1-1

 背中に初めての感触を味わっていた。

 ふわふわというのかふかふかというのか、それでいて温かく包み込んでくるような感覚は、痛みすら忘れてしまうほどの幸福感だった。

「っ……」

 違う。痛みを忘れるはずがない。胸を貫かれた時の激痛に、心を砕かれた時の鈍痛。忘れるわけがない。痛みは――身体の内側を蝕んでいる。

「っあ! ……はぁ……はぁ……」

 体を起こして胸の痛みに手を当てれば違和感を覚えた。ウジクに貫かれたはずの傷が無い。装備は無いが、服は解れも無く綺麗なまま。いくらなんでも、ここまでの回復魔法は見たことも聞いたことも無い。

「あ、目を覚ましましたか? 大丈夫ですか? 酷くうなされていたようですが……」

 顔を覗き込んできたのは幼さの残る表情を見せる女性だった。おそらく人種は同じ。だが、見たことの無い生地の白い服を着ている。

「……ここは……?」

「ここは病院です。あなたは山の中に倒れていたんですよ」

 言葉はわかる。病院という言葉に聞き覚えは無いが、それが怪我や病を治療する場だということは何故だか理解できる。しかし、胸に書かれている文字は読めない。言葉が理解できるのはアンテナのおかげだと思うが……いや、そんなことよりも山の中に倒れていた? ウジクにやられたのは都市を出たところにある小高い丘だったはずだ。近くに魔物の気配はないが、それとは違う違和感がある。

「あの、とりあえずお名前を窺ってもいいですか?」

「名前? ……俺の名はノーウッド・R。ノウと呼ばれている」

「ノウ、さん。日本の方ではないんですね」

 女性は納得したように頷いていたが、こちらはむしろ疑問が増えた。

「にほん? それは国の名前……か?」

 気持ちが悪い。知らないはずの言葉なのに、それが何かわかってしまう。確かに珍しいアンテナ持ちではあるが、そんな力は無かったはずだ。自分の脳に、まったく知らない情報を記憶させる魔法など聞いたことが無い。

「そうです。ここは日本の――あ~……日本の、東側の、山岳地帯に面している小さな町、って感じですかね」

 複雑そうな表情を見せている。それが何を意味しているのかはわからないが、恥じらいのようにも見えるし、困惑しているようにも見える。

「まぁ、口籠ることを追及するつもりは無いが、少なくともここが俺の居た世界と違うのは間違いなさそうだな」

 普通ならば取り乱しているところを、こうして受け入れているのは植え付けられた記憶のせいなのか、はたまた元来からの俺の性格故か。もしもこれが夢や幻、魔物の魔法のせいであったとしても目を覚ます方法か、元の世界に戻る方法を探さなければならない。もしくはここが天国か……いや、胸の痛みを思えば現実だろう。

「……なんだ?」

 女性の視線が俺の頭に向けられていることに対して問い掛けると、興味深げに身を乗り出しながら口を開いた。

「あのっ! その――そのけも耳は本物ですか!?」

「けも? ……ああ、アンテナのことか? 何をもってして本物と言うのかはわからないが、機能を成していることを考えれば本物と呼べるだろうな」

「さ、触っても……?」

「別に構わないが」

 恐る恐る伸ばしてきた手の指先でアンテナを抓むと、ふにふにと柔らかく触れてきた。これくらいイアンやミカに比べれば優しいものだ。

「ちょっと、待て。あ~、え~っと……?」

「あ、けいです。白鷺京しらさぎけい

「そうか。京。俺が倒れていたという山中の近くには、他に誰もいなかったのか?」

「そう、ですね。近くには誰も。落ちていた剣? は拾ってきましたが」

 未だにアンテナを触る京の視線を追うと、そこには俺の剣が立て掛けられていた。

 可能性として有り得なくはない。しかし、あの時――記憶にある最後の瞬間に二人には息があったわけで、死んだ者の中で何らかの特殊な条件を満たした者が別の世界に飛ばされたと考えれば合点がいく。少なくとも、今の俺の状況からすれば仮に二人がこちらの世界に飛ばされているとしても無事である可能性が高い。それならば、人捜しよりも情報収集が先だ。

「京、この世界のことを教えてもらえるか? まずは――」

 その時、腹の音が響いた。

「まずはご飯、ですね」

「それが得策のようだ」

 全身に軽い鈍痛を感じるが動けないほどではない。立て掛けられた剣のほうを見れば、防具と背嚢も置かれていた。そこには金も入っているはずだが、果たしてこちらの世界で使えるのか?

