第4話  上司さん


「嘘じゃないよお父さん」

「ムン! お前は騙されているんだっ! この男になぁ!?」


 河童主人カッパマスターは憤る。だがムンの言うとおり俺は嘘なんかついていない。余裕の表情を浮かべながら、店内を見渡す。


「本当に暴漢から助けてくれたんだよ」

「違うっ! そいつもこいつの仲間なんだっ! こいつは近くで傍観していて、ムンの心の隙をつく狂言野郎なんだっ!」


 建物自体は新しくないが小奇麗にされている。なんとなくではあるが、木造の店舗から温かみを感じていた。


「クラさんが私の心の隙をついてどうするの? お父さん?」


 ――心より身体の隙間を突きたい。


 油断であった。心に湧いた性なる望みが、顔面に表れていたのを河童主人カッパマスターは見逃さなかったようだ。


「貴様っ!? 今不埒な考えをしたなっ!?」


 ――鋭いのは頭の煌きだけにして欲しい。


 ここで慌てたらヤツの思う壺。俺はぐう聖なムンに対して、酷い事をするつもりはない。それどころか、ムンを幸せにしてやりたいと思う。


「落ち着いてくださいお父様」

「ナニがお父様だっ!? ふざけるなっ!」


 どうどう。


「ナニか非礼な事をしてしまったでしょうか? それであれば謝罪いたします。申し訳ございませんでした」


 間にムンが割って入る。


「クラさんは何も悪いことしていませんよ。もう、お父さんちゃんと話を聞いてよ」

「何で父さんが悪者になっているんだっ!? おかしいよ!? 絶対おかしいっ!」


 謝罪した。だが受け入れてもらえない。しかし、ここでしっかりと理解してもらえなければ、ここに泊まる事も受け入れてもらえないだろう。


「お父様、申し遅れました。私はクラヤマと申します。故あってこの世界……もといこの街に滞在する事になりまして、是非こちらにご厄介になりたいと考えています」


 河童主人カッパマスターは煽る気マンマンに目を見開き、両手で×印を作りながら――


「駄目ぇ~ 認めませぇ~ん。おっと塩、塩。厄払いしないと」


 受入拒否! 


 実際なところ、ここでの通貨単位すら知らないどころか、その通貨すら持っていない。文無しの身寄りなしだ。ここは何としてでも、すがり付いていくしかない。


 ――致し方ないか。


 河童主人カッパマスターの懐に飛び込み、耳打ち体勢を築く。相手は既に考えに気づく。


「(メリットを授けましょう)」

「(お前が出て行くのが最大のメリットだ)」


 ――そのようだな。


「(店の手伝いを無報酬で承ります。ですがご飯と寝る場所だけ頂けませんか?)」

「(いりませ~ん)」


 天井を仰ぐ。二階まで吹き抜けになっているので圧迫感はない。だが状況は大いに逼迫している。


「(ならデメリットの方を……)」

「(なっ!? こいつぅ!? 本性を現しやがったな!?)」


 目の前でヒソヒソと話をされているにも関わらず、ムンは事の成り行きを静かに見守っていた。


「(暴行を公にして実刑を喰らった貴方の面会に行きます)」

「(き、貴様っ!? その話の決着はついたハズだっ!)」


 げへへ。


「(安心して下さい。服役自体もデメリットですが、それではありません。そして貴方はそこで一枚の紙を見る事になるでしょう)」

「(か、髪……? もしや私のサイドヘアーを蹂躙するつもりかっ!? この髪型はトップダウン式なんだぞっ!?)」


 その髪じゃない。紙だ。しかもトップダウン式だったらサイドヘアーも無くなるよな? 上からの命令に逆らえないもんな? 毛根もダウンしちゃうもんな?


 愛おしそうに残りの髪を押さえ続ける河童主人カッパマスター。ムンと俺は時折、光に反射する河童主人カッパマスターの禿げ頭を眩しそうに見つめていた。

 そのハゲ反射リフレクションが落ち着いた頃に止めを刺す。俺のメリットは彼にとっては一番のデメリットだろう。


「(出生届)」

「え……?」

「(役所に届け出る前に、お父様にお見せしましょう。無論……孫と共にね……?)」


 ――――くぅ、 という心から漏れる吐息をご主人マスターから感じる。俺はそれをもって承諾とした。


「何かあったのですか? お父さん? クラさん?」


 河童主人カッパマスターから放たれる強烈不快視線カッパビームを感じながらも、ごく自然にムンへの対応を行う。


「あんしん!」


 にんしん!


 


――― ムンチチ男泣き中(実家バージョン) ―――




 時刻は夕方。嗚咽を響かせながら、酒場での食事の仕込を続ける河童主人カッパマスター

 あれからなだめになだめて宿泊権を勝ち取り、いくつかの情報を得る。まず、お父様の名前はカーパと判明。それとカッパのような名前と風体には合わない「フェアリーリバー」という可憐な店名をムンから聞いた。


 カーパお父様は妖精というか妖怪の方がお似合いですよ? 店名は「アヤカシ」の方が良いんじゃないですか?


