第3話  ムンさん


 陰鬱な路地裏から明るい大通りに場所を移していた。周りに見えるのは数々の建物。階層は多くはないが、木造やら石造り、はたまた煉瓦作りの建物など一過性がなく乱雑としていた。


「俺の身体見えてる? 透けてない?」

「多少は透けてますけど、見えてますよ」


 ひとまずは安心。だが、いつ消えてもおかしくない。


「手を繋いで下さい」

「はい。どうぞ」


 きもちいい。興奮した訳じゃないんだ。単純に人と触れ合えたのが嬉しい。何百年ぶりになるだろうか。


 喜びを満喫した俺は、一つの疑問を口にする。 


「ムンはどうして路地裏に?」

「食材の買出し後に、珍しい生き物がいたんです。それを追っていたら、いきなり襲われそうになりました」


 生き物? 珍しい?


苦虫にがむしです」

「噛み潰したら不愉快極まりなさそうだな……」


 するとムンは俺に言い聞かせるように――


「そんな事しないで下さいね。虫と名がついていますが、昆虫のような形ではなく、とてもやわらかそうな見た目です。とても可愛いですよ?」


 想像つかないな。昆虫のようではなく、やわらかい生き物か。生息地は路地裏なのか。


 そんな想像をしていると、爽やかな風が互いの頬を撫でる。


「風が気持ちいいですね」

「あぁ」


 だが今度は強い風が通りに吹いた。ムンは風に乗ってきた砂埃を避けるように目を瞑った。俺は思考する。どうしたらこの異世界で存在を確立させ続けられるか。


 ――信仰心を集めるしかない。


 当然の必然。原因があって結果がある。今のところ一方向ワンウェイだ。仮に過去に戻れたとしても、今のように本気になれるだろうか。


 ――なれないだろうな。


 男根から生まれはや数百年どころの話ではない。千年を超える月日を費やしても変わらなかった、いや、変えなかった。それは、なんとか存在してこれたからだ。だが今は気を抜くと消滅する。


 ――彼女が生命線だ。情けない限りだが助けてもらう他ない。


 ふとムンを意識して見つめていると、透き通るような瞳に俺が映る。


「クラさんはここに住んでいるんですか? それとも旅の途中ですか?」


 俺は考えた。もともと思考中であったが並列化する事なく、ムンの質問に対する回答の落としどころを模索する。


 ――どうしたもんか。


 ここがどのような場所であるかも分からない。だが異世界から来た日本の神である事を告げてどうしようというのか。最悪頭のおかしい不審者として扱われて、唯一の生命線を失ってしまうかもしれない。


「ここには住んでいないよ。旅と言えば旅になるかもしれない」


 遠い目をしながら俺はムンに答えを出した。


 ――本当に遠いな。


 するとムンは少し嬉しそうに言葉を繋いでいく。


「なら助けてもらったお礼に、私の家に泊まりませんか? 実家なんで、ちょっと両親に話をしないとですけど。でも、お父さん何て言うかなぁ……お母さんはお母さんで心配だなぁ……」


 泊まり!? 


 棚から牡丹餅。そしてムンさん二つのモチモチ………まてよっ!? そうかっ!? これだっ!


 俺は一つの回答にたどり着く。これは最適解である。 

 必要なのは、ムンのように心から慕ってくれる?存在だ。それを作るのは簡単。信者を増やすという事は、子供を増やすこと他ならない(確信)。家族を作れば否応無しに信仰心が増える。


「ご休憩じゃなくて、ご宿泊扱いって事でOK?」

「もちろんですよ。ゆっくりしていって下さい。出来る限りおもてなししますから」


 おもてなっしー!


 渡りに船。そして船の呼び名は「闇山丸くらやままる」。処女航海を終え港へと戻るのだ。規模は小さいが、その綺麗な船つき場は「ムン港」


 開港したてだよね? 「闇山丸くらやままる」の入港が初めてだよね?


「気になります! 俺! 気になります!」

「楽しみにしていてくださいね」


 はい!


 変わらず手を繋ぎながら異世界を練り歩く。

 ふと目についた建物の看板を注視。そこにはベッドと酒瓶のマークがあしらわれていて、そこが酒場兼宿泊所である事が理解できた。


 まてよ? 仮にも交配するとしたら、実家でいきなりパンパンとは申し訳ない。ならパッパーとマンマーがいない所でしっぽりとするのがマナーだろう。


「ムンムン! 一旦あそこで休憩…………もとい、ご宿泊しよう!」

「えっ? ま、待って下さい! 心の準備が!?」


 天之御中主神アメノミナカヌシノカミに会うために、高天原へと向かっていた足取りは重いものであったが、今は天を駆けるように軽やかな足運びであった。


 木製の扉を気前よく開け、カウンターにいる宿屋権酒場の主人であろう者に近づいてゆく。河童のように禿げ上がった頭が、俺の未来を明るく照らす。


「Hey! 主人マスター! 」


 こういった手合いには慣れているのか、主人は手もみしながら接客に応じる。


「クラヤマ様の大事な初夜である。一番いい部屋を一つ頼む」

「はぁ。どれも同じ部屋ですが……」


 何故かムンが一緒に入って来なかった。不安はあったが、俺の脳内は目的のためには手段は問わない状態でもあった。


「なら景色の良い部屋にしてもらおうか。だが重要なのは多少激しくベッドが振動バイブしてもクレームが入らない部屋だな。状況によっては俺の奇声が木霊こだまする可能性も捨てきれない。周りには宿泊客を入れない処置が望ましい」


