第80話 奇跡の価値は? ~ A Mad Tea-Party 【鹿島みどり視点】


 ナナリンと一緒に、あたしたちは視聴覚教室の外で待機する。場所としては、北校舎の中庭部分にある南側の窓の近くかな。


「ミドリン、あんまし押さないでよ。狭いんだから」

「しかたないでしょ。見つからないようにしているんだし」


 ヒーリング研究会の人間に見つからないように、室外機の陰に隠れる。まあ、ナナリンの方がちんちくりんだから、隠れるのは得意そうだけど、さすがに二人で隠れるのはちょっとキツいな。


――『ミドリー、ナナリー。もうすぐ時間だ』


 無線にプレさんからの指示が来る。


「もう配置についているよ」


 今日は、この視聴覚室で部活の説明会と題して、ヒーリング研の勧誘……もとい、洗脳セミナーが始まる。


 プレさんやアリリンの見立てでは、かなりヤバイらしい。下手をすればたくさんの命が失われ、この学校は廃校に追い込まれる。


 あたしは文芸部の雰囲気が嫌いじゃない。今までイキって生きてただけに、あそこはほっと息を吐ける場所だ。絶対になくさせはしない。


 ナナリンも多少ウザいところはあるけど、この子との軽口の叩き合いも嫌いじゃないからね。


「ミドリン、始まった」


 隣のナナリンがあたしの肩をつつく。わかってるって。


 視聴覚室の中は、隠しカメラでモニターしていた。あたしらはスマホで、プレさんたちはPCで観ているって言ってた。


 薄暗い部屋の中には、約三十人ほどの生徒が集まってる。その半数以上が二年一組の生徒なんだよね。


 壇上には我孫子さんが立ち、皆に挨拶している。彼女が部長で、部活の説明会という体裁をとっていた。そういう風に学校側には説明して許可を取ってあるらしい。


 だけど、すでにアヤシイ雰囲気。室内にはヒーリングミュージックが流れ、後ろの壁にはアシュヴィン双神の絵が掲げられている。イラスト画がヘタウマの個性的なものだから、わりとシュールな絵面えづらだった。


 そして内部はお香のようなものが焚かれているようで、部屋の隅にはアロマスタンドが置かれてる。


「ねえ、プレさん。あたしらも外からじゃなくて、中に入った方が良かったんじゃない?」


 外から観察するよりは、その方が手っ取り早い。


『それは危険だ。たぶん、あのお香には麻薬成分が入っている可能性が高い』

「麻薬?」

『それほど強力なものじゃないと思うが、洗脳効果を高めるためのものだろう』

「それって、もうあたしらの手に負える問題じゃないじゃん」

『麻薬かどうかはこちらの推測だ。警察を呼んでもいいが、証拠が出ない場合もある』

「そりゃそうだよね。で、どうするの?」

『たぶん、効果の薄い薬だ。長時間吸入しなければ問題ない。早急に解決すれば薬の影響は出ないだろう』

「もう、スイッチ入れていいのね?」

『ああ、モスキート音で室内の奴らを不快にさせてやれ』


 プレさんの指示を聞いて、あたしは隣のナナリンを見る。


「ナナリー」

「わかってるって」


 そう言って彼女はスマホに連動したドローンを起動させ、操作パネルからオプションスイッチを押す。


 部屋の中の生徒たちが「ん?」とほぼ同時に顔をしかめる。ドローンから流されているのはモスキート音という、大人には聞こえにくい超高周波の音だ。長時間聞かされていると不快になってくる。


 とはいえ、中は音楽も流れてるから、何が起きたのか理解できてないのかも。


『ふふ、効いてきてるな。徐々に気分が悪くなって退場する生徒が出てくるだろう』


 プレさんが悪役っぽい笑いをする。あたしたち、傍目から見れば部活の説明会をぶっ潰すだけの単なる悪戯集団だよなぁ。


「ね、ミドリン。これでいいんだよね?」


 ナナリンも少し不安なようだ。そりゃそうだ。あたしらの作戦は、プレさんとアリリン……チバタカヨシって人の推測で動いているわけだからな。


 正しいかどうかは、あたしらにはわからない。


「信じるしかないでしょ」


 それは自分にも言い聞かせるようなもの。プレさんはともかく、アリリンには借りがある。


「ね、ミドリンはどう思ってるの?」

「何を?」

「チバタカヨシさんのこと」


 そう聞かれて一瞬考える。けど、答えなんてあるはずがない。


「さあね、あたしはアリリンには世話になってるし、あたしが出会ったのがチバタカヨシっていうのなら、彼にも借りがある。悪知恵が働くってのは今まで付き合ってて十分すぎるほど理解してるし、今さらアリリンの中身がどうこう言われても、あたしとしてはあんま関係ないよ」


