2-4

 三人はその足で食堂へと向かい、早めの昼食を終えると、再び宿へと戻っていた。

 部屋の中では烏丸がメモを取ったノートを見詰めて、京はそんな姿を遠目に眺めている。ノウはと言うと、宿には戻ってきたが部屋には入らず昨日のような急襲に備える、と屋根に上っていった。

「………………」

 烏丸は悩んでいた。

 ノウは間違いなくこの世界の異物だ。本人が最弱と言っていようとも扱い方次第では確実にこの世界に影響を与えることになるだろう。そんな人間を戦争の前線に連れて行くことに躊躇いを感じている。

 しかし、協力関係を約束してしまった以上は、それを破るわけにはいかない。厳密に言えばあくまでも口約束であり、契約などの類ではないのでいくらでも反故にすることは可能ではあるが、烏丸の軍人としての性がそれを許さない。

 こんなご時世だ。見た目は服装と帽子でどうにか出来るし、剣を持っていることも無理矢理理由付け出来ないことも無い。魔法に関しても、使わなければ問題にはならない。だが――だが、ノウが纏う雰囲気だけはどうにもならない。見る者が見れば、それこそ軍人が見れば、ただ者で無いのは一目でわかってしまう。

 それだけに、ノウは異質の存在なのだ。

 ただ漠然と雰囲気が違うというのは大概にして問題である。例えば、大通りに外国人が一人だけいればすぐにわかるし、好意の対象者が居たとすればどれだけの人混みでも見付けられる者はいるだろう。その感覚を、より強くした感じである。

 そこにいるだけで異質で、下手をすれば畏怖してしまうほどの存在感があるのだ。

 ノーウッド・Rは恐怖の対象である――そう認識されるのだけは、どうしたって避けなければならない。

「……差し引きを考えても……連れて行くほうが良い気もしますね」

 烏丸は往々にして正しい判断をする。だからこそ、今の地位を手に入れられたとも言える。

「…………」

 擦り寄ってきた京は、烏丸の横顔をじっと見詰めていた。

「……なんでしょうか?」

「私も連れて行ってもらえませんか? 一緒に――前線に!」

 期待の籠った眼をして見詰める京は、答えを待つように固唾を呑んだ。

「それは……何故ですか? 父親に会いたいから? それとも――ノウさんのため?」

「お父さんには会いたいです。でも、それよりも今はノウさんに付いていきたい。付いていけば――何かがどうにかなる気がするんです!」

「何かが――」

 烏丸は静かにノートを閉じた。

 この国の行き詰まりを、こんな少女でさえ気が付いていることに対して静かに嘆息した。

 そう――ノウがこの停滞した戦争に関われば、何かがどうにかなるかもしれない。それは烏丸自身も感じていたが、それが良いほうに転ぶのか悪いほうに転ぶのかわからないから答えを出せずにいた。

 とはいえ、答えは出ずとも当面の結論は出ている。

「……わかりました。しかし、白鷺中尉の許可は必要だと思うのでそれは――」

 自分で連絡をして、と言おうとしたところ、京はすでに電話を掛け始めていた。

「――あ、パパ? うん……うん、大丈夫。これから烏丸さんとノウさんがそっちに行くんだけど、私も行くね!」

「っ――!」

 声は聞こえないまでも、伝わってくる空気の振動で電話の向こう側にいる白鷺中尉が叫んで怒っているのがわかる。

「まぁ……そうなりますよね」

 身内が、それも愛娘が戦争の前線にやってくるなど親として容認できるはずがない。

「なんて言われても行くから! ――だって、私がノウさんを見つけたんだよ? 私がノウさんを助けたの! だから――だから、私が付いていく。それが私の義務だから!」

「っ――!」

 再び電話越しで漏れる怒りの声に烏丸は苦笑いをする。

「違う――私が決めたの! ノウさんに付いていけば、何かが変わる気がするから――私も、行く!」

 まるで駄々を捏ねる子供のような言い草だが、白鷺中尉からすれば幾つになっても子供は子供だ。こうなってしまえば、結論は出たようなものだ。

「……うん……うん。わかった。ちゃんと言うことを聞く……うん。じゃあ、また後でね。……烏丸さん! 行けることになりました!」

「そうですか。良かったですね」

 仮にここで絶対に来るなと言ったところで、隠れて付いてくるくらいならばルールを設けて枷を付けたほうが良い。そうすることで安全を守れるならそれがベストだと父親は考える。それと同時に娘も、父親の気持ちがわかるから素直に受け入れた。ある種の脅迫にも近いが、良い折衷案なのだろう。そこにはもちろん、親子だからこそ、という文言が付くわけだが。

「では、おそらく……あと二十分もせずに迎えのヘリがやってくると思うので、それまでに準備をよろしくお願いします」

「はい! すぐに準備してきます!」

 そう言って部屋を出ていく京を見送って、烏丸は自動小銃を手に取った。弾倉を抜いて、銃身を確認、弾倉の弾を確認すると元に戻してガチャリと窓の外に銃口を向けて構えてみた。