「近くに食堂があるので一緒に行きましょう。今、先生に許可を取ってきますね」

「あ、ちょっと待っ――」

 呼び止める前に行ってしまった。

 立ち上がれば、思いの外に体が軽く感じられた。しかし、本当に見事に傷口が消えている。これはもしかしたらこちらの世界の魔法によるものなのかもしれない。だが、どれだけ有能な回復魔法の持ち主が居ようとも、魔物の気配が感じられなくとも防具を着けておくに越したことは無い。動き易さを重視しているせいで所詮は革の防具だが、無いよりはマシだ。

 背嚢の中身を確認してみれば、マズい携帯食に水の実、袋一杯の銅貨に、こちらの世界では役に立たない地図が出てきた。まともな食料や魔法具はミカが持っていたし、何より魔物の急襲だったせいで所持品を整える暇が無かったからこんなものか。

「ん? おお、もう動けるのか。さすがに若いだけはあるのぅ」

 京と共に顔を覗かせたのは長い白髪を後ろで束ね、同様に長く白い髭を蓄えた男性であった。

「ご老体、あなたが俺を治してくださったのか。感謝する。生憎、向こうの世界の金しかないのだが、いくら払えばいい?」

「んん? いやなに気にすることは無い。わしは何もしとらんよ。お前さんが運ばれて来たときには、どこにも傷は無かったからのぅ。おそらくは疲労が溜まっていたのだ。貸したのはベッドだけ。金は要らぬよ」

「……そうか。感謝する」

 頭を下げれば、ご老体は嬉しそうに笑っていた。初めての経験だ。俺の居た世界では大抵のことは金で解決して、金を払わなければ店の者が笑うことはほとんど無い。もちろん、土竜族の加工屋のような例外も居るが、それこそ本当に稀と言っていい。リスクを厭わず頼まれれば何でもするのは――俺達のような戦士だけだ。

「じゃあ、行きましょうか。ノウさん」

 ブーツを履いて外に出れば、そこは空気からして違っていた。澱みなく澄んでいて、噎せ返るほどに体の内側まで染み込んでくる。それに空気中に大量の魔力が含まれているのがわかる。向こうとこちらでは濃度の差があり過ぎる。道理でアンテナが違和感を覚えるわけだ。

 京に連れて行かれた店に入ると、そこは向こうの世界とあまり違いは無かった。椅子に腰かけてテーブルに置かれていたメニューに目を通したが、まったく何を書いてあるのかわからない。それだけでも、やはりここが別の世界だと思い知らされる。

「ノウさん、どれにしますか? ここはなんでも美味しいので、全部オススメです!」

「オススメ、か……」

 俺が異なる別の世界から来ているようなことはすでに伝わっているだろうから、隠していても仕方がない。

「いや、悪いがこの世界の文字が読めないんだ。何か適当に俺の分も頼んでくれ」

 そういうと疑問符を浮かべたような顔をして首を傾げたが、すぐにメニュー表に目を向けて店員に注文を済ませると、再び俺に向き直った。

「とりあえず私のほうから確認いいですか? 言葉はわかりますよね? こうして話しているわけですし。でも、字は読めないんですか?」

「言葉がわかるのは、おそらくアンテナのおかげだ。大抵は索敵や魔力補充その他諸々の恩恵がある付属物だが、その一つに翻訳機能があるのだろう。俺も初めて知ったのだが」

「じゃあ、ノウさんの居た世界には言語が一つしかないんですか?」

「そうだな。まぁ、元より知能や言葉を持たない魔物などが発する声はわからないが、基本的には言葉も文字も一種類しかない。さすがにアンテナと言うだけあって見たものにまで影響はないようだが」

