第86話 殺人 ~ Jabberwock I

「サイコパス?」


 央佳ちゃんが首を傾げる。物語を好む人には馴染みのある言葉だが、一般的な女子高生はあまり知らないだろう。


「あ、七璃、知ってる」

「物語の中だとわりとよく出てくるよね」


 ナナリーだけでなく、かなめもその話題にのってきた。


 そもそもサイコパスはその定義が曖昧な言葉であり、反社会的人格の一種を意味する心理学用語でもある。


 医学的な分類としては反社会性パーソナリティ障害とされることが多い。


「けど、結局自殺とされたのは、その子なんだよね? 殺されたんじゃなくて……」


 と有里朱は別な意味で首を傾げる。そもそも、感情のない子が自殺などするだろうか?


「それは私も思ったよ、あっちゃん。もちろん、感情がないからこそ“この世に未練がない”って見方もできるけどさ」


 生への執着がない。かなめのその意見は確かに納得できる。


「まあ、待て。千葉氏からのメールは続きがある」


 プレさんは画面をスクロールした。


 そこに書かれていたのは、師匠の知り合いの教師から聞いた話を、時系列で整理したものだった。


 まずは事件当日。


 午後二時三十五分に五時間目の授業が終わる。この時点で流山空美が生きていたことは多数の生徒と教師により確認されていた。


 放課後、部活に入っていない流山空美はすぐに下校するはずだが、その日はなぜか午後四時前までその姿が校内で目撃されている。


 午後二時五十分頃、校内に残っていた流山空美を松戸美園のグループが虐めていたという情報だ。が、生徒によっては、ただからかっているだけのように見えたという証言もある。


 そもそも流山空美は、いじめられているという“自覚がなかった”ようにも見えたとの証言もあった。ミドリーと同じように「感情がない」と印象を抱いた生徒にとっては、そう思えたのかもしれない。


 もちろん、あれは完全にいじめだと言う生徒もいた。ゆえに、松戸美園が彼女を殺したのではないか、という噂が尾ひれを付いて流れてしまったのだろう。


 そして午後四時五十五分。流山空美は学校の屋上から転落死する。


「ね。プレさん。流山さんって確か双子だったよね? その目撃された空美さんって、本当に本人なの?」


 亡くなった流山空美には、双子の姉の海美がいる。一卵性双生児とのことなので、顔かたちはそっくりだっただろう。


「それは本人だ。ほら、この生徒の証言は、二人が近くにいたところを証明している」


 プレさんが、師匠のメールの文面を指差し、それをミドリーが読み上げる。


「なになに、午後三時三十分頃、教室で言い争っている流山海美と青田涼香を教室の外から見ている流山空美を二人の生徒が見かける……なるほど、この時点ではまだ彼女は生きているのか」


 ナナリーがミドリーが差す文面の後をなぞりこう呟いた。


「それ以降は……」

「うーん、ないね」


 午後三時三十分が校内で最後に流山空美が確認された時間だ。


「ということは三時半以降に、流山さんは屋上に上がったって考えていいのかな?」


 アリスが証言をまとめるようにそう呟く。


「あれ? でも、推理小説なんかだと、この空白の時間に彼女は殺されて、その後に自殺を装って屋上から落とされた……ってことないのかな?」


 創作意欲を刺激されたナナリーの無責任な推理。だが、それには穴がある。


「ななりさん。さすがにそういうのは、まともな推理小説にはないと思うよ」


 案の定かなめがそれを否定する。


「えー、なんかありそうだけど」

「遺体を調べれば、その傷が生きているうちについたのか? 死後なのか? ってのが簡単にわかるんだよ。生活反応……だっけ?」


 殺された死体を屋上から落としても、その傷が死後についたものだと、すぐに警察は気付くだろう。そうなれば偽装を疑われるし、第三者の介入を調べられる。


 だが、ナナリーはさらに推理を続ける。


「ね、例えば……これは本当に喩え話だよ。過って人を突き飛ばして、頭を打ってその人が動かなくなってしまった場合があるじゃん。加害者は相手を死んだと勘違いしてしまうの。どうにか偽装できないかって考えて自殺に見せかけようとする」