 あたしの脅しにも屈しなかったし、逆に脅されたくらいだからな。クセのある性格だけど、あの子は中身も含めて嫌いじゃない。


「七璃もアリスに助けてもらったことがある。けど、七璃、ちょっと男の人が苦手なんだよね。アリスの中の人がチバタカヨシさんっていうのは、信じられない部分もあるけど、ある意味凄いよね。同じ身体に二つの心が同居してるんだもん」

「その凄いってのは、女の子の身体に乗り移っちゃうチバタカヨシって奴? それともそれを受け入れている有里朱が?」

「両方だよ。男の人は苦手だけど、チバタカヨシさんは信頼してる。それに、最近、素のアリスがどんなんかもわかってきて、ますますあの子の事大好きになった。あ、この大好きは友人としてだよ」

「バーカ、勘違いするわけないでしょ。あたしもアリスは好きだよ。友人というか恩人だからね」

「じゃあミドリンは、チバタカヨシさんの目が覚めて、彼が本当にアリスの中に入っていたとしたら会いに行く?」

「そりゃ行くに決まってるよ。お礼とか言わなきゃいけないし」

「七璃は……ちょっと怖いな。信頼はしてるけど、それはアリスの姿だから……男の人にはまだ抵抗がある……」


 ナナリンが自分の身体を両手で抱き締めるように、ぎゅっと力が入る。男が苦手ってのはそうそう直るものじゃない。


「ナナリンは、ホント男が苦手なんだなぁ。あんなもん大した事ないってのに」

「そりゃ、ミドリンはお兄ちゃんが二人もいるもんね」

「だからこそ、わかるんだって。男なんて基本、本能で動いているんだよ。それをコントロールするのが女のたしなみじゃないか? ネコたちより扱いが簡単だぞ」

「ネコより簡単って、まるで動物みたいじゃん」

「うふふ、動物だって。男なんて。本能的な衝動を制御してやることこそ、男をコントロールする第一歩だよ」

「ふーん……で、ミドリンってカレシいたっけ?」


 ジト目のナナリンが、核心を突くような質問をしてきた。いや、まあ……いないんだけど。


「あたしは、男なんかよりネコと愛し合うほうが性に合ってるからね」

「あ、ミドリンごまかした」

「ごまかしてないよ。人間の男なんかより、ネコの方がずっといいぞ」

「ミドリン、もしかして男の人にトラウマでもあるんじゃないの?」

「ないって、何言ってんの? ナナリン」


 ちょいと焦る。あたしはナナリンみたいに男を恐れているわけじゃない、信用していないだけだ。


「はぁー、まあいいけどね。一生独り身、縁側でネコを膝に載せてかわいがっているミドリンの未来が見えるようだよ」

「ナナリンに言われたくないね。どうせあんたは、男が嫌いっていいながら、BLにハマっていくタイプなんだから」

「七璃は、BLなんかに絶対ハマらないよ。だって、美しくないじゃん。崇高なGLの方が数倍いいよ」


 あれ? GLってガールズラブだよね。百合? 百合なの?


「あんた……まさか」

「大丈夫、ミドリンなんかにGLは似合わないから。二次元、いえ、デジタルの世界に生身の女の子が叶うわけないじゃない!」


 ナナリンは空を見上げて、トリップするかのように自分の考えに酔いしれているような表情となる。


――『ナナリー……ナナリー! 主催者が気付いたみたいだ。音源を移動してくれ』


 そのプレさんの無線で、あたしたちは我に返った。


「ごめん、プレさん。今移動する」


 ナナリーがそう答えると、自分のスマホを操作しだす。あたしはモニター画面を見て、主催者の一人が脚立に上がって点検口から天井裏を覗こうとしているのを確認した。


 天井裏を覗いた生徒は、下に集まっている生徒に向け首を振る。何も見つからないと言ったのだろう。


 点検口を閉めると再び壇上に我孫子さんが立ち、何事もなかったかのように話を始める。その顔は少し引きつりつつあった。


 聴衆している生徒達は、やや不快な顔をしながらも我孫子さんに縋るように真剣な眼差しで彼女を見つめている。今のところ、身体の不快さよりも、心の不快さを取り除くことを求めているのだろう。


