1-3
ヘリが山沿いの集落に着いたのは日が落ちてからだった。
「烏丸中尉! 我々は燃料補給のため、このまま近くの基地に向かいます! また明日の正午にお迎えに上がりますので!」
「よろしくお願いします! お気をつけて!」
プロペラの音に負けないよう声を張り上げると、操縦者は親指を立てて飛び去っていった。残された烏丸は自動小銃を抱えつつ、大きなボストンバッグを斜め掛けにしてマニュアル通りに周囲を警戒した。
すると、そこに一人の少女が近付いてきた。
「あの、烏丸さんですか? 父から連絡をもらっていたのですが……あ、私は娘の京です」
「……貴女が京さんですか。初めまして。私は
銃口を下げた烏丸が手を差し出すと、京もそれに答えて握手を返した。
互いに探り合いである。しかし、どちらかと言えば京のほうは友好的であり、且つ警戒心も持っている。
「では、近くの旅館に案内しますね。そこに荷物を置いてから烏丸さんの目的を果たしましょう」
「……ええ、お願いします」
警戒しているのは烏丸も同じこと。何故なら、この娘は軍の上層部ですら虜にする参謀殿の実子であり、その才覚が受け継がれていないとも限らない。何よりも、この場に来ることを知らされていたのなら、たとえ子供であろうとも迎えるだけの準備はできるはずだ。……良い意味でも、悪い意味でも。
京に連れられ古びた趣のある旅館の二階へ。
「今日はここでお休みください。夕食と朝食は可能な限り要望に応えてくれると思いますが、何がいいですか?」
バッグを置いた烏丸は、部屋の中を隅から隅まで観察してから銃に安全装置を掛けた。
「いえ、食料は持ってきているので必要ありません。人が作ったものは食べられないので」
それは警戒というよりは潔癖症にも近い感情のせいだった。他人が握ったおにぎりを食べられないことの延長のようなものだ。
「そうですか、では、お仕事をしましょう」
「そうしてもらえると助かります。まず、どこかの広場かそれなりに広さのある役所の一部などに住人を集めてください。もし怪我人や動けない老人、小さな子供が居て来られない方はこちらから窺うので無理はしなくても大丈夫です。住人の名簿などは――」
ありますか? 烏丸がそう言おうとしたとき、先んじて差し出してきたクリップボードには住人の名前が載っていた。
「これが名簿です。すでに安否確認をしてサインももらっています。ですが……また集めますか? 私は別に構いませんが」
「……いえ、ならば問題ありません」
受け取ったクリップボードに挟まれた紙を捲って名簿とサインを確認した烏丸は、目を細めながら頷いた。
やはり曲者だったと思わざるを得ない。この作業をしたのが大人ならば抵抗感も無く感謝できたのだろうが、相手を思えば複雑な感情を覚えるのは仕方がない。現状では本来の烏丸の仕事が無くなった上に、迎えが来るのは明日の正午と決まっている。つまり半日以上を残して暇になってしまったということだ。が、性分として何もせずにはいられない。おそらく、上層部として命じた本来の仕事と、烏丸の心情的には憚られる仕事をせざるを得ない状況になってしまった。
そして――烏丸を見詰める京の視線から、それに触れてほしいと逸っているのもわかる。
「……では、白鷺中尉より聞き及んだことを確認させていただきます。その……別の世界から来た、という少年は――どう……どう? いえ、なんなのでしょうか?」
何分、理解し難いことなせいで、どう問い掛けていいのかすらわからない。言葉を選びつつではあるが疑問を飛ばすと京は嬉しそうに口角を上げたが、その高揚を押さえるように咳払いをして表情を戻した。
「えっと……何かと訊かれても私にはなんとも言えないのですが、ノウさんがこことは違うところから来たのは間違いないと思います」
「確信があるような口振りですが、何かわかりやすい特徴があったりするのですか? 証明できるようなことが無ければ、こちらとしても貴女一人の証言を鵜呑みにして正体不明の人間を前線に連れて行くわけにはいかないのですが」
「特徴……あ、けも耳はありますよ!」
「けもみみ……? よくわかりませんが、見た目に特徴があるということですね」
「そうです! 呼んできましょうか?」
「……いえ、まだもう少し話を聞いてからにしましょう。本人がいない場だからこそ言えることを教えてください。怪しいところはありませんでしたか? 気掛かりなことは?」
烏丸からすれば当人に会う前に出来る限りの情報が欲しい。よくわからない人物であり、言ってしまえば危険人物である可能性が高い者と相対するのであれば、有利に立ち振る舞えるだけの情報があるに越したことは無い。
しかし、京は烏丸からの問いに対して苦い顔を見せて考えるように俯いた。
「ん~……どう、でしょうか……」
