3-2

 朝日が三人を照らしたのは五時前のことだった。

 充分に睡眠が取れたらしい二人は、快調に不慣れな森を進んでいく。時折、転びそうになったり休んだりもしたが、野営地点から歩いて四時間が経ち――九時には漸く第三防衛ラインに辿り着いた。

「……山荘、ですか?」

「ええ、そうです。もちろんここは防衛ラインの裏側なので山荘が一番に見えますが、その奥に対空兵器などの倉庫があります。とはいえ、この辺りまで敵が来たことは無かったので、実際に稼動したのは訓練の時以外にはないのですが」

 恥ずかしそうに言う烏丸だったが、どこか誇らしげでもあった。しかし、それでいいのだ。人を殺すための兵器など、稼働しないに越したことは無い。

「おい、烏丸。さっきから見られているぞ」

 視線を上げれば、山荘の屋上や開いた窓からこちらを見下ろす目がいくつもあった。

「当然ですね。予期せぬ来訪者には誰だって警戒するものです」

 まるでノウに対しての言葉のようにも思えるが、烏丸は銃を下ろして真っ直ぐに立つと敬礼をして見せた。

「自衛隊陸軍所属、烏丸中尉! ここに現着致しました! 支援を求めます!」

 漂う静けさの中――コツコツと近付いてくる足音がした。

「自己紹介なんざ要らねぇよ。うちの連中には昨日のうちに説明してある。ってか、前線にいるはずだろ? なぁ、刹那」

 煙草を燻らせながら山荘の入口から出てきたのは身長百八十を超す軍服を着たショートカットの女性隊員だった。

「お久し振りです、那由他。まだ煙草を吸っているんですか? 辞めなさいと言ったはずです」

「あんたも飽きないねぇ。こいつは私にとっての酸素なんだよ。で、答えを聞いてないけど?」

「この場にいるのはアクシデントです。ある種の――護送任務のようなもので」

「護送ねぇ……そっちのガキ二人か」

 鋭い視線を向けられた京は震えてノウの腕に抱き付いたが、ノウは意に介していないように見詰め返していた。

「那由他、いろいろと訊きたいことはあるでしょうけれど、まずは無線を貸してください。前線にいる白鷺中尉と連絡を取りたいのです」

「ん? ああ、それなら今は無理だ。何故だか今朝から無線やら携帯やらの通信機器が使えなくてな。まさか、これ――あんたらのせいじゃないだろうな?」

「……否めないことも無い気はしますが……復旧は?」

「頑張ってんじゃないか。知らねぇけど。……とりあえず、上行くか」

 フィルターのギリギリまで吸った煙草を指先で揉み消すと、携帯灰皿に吸殻を入れてこちらの確認を取ることなく踵を返した。

「……あの人、怖いです」

「怖いっつーか、不愛想なだけだと思うがな」

「行きましょう。口は悪いですが根っこは良い子なので。彼女についても、ちゃんと説明しますね」

 京の印象も、ノウの考察も、烏丸の事実もすべてが彼女を表す言葉として正しい。

 山荘に這入り階段を上がっていくが誰とすれ違うことも、顔を合わせることも無く屋上の一つ下の階にある部屋に通された。そこには壁に立て掛けられたパイプ椅子が十脚以上とクーラーボックス、それに大小さまざまなガンケースが置かれていた。

「ここは……」

 京は呆然と眺めながら呟いたが、部屋を見回した烏丸は呆れたように溜め息を吐いた。

「あたしの部屋だ。ここなら屋上に出やすいからな」

「え、部屋!? だって、ベッドも何も無いですよ?」

「必要ない。あたしはベッドじゃ寝ないから」

「寝ない、んですか……?」

 よくわからないように首を傾げる京のことなど気にしていないのか、那由他は新しく火を点けた煙草を銜えながらクーラーボックスから取り出した水の入ったペットボトルを三つ、ノウに投げ渡していた。

「気にしなくていいですよ。那由他は警戒心の塊なのでいつでも動き出せるように座りながらじゃないと眠れないんです。ああ、とりあえず座って話しましょうか」

 パイプ椅子を広げると、三対一になる形で四人は腰を下ろした。

 京は落ち着きが無いように渡されたペットボトルを手の中で遊ばせながら、ノウは深く腰を着いて脚の間に剣を立てた。

「えーっと、じゃあ、まずは彼女の紹介をします。彼女は鳩原那由他はとはらなゆた――准尉?」

「軍曹だ。降格させられた」

「鳩原那由他軍曹です。基本は後方支援が担当で、何故だか常人では不可能な長距離スナイプが得意技です」

「はっ、ほっとけよ。カスタマイズができて勘が良い奴なら誰にだって出来る。むしろ、出来ねぇほうが意味わかんねぇだろ」

 笑顔の烏丸と銜え煙草の那由他は、まるで水と油だ。もしくは睨み合ったハブとマングース――混ぜるな危険、だ。

「……ちなみにですが、彼女も私と同じように白鷺中尉と同じ隊にいました」

「ん? ああ、どうも変な感じだと思ったら、そっちの娘はおっさんのガキか。なんでこんなところに居る?」

 それを説明するのは簡単かもしれないが、呑み込んで受け入れるのには時間が掛かるかもしれない――そう考える烏丸だったが、よくよく思えば今は通信機器が使えないし、移動するのなら連絡を入れてからにしたほうがいい。つまり、時間はある。

