蒼海と海賊と凛とした姿

 水中へと姿を消した直仁様を、ボックはすぐに見失ってしまいました。外洋ギリギリに位置するこの場所でも、海底が見える程海は澄んでいます。上空からなら、直仁様の姿が見えなくなると言う事はありません……本来なら。

 それなのに、ボックの視界に直仁様の姿は何処にもありません! それはつまり、直仁様が水中に溶け込んでしまったか……信じられない位高速で水中を移動しているに他なりません!

 

OKヨシッ! あたしも行って来るねっ! マリーはこのバイクお願いっ!」


 立ち上がったクロー魔はマリーにそう告げると、直仁様の後を追って海に飛び込んだ……何てことはせず、なんと水上を駆けだしました! ……もっとも、水の上を走れたのは最初の20mくらいだけ。すぐに水中へと引きずり込まれたクロー魔は、その後恐るべきスピードで泳ぎ出しました! ……まぁ、20mも水の上を走れるだけでも人間離れしてるんですけどね。ボックも即座に直仁様達の後を追いました!

 2隻の船へと近づくにつれ、少なくとも船上の状況が分かってきました。……とは言っても、どちらの船にも人影が見当たりません。

 ボックはまず、偽装貨客船へと降り立ちました! 中に残ってるのは、総舵手唯一人。貨物室の方へはいけませんでしたが、襲撃途中だと考えればそちらに人がいると言う事は無いでしょう。


Be silent黙れ! Would you like to dieぶっ殺されてぇのか!」


 そして静かな理由その2は、1カ所に集められたクルーザーの乗客が、海賊共に喋らない様指示されていたからです。恐らく襲撃を行った海賊たちは、船内に在る金目の物を集めてるんでしょう。

 完全にしているのか、甲板上にさえ海賊の見張りはいません。それ故に、迫り来る脅威に気付いた者はいませんでした。

 そして既に、はクルーザー内に潜入を果たしています! 海中より接近を果たした直仁様が、既に船内へと忍び込んでいるのです! 勿論、ボックもその姿を確認した訳ではありません。でも、船尾に残された水滴の跡が、その事実を如実に物語っていたのでした!

 そして、実働兼陽動を請け負ったクロー魔が近づきます! わざわざ大きなフォームで水を掻き騒音をかき鳴らすクロー魔の接近を、海賊たちは彼等にとって絶対防衛線を超えた地点で知ることとなりました! 


What……What’s thatアレは何だ!?」


 もっとも、彼女の接近に気付いた処で、それが何であるのか冷静に理解出来た海賊はいませんでした。それ故に、クロー魔に対する備えが遅れる事も仕方なく、彼女の侵入を易々と許す事になったのです。こんな海のど真ん中を泳いでくる人間がいるなんて、到底考えつく様な事態では無いですからね。


「フッフ―――ン……。あんた達が何処の誰をどうしようと、あたし達には関係ないんだけどねぇ―――……。あんた達……Unfortunately運が悪かったわね」


 甲板に上がり込んだクロー魔を、船内から出てきた海賊たちが銃を近づけて威嚇しています。

 その表情は様々で、驚愕、憤怒、嘲笑……。

 驚きを以て迎え、未だ状況が把握できていない物数名……。

 クロー魔の挑発に、怒りをあらわにする者数名……そして。

 新たな獲物がノコノコ現れたと笑みを浮かべる者……数名。

 

「おうおう、こんな海の上で、こんなに可愛らしい女の子が現れるなんて、俺たちゃ夢でも見てるのか?」


 完全に油断している男が、軽口を叩きながらクロー魔に数歩近づきます。彼の言う事にも事実が含まれており、外見だけを見ればクロー魔は正しく“可愛い女の子”に違いありません。


Noううん……It isn't a dream夢じゃないわ.……ああ、夢は夢でもNightmare悪夢ならあり得るかもね―――」


 クロー魔の切り返しを聞いて、男の表情に変化が表れました! 複数の銃口を向けられている状況で、クロー魔の態度は不遜以外何物でもなく、そこに虚勢が見えなかったからです。

 男が怒鳴ろうとしたのでしょう、大きく口を開けるよりわずかに早く、クロー魔がスッと右手を持ち上げて人差し指を突き出します。


「……バンッ!」


「ギャッ!」


 彼女が“擬音”を口にした瞬間、目の前の男が文字通り吹き飛びました! まるで大口径の銃を至近距離で撃たれた様な、大袈裟とも言えるその吹き飛び方はまるでコメディー映画のそれです! もっとも、男の方にそんな気なんて更々無かったでしょうが!


「ぐおっ!」


 宙を舞っていた男が甲板にキスをしたと同時に、集団の最後方より奇声が上がりました! 全ての視線がそちらへと注がれ、そこで彼等が見た物は、片手で軽々と大男を持ち上げている女性……と言って良いのかどうか躊躇してしまう人物の存在でした! それは言うまでもなく、直仁様に他なりません。

 直仁様は片手で持ち上げていた男を、まるでゴミをゴミかごへと投げ入れるかの如く軽々と放って見せました! 投げられた男が実際には紙くず程軽かった等と言う事実はなく、男の直撃を受けた2人の海賊たちがその下敷きになりました!