 先ほどとは打って変わって、怪訝な表情をする主人。手もみしていた両手は左右の腰にぴったりと張り付き、態度と語気を強めて心理的圧迫感を展開した。


「ウチはそういった店じゃない。よそ当たってくんな」


 ――ふっ


主人マスター。偶然同じ部屋になった男女。何も起きないはずがなく……」

「じゃあ部屋別々な。それも偶然に」


 ――くっ


「ちょっと待ってくれ。それじゃ何も起きないんだ。いや起こそうと思えば起こせるけど、結局同じなら一部屋のほうが都合がいい。OK?」

「いいか? 奇声あげて地震のような性交はご法度だ。ここは逢引宿じゃない」


 ――うっ


「でも偶然同じ部屋にいたオスとメスが、自由恋愛で行為に及ぶのは法律的には……」

「そうだな。グレーだ。でも程度があるよな?」


 言い負かされた俺は、インターネット掲示板のレスバトルに負けたヒキコモリのように頭を抱えて唸った。


 アッ――――――――――――!!!


 己の姿が認識されないことを良いことに、見知らぬ住人と一緒になって部屋に篭っていた日本の懐かしい思い出がよぎる。


「ま、まぁいい。ここは私が詫びよう主人マスター。行き過ぎた注文をしてしまい大変申し訳ない」


 だが主人マスターからの返答はない。俺は下げていた頭を元に戻した。すると主人マスターは目蓋の開閉運動に勤しみながら、目をこすり身を乗り出してきた。


「な、なんだアンタ? 存在がぼやけて……?」

「へ……?」


 マズイい!?


「ムン!? ムンム~ン!? 入っておいで~!」

「ムン? あんたウチの娘に何か……はっ!?」


 ――――娘? 本当に?


 河童主人カッパマスターは、カウンターから出てきた勢いのまま俺の首根っこを掴み怒鳴り声を上げた。


「おい!? もしかしてウチの娘にナニするつもりだったのかっ!? 大事な大事な一粒種を食い散らかそうとっ!?」

「……………とんでもございません」


 だが河童主人カッパマスターの勢いは止まらなかった。俺の首を掴みながら、薄れ行く身体を揺さぶり続ける。しかもキスできる程に河童中年の顔が近づく。


「てめぇ!? 目が泳いでんだよっ!?」

「いえいえ。主人マスターが私の首を絞めて強く揺さぶるという暴行を加えているからですよ? だがそれもいい。私を認識したまへ。すれば私の存在と共に、主人マスターの暴行容疑も明るみに出るでしょう」

「くっ」


 突き放すように俺から手を離す河童主人カッパマスター。苛立ちを抑えられないのか、荒い息をしながら肩を上下させる。すると今まで外にいたムンが豊潤な胸を揺らしながら入室してきた。


「どうしたんですか? 何か争い事のような声が?」


 不安そうな抑揚でムンが言う。


「ここは私の家なんです。クラさんの事を私から先に話そうとしていたんですが、いきなり入っていってしまうもので……」


 俺は身体を河童主人カッパマスターに密着させ耳元で囁く。


「(主人マスター? 可愛い娘と一緒にいたいですよね? 離れ離れになりたくありませんよね?)」


 合わせるように小声で応対する河童。


「(なっ!? 何を!?)」


 心優しい日本の神である俺様は、彼に一つの提案をする。


「(暴行の現行犯で常人逮捕されたくないですよね? 私たちの間にはナニも無かった。いいですね?)」


 ――――くぅ、 という心から漏れる吐息を主人マスターから感じる。俺はそれをもって承諾とした。


「何かあったのですか?」


 河童主人カッパマスターから放たれる強烈不快視線カッパビームを感じながらも、ごく自然にムンへの対応を行う。


「いや。主人マスターと信仰……もとい親交を深めていたんだ。そして俺の身体からだはちょっと痛んだ……ハハッ」


 よく分からないと言った体で「はぁ」と呟くムン。河童主人カッパマスターは何か言いたそうに血走った目をしていたが、コブシを血が出るほどに握り締めて耐え忍んでいた。


「路地裏で暴漢から私のことを助けてくれたクラさんだよ。お父さん」


 そしてムンからの言葉に驚愕した河童主人カッパマスターことムンチチが絶叫する。まるで彼の震え上がる魂が現界したようでもある。


「嘘だッ!!!」


 クラヤマサマ。ウソツカナイ。





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