1-2

 時は少し遡り――

 ここは長野県に建てられた前線基地。今も最前線では自衛隊陸軍が自動小銃を手に硝煙と火薬の中を動き回っている。

「戦況は?」

「依然、変化無し。負傷者は十二名ですが、いずれも命の危険はありません」

 数年に渡り継続している戦闘は、常に肉体と精神を蝕んでいく。戦場から離れているとはいえ、現状の人員不足を補うには大尉だろうと大佐だろうと訓練を受けている隊員は全てローテーションに組み込まれて全員が三回以上は前線へと赴いている。

「白鷺中尉! たった今、小型ミサイルが発射されました!」

「標的はどこだ。落下予測地点は?」

 レーダーに映された画面に、複雑な文字列と数列の書かれた画面に向かってキーボードを打つ部下は自らの最速記録を破ろうと手に力が入った。

「――出ました。予測地点はここよりも後方――埼玉県西部の山沿いです! 少数が住む集落がありますが、過去数回のミサイル落下でも怪我人はゼロです!」

「油断も慢心も敵だということを忘れるな。すぐに警報を出して衛星と繋げ」

「警報はすでに。落下まで凡そ三分――衛星からの映像に切り替えます」

 大きな画面が宇宙から見下ろす映像に切り替わると、その中央には火を吹きながら空を飛ぶミサイルがあった。それを追うようにカメラが動くのと同時に、別の画面には空から落下予測地点の映像が映し出された。

「……どういうことだ? 人が残っているぞ。警報は出したのか!?」

「はい! 警報は確実に出ています!」

 中尉の怒号に緊張した顔で即答した部下だったが、確認するまでも無く警報が鳴っていることを表すランプが点滅していた。

「ならばどうして残っている!? ……待て。その建物の陰にズームできるか?」

「はい、すぐに」

 キーボードを叩くと、建物の陰に近寄っていき、そこの居る人影を映した。

「……少女、ですかね? どうして落下地点にピンポイントで……」

「娘だ――あれは娘の京だ。どうしてそんなところにいるんだ!? おい! どうにかしてミサイルを撃ち落とせないのか!?」

「不可能です、中尉! 一番近い発射台からでも落下まで間に合いません!」

「っ――くそっ」

 落下まで残り一分を切っている。今から電話をしても間に合うはずも無く、部下の言う通り撃ち落とすのが無理だということもわかっている。しかし、だからといって娘を見殺しにすることはできない。だが――何も出来はしない。そんなジレンマに襲われた白鷺中尉は正気を失うこともなく拳を握り締めて自らの感情を殺していた。爪が皮膚を裂き、染み出た血が足元に落ちようとも、画面から目を放すことはしなかった。

「中尉、どうしますか?」

「どうも……出来はしないだろう」

 怒りを噛み殺しながら、もしかしたらミサイルが落下しても爆発しない可能性や予測地点が外れる可能性に賭けるしかない。とはいえ、そんな可能性が一パーセントも無いことは、この数年軍人として戦ってきた白鷺にはわかっていた。

「ミサイル落下まで五秒――四――三――んっ?」

 落下するよりも前に空中でミサイルが爆発したのだが、その時に何が起きたのかは衛星からの映像では確認できなかった。しかし、ミサイルの横に人影があったのは間違いない。

「ミサイルが着弾するよりも先に爆発しました。原因は不明。近くにいた民間人の安否も不明」

「映像を鮮明に出来ないのか?」

「これが限界です。煙が晴れるのを待つしかありません」

 その場に居る全員が固唾を呑んで見守っていると、徐々に煙が晴れて二人の人影が見えてきた。

「……生存確認! 民間人二名の生存を確認できました!」

 歓喜の声が上がりはしない。ただ、撃ち落とせたかもしれないミサイルによって犠牲者が出ずにホッと胸を撫で下ろすだけだ。

 そして、最も安心したように肩を落としていた白鷺は衛星携帯電話を取り出して電話を掛け始めた。

「――――もしもし、京か? お前はどうして――いや、叱るのはまた後でだ。とにかく無事なんだな? ……そうか。良かった。ん? …………ああ、いや、お前がそのノウという少年に助けられたのはわかったが……別の世界? 剣でミサイルを止めた? 意味がよくわからないが……ああ、そうだな。今から俺がそっちに向かう。ヘリで行けば二、三時間だろうから、それまではその少年をそこに引き留めておいてくれ。……頼んだ」