「普通は死んだかどうかは確認するだろ?」


 冷静なプレさんなら、そうするだろう。だが、世の中には勘違いや思い込みの激しい人はいくらでも存在する。


「だから、焦って死んだって勘違いして、なんとか自分の罪を誤魔化そうと画策する。例えば、柏先生が犯人だった場合とか」

「なるほど、それで屋上か? 考え方は悪くない。が――」


 プレさんはナナリーの推理に納得しかけるが、メールの文面を指差し、決定的な証拠を見せつける。


「残念ながら柏先生にはアリバイがある。午後二時以降、事件が起きるまで職員室にいたそうだ。これは複数の教師がお互いに確認している」

「だったら、生徒の誰かが」


 柏先生が殺していないなら他の生徒という可能性は否定できない。だが、その考えはチープでもある。


「中学生くらいだと、よほど体格のいい男子生徒でもなければ、一人で被害者の生徒を屋上まで運ぶのは難しい」


 プレさんが俺の考えてることを言ってくれた。


「協力者がいるんじゃないの?」


 ナナリーがムキになって食い下がる。


「そんな犯罪に協力するような奴がいるのか?」

「それこそ、松戸美園が殺して、彼女の配下の者が手伝ったんじゃないの? アリバイなんていくらでも誤魔化せるよ」


 興奮したナナリーに対して、有里朱は冷静にこう答えた。


「ななりちゃん。それに関してだけど、裏は取れてるの」


 去年、松戸美園を追い込む時に、警察組織まで彼女の親類が牛耳っているのではないかと疑っていろいろ調べたこともあった。だが、警察は松戸の手中になく、流山空美の件に関してはまったくのシロということがわかっている。


「うーん……そうなのかぁ」

「そもそも柏先生とその事件の関連性があるから、チバタカヨシって人はこの情報を送ってきたんじゃないの?」


 とのミドリーの考えは的を射ていると思う。今必要なのは【J】の情報だ。敵が何者かがわからないと対処しようがないからな。


「でも、肝心の柏先生と繋がりがあったっていう証拠が書いてないじゃん」


 ナナリーは少し声のトーンを落としてそう告げる。


 そこで有里朱の思考が加速した。違和感の根源を探し当てたかのように。


「あれ? 今気付いたけど、二人って漢字表記が違うだけで読み方は一緒なんだ」


 妹は空美と書いて「ひろみ」。姉は海美と書いて、こちらも「ひろみ」だ


「ああ、変わりものの親だったんだろう」


 プレさんは有里朱の言葉を聞き流すようにそう呟く。彼女の中では今さらの指摘なのかもしれない。


「ね。これはただの推測だから笑わないで聞いてね。もし死んだのが妹の空美さんではなく姉の海美さんだったら? もし入れ替わっていたなら?」


 双子とくれば入れ替えトリック。それはある種の定番でもある。有里朱が言いたいのは、死んだ海美に代わり妹の空美が彼女として生きていくこと。


「可能性はあるが、必然性はない。どうしてそんなリスクを犯す必要がある? 入れ替わる意味は?」

「だって、妹はいじめられていたかもしれないのに、姉はまったく関知してなかったんでしょ? 妹は姉に成り代わりたいと思ったかもしれないよ」

「煩雑だな。それならば、姉妹喧嘩のうえに、姉が妹を殺してしまったというほうが説得力はある」


 だが、二人が一緒にいたところは目撃されていない。そもそも姉には青田涼香という友達がいるのだから。


「違うの。わたしが言いたいのは妹の空美さんが姉を殺して成り代わったんじゃないってこと」

「どういうことだ?」

「これはあくまで推測。姉の海美さんは、その日友達の青田さんと喧嘩をしていた。青田さんは誤って海美さんを突き飛ばしてしまう。そして動かなくなった」


 有里朱が何が言いたいかが即座に理解できる。それは頭の回転の速いプレさんやかなめもそうだった。


「そうか! 死んだと勘違いして狼狽える青田涼香に、妹の流山空美が悪魔の囁きをするのか」


 プレさんがパズルのピースがはまった時のように、少し興奮した声を出す。それに答える有里朱。


「そう。『自分が姉の代わりになろうか?』と」


 たぶん、自分はいじめられていたから“飛び降り自殺をしても不審に思われない”とでも言ったのだろう。


 有里朱はこう付け加える。


「そして二人は姉の流山海美を屋上へと運んだ」


 そこでナナリーが口を挟む。


「待って。さっきかなめさんが言ってたじゃん。生活反応があるから、亡くなってから落としても、その傷が死後についたものかがわかるって」


 その疑問に、かなめはものすごく複雑な顔でこう答えた。彼女も理解してしまったのだろう。この事件の恐ろしい構造に。


「たぶん、妹の空美さんは知っていたんだよ。姉がまだ死んでいないことに。そして、屋上から投げ落としたことで彼女は亡くなった。もしこの推測が正しければ、これは完全な殺人だよ」

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