「本当は一度解体して手入れをしたいところですが、帰るまでお預けですね」

 残念そうに呟いて銃口を下げた瞬間に、窓のほうから物音と人影が見えて再び銃口を上げた。

「たぶん、二十分も無いぞ。早くて十分ってところだろう」

「……貴方、あまり神出鬼没に行動するのは止めてもらえますか? 下手をすると撃たれますよ」

 安心したように銃口を下ろした烏丸に、ノウはよくわからないように首を傾げた。

「いや、別に撃たれたところで問題ないが?」

「ああ――そうでしたね。それにしても、あと十分ですか。まぁ、早いに越したことはありません。待機してもらえばいいだけなので」

「そうか」

 屋根にいたノウに会話が聞こえていたのか、などという愚問は抱かない。

 今の服装は動き易く目立たないようにカーゴパンツとパーカーを着せて、その上に革の防具と背嚢、それに剣を着けている。その上で、キャップを被せてパーカーのフードを被せているのだが、それでもアンテナが使えているということは、頭に生えている耳の形状自体に意味はないのだろう、と烏丸は推測しながらメモを取る。

 そして、この場に二人しかいない状況に気が付いて、訊きそびれていた疑問を口にした。

「ノウさん、昨夜の襲撃してきたヘリですが、乗っていた者について教えてください。どのような言葉を発していたのかわかりますか? 肌の色などは?」

「言葉に関しては判断の仕様が無いな。俺のアンテナは全ての言語を一つのものとして捉えて、言葉も双方共に理解できるようになっている。肌の色なんかはそもそも意識していなかったから……ん? こっちの世界は複数の言語があるのか?」

「正確な数は不明ですが、世界の言語は数千あると言われています」

「……そりゃあまた――大変だな」

「ええ、大変です。それはともかくとして――敵の情報は無しですか。まぁ、構いませんが」

 別の世界の住人に、別の世界の複雑な事情など知ったことでは無い。烏丸にとっては肌の色や言語によって違いがあるが、ノウにとっては魔物かそうでないか、しかないのだ。

「悪いな。次があれば何かしらの情報を掴めればいいが……結局は同じ人間だからな。違いが大してわからねぇんだ」

「それは助かりますが……できれば、ノウさんはもう戦わずに元の世界に戻る方法を探すことに専念してください。こちらでも最大限のバックアップはしますので」

「戦士に対して戦うな、か。ま、俺は言わばこの世界に迷い込んだ客人みたいなものだ。この世界の住人の言葉には素直に従うことにするよ」

 本当に理解したのか怪しいくらい軽い口調で言い放ったノウに、一抹の不安を感じながらも烏丸はノートを閉じて纏めておいたバッグを持った。

「そろそろ外に行っていましょうか。私のシグナルを頼りに来ると思うので、広場に居たほうが都合が良いでしょう」

「シグナル? ……ああ、居場所がわかるのか。便利な力があるものだな」

 二人並んで外の広場へと向かうと、そこに未だ放置したままだった石壁があるのに気が付いた。

「……壊せます?」

「壊すまでも無い」

 石壁に近付いていったノウが壁に手を着くと、まるで地面に吸い込まれていくように壁は沈んでいった。

「基本的に魔法で作り出したモノは、作り出した本人ならいつでも消せる。例外はあるがな」

 無駄とも思える魔法の知識がどんどんと増えていくが、もしかしたら何かに使えるかもしれないと烏丸はメモを取る。こちらの世界の人間には魔法が使えないのは当たり前だから、あくまでも戦術として――しかし、ノウを戦争に加わらせるつもりは無い。矛盾する思考ではあるが、可能性として、だ。

「無から有を生み出して、有を無にすることができるとは……世の理に反していますね」

 それは、こちらの世界の理だ。

 ともかくとして、烏丸を迎えに来た軍用ヘリは広場に着地した。その音を聞いた住人たちは近付いてくることはせず様子を窺うようにしているだけだった。

 ヘリの前で待つ烏丸とノウの下に歩み寄ってきたのはバックパックを背負った京と、病院でノウを見ていた医者の男だった。

「お待たせしました!」

「見送りに来たぞ、少年よ」

「ご老体、わざわざ済まないな」

「よいよい。よもや別の世界の人間とは思いもよらんかったが、息災と見えるな」

「お陰様でな。しかし……俺の見送りってわけじゃないだろ? 思いというのは伝えられるときに伝えるべきだ」

「ふぅむ。さすがに重みが違うのぅ」

 躊躇っていたわけでは無いにしても、ノウに押される形でご老体は京の前に立った。

「京よ――主が病院を手伝っていたことで、こんな血生臭い時代でも、この町の住人たちは救われていた。その笑顔が見れなくなるのは……寂しいのう」

「大丈夫です、約束します先生! 絶対に帰ってきますから! 私の家はここなので!」

 固く握手を交わすと、踵を返してすでにノウと烏丸が乗り込んでいるヘリに向かって歩き出した。

 振り返ることはしない――後ろには父親に代わって数年面倒を見てくれた先生がいる。それに、良くしてくれた町のみんなが居る。ハツラツと振る舞っていようとも、京は少女なのだ。少しのことで決意が鈍ってしまうかもしれない。だから――振り返らずに、ヘリに乗り込んだ。誰しもが口にはしないが、京が向かうのは戦地に近い前線基地だ。危険であることには違いなく、無事に帰ってくる保証など決してない。

 だからこそ、アンテナによってその会話を聞いていたノウは呟くのだった。

「絶対の――約束か。なら、嘘吐きにさせるわけにはいかないよな」

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