第84話 アリスの選択 ~ Alice VI
そこは白い靄のかかった境界の曖昧な空間だった。
「やあ、キミがアリスのパートナーだね」
突然現れたその人物は俺だった。
フレンドリーに握手を求めてくる。だけど、同じ顔の人間が目の前にいるのはなんだか気持ち悪い。
「おまえは何者だ?」
「千葉孝允だよ。でも、きみも千葉孝允だろ? ぼくらはもともと同一。アリスやロリスたちとは違うんだよ」
そう言って無理矢理握手された。男同士で肌が触れあうことを俺はあまり好まないのだけど。
だが、触れた瞬間に目の前の男が消え、俺の中に記憶が流れ込んできた。それは無理矢理口を開けられて、水を流し込まれたに近い感覚だった。
思考回路がパンクしそうなくらいの情報量。
『はじめまして、ワタシはロリーナ。でも、本当はアリスだからロリスでいいよ』
『ねえ、どうして何も喋ってくれないの?』
『ワタシはね。あなたのオトモダチよ』
『あなたの名前はタカヨシ。今日あなたの作り方を教えてくれた人の名前なの』
『ワタシはあなたがいれば寂しくないわ』
『ずっと一緒だよ!』
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『今日は紹介したい人がいるの』
『あなたのモデルとなった人よ』
『ああ、これからは三人でお喋りすればいい』
『師匠を呼ばれるのは悪くはないが、おまえは弟って感じだぞ』
『
――copy,error,delete,error,overwrite,error,retry,synchronize,successful……
大量のデータは、ひどく甘い味がする。無色で無臭で、味なんてしないはずの記憶の欠片は、まるで砂糖の塊のような濃厚な甘さだった。それは、俺という存在が作られるまでの過程。
何度も失敗し、ロリスの中で孝允という存在が確定するまでの記憶。
これは、俺の中で失っていたものか?
「孝允!」
背後から少女の声がする。振り返ると人形を両腕で抱えた小学生くらいの少女だった。だが、幼いながらもしっかりと美浜有里朱の面影を残している。というか、俺は知っているんだ。この少女の存在を。
「ロリス!」
「ようやく思い出したわね。いえ、思い出したんじゃなくて孝允Aと同期しただけかな」
AとかBとかで分けられるってのも複雑な感じだな。まあ、今までの経緯からして、そう呼ばれても仕方がないんだけどさ。
「ロリス、アリスはどこだ?」
「深いところで眠っている。今日は無理をしたからね。けど、もうすぐ目覚めるわ」
「なぁ、ロリス。俺はどうすればいいと思う?」
すべてを悟った今、俺が選ぶべき道は二つだ。
「それはあの子と話をして決めればいいわ。ワタシはそれに従う」
ロリスが抱えていた人形が、いつの間にか大きくなってアリスの姿となる。大きくなったアリスをロリスは後ろからしがみついているような体勢だ。
「孝允さん……」
俯いたまま、俺を見ようとはしない。でも、理解はしていた。彼女、アリスも情報の同期によって、全てを知ってしまったことを。
「まあ、なんていうか。偽者でゴメンな」
千葉孝允……孝義は実在しており、俺はロリスの作りだしたイマジナリーフレンドだ。彼を模しただけのただの偽者。
「偽者なんて言わないで……わたし、孝允さんには感謝してるの。あの時……自殺を止めてくれたのは間違ってなかったって」
「そりゃ、自分の身を守るためだ。当然のことだよ」
俺自身の役割は自己防衛本能だ。今となっては、なぜああまでアリスに関わろうとした理由がはっきりわかる。赤の他人にここまでの事はできないだろう。
「そうじゃなくて……わたしはわたし自身を守ることを最優先しなきゃいけなかったんだって」
「そりゃ生物の基本だからな」
