団で目を覚ます。
目覚まし時計のアラームが、鳴り始めるのと同時に止めた。
あくびをひとつ、立ち上がり、カーテンと窓を開いた。
「うっし。今回は、どうやって死んでみましょうかね」
七月十九日がまた始まる。
平凡な一戸建ての二階から眺める朝焼けの町は、何もかもが起こりそうに見えた。
空は晴天、雲一つ無し。
何の導も見当たらない、結末以外に何一つ決まっていない、笑えるほどに自由な一日を――最高の命日にすべく、相楽杜夫は、今日も今日とて奔走する。
命の締めくくりに相応しい、幸せな死に様を、模索して。
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プロローグ、【悪友との一日】、死亡。
九度目の死→未練あり。
第一章、【タイムカプセル】に続く。
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