第9話
俺様だった蓮も今はもうコーヒーを淹れることもできるようになっていた。それも喫茶店で飲むような美味しいコーヒーだ。
十年は長いんだって事だよね。
「まさか蓮がコーヒー淹れるようになるなんてね」
「料理だって少しは作れるよ」
「えっ?」
料理って、わたしが出来ないあの料理の事? 蓮ができるようになるなんて。いや、料理っていってもチンするだけかもしれないし.....。
「言っとくけどチンするだけじゃないから」
なんで考えてることが分かるんだろう。
「これ引っ越し祝いなんだけど......いらないよね。持って帰るから」
引っ越し祝いを渡そうとして、今治の一番安いタオルにしたことを思い出して渡すのをやめた。確か蓮の家のタオルっていつもフカフカで高そうだった。こんなのあげても雑巾にされそうだ。それだったら自分でこのタオルを使う。
「なんで要らないんだよ。持って来たものを持って帰るなよ」
蓮はなぜか箱を取り返すとバリバリと開ける。こういうのって日本人なら渡した人がいないところで開けるものなんだけど、昔から蓮はプレゼントを直ぐに開ける。そしてどんな安物でも喜んで受け取ってくれた。
「おっ、タオルか。早速使わせて貰うよ」
フカフカタオルの中にこのぺしゃんこタオルを混ぜないで欲しい。でも蓮は本当に使ってくれるだろう。筆箱の中に高級品のシャーペン中にわたしがプレゼントした安いシャーペン(二ヶ月分の小遣いだった)を入れて使ってくれていた。使い勝手は絶対に悪いだろうに授業中に目に入るのはわたしのシャーペンだった。こういう所に惚れちゃったんだよね。
蓮が幼い頃からユカが好きなのは知っていたから絶対に好きならないって決めてた。他の男の子と付き合おうとした事もあった。なのによりにもよって蓮と付き合うなんて馬鹿だったよね。高校生最後の半年間、ユカには内緒で会うのはいつも誰にも会わないように彼の従兄弟のマンションだった。あそこもこのマンションと同じくらい広かった。
「でも隣が偶然蓮の部屋って不思議よね」
不思議っていうか、どう考えてもおかしい。十年もあってなかった幼なじみがたまたまお隣さんだったなんて偶然あるわけない。もし万が一あったとしてもこんな高級マンションあり得ん。
「ああ、それ偶然じゃないから」
「へ?」
「本当はわかってたでしょ? このマンション賃貸じゃないから。で、俺がこのマンションのオーナーなの。本当はこのワンフロア全部俺の住処にしようと思ってたんだけど、君が帰ってくるって聞いたから急遽二部屋に変更してもらったんだ。この辺は駅が遠いから会社に行くのに不便だよ。駐車場もあるから車の免許をとって車で通うか? 俺が送ってもいいけど時間が合わない日が困るからその日だけタクシーにするか?」
だあぁーー。やっぱりか。さっき蓮に会った時から疑ってたよ。あんな安い家賃あり得ないって。それにしてもうちの会社の総務とどう取り引きしたんだか。電話で確認した時も『間違いなく西條さんの部屋です』って全然、蓮のこと匂わせなかった。
「あのね。わたしの足はもう治ったの。だから会社から少々遠くても大丈夫なの。車の免許は日本で更新手続きすれば運転できるって言われたけど当分は車を買う予定はないの。それにここって駅まで遠くないわよ。だから電車で通うから心配しないで。せっかくだから当分はマンション使わせて貰うけど、落ち着いたら引っ越すからね」
本当は直ぐに引っ越したいけど蓮はNOを簡単には受け付けないからとりあえずマンションだけは借りておく。今は電車で通う事を説得しないといけない。放っておいたら運転手付きの送迎になってしまう。昔からユカに対しては過保護だったけどわたしにはそれほどでもなかった。多分わたしの足が気になってるのだろう。
「電車で通うのは駄目だ。送迎付きの車が嫌ならアメリカの免許の更新手続きをしろ。ひと月近く休みがあるんだから余裕だろ」
「あのね。車の免許を取得しても車を買わないといけないの。アメリカの車は売ったし当分買う予定ないから」
「車なら俺のを使えば良い」
「そんな事したら蓮が困るでしょ」
「何台もあるから全然困らないよ」
お坊っちゃまめ! 何台も持っているだと! 車なんて一人一台あれば十分なんだよ。そうだ! 絶対に蓮が持ってない車をねだれば良いんだ。
「じゃあ、軽にして。小回りがきくから軽が良いわ」
「絶対にダメだ。軽は事故したら助からないから絶対にダメだからな。あとどうしても電車で行く気なら会社の近くに家を建てるから。それが嫌なら分かってるな」
会社の近くに家を建てるって、あそこってオフィス街なのに無理でしょうって言ってやりたいけど、無理を可能にするかも知れない男が不気味な顔で笑っている。ここは折れるしかなさそうだ。
結局、蓮の言い分はほとんど通っていた。
もう責任感じなくて良いって言ってるんだけど蓮はどうしても忘れることができないようだ。アメリカにいるときは蓮が訪ねてくることはなかったから、やっぱり蓮のためにも帰ってくるべきじゃなかったのかもしれない。
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