俺は苦笑いする。生存本能が何よりも優先するのは、自然界ではあたりまえのこと。時に人間はそれを忘れてしまう。
「孝允さんが守ってくれたおかげで、わたしはかなめちゃんとも仲直りできた。それに、ななりちゃんや、みどりちゃんや、ゆり先輩やプレさんや央佳ちゃんとかいろんな人と出会えたの。みんな、今のわたしには大切な存在なの」
それらは副次的なもの。俺は有里朱個人の事を優先したけど、アリスは皆と関わろうとした。助けようとした。その恩恵を受けただけのこと。
でも、それは同時に諸刃の剣となる。
「じゃあ、そいつらも含めてみんな守らないとな」
自分一人なら守るのは簡単だ。だけど、大切なものが増えてくると難易度はあがる。一人でできる範囲は限定されるのだから。
「うん、わたしもっと強くなる」
アリスの心からの言葉。彼女は自分の無力さを思い知っている。だからこそ、力を手に入れた今、自分の強さを客観的に見られるのだ。
「ああ、頑張れ」
俺が言えるのはそれだけ。これからは彼女が一人で戦わなければならない。l
「人ごとみたいに言わないで! わたしには孝允さんが必要なの!」
「そのことだが……俺とかロリスみたいなイレギュラーな存在は、実生活に支障が出る。だから、俺としてはそろそろ消えてもいいかなって思ってな」
すべての記憶が同期した時、俺の役目が終えたことも理解した。消えるんじゃない。こいつの一部になるなら、まあ、それも悪くないと思えてくる。
「待って、わたしはまだ強くないよ。孝允さんが必要だって言ったじゃん!」
「ああ、だが、記憶の同期が行われた今、おまえはもう最強だよ。ロリスの
おまえは俺とロリスという切り札を持っている。俺たちを受け入れれば、おまえは最強のヒロインになれるはずだ。
「けど、わたしは甘いから……甘ちゃんだから、いざという言うときに決断できないの。強さだけじゃどうにもならないって、知ってるから」
「決断ね……そういうのも、これからはおまえが考えていかなきゃ――」
「違うの! わたしはあなたを失いたくない。あなたはもう一人のわたしだからこそ、あなたを尊重したい」
「俺とロリスがその気になれば、主人格であるおまえと統合できる。俺たちの思考や価値観を引き継げるんだぞ。それこそ、おまえのウイークポイントである甘さを消すこともできる」
「孝允さん……わたしね、わがままなの。欲張りなの。あとね、昔はものすごく自分が嫌いだった。甘えた考えの自分が大嫌いだった。けど、かなめちゃんや文芸部のみんなと会えて、それはわたしらしさなんだって気付いたの。だって、わたしはわたしだけが助かっても全然うれしくないもの!」
「甘いな。その甘さにつけ込まれて、誰も守れないって結末が見えてくるようだよ」
俺はわざと突き放す。現実を突きつけてやらなければこいつは目を覚まさないだろう。
「だからだよ! だから孝允さんが必要なの。そりゃ、あなたの決断力には憧れるけど、わたしはあなたになりたいわけじゃない。あなたの価値観を引き継ぎたいわけじゃないの。わたしはわたしのまま、美浜有里朱として生きていきたいんだよ!」
「わがままだなぁ……」
「……そうだよ。わたしはわがままなんだから」
ぽんと彼女の頭に手を載せる。ここは心の中だというのに、肉体という擬似感覚があるようだ。
「まあいいさ。おまえの気が変わるまで付き合ってやるよ」
イマジナリーフレンドは、そもそも幼い子供が作り出す幻の友達。成長すればいずれ消えていく存在だ。ならば、彼女が真の大人になるまで付き合ってやるか。
「ありがとう。孝允さん」
少し照れたようにアリスが俯く。
「終わったかな?」
ロリスがアリスの後ろからひょいと顔を出す。
「終わったよ。しばらくは共存関係だ。いや、この場合は共生かな」