 電話を切ってからも理解できないように片眉を上げる白鷺だったが、とりあえず今は疑問を措いておくことにした。

「おい、ヘリを用意しろ! 少し前線を離れるが明日には戻ってくる。それまでは――」

「いえ、それはなりません、中尉」

 言葉を遮って入ってきたのは、長い黒髪を束ね、縁の無いメガネを掛けて動き易いようにパンツの軍服を着た女性隊員だった。

 そして、言葉を続ける。

「白鷺中尉、あなたはここの参謀的存在です。そんな方に前線を離れられては困ります」

「しかしだな、事は一刻を争うのだ。烏丸からすま少尉」

「中尉です。先日階級が上がったので白鷺中尉と同じになりました」

「それなら敬語は必要ない。中尉になったというのなら、この場での指揮は烏丸中尉に任せる。それでいいだろう?」

「駄目です。敬語も止めません。先程の通話を聞いていた上からの命令です。この場には白鷺中尉が残ること。しかし、娘君の言う別の世界から来た少年、というのも気掛かりではあるので、民間人の安否確認と共に私が赴くことになりました。それで異論はありませんね?」

「……異論も何も、上からの命令ならば従うしかあるまい。では、烏丸中尉、娘のことをよろしく頼む」

「はい、承りました」

 敬礼を交わす二人だったが、徐に顔を近付けた白鷺は烏丸の耳元で囁いた。

「念のために言っておくが、娘はつまらない嘘を吐くような子ではない。少なくとも俺の理解の及ばないことを言っていたのは確かだが、それでも――行くのならば、色眼鏡なく真偽を確かめてこい」

「……はい」

 烏丸は心を見透かされた気がして、冷や汗を掻きながら静かに言葉を返した。

 軍の上層部の考えはわからない。この戦況下でわざわざ人員を裂くべきでは無いことに時間を費やそうとしている。おそらくはただの戯れである。数年と続く変わらぬ内戦のような戦争に――飽きているのだ。戦死者は出ずに、負傷した者は傷を治して再び戦地に赴く。その繰り返しの実情を知っていながらも、自らは戦地の状況を映像で見るだけで、まるで映画でも見ている気分になっているのだろう。

 だから、これといった意味も無く『別の世界から来た少年』という面白そうな言葉に飛び付いたのだ。それが白鷺の会話を聞いていた一人からの指示なのか、それとも上層部の総意なのか知る由も無いが、そんな無意味とも思える命令を受けた烏丸は苛立っていた。中尉にまでなってする仕事がこれか、と。

 そんな心情を読み取った白鷺は、ただ漠然と不安を覚えていた。

 娘は嘘を吐かないという自信があり、その上でミサイルが空中で爆発した理由も娘の言うことで説明が付いた。ならば、別の世界から来たという少年も本当なのかもしれない。だが、果たして関わっていいのかという疑問があった。現状がどうであれ、この国は戦争中であり、ここはその前線だ。不確定要素の介入は望ましくない。仮に味方だったとしても、必ずしも良い方向に事が運ぶとは限らない。白鷺中尉は事実上の軍の参謀であり、自らが赴けば事前に介入を防ぐことも可能だと考えていたが、それも適わなくなった。

「烏丸中尉! 何かあればすぐに連絡しろ!」

「はい! ――よろしくお願いします」

 装備を整えた烏丸が白鷺からそう言われると、軽く敬礼を返してヘリに乗り込んだ。

「準備できました。出してください」

 飛び立つヘリから基地を見下ろすと、そこにはこちらを見上げる白鷺が居た。

 何かあれば――民間人の安否確認と別の世界から来た少年の調査に、いったい何があるというのか。疑問も無く嘲笑して、腕時計を確認した。

「……二時間くらい、かしら」

 呟きながら、チキチキと自動小銃の安全装置のオンオフを弄っていた。そうしていると改めて気が付く。自分は裏で動き回る人間では無く表に出て戦うべき存在なのだと。

 それと同時に考える。戦争における表と裏――とは?

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