第6話  入浴さん


 最後のお客様をお見送りして、本日の酒場の営業は終わる。


 ――疲れたが労働はいいな。


 閑散とした店内を眺めながら、ふとそんな事を思う。ムンによると、通常は日の変わる前にはラストオーダーになるようだ。だが、宿泊客のいない時は臨機応変に対応しているらしい。


 大変な仕事だ。けど手伝っているムンも偉い。


「お疲れ様ですクラさん。何か飲みますか?」


 清酒を一杯。


 ……と言いそうになるが、まだ店内の仕事が少し残っている。


「水をもらおうかな。喉がカラカラだよ」

「はい。今お持ちしますね」


 この時間になっても元気そうな娘はムン。実家の仕事に慣れているのか、疲れた素振りは見せず軽やかに水を持ってきた。


「どうぞ」

「かたじけない」


 ――――うまい。これほどまでに美味い水を飲んだ事があっただろうか。


「ムンの入れてくれた水はおいしいね」

「そうですか? ならいつでも言って下さい。なんでも美味しく頂いてもらった方が嬉しいですから」


 なんと出来た娘よ。そしてムンと俺の間に出来る未来の娘。息子も欲しいなぁ。


「………………」


 無言の圧力を示すはムンチチ。 


 カーパ父上は勘が鋭いな。舐めていたらいつかやられる。食えん男よ……。


 後片付けは数十分もせずに終わる。表の看板を店内にしまい込み、それが合図のように、ようやく各々の自由時間が提供される。


「お疲れさまですクラさん。疲れました? 大丈夫ですか?」

「慣れない事だったから、多少は疲れたけど大丈夫だよ。それよりムンは?」


 言うとムンは笑顔で答える。


「慣れてますから。それに今日はクラさんがいてくれていたので助かりました」

「いつも二人で回してるのか?」


 するとカウンターで、いつ会話に入ろうかドギマギしていたカーパお父様が誇らしげに答える。


「ハッ! いつもは愛娘ムンに負けずと劣らずの美しい母さんがいるからなっ! (貴様など母さんがいれば必要ないのだぁ!?)」


 後半モゴモゴと喋っていた内容が気にかかったが、俺の脳内は別の点に意識を向けていた。


 美しい? 母さん?  気になった事はすぐ確認。これ重要。


「美しいお母様はお出かけしてるのか?」

「はい。同窓会で今夜はお友達の家に泊まってくるそうです。明日には戻ってきますよ」


 俺は別段と煽る気はなかったが、どうせ絡まれるならとカーパお父様の方へ意味ありげに振り向く。


 その瞬間――――


「しまったぁー!? こいつに母さんの事を話しちまったぁー!?」


 どうせ明日会うなら言わなくても同じだろうと思ったが、面白そうだったので続けることに。


「カーパお父様? どうやらムンのように可憐なお母様がいらっしゃるようで?」

「いないっ! 俺は独り身だっ!」


 すると悲しそうにムンが――


「お父さん……どうしてそんな事を言うの? さっきから酷いよ?」

「ち、違うんだムンよ!? こ、この……くっ……くぅ……」


 おうおう。


 こいつ学んできたな、やはり侮れん。ここで俺を非難すれば娘から避難されるも同義。だがそれこそ攻撃に回る動機。


「カーパ父上? アレほどまでに家族であるムンを愛娘と連呼していたのに、お母様に対してはその愛がないと?」


 そして俺はムンの騎士ナイト


「ち、違うっ!? そ、それは言葉のアヤでっ!?」


 すかさず追撃するクラヤマ騎士ナイトは遊撃兵。


「アヤってなんでしょうか?」

「アヤだっつってんだろ!? あぁ!?」


 いいぞ~いいぞ~ もっとホレホレ墓穴掘れ~


「最近の若いもんはよぉ……アヤっつったらアヤなんだよ!? 上司がアヤっつったらアヤだ!!!」


 ――――未熟者め。


 しかしそれは俺も同じだった。笑顔でいて欲しいと願ったムンが、本当に悲しそうな顔をしていたからだ。


 やりすぎたな。やめよう。


「カーパ父上のムンに対しての気持ちから考えるに、お母様への愛も当然ほとばしる程に熱いと考えるのが必然。言葉遊びが過ぎました。お許しください」

「わ、分かればいいんだ。以後気をつけるように。君はまだその辺りが全く持って分かっていないからな? え?」


 くぅ!? こいつぅ!?