「それは何に対してですか?」
「怪しいと言えば怪しいのですが……それ以前に、多分ノウさんはこの会話を聞いていると思いますし」
その言葉を聞いた瞬間に、カチャリと安全装置を外して特に理由も無いが窓のほうに銃を構えた。
「聞いている? いったいどこから――盗聴器でも仕掛けてあるのですか?」
疑問を口にしながら振り返り、銃口を下げた烏丸だったが、その直後に背後で音がして即座に銃を構えた。
「盗聴器――その場に居らずとも他人の会話を盗み聞くことができる機械、か。そして、それが銃という物だな。残念ながら、それも向こうの世界ではただの玩具だ」
使い古され傷付いた服に、腰に剣を携えて、頭に黒い猫のような耳を付けた少年がそこに居た。
確かに、見た目からして異質を感じ取ることはできる。しかし、そうで無かったとしても少年の纏う雰囲気は年相応のものではない。むしろ貫禄すら感じるその佇まいに、言われずとも彼がこの世界の人間ではないと直感できる。
「……貴方がノウさん、ですか?」
「そうだ。そういうあなたは?」
問われながらも、向けた銃口を下げることはしない。
「私は自衛隊陸軍中尉の烏丸です。私は――私は、貴方の調査に来ました。協力していただけますか?」
「条件次第だな。俺は早く元の世界に戻らなければならない。そのために協力が必要というのなら、いくらでも手を貸す。だが、無駄に時間を取らせるだけなら協力も何も無い。勝手にやらせてもらう」
「……今回の件については全て私に一任されています。なので確約しましょう。貴方が協力してくだされば、軍の情報網を使って元の世界に戻る方法を調べます。おそらくは、それが最も貴方の求める答えに近いことでしょう」
「軍の情報網……中尉か。なるほど。それなら協力しよう。とはいえ、こちら側に来て数時間の俺に何が出来るでもないだろうが」
「それには私も同感です」
まさか、上層部の戯れのような案件で、ここまで異様なものと出くわすとは思っても居なかっただろう。
もしかしたら軍は、志願者募集の客寄せパンダのためだけに階級を中尉にまで上げた烏丸を前線から引き離したかったのかもしれない。もしくは、単に戦場に女性がいることを嫌った一部の上層部からの嫌がらせか。
どちらにしても、選任を間違ったと言わざるを得ない。上層部の目論見が仮説通りならば、それは今の戦争を滞りなく弊害なく進めるための配慮にも似た排他だったわけだが、結果的には安全とは程遠い存在を引き入れることになってしまった。
銃を下げて、剣を置いた二人が腰を据えて、いざ話し合おうとしたとき、それを静観していた京が徐に口を開いた。
「あ、あの~……お話を始める前に烏丸さんに訊きたいことがあるんですけど」
「はい、なんですか?」
「烏丸さんはパパと――お父さんと仲が良いんですか? 元気でしたか?」
「仲が良い、といいますか……私は元々白鷺中尉の部下でしたので。一年ほど前に移動になりましたが、その間も会ってはいたので仲が良いというよりは、普通に上司と部下、という感じでしょうか。元気かどうかというのは程度にもよると思いますが……というか、電話していたのでは?」
「そう、ですね。でも、電話越しで本人から聞くよりも、お父さんに会った人から直接聞くほうが信用できるかな、って」
「ああ、そういうことですか。でしたら心配は無用です。白鷺中尉は部下を押し退けて今にもヘリコプターに乗り込もうとするくらい元気でしたよ」
それを訊いた瞬間に京は笑顔を見せた。
「なら、良かったです」
嘘も方便と言うが、これは本来なら吐かなくても良い嘘だった。白鷺中尉は怪我も無く病気もしておらず、むしろ意気揚々と言えるほどに作戦室で実質的に軍の指揮を執っている。嘘ではない――が、過剰表現であったことには違いない。何故、そんな言い方をしてしまったのか烏丸自身も疑問符を浮かべてしまうのだが、理由を問われたところで答えは出ない。優しさ故に、と言ってしまえばそれまでだが、おそらく烏丸は頷かないだろう。
「では、話し合いに移りましょう。まずは、そうですね……訊きたいことが多過ぎて何から訊けばいいのか悩んでしまいますが、とりあえずは目に付くところから確認させてください。その頭に付いている耳は本物ですか?」
「京もそうだったが、このアンテナはそんなに珍しいものなのか?」
訝し気に言うノウは頭に生えたアンテナと呼ぶ部分を抓んで見せた。
「アンテナと言うんですか。珍しいというより明確に言いますと、そのようなモノを――本物を、本物が付いている人は存在しません」
「本物かどうかの確認も俺からすればよくわからないんだがな。とはいえ、向こうの世界でもアンテナ持ちの数が少ないのは確かだ。基本的には親から子に遺伝するものではあるが、両親ともにアンテナ持ちでも確率は三割ってところだな。あとは突然変異」