「そうですね……どこから話すべきか――こうなった経緯は単純です。彼はノウさん、別の世界から来た少年で、彼と白鷺中尉の娘の京さんを前線基地に居る中尉の下へ連れて行くのが私の任務です。いえ――任務、でした」

 その言葉に那由他同様、京とノウも疑問符を浮かべた。

「任務だった? どういうことだ?」

「ヘリで移動中に敵からの攻撃を受けて墜落する直前に、行き先を第二防衛ラインへ変更したんです。私は、そこから前線基地に向かうつもりはありませんでした」

「え――え、あの……」

 京が言葉に詰まるのも無理はない。名目としてはノウの付き添いだが、目的の一つは前線基地で前頭指揮を執っている父親に会うことだった。今の烏丸の発言からすると、その目的は当分果たせそうにない。

「ああ、なるほどな。つまり、あんたは研究所に行こうとしていたわけか。つーかさぁ……いや、やっぱいいわ」

「……? なんですか?」

「別になんでもねぇよ。わざわざ確認することでも無かったわ」

 吸い終えた煙草を指先で揉み消した那由他は新しい煙草に火を点けた。

「まぁ、構いませんが。とりあえず弁明しておきたいのですが、別にお二人に秘密していたわけでは無いのです。ただ、言おうと思った矢先の襲撃で、その後も言うタイミングが掴めずに」

「ああ、それは確認しなきゃだな。さっき、敵の攻撃を受けてヘリが墜落したって言っていたが、そりゃあなんの冗談だ? こっちでは敵の侵入なんて確認していないし、乗っていたヘリが墜落した? だったら、どうしてあんたらは無傷なんだ?」

「それはですね……」

 口籠る烏丸がノウに視線を向けると、察したように口を開いた。

「俺が助けたから、だな」

 すでにノウが別の世界から来たことは伝えた後なので、然も当たり前のように言うと、徐に灰が伸びた煙草を銜えた那由他は深く肺に入るほど吸い込むと、苦しい顔も見せず咳き込むことも無く、煙を細く吐き出した。京が居るのとは反対側に吐き出すあたり、根っこの良いところが行動に出ている。

「あんたが助けた、か――だろうな! つーか、そのガキがこの世界の人間じゃないことなんて言われるまでも無くわかってんだよ。五十口径を素手で受け止められるような奴が人間であって堪るか」

 怒っているような口調ではあるが、これはむしろ諦めのような表情だ。スナイパーとしては狙ったものは一撃で仕留めるプライドがあるのだろう。だから、狙って撃った弾が素手で受け止められるなど屈辱でしかないが、そもそも素手で受け止めるなど普通の人間にできることでは無いのだ。しかし、それが別の世界の人間だとすれば納得できる。

「まぁ、人間だけどな」

「はっ、どの口が。こっちの世界じゃあ、あんたはバケモンだろ」

「ああ――まぁ、自覚はしているが」

 視線を合わせるノウと那由他だが、互いに何を考えているのかはわからない。それを眺めている京はハラハラとする胸の内を鎮めようと深い呼吸を繰り返し、烏丸は考えるように視線を伏せていたが、徐に顔を上げると口を開いた。

「……とりあえず私たちは前線基地の白鷺中尉と連絡が取れたら研究所に向かいます。機器のある場所を教えてもらえますか? 力になれるかもしれません」

「通信機器があるのは外の倉庫だ。あんたならわかるだろ? あたしは仕事に戻る。基地の連中には伝えてあるから好きにやれよ」

「助かります。京さんとノウさんはどうしますか? おそらく私に付いて来ても大したことは無いと思いますが」

 ペットボトルの水が半分以上減っていた京は、もじもじと恥ずかしそうな表情をしていた。

「え、っと……お手洗いを貸してもらえますか? その後は、やっぱり少し疲れているのでここで休んでいます」

「休むならここより仮眠室のほうがいいだろ。トイレは部屋を出て左、仮眠室は一つ下の階だ。どこでも好きに使え」

「ありがとうございます。ノウさんも一緒に行きますか? 昨日から寝ていないんですよね?」

 問い掛けられたノウは、考える間もなく頭を振った。

「いや、大丈夫だ。俺は少し周囲の様子を知りたい。鳩原に付いていく」

 それもそれで危険な予感がしないでもないが、ノウならば何かあれば対処できるし、那由他はこの基地のことも周辺のことも詳しい。それならば任せても大丈夫かと烏丸は躊躇いがちに頷いた。

「では、そのように。通信機器の復旧が終わりましたら声を掛けに行くので、そのつもりでいてください」

 今回の件は全て烏丸に任せられている。つまり、今回の件の責任は全て烏丸が背負い込むということだ。異世界人の確認、護送、護衛、そして――監視と監理。それが烏丸の負っている責任だ。ヘリの墜落は大事だが対象の二名は無事でいる。ということは、責任を負うべき問題が起きているわけではない。今は――まだ。

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