 そこで奇跡が起こった。


 教室全体が光に包まれると同時に、何もない空間から便せんが一枚振ってくる。


――「これは、先に逝った同志からの手紙です」


 我孫子さんは落ち着いた口調でそう言った。まるで、その奇跡を待っていたかのように。


「なに? 何が起こったの?」


 ナナリンが画面を凝視している。けど、あたしは気付いていた。便せんが現れる前に、教室全体が光に包まれたことを。


「これはエレクトロニックフラッシュだよ」

「えれくとろ……なんとか?」

「カメラなんかでフラッシュ焚くだろ」

「七璃のスマホはそんなのついてないよ」

「ナナリンのは年代物の5cだからなぁ。まあいいや、瞬間的に大量の光を発生する装置って考えればいいよ」

「うん。それで」

「目くらましでそれを使えば、その一瞬の間にあの便せんを用意することができる」

「どうやって?」

「そうね。天井に張り付けておいて、フラッシュのタイミングで落とすって手もあるよ」

「けど、そんなのあったっけ?」

「便せんの裏面を天井の模様にしておけばいいでしょ」

「あ、そうか」


 ナナリンは口を大きく開けて関心する。この子は感情の起伏が激しいから見ていて面白い。それにまるっきりバカじゃないから、あたしの説明も一度聞けば理解してくれるのだ。


――『ミドリー、ナナリー。第二フェイズを実行してくれ』


 プレさんから指示が入る。


「はいよ」


 これは、事前に打ち合わせされていたもので、ヒーリング研究会が何かマジック的な要素を使って奇跡を演出しようとした時に、それを打ち破るための作戦だ。


「ミドリン、今、ドローンで音をたてるから、その隙に」


 ナナリンがそう告げてきたので、あたしは用意していたものを手に持つ。


 ガタンと入り口付近の天井裏から音がする。これは、ナナリーが天井裏のドローンでわざと乱暴な操縦をして音を鳴らしているのだ。


 案の定、室内の生徒達はその方向に気を取られる。


 その隙を狙い、窓際から我孫子さんの立つ後ろのスクリーンに向かって、モバイルプロジェクターで用意した画像を投影した。ナナリンが音をたてて時間稼ぎをしているうちに、投影角度を調整して固定する。


 そして、あたしは再び窓の下へと隠れた。


 しばらくして、室内の生徒達が気付く。


――「なにあれ?」

――「え?」

――「うそでしょ」


 スクリーンに映し出されたのは怨霊文字のフォントで書かれた文章が一文字ずつ現れていく。


 内容はこうだ。


“わたしは騙された”


 続けて文字はスクリーンに現れる。


“死んだことを後悔している。世界は終わらない。もっと生きたかった。もっとみんなと遊びたかった。もっと美味しい物を食べたかった。もっと誰かと恋をしたかった。こんな暗い場所は嫌だ。何にも見えない。何にも聞こえない。誰か答えて。わたしはここにいる。誰かわたしを見つけて。誰かわたしを探して。なんで誰もわたしを助けてくれないの? なんで誰も騙されてるって気が付かないの? もうやだ。こんな暗い場所はいや”


 室内から悲鳴が上がる。


 我孫子さんも、何が起きているのかわからなくて呆然としていた。そもそも彼女は、事の真相を知らない。「J」という人に洗脳されているだけなのだから。


 文字はまだまだ続いていく。


“暗くてじめじめしていて臭くて痛くて苦しくて耐えられなくて泣きたくても涙が出てこない。平気で学校に行っているあなたが憎い。食べたい物を食べているあなたが憎い。誰かに恋をしているあなたが憎い。肉体があるのに怖いと勘違いしているあなたが憎い。明日があるあなたが憎い」


――「キャー!!」

――「わたしたちのことだよね?」

――「やめてよ」


 文章は続く。


“憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い”


――「やだ。なんなの」

――「これ白子さんじゃない?」

――「睦沢さんかも……あの子たち後悔してるんだわ」

――「もうやめて!」


 最後はナナリーがオプションボタンを押して、ドローンの音声再生装置を作動させる。


 天井裏からは次の言葉が肉声で流れた。


『生きているあなたたちが憎い』


 その言葉を皮切りに、生徒たちは絶叫をあげて出口へと駆け出していく。それはもう、パニックといっていいほどの状態だった。


 もともとモスキート音で精神的負荷がかかっていたところに、死者からのメッセージが送られてきたのだ。しかも麻薬成分のお香を焚いていたのだから、その心理的効果は倍増するだろう。


 そもそも、その直前に死者からの便せんと受け取っているのだ。演出としては完璧である。まあ、我孫子さんがその仕掛けかを把握していたかどうかはわからないけどね。


「うまくいったね」


 ナナリンの笑顔がこちらに向く。かわええなこの子は。


「ナイスサポート」


 あたしたちは両手をハイタッチして、作戦成功の喜びを分かち合った。


「ねぇ、ミドリン。あの生徒たちどうなるのかな?」

「受け皿は文芸部が引き受けてる最中じゃないか。アリリンたちの方もうまくいっているみたいだし、状況は良い方向に向かっていると思うよ」


 そう答えたあたしの顔は少し笑っていたのだろうか。


「ミドリンって、そんな優しい顔ができるんだね」

「え? ……いや、あたしはいつだって優しいよ」

「無理しないで、七璃はそんなミドリンも大好きだよ。デジタル世界には劣るけど」

「最後の言葉が余計だっつうの」


 お互いに顔を合わせて笑い合う。


 誰一人離ればなれになっていけない。そのためにも、あたしはアリスに全面的に協力をする。

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