3-4

 ノウが屋上から飛び降りる少し前のこと――山荘から数メートル離れたところに建てられた銃兵器保管庫兼作戦室が置かれた倉庫に烏丸が脚を踏み入れた。

 そこではブラックアウトしたパソコンの画面や、数字の無い電子時計、反応しない無線機を相手に四苦八苦する軍人が大勢いた。声を掛けて邪魔をしてはいけないと思った烏丸は、まずどこから手を貸すかと考えていると、一人の軍人が近付いてきた。

「もしや、烏丸中尉でしょうか?」

「ええ、そうです。あなたは?」

「失礼しました! 私は田中宗太郎、階級は兵長であります! このたび、烏丸中尉のお世話係を言い渡されました! 挨拶が遅れてしまって申し訳ありません!」

「いえ、別に構いません。それよりも、この基地を仕切っているのは誰ですか? お会いしたいのですが」

「申し訳ありません! 現在、室町少佐は通信機器不振の原因を探るために外に出られております!」

 田中の声の大きさについ耳を塞いでしまった烏丸だったが、すぐ後ろで作業をしている軍人たちは誰一人として気にしていない様子だった。慣れか、呆れか。

「そうですか。では室町少佐との謁見はまたにして、今は通信機器を直しましょうか。こう見えて私は機械類に強いのですが……何かお手伝いできることはありますか?」

「え~、単刀直入に申し上げますと、烏丸中尉のお手を煩わせることはありません!」

 それは遠回しどころか直接の邪魔者扱いだった。室町少佐に言わされていることかはわからないが、声の大きさだけでなく、発言にも反応しないところを見るに、この場にいる者たちの総意に近いのだろう。とはいえ、烏丸にとってこの状況は想定の範囲内である。軍から女性を排除したいと考えているのは、何も上層部の偉い連中だけではない。むしろ、安いプライドを持っている若い軍人のほうが男尊女卑的な考えがある。口に出して言わずとも、その態度で、向けられる視線でわかるものなのだ。それに加えて、この場所において烏丸は部外者だ。軍人というのは殊更規律を重んじるが、それと同等に変化も嫌う。しかも、女が入ってくる変化だ。おそらくは、那由他が一人屋上で銃を握っているのもそれが理由だろう。腕は認めているが隊に女は必要ない。その折衷案が周囲の警備を一人で行うこと、だったのだ。

 当然のように烏丸の心には怒りの感情が生まれていたが、この場で揉めることが得策ではないこともわかっている。

「……なるほど。そう言われては私が手を出すのは野暮ですね。では、何か一つ使えない通信機器をお貸しいただけますか? お手伝いでは無く、一人で機械弄りをしていたいと思います」

 すると、周囲を確認するようにキョロキョロと視線を送る田中は一人の軍人と目が合うと、その視線の先に置かれていた無線機代わりの小型衛星携帯電話を見た。

「でしたら、こちらをお使いください! では、私は仕事があるので失礼いたします!」

 再び敬礼をした田中を見送って、渡された衛星携帯を確認した。それはそもそも通信機器の不振で使えなくなった物ではなく、もっと根本的に壊れた携帯だった。

「……まぁ、やるだけやってみましょうか」

 バッグの中から取り出した掌サイズの箱の中には様々な工具が詰まっていた。

 那由他も、こうやって上手く折り合いをつけていれば屋上に追いやられることもなかったのだろうが、おそらくはブチ切れてしまったのだろうなぁ、とそんな姿を想像して烏丸は笑みを溢す。

 工具で携帯を分解して、中のコードや基板などを弄ること数分――再び組み合わせると、とりあえずの修理を終えた。のだが、やはり未だに通信機器が使えないことには違いが無い。分解して確認しているわけだから今のところは原因がわからない。思えば室町少佐の行動は正しいのかもしれない。機器そのものに問題が無いということは、それ以外の外的要因が関わっている可能性があると考えて然るべきだ。

