第61話 凶行 ~ knife

「あれ?」


 かなめに向かってナイフで切りつけた宮ノ下が、何が起きたのかを理解できずに呆然としている。


 それもそのはず。かなめは平然とそのナイフを素手で掴んでいるが、負傷している様子はない。彼女が想定していただろう血が一切流れていないのだ。


 メロンは女将に用意してもらったが、ナイフはこちらが持ってきていた刃先がゴム製の玩具である。衝動的に何か行動に出るのなら目の前にあるものを使うだろうと、意図的に配置したものであった。


 ある意味、思考の誘導。ゲスい方法だと皆に攻められる覚悟はある。


「宮ノ下さん。そのナイフが本物だったらあなたは殺人を犯していたのですかね? まあ、こちらもだいぶ追い詰めてしまいましたから、あなただけの責任ではありませんよ。ただ、よく考えてみてください。その感情は……衝動は他人が許容できるものでしょうか? 自分が不快だからと他人を強制的に排除しようとすることが、正常な思考なのでしょうか?」


 心理カウンセラーではないので、気を遣った言い方はしない。直接質問をぶつけるのも今回の試みの一つである。


「……」


 さすがに直後では混乱していて答えられないか。


「まあ、座って下さい。ちなみにこちらへと襲いかかる様子も撮影されています。女将には許可を取りましたし、公の場所で映像を流すわけではありませんのでご安心下さい」


 そう宮ノ下に言うと、かなめの方を向き「かなめちゃんもお疲れさん。迫真の演技だったよ」と労う。


「これって私が出る必然性あったのかなぁ?」


 苦笑するかなめ。本人に与えるショックとしては、まったく関係の無い人間を攻撃させる方がダメージは大きい。恨む相手を傷つけても、場合によっては欲望が満たされてしまうからだ。


 今回は負荷をかける実験という意味合いもあるので、かなめに一芝居打ってもらった。


 とはいえ、こんなことは本人の前では話せない。それこそゲスい話だ。俺の方こそサイコパスと疑われても仕方ないだろう。


 ただし、自身を正義とは思い込んでいない。そのことだけは自覚があった。


「ほら、人数増えてくると出番が少なくなるから見せ場を作らないと」


 と気分を変える意味でメタな発言をする。本心は言えないからおふざけだ。


「もう、なんの話よ。あっちゃん」


 ふざけた会話にかなめがツッコミを入れる。彼女のことだから、俺の意図にも気付いているだろう。と、そんな二人のやりとりを見ていた仲居の一人が声を上げた。


「お客さま、お許し下さい」


 そう頭を下げてきたのは、宮ノ下ではなく底倉の方だった。


「さきほど謝っていただいたじゃないですか、二度も謝る必要はありませんよ」

「いえ、先ほどは心がこもっておりませんでした。それにサクさんがこんな人だとは知らなかったんです。この人と同類に見られるのは耐えられません。どうか、どうかお許しいただけないでしょうか」

「だめですよ。あなたもミナコちゃんをいじめていた同類じゃないですか」

「わたしは自分のワガママで他人を排除しようなんて思いません」

「じゃあ、なぜいじめたんですか?」

「サクさんは私より二年も先輩で、あまり強いことは言えない立場なんです」


 配下系によくあるパターンである。


「つまり命令されていたと?」

「正確には命令ではありません。サクさんに従うのが当たり前となっていたのでしょう。私も多少はミナコちゃんにイラついている部分もありましたから」


 彼女の言葉に偽りがなければ配下系の忠誠型。改心させられる可能性は高い。


「もし解雇されなかった場合、あなたはミナコちゃんとうまくやっていけますか? この場限りの嘘はダメですよ」

「ええ、そうですね。もう少し寛容な目であの子を見るべきだったと反省しております。サクさんがいなければ私も少しは冷静になれると思います」


 彼女の発言がどこまで信用できるかはわからない。でも、このまま二人を辞めさせてもミナコちゃんへのいじめは終わらないだろう。もともと、他人を苛つかせるドジッ子(マイルドな言い方で)だと思う。


 他の仲居さんにも同様にいじめられている可能性もある。ならば、底倉を残留させて彼女を中心にミナコちゃんへの理解を得られる環境を作っていくのがベストだろう。念には念を入れて、口だけの約束にならないよう映像をちらつかせて底倉を従わせておこう。これで下準備は整うかな。