「バンッ、バンッ、バンッ!」


 そして再び、クロー魔が“銃撃”を再開します! 言うまでもなく彼女の「異能力」は、口にしたを攻撃に変換すると言うものです。発音、意味、用途……その擬音が持つ意味を確りと把握して、正しい発音で行使する。そうする事でクロー魔は、その擬音に見合った攻撃方法を入手する事が出来ます。

 それだけを聞けば、なんて素晴らしい能力だと思うでしょう。ですが現実は、それ程甘いものではありませんでした。

「異能力」は、その行使が本人にとって難であればあるほど、その効力は高くなります。直仁様の場合は、意にそわない女装を強いられると言う制約。そしてクロー魔の場合は……。

 不得手な外国語の「擬音」を用いる……と言うものでした。

 兎に角クロー魔は語学学習能力、理解力が……低いです。いえ、それでもまだ高評価でしょうか……いっそ捻じれて先っぽが腐っていると言ってもいい程、外国語の習得を苦手としています。

 そんな彼女に、世界でも難解中の難解だと言われる極東語を強いるのですから、その制約の高さが伺えると言うものです。

 それでも彼女は、何とか数種類の“擬音”を身に付けており、それだけで世界有数の「異能力者」となっているのでした!

 因みに……。

 この作品内で話されているクロー魔の言葉は、全て欧米語ですので悪しからず。極東人にも理解出来る様にされているのは、偏に作者の都合によるものです。


Da……Dammitクソがっ! 全員、一旦逃げろっ!」


 形勢不利を悟ったリーダーらしき男が、周囲の仲間達にそう声を掛けながら、自ら真っ先に自分達の船へと飛び移りました! その判断は間違っておらず、他の海賊たちも我先にクルーザーを後にします!


「もうこの辺に来て欲しくないからな。痛い目に合って貰おう」


 すかさず海上へと直仁様は、その場でしゃがみ込み海賊船の船底部分を掴みました!


「……よいしょ―――っと」


 今、正にスクリューを全開にして逃げ出そうとしていた海賊船を、直仁様はやや気の抜けた気合いと共に、高々と頭上へと掲げ上げました!


What has happened何事だ―――!?」


 船内からは悲鳴の様な怒号が響きました!


「次にお前達の姿を見たら、これ位じゃあ済まないからな」


 相手に聞こえているとは到底思えませんが、直仁様はそう言うと、総トン数50tは越えようかと言う船体を……遠くへと投げ捨てたのでした!


Say that it's false嘘だろう―――!?」


 その叫び声だけを残して、海賊船の姿が遠ざかってゆきます! そして、凄まじい轟音と水しぶきを上げてしたのが見えたのでした!


「あ―――あ……スグ―――……。あれじゃあ、海賊たちにも死人が出てるかもね―――?」


 やれやれと言った風情で、クロー魔が戻って来た直仁様に声を掛けました。


「……知るか。そんな事は、あいつらの運次第じゃないのか? ピノン、マリーを呼んで来てくれ」


 クロー魔へ簡潔に答えた直仁様が、ボックにそう指示を与えてくれました。ボックは一声鳴くと、海上で待機しているマリーの元へと飛んで行きました!





 合流したマリーは、囚われていた乗員達に事の成り行きを説明しました。

 この役は、外見的にもしゃべり口調を考えてもマリーが適役です。今の今まで海賊と戦っていた直仁様やクロー魔では、乗客の不安や怯えを祓うだけで時間がかかるのです。


「あ……ありがとうございました!」


 このクルーザーの持ち主らしい恰幅のいい男が、直仁様達に深々と頭を下げて謝礼を述べていました。マリーは恐縮して、クロー魔はぶっきら棒ながら照れの伺える様子で、乗員達の謝辞を受けていました。そして直仁様は……。


「あ……あの……ありがとうございました……お姉……さん……?」


 頭に幾つもの疑問符を浮かべた男の子から、やはり疑問を含んだ口調の感謝を受けていました。


「……だ」


「……え?」


 直仁様の呟きに、男の子は良く聞き取れなかったのか、もう一度直仁様に聞き直しました。


「お兄さん……だ」


「……ええっ!?」


 今度こそハッキリと聞いた男の子は、それこそ目を白黒させて直仁様の全身を見つめ直しました!

 そして直後に……その直後に!

 ああ……何てことでしょう……顔を赤らめているではありませんか……。

 直仁様の恰好は……そしてその姿は、この少年の「何か」を大いに刺激してしまった様です!


「マリー、クロー魔、ピノン。……帰るぞ」


 ある程度の落ち着きを見せた船内を確認した直仁様が、ボック達にそう声を掛けてきました。それぞれ直仁様の声に応えた彼女達を引き連れて、直仁様が船を後にしました。

 そんな直仁様の後姿を、あの少年が何やら熱のこもった瞳で、直仁様の姿が見えなくなるまで見つめていました。

 ここに……新たな世界に目覚めた少年が一人……誕生したのでした……。

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