 だが俺の受け入れに難を示していた、カーパお父様も人手は欲しいのか、あれやこれやと仕込みの指示を出してくる。


「クラさんはお客さんなんですから、そんな事をしなくても……」


 少し困り顔でムンはそう言う。


「流石にタダ飯お泊りは申し訳ない。それにこれも夢の一つだったんだ。今思えばさ」

「夢……ですか?」


 長方形の容器に水を軽く浸し、カーパお父様直伝の粉を入れ、かき混ぜながらながら話し続ける。


「あぁ。こうやって普通に人と触れ合って生きてみたかったんだ。生まれてから長い間、一人で山に住んでいたからさ」

「そうだったんですか。それは寂しいです」


 鶏モモ肉を先ほどの容器に入れ、じっくりかき混ぜて馴染ませる。一つ一つの鶏肉が肌色にまみれていく。


「寂しいか……そうかもしれない。けど、当時の俺にとってはそれが当たり前だったから。その場所を無くすまではね」


 ――人間に住む場所を奪われ、人間から忘れ去られた神。


 ムンは少し悲しそうな表情を浮かべてはいたが、仕込みの手は緩めてはいない。無駄のない動きに驚きつつも、彼女の優しい気持ちは十分に伝わってきた。


「寂しいですか?」


 ――山の神だから寂しいよ。綺麗な場所だった。


「ごめんなさい。悲しい気持ちにさせてしまいましたね」


 皮むきをしていたムンの手が止まる。そんな悲しい顔をしていたかと、口元を隠すように手で覆う。その瞬間に口の周りが粘性の高い粉だらけになってしまった。ムンはそれを見て微笑する。


 ――悲しい顔はさせたくないな。彼女には笑っていて欲しい。


「……これで少しは格好よくなったかな?」


 俺はそう告げる。ムンは持ってきたタオルで俺の口元を拭ってくれた。それに合わせて腰を屈める。暖かい触れ合いに心が、じわりじわりと熱くなる。


「こっちの方が格好いいですよ」


 タオルで拭い終わった後に、満面の笑みで話すはムン。どうも勘違いしてしまいそうになる。


 ラブラブなのかブラフなのか。


 されど厨房内は甘酸っぱい雰囲気で満たされているのは事実。そう願いたいものだ。そして確定していない要素を自己判断で事実と認め、行動するはカーパお父様である。


「クラヤマ君? ちょっと裏に来てもらえるかな?」

「はい。カーパ父上」


 父上と言った瞬間、目が飛び出しそうな新しい威嚇を披露するエンターテイナーお父様である。


 外はまだ明るい。だが太陽は確実に沈んでゆく。裏口を出て対面する俺とムンチチ。この二人の関係も同じく沈みきっている。


「あーゆーの止めてもらえるかな? 他の従業員の迷惑になる」


 間違いなく家族経営。 他の従業員=カーパ父上


「左様でございますか。ちなみにですが、あーゆーのとは如何に?」

「あーゆーのだよっ!? そんな事も分からないのかねっ!? あーゆーのー!!!」


 Are You know?


「? 申し訳ございません。分かりかねます」

「あーゆーの!!! アレだよあれ! 分かるアレ!? そんな事も分からないのかねっ!?」


 姿が見えないことを良いことに、ふらふらと東京は新橋を漂っていた頃を思い出す。指示語だらけの無能上司に当たってしまった可愛そうな新社会人。負けるな、勝てなくても負けるな。むしろ戦うな。どうせ怒られるならアレの内容をもう一度聞いてみよう。確認は重要だよ?


「申し訳ございません。アレの詳細を失念してしまいました。もう一度教えて頂けませんか?」

「アレだっつってんだろ!? あぁ!?」


 どっちにしても怒られます。


「最近の若いもんはよぉ……アレっつったらアレなんだよ!? 上司がアレっつったらアレだ!!!」


 このようになります。


 それからもムンチチは決壊したダムの勢いのように、矢継ぎ早にまくし立てていく。俯き反省しているフリをしながら、地面にいるアリの並びを眺め時間を潰していく。


 おっ 大きい獲物だな。たんと食って大きくなるんだぞ?


「聞いているのかねっ!?」


 長い叱責の場合、どこで息を抜くのかが勝負になる。ずっと真剣に聞いていても中身のない上司の場合、話の中身も無い。だが時折くる質問や傾聴確認のための予防線を張らなくてはならない。


 簡単な事さ。比較的発言の多い単語を覚えておけば、それが上司にとってのキーワード。これで切り抜ける。


「はい。アレですね」

「そうだっ!!!」


 ――アレだった。上司の頭がアレだった。





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