「へぇ~。魔物? ってことはノウさんは冒険者とか?」

「いや、肩書は戦士だな。もしくは魔王討伐隊の一人」

「魔王!? じゃあ、もしかしてその魔王の魔法で別の世界に飛ばされちゃったとか? ノウさん強いの? 強そう!」

 随分と先走りして言葉を紡がれてしまった。ここで嘘を吐いたところで何れはバレることになるだろうから、言ってしまったほうがいい。別に抵抗があるわけでもないし。

「戦っていたのは魔王では無くその配下の四天王の一人だ。俺は弱いから、戦いにもならず早々に殺されたよ。向こうの世界で俺は――『最弱の戦士』と呼ばれていた」

「さいじゃく……?」

「そう、最弱だ。敵の言葉を借りるなら雑魚だな」

 そう言った時、タイミングが良いのか悪いのか食事が運ばれてきた。

 話は切り上げ、まずは飯を食うことに。

「…………ふむ」

 こちらの世界も向こうの世界も飯の美味さに大して違いは無いようだ。充分に食える、どころか美味いくらいだが、食に差が無いということは馴染める可能性が高いということだ。あまりの美味さに胃がひっくり返っても困りものだからな。

「ふ~、美味しかった~。どうでした? ノウさん」

「ああ、美味かった。何故だか数か月ぶりに飯を食った気がするよ」

 ここが異世界ならば時間軸も違うはずだ。向こうの世界で倒れてから、こちらの山中で見つかるまで、どれくらいの日数が経っているのかわからないが、最後に食事をしてから相当の時間が経っているのは間違いないだろう。

「さて。とりあえず俺は元の世界に戻る方法を探りたいんだが、この世界は――なんだ? 地図はあるか?」

「どう説明していいのか難しいのですが……ここは地球で、地球にある日本という国です。地図は――携帯の画面で小さいですが」

 その小さな機械が何かはわかる。画面には見たこともない地形が映し出されていた。

「……この小さな島が日本か?」

「そうです。一応は」

「一応? さっきも口籠っていたが、何かあるのか?」

 問い掛けると、京は周りを気にし出した。視線をやれば、周りで食事をする人間は物珍しそうに俺のことを見ていた。よそ者が珍しいというよりは、俺の服装や剣を見て一歩引いて観察している感じか。

「……出ましょうか」

 京は俺の分の代金も支払うと店の外に出た。後を付いていくと、無人の広場に置かれた長椅子に一人分のスペースを空けて腰掛けた。

「あの場では言えないことだったのか?」

「そういうわけでは無いんですけど、あまり声高に言えることではないので。この日本は今――戦争中なんです。そのせいでピリピリしているというか……」

「この小国が戦争か。相手は?」

「相手は……同じ日本、です」

「つまり内戦ということか」

 こちらの世界の情報はいくらかは脳に記憶されているのに、現状の情勢などについては何一つとしてわからない。その差はなんなのか。時差なのか、もしくは敢えて、そう仕組まれているのか。

「いえ、内戦という言葉が正しいのかはわかりません。ですが、今より数年前――二〇六六年、人口減少の一途を辿る日本が他国からの攻撃を受けました。その影響で西側にいた人は東側へと避難して、西側には国籍も正体も不明の軍が陣を張って、今現在も戦闘中です」

 その情報は持っていない。聞き覚えの無い言葉を理解することができるということは、むしろ元々は現在の情報をインストールするはずが、なんらかのエラーが起きて中途半端な記憶に留まっている、といった感じか。幸いなのは、元からある記憶が傷付いていないことだな。

 ……〝インストール〟に〝エラー〟か。向こうの世界には無かった言葉だ。

「どこの世界でも争いはあるものだな。前線は近いのか? 戦況は?」

 そう言うと、再び携帯を取り出して先程よりも日本に近付けた地図を見せてきた。

「前線はだいたい長野と岐阜の県境で、戦況は五分五分でしょうか。ここ数年はやったりやり返されたりで大して変化は無いです」

「俺達の世界とあまり違いは無いようだな。まぁ、向こうほど無法地帯ではないと思うが……ちなみにここはどの辺りだ?」

「埼玉の山沿いです。前線から考えると、ここは第四防衛ラインくらいでしょうか」

 なるほど。そのせいで若い男がいないのか。病院にいたのはご老体と京のみで、食堂で飯を食っていたのは老人ばかり。店員は京よりも年下の少女だった。おそらくは前線や第一、第二の防衛ラインを固めるために集められているのだろう。向こうの世界と同じならば王都のような――植え付けられた記憶によれば政府の近くにも人が集められているはずだ。

「まぁ、この世界――というか、この国の状況は大体わかった。その上で、最も情報が集まる場所はどこだ?」

「ん~……今の国会がある東北のほうなら戦地からは離れていて普通の生活をしている人が多いのでそれなり栄えています。ですが、情報量とか回転率とか、あとノウさんが求めているものから考えると、やっぱり前線近くが良いかもしれません」