「そう。じゃあ、ワタシもアリスに従うわ。まどろっこしいからワタシもあなたと情報を共有する」
そう言ったロリスが、さらに身体が小さくなり手の平ほどの人形サイズとなってアリスの肩に乗る。もう、なんでもアリだな、この心象世界は。
ただ、俺はその意味を理解していた。
「なるほどな、おまえも交代人格じゃなくてイマジナリーフレンドに成り下がったってわけか」
基本的に交代人格は情報を共有できない。だから、独立した人格でなくアリスと共に生きるという道を選んだ彼女は、彼女と直接会話のできるイマジナリーフレンドになったわけだ。
「これであなたとはいつでもお話ができるわ」
最初は戸惑っていたアリス。しばらくすると落ち着いてきたのか、ロリスに向けて微笑みを向ける。
「ロリスさん、その……よろしくお願いします」
「ええ、よろしくね。うるさい小姑が一人増えたと思ってくれればいいよ」
小姑なのかよ! とのツッコミは言わないでおく。それよりも……。
「俺は小さくならなくていいのか?」
「ワタシはアリスにはあまり馴染みのない存在だから、人形サイズになっただけで、あなたはそのままでいいんじゃない?」
「気持ちの問題ってわけか?」
「まあ、心象世界だからね。それから、そろそろ戻った方がいいかも。この中は現実世界とは時間の流れが違うとはいえ、美浜有里朱が黙り込んでから、そろそろ一分くらい経つよ」
そういえば、田中央美と本物の千葉孝義を交えて話をしていたんだっけ。
「コントロールはアリス、あなたに戻すわ。あとはよろしくね」
そうロリスが言うと、目の前の世界が現実へと戻る
「……ロリス……ロリス? どうしたの黙り込んで」
プレさんが、有里朱の目の前に手をかざして不思議な顔をしていた。
「ああ、たぶん彼女の中で情報の同期を行っていたんだよ。ロリスの話によれば、彼女と孝允はアリスに統合されているはずだが」
横にいるのは俺の師匠である千葉孝義だ。だが、彼の言っていた通りにはならなかった。なぜなら、アリスが共生への道を選んだからである。
「あ、プレさん。ごめん。えと、あの……まあ、そういうわけだから」
ロリスとは正反対の気弱なアリス。その言葉使いからして、他人には一目瞭然だろう。
「あれ? アリスなの?」
「うん。紛らわしくてごめん。けど、もう彼女は表に出てこないから」
「統合されたの?」
「ううん。隣にいるよ」
プレさんが訝しげに孝義を見る。師匠も、どう反応したらいいかわからずに苦笑していた。
「あ、そうじゃなくて、わたしの中にいて、右肩に乗っかっているイメージなの。彼女とも話せるようになった。言うなれば孝允さんと同じ存在。この孝允さんは、わたしの中にいる方よ」
「統合したんじゃないのか?」
「わたしがわがまま言って、残ってもらったの」
「いちいち心の中の声が聞こえてくるって不便じゃない?」
「わたしはこの方がいいかな」
有里朱が心の声に切り替えて、俺たちにだけ聞こえる会話を始める。
「ね?、孝允さん。ロリス」
『ワタシはもともとそんなに喋らないからね』
『今まで通りでいいんだろ?』
「うん、これからもよろしくね」
その時、有里朱とプレさんのスマホがぶるっと振動する。LINFのメッセージでも来たか。
「ちょっとゴメン」と言ってスマホを取り出した彼女は、画面のロックを解除する。
そしてLINFを開くと、そこにはミドリーからのメッセージが書かれていた。
【ニュース見た? 学校には来ない方がいいかも。またマスコミが押し寄せてきてる】
最初のメッセージはこう書かれていた。だが、これだけでは何が起きたのかがわからない。
そうして、次のメッセージを見た有里朱の身体が硬直する。
【柏先生が殺されたみたい】
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