 一瞬、継続案件にしてやろうかと思ったが、ムンの事を考えると急速にしぼんでいった。


「……精進します」


 気持ちを切り替えるようにムンの方へ向き直る。


「ムンのお母様の名前を聞いてもいいか?」

「ルーナです」

「ムンとルーナさんか。二人ともいい名だね」


 ムンは少し恥ずかしがりながら――


「あ、ありがとうございます。私も嬉しいですし、お母さんも喜びますよ?」

「それは良かった。お母様にも喜んでもらいたいけど、ムンが喜んでくれるのが一番かな?」

「じゅ、じゅうぶんです」


 そろそろだな。来たか――――


「クラヤマ君? ちょっと裏に来てもらえるかな?」

「お断りします」


 互いに無言。


 どうやらこの街は日が沈むと冷え込んでくるらしい。ちょいちょいと強めの風が木造の店を揺らし、時が進んでいることを示唆している。

 建物はしっかりしているが、どこからか入り込んだ隙間風がロウソクの火をユラユラと踊らせる。 


 来るか? カーパ? 昇神拳で躍らせるぞ? しかし静寂を破ったのはどちらでもなかった。


「クラさん。お部屋に行きましょう。案内しますよ」

「はい。お部屋に案内されます」

「駄目ー! そっちがお断りならこっちもお断りでーす!」


 はぁ、と誰がついた溜息だろうか。俺はしていないし、河童妖怪も微動だにしていない。カウンター内の流し台からピチャピチャと水滴が落ちる音が鮮明に聞こえてきた。


「もういいよお父さん。もういい」

「え……?」


 ムンはそう言い放つと俺の手を勢いよく握り、階段へ向かっていってしまう。引きずられるようにして階上へと移動。上がりきる前に見えたのは、一階でうな垂れているカーパ父上の寂しげな姿であった。




――― ムン入浴中(実家バージョン) ―――




 ノゾキ! ダメ! ゼッタイ!


 最低の行為だ。この世で最も卑劣な犯罪の一つ。それが覗き。

 日本の神様である闇山津見神クラヤマツミノカミは己を奮い立たせていた。


「はぁ…… はぁ…… はぁ……」


 湯煙が俺を惑わす。白くなった浴場で興奮を吐き出すように吐息を漏らす。正直、欲情していると言えばしている。していないと言えばしていない。


「言葉とは難しものよのぉ…… はっふぅぅぅ…… うっ!」


 ――――危ねぇ。イッちまうところだったぁ。


 その人体、いや神体における大事な部分である場所を丁寧にさする。ゆっくりゆっくり馴染ませる様に触れていく。


「いやぁ~ 風呂を実体化して入れるなんていつ以来だろうか~」


 あまりにも気持ちの良い湯加減に対して身体を伸ばしていた所、左足がつりそうになるという最悪の事態は脱した。


「ちょっと熱めの温度がたまらん!」


 神体として存在し、実体化しなければ汚れることはないが、心は汚れていくのである。


「心の洗濯とはよく言ったものよ…… はぁ……」


 その選択をしないというのは心にも身体にも良くないことだ。足を伸ばせる浴槽に浸かりながら湯気だった天井を仰ぎ見る。


「流石に混浴じゃなかったか…… はぁ……」


 先ほどムンと一緒になって浴場へ向かい、入り口で分かれた。今頃は潤沢な胸を湯船に浮かして遊んでいる頃だろう(※実際の状況とは異なります)




――― クラヤマ入浴中(実家バージョン) ―――




 どれだけ浸かっていただろうか。キュウリなら浅漬けだが、俺の身体は十分に温まっていた。神体から出ている湯気を纏わりつかせながら、肌触りの良いローブを羽織った。


「替えの服すら持ってないからなぁ…… 何からナニまでムンに頼りっぱなしだなぁ……」


 己の不甲斐なさを湯気と共に発散できれば良いのだが、そういった訳にもいかず悶々とした気分で浴場を出た。


 するとムンがちょうど出てきて――


「あっ クラさん」

「ムン……」


 日本にいた時に、お姉さんの部屋で一緒に見たドラマのような展開になっていた。ドラマでは雪降る銭湯前での待合であったが、ここは異世界。


 髪がアップ!? うなじドアップ!?


 絹のような美しい髪が俺を魅了する。ムンの髪色は暗いところで見ると銀のように見えるし、明るいところで見ると薄い桃色がかったようにも見える。

 

 マジョーラカラー!? まるでオーロラ!?


「どうしました?」

「いや、見とれていたのさ」


 十分に伝わったのか、俯いて恥ずかしそうにしているムン。

 困っているようだが、満更でもなさそうにムンは心中を吐露する。


「どうしましょう……」


 俺は心の中で愛を叫ぶ。


 ― Up to you! ― 





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