 さて、宮ノ下はどうするか。


「宮ノ下さんにも同様に質問します。解雇されなかった場合、あなたはミナコちゃんと、うまくやっていけますか?」

「……騙したのね」


 腹の底から絞ったような恨み節の声。その宮ノ下の言葉に一瞬耳を疑う。


「え?」

「こんなオモチャを使ってあたしをコケにして」


 この期に及んで反省すらしない彼女。完全に遊戯系欲望型である。


「オモチャじゃなかったらあなたは傷害事件の犯人として警察に捕まっていましたよね? いえ、かなめちゃんを守るために、わたしがあなたを殺していたかもしれませんけど。この場合は正当防衛ですよ。ナイフを持った悪漢に立ち向かうのですから」

「あたしを殺すの?」

「あなたが他人を攻撃しなければ、あなたは安全でいられます。そのことが理解できますか? 自分から攻撃をしておいて、なぜ反撃がないと思い込めるのですか?」

「……今まではみんなあたしに従ってきたのよ。今までは平気だったのよ。不快なものを排除して何が悪いの?!」


 微妙に会話が噛み合わないが、これはこれで構わないか。


「不快だからですか。まあ、それはある意味、人間の本質かもしれませんね。でも社会に帰属しているのですから、許されないラインというものがあるでしょう。法律という指標があるのです。もし、そんなことすら嫌ならば、あなたは社会を捨てて人間を辞めるべきじゃないですか?」

「あんた子供のクセに生意気じゃない? 年上に説教垂れるんじゃないよ!」

「説教ですか? わたしは論理的に会話を進めているつもりですけど。もし反論があるなら、感情的にならずに冷静に言えばいいじゃないですか。こちらが間違っているというのなら、その根拠を示せば認めますよ」

「その上から目線が説教なのよ!」


 この手のタイプは思考が歪んでいるので、会話を続けても堂々巡りだ。宮ノ下は切り捨てるしかないだろう。底倉のように改心させてミナコちゃんの環境を改善する手助けにはならない。


 害悪でしかないので、それこそ排除だ。この場合は不快という感情論ではなく、いじめ環境の改善のためだ。悪人として彼女を排除するのではない。例えば土砂災害のように原因を取り除くという意味での排除だ。この場合、宮ノ下側の正義は関知しない。


「女将さん。宮ノ下さんに関しては解雇という形でいいかもしれませんが、底倉さんはこのまま仕事を続けてもらうわけにはいきませんかね? 彼女が反省して、ミナコちゃんがいじめられないようにする環境作りを手伝ってもらえるのなら、彼女の存在は有用です」

「しかし、一度こういうことを起こして信用できるか……」

「映像でも、首謀者は宮ノ下さんだというのはわかりますよね。底倉さんはただ流されただけでしょう。ミナコちゃんがいじめられる環境をなくすためにも、彼女の協力は必要なんです」


 実際は協力ではなく強要になりそうではあるが。


「お客さまがそこまで言うのであれば」

「……ありがとうございます。お客さま」


 底倉が再び土下座のように頭を深々と下げてくる。


「で、問題は宮ノ下さんですね」

「なによ! あたしをどうする気!」


 完全に開き直っている態度だ。自分が悪いことをしたという自覚がなくなっている。


「例えばこのナイフは本物で、かなめちゃんは寸での所で躱したと皆で証言したらどうなるでしょう。カメラの映像も、あなたが斬りかかるところまで映っていますが、その後はフレーム外に出てしまっています。第三者にはその後、何があったのかがわかりません」

「あんたなに言ってるの?」

「盗難に関しては届け出はしませんので、その罪に問われることはないでしょう。ただ、傷害未遂事件に関しては、このまま警察を呼ぶということもできます。これは、あなたが調理場で触れたことがあるナイフのようですね」


 俺は、ミニタオルでくるまれた、女将から事前に借りていたフルーツナイフをテーブルの上に置く。玩具のナイフではなく、これを持って斬りかかったということにすればいい。証言は口裏合わせをすればどうにでもなる。


 いちおうナイフは、宮ノ下に奪われないように細心の注意を払った。


「あたしに濡れ衣を着せるつもり?」

「それはあなたの十八番おはこでしょう? そういうこともできますよ、という説明です」

「やめてちょうだい」

「はい、こちらとしてもそんな面倒なことはしたくありません。あなたにはこの旅館だけではなく、この土地から出てってもらいます。他の場所で今回の事を忘れて生きていく分には問題はありません」