 疑問を感じた烏丸は、無線機をポケットに入れて抱えていた銃のスコープを覗くと、そこには十字の照準が表示されていた。

「機器が使えない……けれど、照準器やスコープは使えますね。それに――」

 視線の先には周囲の安全確認から戻ってきた車が一台あった。

「使えないのは通信機器のみ。ということはEMP攻撃などを受けたわけでは無く、単純な通信遮断を受けているということ――つまり……嫌な予感がしますね」

 とはいえ、烏丸にはノウのように危険を察知する力は無いし、何かが起こるのを待つしかない。戦争とは、自ら仕掛けない限りは後手に回るものだ。そういうものとして諦めるしかないが、だからといってただ仕掛けられるのを待つというのも芸が無い。芸――というより、単純に気に食わない。

 傷付けられるよりも先に傷付けるべき、ではない。傷付けられる前に、守りたいのだ。

「通信を遮断されているということは、おそらく半径一キロの間に数か所、そのための機器か、あるいは人がいるはずです。しかし、それでは腑に落ちない。敵が東側に侵入してきたことなど過去に例が無いですし、何よりも――」

 何よりも時期が気になる、がそれを口に出すことはしなかった。口に出してしまえば、いや考えてしまうことさえも憚られる。

 まるで――ノウが来てから。ノウの行く先々で問題が起きていることなど――考えるわけにはいかない。

「とりあえずは、自分の目で確認しましょう」

 基地の位置取りと那由他の発言から、おそらく勘の鋭い那由他が守っているのは後方で、その那由他が通信を遮断している機器や人を見付けられていないということは、前方にあると考えてよい。ならば、再び屋上へと向かい烏丸と那由他、そしてノウの三人で探せば見つかるかもしれない。

 そんな思いで烏丸が倉庫を出た瞬間――目の前に、ノウが落ちて……いや、着地をした。

「大した高さじゃあ無かったな……ん? 烏丸か。丁度いい。敵が来るぞ」

 今、目の前で起きた光景もそこそこに衝撃的ではあったけれど、その衝撃がノウから受けたものならば簡単に受け入れることができる。

「敵ですか? いったいどこから?」

「前方、およそ五キロ先から接近中だ」

「五キロですか、それならまだ……数は?」

「三機。だが、ヘリでは無く飛行機? というやつだ」

「三機の飛行機? ……まさか、Fー35? マズい――」

 目を見開いた烏丸はすぐに倉庫内に戻ると、作業している者を見回して大きく息を吸い込んだ。

「現在この基地にFー35が接近中です! すぐ戦闘配置に――」

 しかし、その声はまるで誰にも届いていないかのように通信機器を直す手を止めず、振り返ることも、反応すらしない。

「皆さん、早く――っ!」

 本来ならば、指示を受けてから五分も掛からずにこの場にある武器や兵器を持って戦闘配置に付けているはずだが、誰一人として動こうとしない。それはもちろん命令系統があるから、この基地のトップである室町少佐よりも下の烏丸中尉に従うわけにはいかないのかもしれない。しかし、まったくの無反応というところを見るに、これは命令系統だけの問題では無く、敵が来るという事実を信用されていないのに加えて――烏丸が女だから、だ。

「なるほど。世界が違えば人も違う、か。烏丸、お前は俺に戦争には関わるなと、戦うなと言っていたよな? どうする? 今ならまだ――間に合うぞ」

 確信犯的な言葉に反抗するような感情が無いわけでは無い。だが、それでも救うためにはノウの言葉に乗るしかない。救う相手が誰であろうとも――烏丸が烏丸である限りは――救うことに躊躇いは無い。

「ノウさん、こんな身勝手なことをお願いするのは不本意なのですが……私たちのために貴方の力を貸してください。お願いします」

 倉庫の中で、見るからに年下の少年に頭を下げる中尉の姿は異様に見えるが、そんなことを気にしている場合ではない。

「わかった。とはいえ、いくら俺でもこの一帯を防ぐだけの『石壁』を作ることは出来ない。……鳩原の力を借りるか。行くぞ、烏丸」

 倉庫から出ると、ノウは烏丸を抱えて山荘の壁に目掛けて跳び上がった。

 ――既視感だ。

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