訊くよりも先んじて答えてくれるのは有り難いの同時に、ノウが進んで協力してくれている証拠でもある。メモを取りながら、烏丸は個人的興味が浮かんだのだが、業務的に済ませるかどうか悩んだ結果――興味に負けた。
「……ちなみに、貴方はどちらなんですか?」
「突然変異だな。両親ともにアンテナは持っていないし、どちらの家系図を見てもアンテナ持ちはいなかった。隔世遺伝でもなく、最も純粋な突然変異だ」
「なるほど。純粋な突然変異……純粋な? その言い方だと、遺伝かそうで無いかで違いがあるように聞こえますが?」
「違いはある。遺伝に比べて突然変異のほうがアンテナの感度が良いと言われているし、わかり易いのは寿命だな。突然変異の寿命は――だいたい常人の三分の一だ。こればかりは証明のしようも無いが、間違いない。俺なら、あと二十年生きられれば良いほうだろうな」
自分の寿命はあと二十年も無い――理路整然と言う姿に、烏丸だけでなく京も背筋を震わせた。現状の日本が戦争中であっても、戦死者が出ていないことを考えれば平均寿命はおよそ八十歳前後だ。そんな世界で生きている者からすれば到底理解ができない。けれど、ノウの世界ではそれが普通なのだ。むしろ、病気や老衰で死ぬことは少なく魔物に殺させることのほうが圧倒的に多い。そんな世界で、仮に長生きできたとしても三十余年しか生きられない事実を受け入れることは容易ではないのだろうが、ノウ自身は歯牙にもかけないような――むしろ、興味すらも無いようだった。
一先ずはノウの言うことをメモした烏丸は、咳払いをして話題を変えた。
「では、見た目だけでなく何か別の世界から来たことを証明できることや、物はありますか?」
「証明、か……」
考えるように俯いたノウだったが、アンテナが何かに反応するようにピクリと動くと、顔を上げて窓の外に視線をやった。
「……どうしました?」
問い掛ける烏丸だったが、その光景を一度目にしている京は気が付いたようにノウの横に並んで窓の外を見た。
「もしかして、またミサイルですか?」
「いや、もっと別の物だ。ミサイルよりも大きくて……形は烏丸が乗ってきたものに近い。だが、ミサイルと同じような嫌な気配を感じる。烏丸、悪いが証明は後だ。まずはこちらを片付ける」
剣を手にして窓から飛び降りたノウを見て、烏丸が衛星携帯電話を取り出すと、途端に電話が掛かってきた。
「もしもし、烏丸です。……はい、やはりそうでしたか……いえ、今のところ問題はありません」
ノウを追うように部屋から出ていった京の姿を見て、烏丸は静かに息を吐いた。
「……ちなみにですが、白鷺中尉。その戦闘ヘリを観測したのは何分前ですか? …………つまり、彼はそれよりも早くヘリの接近に気が付いた、と。中尉――まだ確証はありませんが、彼は本物かもしれません。…………ええ、わかっています。では」
電話を切った烏丸は、銃を手に取り暗視スコープを装着した。
外はすでに日が落ちて、照らす月の明かりすら雲に隠れて稀に姿を現すだけだ。山沿いの町とは言え、戦時中の現在では室内灯なら未だしも外灯を付けることはしない。故に銃を構えて夜道を歩くには暗視スコープが必須なのだ。
京の姿を捉え、その視線の向かう方向を見遣れば、そこには民家の屋根の上で山の向こうを警戒するノウが居た。
京の下へ近寄った烏丸は銃を構えたまま口を開いた。
「目的は不明ですが――戦闘ヘリは攻撃態勢に入っています。おそらく戦闘は免れません。最善策は建物の中に入り身を隠してやり過ごすことです。なので、どうか京さんも」
言いながらも気が付いていた。京は、この場を動かないだろうと。そして、もしもヘリに熱探知スコープが付いていれば、隠れたところで無意味だと。だから、烏丸は山の中に入って、出来るだけ近い位置から狙い撃つつもりでいたのだが――ノウがそこに居る。
「……どう、でしょうか……」
ミサイルを迎撃したというノウの真実を知るには、手を出さずに静観していれば良い。けれど、軍人としてそれは許されない。それに、ノウが落としたのはミサイルであって、今回向かってきているのは人が操縦する戦闘ヘリだ。ただ真っ直ぐ突っ込んでくるだけが能ではないものを相手にして無事で済むとは限らない。し、出来る限り民間人への被害は減らしたい。
「っ――」
考えが纏まらない烏丸は、スコープを付けた視界で自動小銃のスコープを覗き込むと、山の陰から一機の戦闘ヘリが見えた。
覚悟を決めたように息を呑む。
しかし、ここで烏丸は知ることとなる。証明など必要が無いほどの――別の世界から来た人間、ノウの実力を。
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