 女将からは宮ノ下は独身であると聞いている。身軽ゆえに、ここを出て行くのにそれほど苦労はしないだろう。


「あたしを追い出す気?」

「取引ですよ。このまま傷害未遂事件として警察に引き渡されるか、それともおとなしくこの土地を出て行くかの二択です。もともと解雇されても仕方ないと思っていたのでしょう? だったら悩む必要はないのでは?」

「出てけばいいのね」

「はい。ただし、この旅館には一切関わらないでくださいね。旅館に悪い噂を流すとか、何か嫌がらせをするとか、そういうことがあった場合、突き止めて容赦なく今回の件をバラしますよ」

「わかったわよ!」

「もちろん、ミナコちゃんへの間接的な関わりがあった場合も同様です」


 言うべきことはこれくらいかな。


「話は終わり? もうあたしには用はないでしょ?」

「ええ、お引き取りいただいて結構です。ちなみに、あなたがお客に暴力を振るったという噂は流させてもらいますので、あなたの味方はこの旅館にはいなくなります。ご注意ください」


 結局、いじめの凶悪な加害者を排除するのに、いじめの構図を使わなくてはならないという皮肉。他にも方法はあるだろうが、それは時間がかかりすぎて今は使えない。


「世話になったわね! 女将」


 バンっとテーブルを叩いて、不機嫌そうに部屋を後にする宮ノ下。あとで、スマホのメールに今回の映像を添付してさらに釘を刺しておこう。


 彼女が今回のことを忘れて他の土地で元気に働いてくれることを祈るばかりである。


 加害者がいじめた事実を忘れてしまうのは、被害者にとっては許せないことだが、本当に被害者の為になるのは忘れて一切関わりにならないことだ。


 加害者と被害者はお互いに接触しないほうがいい。復讐心に囚われて加害者の不幸を願う被害者もいるが、それでは本当に幸せにはなれない。加害者からの束縛は、物理的なことだけではなく心理的にも解放してやるのが本人の為なのだ。


 あとは、女将に目立つような贔屓をさせないことと、ミナコちゃんがいい子であることを底倉さんの口から広めてもらうこと、そしてミナコちゃん自体の指導法の改善だ。


 彼女の性格を分析し、彼女にあった教え方をすれば仕事の非効率さも直っていくだろう。今のような頭ごなしの叱責は誰のためにもならない。


 問題は底倉の改心の具合と、二人の関係がうまくいくかどうかだ。


 こればかりは試してみないとわからない。最適解が、そのまま現実でうまくいくとは限らないからね。人の行動は不確定要素が多い。


 例えば人は何かを思考したり行動したりするときに、脳内のニューロンを発火させる。この発火というのは、本当に火を付けるわけではなく、トリガーという意味である。


 数々のニューロンを発火させ、脳内で何かを行動したり思考したりする複雑な回路を形成していく。


 だが、この発火は確率なのだ。場合によっては行動を起こそうと思考しても発火しない場合や、意図しないニューロンが発火することもあるのだ。


 だから、人の行動は計算できない。計算するとしても、それは確率論となる。


 心理学が結局のところ統計学と化してしまうのも、そんなところなのだろう。


 だが、そうして考えた時に自分自身……有里朱という脳内に違和感を抱く。


 俺の今の思考は、本当に有里朱の脳内で思考されていることなのだろうか? そもそも憑依ってなんだよ?