「やはりそうなるか……」

 異世界ならば、あまり関わるべきでは無い気もするが、とはいえ前線近くに行ったところで戦闘に加わるとは限らない。いや、戦わないことが一番良い。

「っ――何か来るぞ?」

 アンテナが反応したが魔物の気配ではない。何かがそれなりの速度で近付いてきているが、いまいちなんなのかわからない。

 その時、まるで怪鳥の鳴き声のような音が辺りに響き渡った。

「なんだ?」

「これはミサイルの接近を知らせるアラームです!」

 すると音が鳴り響く中、建物から老人や女子供が慌てて出てきて山のほうへ向かって走っていく。

「あんなに慌ててどこに行くんだ?」

「防空壕です! 私たちも急ぎましょう! おそらくはあと五分から三分でこの辺りにミサイルが着弾します!」

「そう言っている割に落ち着いているように見えるのは気のせいか? ミサイル――時差式の爆発魔法を掛けた飛び道具ってところか」

「ミサイル自体は何度か落ちてきているので、みんな防空壕まで逃げられれば助かることはわかっているんです。だから、急いでください!」

 近付いてくるにつれてアンテナで拾える情報が増えてくる。大きさと形、爆発する範囲はわからないが、落ちてくる場所の想定はついた。

「いや、俺は残ろう。この世界の敵の実力がどれほどのものか知っておきたいしな。京はその、ぼうくうごう? というところに行ってくれ」

 おそらく着弾地点はここよりももう少し北側の、女子供が逃げたのとは反対側だ。問題は剣で受けるか魔法で受けるか、だ。

「……たぶん、ここだな」

 落ちてくるところに立ち、どうやってミサイルの力を試すのかを考えながら、後ろから付いて来ていた京に視線を向けた。

「どうして逃げなかった?」

「わかり、ません。でも、ミサイルですよ? いくら他の世界から来た戦士のノウさんと言えど……最弱ですし」

「まぁ、確かに最弱ではあるが。とりあえずは建物の裏にでも隠れていたほうがいい。俺だっていざとなれば逃げるからな」

「あ、はい。わかりました」

 頑丈とは思えない建物の陰に身を潜めた京を見送って、空に目を向けた。

 存在していないはずの俺の記憶の中では、ミサイルが落ちるとそれなりの爆発が起きる。つまり、剣で受けようとも『石壁』を出そうともこの辺りに少なからず被害が出る。それなら出来得る限り上空で迎え撃つのがベストだな。

「ん――来たか」

 上空から落ちてくるミサイルを目視してから、それなりに全力で跳び上がると優に建物の天井を超えた。地上からは凡そ十メートル程度か。その場で近付いてきたミサイルとぶつかる直前に剣を突き立てると、爆風と炎と熱が俺の体を包み込んだ。

「ノウさん!」

「――っと。なんだ?」

「え!? ……あれ?」

 地面に着地して服に纏わりついた煙を払いながら言うと、驚いたような顔をした京が不思議そうに首を傾げた。

 ミサイル、ってのはこんなものか。これならまだ俺の『火球』のほうが威力が強い。

「どう――え? いや、どうして無事なんですか? そんな何食わぬ顔をして……ミサイル、直撃しましたよね?」

「いや、厳密に言えば直撃ではない。寸前のところで避けて剣を突き刺して爆発させたんだ。あの程度の威力なら、向こうの世界ではあまり使い物にならないだろうな」

 記憶にあるものよりも威力が低かったようにも思える。粗悪品を使ったのか、それとも爆発するのに使う材料を減らしたか、だな。どちらに行くか悩んでいたがこの程度なら王都よりも前線に行くので問題は無さそうだ。

「京、現在のこの国の地図を貰えるか?」

「構いませんけど……もう行くんですか?」

「ああ、前線に向かう。早いとこ元の世界に戻って仲間の安否を確認したいからな」

「仲間、ですか……はい。わかりました。実は私のパパ――お父さんが軍勤めで前線に近いところにいるので力になってくれると思います。あ、噂をすれば電話が来ました。たぶん、落下地点から私の住んでいる場所だとわかったんでしょう」

 なるほど。道理で少女の割にいろいろと詳しいわけだ。

 気掛かりなのは――イアンとミカの安否。それと戦士の誰かがウジクを止められたかどうかだ。

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