**



『なんかモヤモヤする終わり方だったね』


 あの話し合いが終わった後、有里朱がそんな事をこぼす。


「そりゃ、今回は完全に偽善で動いている。本当に改心するかどうかもわからないのに、実験的な解決法を行ったわけだからな」

『実験って……ある意味ヒドいよね。うまく行かなかったら責任を取らないって事でしょ?』

「だったらこのまま放置してた方が良かったか? いじめってのは人間同士の歪んだ対立だ。結局のところ第三者には、環境を変えてやることしかできないんだよ」

『そうだけど……今回は、いじめを受けていた本人……ミナコちゃんにも会ってもないよね』

「面識がないどころか、単なる旅館の客だ。明日には帰るし、アフターケアすらままならない。いちおう再発しないように保険はかけてあるけどさ」


 いざとなったら底倉を脅すという最低のやり方だ。見方によってはいじめのターゲットが変わっただけとなる。


『「助ける奴は最低限」って言ってた孝允さんらしくないと思ったけど、こういうやり方しかできないのは悲しいよね』

「そのミナコちゃんってのに会って、仲良くなりたかったか?」

『できればその方が良かったんじゃない?』

「会った結果、有里朱とは合わなかったらどうする?」

『え? どういうこと?』

「女将の言う“いい子”の定義も曖昧だ。本当は性格が悪くていじめられていた可能性もある」

『けど、そんなこと……』

「ないと言い切れるか? だから俺はこの件に関わる時に、いじめの当事者に会うことをしなかった。判断が鈍るからだ」

『けど、本当にいい子かもしれないよ』

「ああ、そうだな。可能性は半々だ。いや、いい子と言ってもいろんなタイプがいるからな。俺たちが助けたいと本当に思えるかどうかはわからない」

『だから実験なの?』

「“実験”という言葉が非人道的なら“練習”と言い直そうか?」

『それはもっとヒドいよ……』


 有里朱が拗ねてしまった。それはしょうがない。でも、俺にとっての最優先は有里朱本人だ。誰彼構わず助けられるほど万能でもないし優しくもない。



 夕食後、俺は精も根も尽き果てて畳の上に寝っ転がっていた。


「気分直しにゲームでもする?」


 ナナリーが気を遣ってそんな言葉をかけてくれる。


「いや、手動かすのも面倒な状態だから……そうだ、テレビ点けて」


 おっさんということで、どうしてもこういう時はテレビの力に頼ってしまう。今どきの女子高生ならスマホで十分なんだろうけどね。


 幸いこの旅館はリモコン式の課金方式で、自動的に室料に加算されるものなので予めプリペイドカードを買う必要がなかった。しかも、二時間くらいはユーリ先輩が当選した宿泊プランに含まれていたと思う。


 二十インチの液晶画面に映し出されたのは、背広姿の男性が真面目に喋りだすニュース番組だった。MHKか。


――「先ほどお伝えした埼玉県○○市で起きた事件の新しい情報が入ってきました。被害者の紙敷香織さんの死亡が確認されたというこ」


「チャンネル変えるね。七璃、ナツコの情報番組が見たいな」

「待って、ナナリー」


 俺はリモコンの操作をしようとする彼女を止める。今、知っている名前を聞いたような……。


「紙敷って、同姓同名の別の奴じゃなければ、あたしと同じ中学出身の子じゃない?」


 ミドリーもその名前に反応する。もし同一人物ならば松戸美園の件で、彼女にはインタビューしたことがあった。例の自殺事件の時に彼女は一緒にいたということで、つい最近話を聞いたばかりなのである。


――「小金美枝子さん、河原塚奈央さん、梨香台里佳さんは、依然重体のままであり、他にも生徒数十名が病院に搬送されたようです」


「ちょ、何があったんだよ!」


 思わず素の言葉が漏れてしまう。


 だが、タイミングが悪かったのか、ニュースの情報が断片的でしかなかった。なので、スマホを取り出して事件を検索する。


【いじめの仕返しか? クラス全員が刺される】


 記事のタイトルからしてインパクトがあった。未成年が加害者のために詳細がぼかされているが、かなり衝撃的な事件である。


 要約すると、いじめられていたとされる女子高生がいじめを行っていたクラス全員に報復したらしい。凶器はナイフで、特にリーダー格だったと思われる紙敷香織は複数回刺されており、病院に搬送される途中で亡くなったということだ。


「紙敷さんってミドリーに紹介してもらった子だよね」


 松戸の件でインタビューする時に、同じ中学出身ということでミドリーに紹介してもらったのだ。


「うん、高校名が一致するからあの紙敷に間違いないよ」


 ミドリーもスマホでニュースを検索していたようだ。彼女の方には、事件のあった学校名が記載されている。


「えげつない事件やね」

「というか、ここ日本だよね? 学校での銃の乱射とか海外でよく聞くけど、あれに近いんじゃない?」


 ユーリ先輩がさらっと感想を言い、かなめがコメンテーターのようにプチ分析を行う。


「七璃、なんか怖いよ」

「なんで? 逆だったら、まあいじめられっ子が怖がるのはわかるけどさ」


 今回はいじめられる側が暴力に出たわけだから因果応報である。


「だって七璃、殺したいなんて思った事ないもん」


 そうだね。ナナリーの場合は自らを殺すタイプだ。相手をとことん憎んで殺すなんてことは考えられないだろう。


 加害者の女生徒はナナリーとは逆のタイプであり、それだけ追い詰められていたとも考えられるだろう。海外でもよくある話だし……いや、何か違和感があるな。


 窮鼠猫を噛む……ことわざでもあるじゃないか。それが過激になっただけだと思い込みたい自分がいた。


 情報も錯綜していて、実際、何か根拠があるわけではない。だが、俺は考えてしまう。


 この事件に暗躍する第三者の存在を。

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